合流するも…
「メイ…っ、頑張れっ!」
「はっ…、はっ…、お兄……!」
日の落ちた森の中を、アルタットとメイルディアが息も切れ切れに走っている。メイルディアはもう、アルタットに手を引かれて走っている有様だ。
背後から聞こえてくるのは、追っ手が草木を掻き分ける音。フィリアと分かれて30巡ほどだが、遂にふたりに追っ手の影が追いついた。
ふたりは知る由もないが、フィリアが減らしたゴレムスの数は4体。残りの2体のうち、1体はフィリアをどこかに運んだが、もう1体がアルタットたちを追いかけてきたのだ。
「あとちょっとだ!」
「………っ、うん…っ!」
アルタットが妹を励ますように声をかける。メイルディアもそれに応えて足を止めずに走り続けているが、ふらついている足から限界などとっくに過ぎていることが分かる。
メイルディアを引っ張りながらも、アルタットは最悪自分が囮になって妹を逃がすことを考えていた。
狙いがアメジーナという一族にあるのなら、もしかしたら自分が捕まれば妹は助かるのではないかという考えもあった。
「くそぉ! フィリア姉ちゃん…っ!!」
置いてきてしまった優しい女性の顔がアルタットの頭に浮かぶ。短い時間だったとは言え、見ず知らずの自分たちを信じて助けてくれた人だ。
追っ手が来たということは、彼女はどうなってしまったのだろう。追ってくる影の数が減っているのは、彼女のおかげかもしれない。
だが、アルタットにはその本人の安否が気になって仕方がなかった。殺されはしないと言っていたが、それだって確実な根拠があるわけではない。もしかしたら、という思いが頭から離れなかった。
「こんなとこでっ、捕まるなんてだめなんだよぉっ…!」
なんとかしてフィリアのことを誰かに知らせなくては。任されたのは自分たちなのだから。だからここで捕まるわけにはいかない。
振り向けば、後ろから迫る追っ手の姿が段々と近くなってくる。
「……お兄っ、前っ!!」
メイルディアの声に、はっとなって前に向き直ると同時、視界が開ける。
見渡す限りの夜の闇。月の青白い光があたりを薄ぼんやりと照らしている。
「大平原だっ!!」
ふたりにとっては初めて足を踏み入れたリフェイルの大平原。ついに辿りついた合流地点だ。
「レミ姉ちゃんはっ!?」
「……っ」
あたりに人影を探すものの、見渡すところにそれらしいものは見つからない。
「そんなっ!?」
「……、レミお姉ちゃんっ」
まさかあの巨大な魔物にやられてしまったのか。そしてこのまま自分たちは捕まってしまうのか、フィリアがその身を盾にして逃がしてくれたというのに。
そんな焦燥感と無力感がふたりを苛む。やがてここまで必死に逃げてきたアルタットたちの足が止まった。
「くそ…ぉ」
「……、お兄」
このまま逃げてもそう遠くないうちに捕まるのは確実だった。
それならばここで戦ったほうがいいとアルタットは考えた。きっと勝てないだろうが、それでも妹を逃がす時間ぐらいは稼げるかもしれない。
「メイは逃げろ。どこに行ったらいいとかわかんねーけど、ここから離れてろ」
「……、お兄、ダメ」
「しょーがないだろっ。どっちかが逃げないと、フィリア姉ちゃんのことも誰にも知らせらんねーんだから」
「……、でもっ!」
「いいからっ」
アルタットは、自分に詰め寄ってくるメイルディアの肩を無理矢理つかんで引き離す。
「……、お兄」
「行けって!」
怒鳴るように叫ぶが、メイルディアは動かない。
「……、やっぱり、ダメ。だって……、私だけ逃げてもきっと途中で他の魔物にやられる」
「だけどっ」
頑なに首を縦に振ろうしないメイルディアの様子を見て、アルタットは何を言っても無駄だと感じた。
「分かったよ。ならそこにいろ。兄ちゃんがなんとかしてやるっ」
「……、うん」
強ばっているが、それでも無理にメイルディアは笑みを作った。妹のそんな強さを見て、アルタットはその頭を軽く撫でる。
「さあ、来いっ」
そのまま迫る敵に向かい合う。
武道も武術も習っていないアルタットの構えは素人のそれだった。それでも妹を守るように敵の前に立ち塞がる。
「………」
相手が素人で、しかも子供だということが分かっている影は、それゆえに油断していた。目の前の子供には何の驚異も感じないのだから、それも当然と言えば当然ではある。
しかし、その子供に意識を集中してしまったことで、横から走り込んできた本当に対処するべき相手に気づくのが遅れたのだ。
足に生気を集中させる。
現在、使える生気は残り少ないが、あれひとりだけならば問題ないだろうと彼女は判断した。
闇夜に紛れているおかげか、相手は未だ彼女に気づいていない。しかし、急がなければならないのも事実。敵の目の前には助けると約束した兄妹の姿があるのだから。
足に生気を集中せたことで、加速するその身体。勢いをそのままに、一気に敵に詰め寄る。
「――――ふっ!」
声などいらない。ただ、力を収束させて解き放つ。鞘から滑るように抜き出された剣。刃を向けずに、剣の腹で相手の胴体を強打する。
無警戒だった側面からの攻撃に、何の対処もできずに兄妹に迫っていた敵を吹き飛ばした。
「無事ですか?」
視線を敵から外さずにレミアータがアルタットたちに問いかけた。
目の前で突然、追っ手が吹き飛んだ。その様子はあたかも独楽のようだった。
そうして代わりに目の前に現れた人物の姿に、おもわずアルタットとメイルディアは歓声をあげる。
「レミ姉ちゃんっ」
「……っ、レミお姉ちゃん!」
「お待たせして申し訳ありません。もう大丈夫ですよ」
目に涙を溜めて、泣きそうになっている兄妹にレミアータは微笑みながら頷く。
それから吹き飛ばした敵を睨みつける。
「貴方たちは何者ですか? それと、もうひとりいた女性をどうしたのですか?」
レミアータはここに到着した時から気になっていたことを問うた。
兄妹はいる。それなのにフィリアだけがいないのだ。なにかあったと思うのが普通だろう。
「レミ姉ちゃんっ。フィリア姉ちゃんはっ!」
「……、私たちを逃がすために、あいつらのところに残って……」
後ろからふたり共がそれぞれ口に出す内容を理解して、レミアータの表情が強ばる。
「フィリアさん……。――――答えなさい、もうひとりの女性をどうしたのですか? 答えないのならば……」
今度は剣の刃を吹き飛んだ形の敵に向ける。この影のような妖しい集団のことを、レミアータは戦ったからこそ分かっている。少なくとも、さっきのような攻撃程度で死ぬようなやつらではない。
そしてその予想通り、倒れていた人影がゆらりと立ち上がる。その動作には怪我の様子は見られない。
影が立ち上がり、こちらを振り向いたとき、レミアータたちは驚愕の声を抑えられなかった。
「な……っ」
「なんだ、あれ!?」
「……、人、じゃない?」
吹き飛んだ拍子に仮面が外れたのだろう。その下にあった顔が顕になった。
「ちっ、レギオノイズゴレムスですか……。魔物とは、やってくれますね」
仮面の下から現れたのは人間の顔ではない。それどころか生物のそれとは信じられないようなものだ。目も鼻も、口すらもない土くれでできた怖気の走る顔。
レミアータは自らも知らぬうちに、苛立ちから舌打ちをしていた。
「……魔物相手に話せと言っても無駄ですか」
言葉を解する魔物はいない。人間の他にそれができるのは魔獣や聖獣、精霊と呼ばれる高位生命体くらいだ。
ならば尋ねても無駄だとレミアータは剣を握る手に力を込めた。
「レミ姉ちゃんっ、こいつ話せないかもしれないけど、捕まえてフィリア姉ちゃんとこに案内してもらえば!?」
目の前の魔物を、レミアータが殺すつもりだと感じたアルタットは慌てて提案する。
少なくともフィリアに関する手がかりになるような相手は目の前の魔物しかいないのだから、殺すのはやめた方がいいと彼は思ったのだ。
慌てるアルタットの言葉を聞いて、レミアータは数秒だけ思案したあとに首を横に振った。
「無駄でしょう。この魔物が自身の考えで動いているならばともかく、この者たちは誰かに操られています。ならば、万が一捕まった時の指令を送っていないとは考えられません。
現に、わたしが吹き飛ばしてから魔物の動きに動揺が見られます。おそらく送られていた指示が外され、自己意識を取り戻したのでしょう」
レミアータの言った通り、アルタットたちも目の前の魔物に意識を向ける。
すると、自分たちを追ってきていたときの正確な動きが嘘のように、レギオノイズゴレムスはその身体を不安定に揺らしていた。
「この様子だと操られている間の意識はなく、記憶もないのでしょう。集団で動き、安定を保っているはずのレギオノイズゴレムスが、自身の群れからはぐれて混乱しています。帰巣本能にも期待できないでしょう」
苦虫を噛み潰したようなレミアータの声がアルタットたちの表情をも暗くする。
「それじゃ…、フィリア姉ちゃんは……」
「……、どこに行ったか、分からない」
「……ひとまずこの魔物を片付けて、騎士団に連絡しましょう。何か手があるはずです」
剣を油断なく構えて、レギオノイズゴレムスに慎重に近づくレミアータ。
だが、自らの命の危険が迫っていても、混乱したゴレムスは彼女に対して無警戒だ。
そのままレミアータは自身の攻撃範囲に入ったゴレムスの胴を両断し、露出した生命核を返す刃で砕いた。
「これでひとまずは安全ですか。とはいえ、このままここにいるのは得策ではありませんね。――ふたりとも、もう少し移動してから今後の対策を練りましょう」
倒れたゴレムスの破片を凝視していたアルタットとメイルディアに呼びかけてから、レミアータは剣を鞘に収めた。