王都より出でる
出かけるということで緊張していたのか、目を覚ました時刻はまだ4の刻前だった。
「遠足前の子供みたい…」
フィリアはいつも起き抜けは若干の低血圧だ。それに時刻も普段ベッドから這い出るよりだいぶ早いということもあって、その思考速度は亀のような遅さである。
「……歯磨き」
いくら頭が回っていなくても、今日はやることがあるということは覚えていた彼女は、ベッドから這い出て洗面所へと向かった。
◇
「さぁ…、始めましょうか…!」
そう告げたフィリアの手には一本の包丁。
実は彼女は今のところ誰にも言っていないが、密かに料理の練習をしている。しかしその腕前は正直に言ってひどい。生焼けや焦がすなんていうのは序の口で、あるときは調味料や材料すらも間違えほどだ。《料理》スキルを習得したいと思っているのだが、まだまだ先は長そうだった。
そんな彼女は今、台所に立って新妻もかくやというようなフリフリで可愛らしいエプロンを着けながら食材たちと向き合っている。
そして今、彼女の目の前には料理本。『これで貴方もお料理上手! 本日の献立はこれ!』と表紙に書いてある本が開かれている。なんでも最近王都でも話題の超有名シェフが監修したという話のその一冊は、どこも売り切れ続出で世の奥様方に大人気だとか。そんなフィリアもその人気に寄せられて買った口だった。しかし『簡単』と書かれているはずのその本を、まるで難解な魔法書でも読んでいるかのような彼女の表情は間違ってもこれから料理をする人間のものではない。
まるでこれから死と隣り合わせの戦場にでも向かう兵士のような、凄まじい威圧感を纏った彼女は一体何を作ろうというのか。
今ここに、フィリアの料理が始まろうとしていた……!
――果たしてその過程がどのようなものだったのか、それは彼女の名誉のためにあえて省かせてもらう。しかし舞台となった台所は、まるで激闘を繰り広げたあとのような光景になっていたのは間違いがないと記しておこう。
紆余曲折はあったものの、なんとか今朝の朝食を作り終えたフィリアは何故かとてもスッキリした表情をしていた。
やりきった感あふれる彼女の前には焦げて黒くなっているが、恐らくベーコン入りのスクランブルエッグらしきものと焼きすぎて固く、そしてまた黒くなったパン。加えて、どれもこれもが不揃な大きさの生野菜のサラダと黒いはずなのにどう見ても茶色の方が強くなったブラックコーヒー(になるはずだったもの)がある。見た目からして大失敗、いや大惨事だったので、どうやら本日の料理もフィリアの完全敗北で終わったようだ。
その味は作った本人が吹き出すくらいだったので、言わずもがなである。
◇
ひとまず後片付けをしてから出掛ける準備を整える。
泊りがけになるだろうことを考えると荷物はそれなりになるのだが、そこはフィリア特製のアイテムポシェットのおかげで何とかなった。
実はあのアイテムポシェットには彼女が研究の末に生み出した、魔法石と本人は呼んでいる物が使われている。魔法石とは読んで字の如く、魔法が発動している石だ。一定時間ごとに魔力を注いで石に溜め込ませることによって魔法が常時発動状態になるのだが、今はまだ篭められる魔法に制限がある。彼女が確認した限りでは、下級の《スィンラクト》と《フォンへイル》の2つだけ。習得していない呪紋もあるので全てを試せたわけではないが、今はそれだけだった。
――《スィンラクト》 司るは空間
そしてアイテムポシェットには《スィンラクト》の魔法石が使用されており、その中は異空間へと繋がっている。
異空間にも許容量はあるが、それを差し引いても大量の物が入るようにカスタマイズされているわけだ。
「魔法使いってことを売りにするなら、これも販売物にいれてもいいかも…。あ、でも大量生産は無理だから数量限定な上に期間限定販売になりそうだなぁ」
とりあえず今は一人でも多くのお客様に来てもらいたいフィリアはポシェットも販売予定物に追加した。
これも他では買えないものなので、目指すべきメインの商品にもなりそうなものだが作るのに時間がかかるためにそう多くは売れないことがネックだ。
ちょっと高いけどオーダメイドみたいな感じで受注生産とかの選択肢もあるし、とフィリアは考えつつも手早く冒険者仕様の装備を身につけていく。
そうして着替えを済ますと戸締りを終えて、店の前に立つ。その手には一枚のメモが握られている。
「えーと、『臨時休業のお知らせ 誠に勝手ながら店主不在となるため、しばらく休業致します。大変急な事となりますが、よろしくご承知くださいますようお願い申しあげます。』と、こんな感じでいいのかな…?初めて書くからいまいちよく分かんないけど、言いたいことは伝わるよね?」
お知らせを扉に貼り付けて、念のため防水シートをその上から貼る。
期間を未定にしておいたのはフィリア個人としてはなるべく早く帰ってくるつもりではあるが、実際はどれくらい時間がかかるか分からないからだ。
今のところできることは済ませたので、店に背を向けてフィリアは王都外周を囲う城壁の出口を目指した。
まだ朝早いということで人通りは少ないが、いつもの行商人たちはすでに通りを馬車を連れて歩いている。
「嬢ちゃん、朝早くから依頼かい? 精が出るねぇ~、気を付けなよ?」
「あ、はい! ありがとうございます。そちらもお仕事頑張って下さい!」
通りがけに何人かの商人たちと言葉を交わして進むうちに城門が見えてきた。
高さ90メートルにも及ぶ石作りの壁がぐるっと一周、王都を囲っている姿は外から見ると圧巻の一言だ。過去の人々はよくもまぁそんな凄まじい物を作れたものだと感心するしかない。
フィリアは城門に着くと、これから街を出ようと並んでいる人たちが作る行列の最後尾についた。
入るときならいざ知らず、出るだけならば衛兵たちの管理もそこまで厳しくはないのですぐに自分の番は回ってくるだろうと、それまでのんびり待つことにしてポシェットから読みかけだった小説を取り出す。
管理が厳しくなるとすれば、それは街中で事件があった場合で犯人の逃亡を防ぐためなのだが、ここ最近はそこまで大きな事件は起きていなかった。
そうして20巡も待ったところで彼女の順番が回ってきた。
フィリアを担当する衛兵は若い男性だったが、さすがに専門の訓練を受けているだけあって相手に警戒心を抱かせないような雰囲気を意図的に作り出している。
女性である上にまだ若いというのが見た目からでも分かるフィリアに対しては、それに加えて人懐っこい笑顔を全面に押し出すことで怯えさせないようにという点にも気を使っているようだ。
「お待たせしてすみませんね。とりあえず身分証明書をこちらに見せてもらえますか?」
そんな気配りのできる衛兵にフィリアも好印象を抱いて自然と笑顔になって頷き、ポシェットから冒険者ライセンスと住民ライセンスを取り出して提示する。
「はい、ライセンスカードです。これで大丈夫でしょうか?」
「あぁ、はい、どうもありがとうございます。冒険者の方なんですね、お若いのにすごいですね。それで、今日はどのような理由で外へ?」
「はい、泊まりがけで素材採取に行こうかと思っています。塔の近くまで行きますので、近くに着きましたらそちらの衛兵の方にも連絡する予定ですよ」
「了解しました。ご協力に感謝します。どうぞお気をつけて行ってきてください」
ありがとうございます、と綺麗にお辞儀を返しすフィリアに衛兵は敬礼で答えてくれた。
そうして歩き出して門を出れば、目の前には見渡す限りに広がる草原平野。遠くに『リュリダーヒロビアの塔』が雲の上まで伸びている。
空はまだ薄暗く、山脈の影からちょうど朝日が昇ってくるのが見えた。フィリアの見立てでは、どうやら今日はよく晴れそうだった。
これから少しの間は王都の外の話です。
ようやっとファンタジーらしくなるかもしれないです。
感想・批評等を頂けますと幸いです。