常識と理不尽の狭間
「やればできるじゃないか、浦木」
反省文を一読した井浦が、感心したように俺の肩を叩いた。
「しかし、ここまで自分を責める必要はないぞ。暴力はいかんが、時には、殴ってでも止めなきゃならんこともある。今回はちょっとやり過ぎだったが」
浦木というのは、俺の姓だ。浦木洋平。
「もう、帰っていいンスか? バンドの練習あるんで」
窓の外は赤く染まっている。全速力で帰っても、スタジオの予約時間に間に合いそうもない。
「ああ、かまわんが、バンドの練習? ギター抜きでか?」
「は?」
井浦の説明に、俺は呆然となった。
職員室には、まだ教師が残っていた。その一番手前、一年一組の担任野々村の前で、俺は仁王立ちになった。
「聡一が処分受けるってのは、本当かよ!?」
野々村は、眼鏡の奥の大きな目で、興奮する俺を見上げていた。
「下苗聡一か? 当然だろう」
「聡一がなにをしたっていうんだよッ、俺を止めたのはあいつだぞ!? 聡一がいなきゃ、もっとひどいことに・・・・・・」
「人を殴って怪我をさせた。報いを受けて当然」
「殴った? 聡一が? 誰だよ、誰が怪我したってんだ」
野々村に告げられた名前には、聞き覚えがある。隆太の仲間の一人だ。
ふと、記憶が甦る。
白い煙の向こうから飛んできた、誰のものかわからない拳。けっきょく誰に殴られたのかもわからないままだったが、あのあと出てこなかったのは、まさか、聡一が相手してたからか?
「あれは、乱闘始めようとする馬鹿を止めただけだ。殴って止めたんなら、俺と一緒じゃねぇか」
「下苗は相手の歯を折った。おまけに、相手は転倒時に右手の指を骨折している。十分、障害事件だ。警察ざたにしないだけでも、学校側の配慮だぞ」
まるでたしなめるように言う。
馬鹿な。その程度のこと。
頭の悪い中高生やってれば、喧嘩の一つや二つ簡単に遭遇するものだ。そし喧嘩する以上、怪我の一つや二つは覚悟している。殴って怪我、殴られて怪我、そんなのは日常茶飯事じゃないか。
「まあ、確かに消火器騒ぎには無関係だし、怪我をさせたのも不可抗力だったのだろう。だから、他の連中より処分は軽いはずだが」
意味ありげに見つめてくる野々村の顔に、俺は唾を吐きかけたくなった。
「処分は後日の職員会議で決まるが、あいつは、今までが今までだからな」
「・・・・・・退学か」
「自主退学という形になるだろうな。校内で喧嘩、校外じゃ酒を飲んで暴れて補導。喫煙こそしてないようだが、問題行為のオンパレードだ。入学して二ヶ月で退学というのは、この学校始まって以来なんじゃないか? 少なくとも、私は知らないな」
俺は拳を握り、無言で踵を返した。
聡一は手先が器用なくせに、生き方が不器用だ。
うまく逃げ、うまく誤魔化し、お茶を濁すことができない。だから、騒ぎを起こせばあいつがまっさきに捕まるし、人はあいつが首謀者だと決め付ける。
俺だって器用じゃないが、少なくとも、大人と渡り合う処世術を、聡一よりかは身につけているつもりだ。
さっきまで晴れていたはずなのに、外へ出ると、いつの間にか雨が降っていた。
雨に濡れた制服のままスタジオに飛び込んだ俺は、そこに聡一の顔があってびっくりした。
「なんでお前がここにいるんだ!」
「なんでって、なにが?」
聡一はキョトンとしている。
「処分降りるまで自宅待機って言われたはずだ」
以前に謹慎処分を食らった経験から、処分決定まで自宅待機と知っている。
「言われたけどよ、どうせもう退学だろ? 今さら神妙に正座して沙汰待ったって、意味ねぇよ」
あかねと俊介が、不安そうにやり取りを聞いている。
「それより、明日のライブだよ。最終確認しとかねぇと。アレンジも完成してねぇし」
「馬鹿野郎」
思わず殴りそうになって、俺はぐぐぐとこらえた。
「職員会議まで、まだ時間があるだろ。どんな処分かわかんねぇうちから、自分で墓穴掘ってどーすんだよ。帰れ帰れ、マンション帰って正座してろ」
「あのなあ、洋平」
聡一はストラップの位置をズラしながら、ビローンと間延びした音を出した。
「俺はこれで生きていくって決めてんだ。人生計画教えたろ?」
ああ、聞いた。馬鹿みたいなホラ話。
「プロのミュージシャンになって、エッセイと小説書いて印税がんがん溜め込んで、アメリカ移住して全米デビューするんだ。な、考えてみ? ヨーロッパツアーするミュージシャンに、県立地季高校卒業なんて経歴が必要か? いらんだろ、そんなもの。むしろ邪魔だ」
どんなエフェクトかけているのか知らないが、ミョーン、という変な音がアンプから飛び出した。
「学校行ってたのは、暇つぶしだな。文化祭に出てもいいかなー、なんて思ったりもしたし。ま、どれも俺の壮大な人生じゃ、それほど大したことじゃない」
わかっていたさ。こういうヤツだということは。
殴ってでも止めることも大事。
さきほどの井浦の言葉が浮かんできて、拳を握った。
スパーン!! というパーカッション並みに小気味いい破裂音が響いたのは、その瞬間だった。
「いいかげんにしてよ!」
チタン合金の張り手食らわしたあかねが、怒りをあらわに目を輝かせていた。
「ようちゃんは心配して言ってるんじゃない。俊介だってそうよ。あたしだって」
「・・・・・・いてぇ。物凄くいてぇ」
「あッ、謝らないわよ」
「わかってる」
聡一は笑っていた。
「わかってるよ。けどな、やっちまったもんはしょうがないだろ。あんな煙の中だと、力加減がきかなくてなぁ。まさか、歯ぁ折るとは思わなかったぜ」
「それでも、さっき言ってたこと、普段ならいいけど、今のこの時に言うべきことじゃない。バンドとバイトの合間に一生懸命勉強してる俊介を、凄く馬鹿にしてる。文才ないようちゃんが可哀想」
おい。
「たしかに学校って、卒業するために行くものだけど、でも、それだけじゃないでしょ? あたしがいて、ようちゃんがいて、俊介がいる。奈美だって、可哀想だよ」
「奈美は・・・・・・」
恋人の名前を出された時、聡一は少しだけ顔をしかめた。
「なんとかなるかもしれない。頭を下げて済むなら、くだらないプライドなんか捨てて、地面に頭こすりつければいいじゃない。反省してます、お願いしますって先生に頼み込めば、どうにかしてくれるかもしれないでしょ?」
聡一は絶対にそんな真似はしない。俺にはそれがわかった。聡一は返事をせずに、そっぽを向いただけだった。
「みんなで、考えようよ。なにか、いい方法があるかもしれないでしょ?」
「方法なら、ある」
満を持して、と言うより、張り手のショックから立ち直って、俺は間に割って入った。
「なんとか、なるはずだ」
自転車漕ぎながら、必死こいて考えた。人生で、ここまで深く考え込んだことはなかったかもしれない。
「なに、どんな方法?」
「まず、人集めだ。あかね、友達連中かき集めろ。俊介、俺たちは野郎どもだ。聡一、お前はマンション帰って正座だ」
「なにするつもりだ?」
不審そうな聡一に、俺はにやりと笑ってやった。