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俺がドラムを叩くワケ

 ずっと昔に覚悟していたはずなのに・・・・・・

 あかねへの恋は、実際には、とっくにあきらめていたずなのに。

 片思い引きずって、勝手に傷ついて、痛い痛いと心が叫ぶ。途方もないじれったさが体を突き動かし、手足振り回して暴れたくなる。

 できるなら、肘を逆に曲げるぐらい思い切りなにかしたい。そうすればきっと爽快だ。素晴らしく最高の激痛が、俺の煩悶を誤魔化してくれるに違いない。

 俺は反省文の提出と説教一時間で放免されるという。喧嘩はいけないが、隆太を止めようとしたという理由から、情状を酌量してくれたらしい。

 もっとも、反省文を書くというのは、俺にとって謹慎処分なんぞより遥かに苦痛を感じる拷問だった。字も下手なら文才もなく、じっと椅子にこしかけているというのも我慢できない。いっそ殺してくれ、と言いたくなる。

 罫線の引かれたわら半紙に、三十分の熟考の末「反省しております。もうしわけありませんでした」 と書いて生活指導の井浦に渡すと、五秒もせずに再提出を命じられた。なぜいけない、と聞くと、短い、という。

 しかたなしに、今朝の朝飯から騒動までを日記風に書くと、なめてんのかと叱られた。

 どうしろって言うんだ。俺には文才はないし、ただでさえ、なにも考えたくない日なんだ、今日は。

 生活指導室に閉じ込められて、わら半紙の空白を見つめていると、不意に昔のことを思い出してしまった。



 小学生の時、ボウイの曲に出会って、俺は突如として音楽に目覚めた。

 デビット・ボウイではない。氷室や布袋、松井と高橋という四人組のバンドで、解散と同時に伝説になるような人気を誇っていたプロのミューしシャンだ。

 俺が始めてボウイの曲を聞かせたのは、あかねだった。

 氷室京介がいかにかっこいいか、ギターの旋律がいかに素晴らしく、寡黙で堅実なベースと無駄のないドラムのコンビがどれほど凄いか、子供ながらに必死になって喋ったものだ。

 なんて言ったのか、今となっては覚えてもいない。どうせ、誰かの受け売りをそのまま喋っただけだろう。だが、あかねはそれを、楽しそうに聞いていた。彼女が聞いていてくれるなら、俺はいつまででも喋り続けることができる。

 あかねは言った。

 ――バンド、やろうね。

 そう、俺がバンドを始めた理由、それはあかねがやろうと言ったから。

 中学に入って、聡一とあかねが同時にギターを始めた。

 最初は、俺がボーカル、聡一とあかねがギターと決めていた。

 あたしがリードギター、と言って譲らなかったチタン合金も、聡一の腕がメキメキ上達するのを見て、さすがにあきらめた。しかし、そうなると、残るはベースかドラムだ。

 あたしがメインボーカル、と今度は言い出した。

 正直、俺は歌が苦手だ。かといって、不器用さでは右に出る者のない俺に、ギターやベースのような繊細な楽器――俺にはそう見えた――など不可能だ。

 そうなるとドラムだが、どう考えても、一番金がかる。

 土木関係の日雇いで年齢を誤魔化し働いた。昔からひねくれていた俺は、服装さえ気にすればまず中学生には見えない顔つきをしていた。一日中コンクリの塊を運んだり、穴を掘ったり、リヤカー引いたり。

 聡一からの情報で、スタジオなる場所があることを知ったのは、この頃だ。

 スティック二本だけを手に、スタジオ・アーベのドアを開いた。会員証には、「有効期限・世界が終わるまで」 と書かれていた。

 個室には、完全防音のスタジオ独特の無音と、言いようのない匂いと、フルセットのドラムがあった。

 初めて叩いたドラムの音は、忘れない。セットの中ではメインのスネアを叩けばいいものを、なにをトチ狂ったか、俺はフロアタムをドンドコドコドコと叩いて有頂天になった。

 それまで俺は、マンガ雑誌数冊を束ねタオルを置いてガムテープで縛りつけた、自前の練習パッドしか叩いたことがなかったから、誰への気兼ねもなく騒音を撒き散らす快感に、打ち震えた。

 それから一週間。

 三人でスタジオに集まり、初めて音あわせをした。

 俺のドラムはまったくの我流で、フォームも叩き方も無茶苦茶、リズムもてんでばらばらだったが、聡一はいつもと同じ馬鹿笑いをあげながら、ギター片手に飛び回って喜び、あかねも最高の笑顔で歌っていた。

 ――凄い、ようちゃん、天才! なんでそんなに、手足バラバラに動くの!?

 俺からすれば、指がバラバラに動く聡一や、信じられないくらい透き通ったあかねの歌声の方が凄かった。

 聡一が、表には絶対に出さない努力をしていると知っていた。あいつの指は何度となく皮がはがれ、指が動かなくなるまで毎日弾いていた。

 あかねは、マンションの前の田んぼのど真ん中に行って、発声練習していた。そこなら、誰にも迷惑はかからないのだそうだ。ただ、時々農作業をする人に変な目で見られる、とぼやいてはいたが、それも始めのうちだけ、今では飴をくれるそうだ。のど飴よ、と言って笑ったあかねは、本当に嬉しそうだった。

 だから、俺も、親指と人差し指の皮がずる剥けても気にしなかったし、マメができるたびに潰して、練習を続けた。

 あの学校にベースをやってるヤツがいる、と聞けば三人で会いに行き、五人目で見つけたのが俊介だった。

 ベースという楽器はギターよりマイナーで、弾けるよと言う者は、たいがい洋楽に精通していたり、コアなジャンルにハマッていたりで、帯に短し、たすきに長し。そんな中、ギターも弾けるけど、あんまり人がやってない楽器の方が面白そうで、という俊介は、ぴったりだった。

 ウクレレとか尺八じゃ、バンド組めないしね、と俊介は笑っていた。ドラムは難しそうだしさ、と。

 俺にできるのだから、ドラムという楽器は誰にでもできるものだと、断言する。するのだが、三人とも、まさか、と言って信じてくれない。

 それにしても、俺の思い出にある三人は、いつも笑っていた。時には怒るし、悔しくても哀しくても泣くことはある。だが、不思議と、笑顔が圧倒的に多い。

 そう言えば、新宿の小さなライブハウスにテープを持っていった時は、全員がヘコんだ。

 ――リズムパートはぐちゃぐちゃ、ギターはコードを理解してない、ボーカルも音程がすぐはずれる。

 そんな風に、ぼろくそに言われた。

 太ったオヤジに殴りかかりそうになる聡一を、俺と俊介で押さえた。

 後で聞くと、小さくて小汚いライブハウスだったが、けっこう有名なところだったらしい。どのみち、中学生には高すぎるハードルだったのだ。

 俺は薄々感ずき始めていた。

 自分たちが、未熟というより、稚拙だということに。

 だからだろうか、聡一やあかねほどには腹も立たなかったし、俊介ほど落胆もしなかった。ただ、俺が悪いのだろう、という漠然とした思いはあった。

 俺は、リズム感が悪い。

 練習すればするほど、ドラムという楽器がわかればわかるほど、身に染みてくる実感で、胃が痛くなるほどの悩みの種だ。

 ドラムの俺がもっとしっかりすれば、みんな自分の実力を発揮できるはず。

 あかねが音程をはずすのは、リズムが崩れるから。俊介は、一人で演奏すればもっとずっと上手い。聡一だって、リズムが安定すれば、自由奔放という、やつの持ち味を発揮できるに違いない。

 ドラムとは、言ってみれば建物の土台のようなもの。ここがしっかりしていなければ、上に構築する音楽が駄目になる。

 俺は自分が情けなくなり、腹立たしくなり、不安になって、怖くなった。

 それまで、ただ口にしないないだけで、まるで恋人同士のように近かったあかねとの距離を、少し離すようにした。他のバンドメンバーと等距離を保とうとしたのだ。

 怖かったのだろう。

 あまりにも下手で、みんなの足を引っ張っているこの俺を、拒絶されることが。

 近すぎると、怖くなる。だから、少し間をあける。

 彼女が、意味もなく人を拒絶する人間ではないと、知っていた。それでも、俺の心を知られたら、そうはいくまい。

 好きだとひとこと言えば、彼女とて否か応か返答しないわけにもいくまい。彼女のことだ、上手に断ってくれるか、竹を割ったように断るかどちらかだろうが、とにかく答えはわかりきっている。少なくとも、イエスと言ってもらえる自信はかけらもない。

 バンドを始めたのは、あかねがやろうと言ったから。

 ドラムを叩いているのは、彼女のそばにいたかったから。

 でも、ドラムをやればやるほど、自分の無能を突きつけられて、無理矢理こころに諦念を押し付けることになる。

 ――俺は、なにをやっているんだ。

 心底、自分の軟弱な心に嫌気が差した。

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