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白い闇に包まれて

 見えているカードがクローバーの8、伏せているカードがハートの9。合計十七。

 いつもなら、ここでストップだ。勝負に出るべき数字と言える。

 だが、親の聡一のカードが気になる。

 ダイヤのエース。伏せてある方が10か絵札なら、配られた時点で勝利宣言するはずだから、それはないとしても、他のメンバーのカードには8や9はないし、可能性からいって・・・・・・

 昼休みの教室で、俺たちは野郎ばかり六人ほど集まってトランプに興じていた。

 ブラックジャックというカードゲームだ。親一人と子だくさんに別れ、手札の合計を21に近づけるというルール。より近い方が勝ち、21を越えたら負け。

 俺は熟慮の末、トントンと机を叩いた。

 聡一の手からカードが配られる。

 クローバーの・・・5。計22、ブタだ。

 やめときゃよかった。

 もちろんそんな気持ちは顔に出さず、よしよくやったオレ、という表情で大きくうなずいた。

 親もブタ出せばチャラということにしてある。自信たっぷりの顔をしていれは、聡一も無茶して馬鹿見る可能性は残っている。

 カードゲームというのは、高度な心理戦だ。はったりかまして相手のミスを誘うのも、立派な戦術である。

「あ、そう言えば」

 伏せられたカードを覗き込みながら、不意に俊介が言った。

「ほら、四組に赤井っているよね」

 他のゲーム参加者と同様に真剣な顔つきだが、そこには悲壮な雰囲気もただよっていた。いつも勝ちまくる俊介が、今日は妙に負けがこんでいる。

 声はいつもと同じ、やさしく呑気な響きだったが。

「あのハンパ野郎か?」

 赤井の話はたまに耳にする。俺たち同様バンドを組んでいるらしいが、ライブの話は聞いたことがないし、演奏しているところを見たこともない。口だけのハンパ野郎。たしか、赤井のパートはギターのはずだが。

「あかね、あいつと付き合うらしいよ」

 ドガダン、と野郎どもが椅子と机を鳴らす音がした。

 俺の頭の中が真っ白になるまで、数秒の時間が必要だった。言葉の意味を理解できなかったか、無理に拒絶しようとしたためだろう。

 カードを配る聡一の手も止まっていた。見ると、なぜか責めるような顔で俺を睨んでいる。

「マジかよ、それ」

 誰かが言った。

「さっきね、本人に聞いた。昨日、告白されたんだって。あかねも、とうとう年貢の納め時って感じかな。あれで、けっこう人気あるんだよ、男から」

 そして俊介は机を叩いてカードを要求した。

 俺は呼吸していない自分に、苦しくなってからようやく気付き、息を吸おうとしたが、胸が動かなくて顔をしかめた。

「あっちのバンドに引き抜かれたりしたら、どうなるだろうね」

 配られたカードを覗いてから、俊介は机を睨んで考え込んだ。

 襲ってきたのは、巨大な喪失感だったが、自分で分析してそうと知ったのはずっと後のことで、この時は、ただ、胸の中にある風船をなにかが引き絞っているような、猛烈な痛みしか感じなかった。

 いつかそんなこともある、と、前から覚悟はしていたのに。

「どうするの、洋平」

 トントン。

 カードが配られる。

「バンドの話だけじゃなくて、さ」

 バンドの話以外で、なにがあるっていうんだ。俺の心の抵抗派が無駄な反抗をしていた。

 あかねと俺はバンド仲間。それ以上でも以下でもない。

「もう一枚。ねぇ洋平。これって、たぶん気付いてないのは洋平だけだと思うんだけどさ、あかねは」

 廊下の方から悲鳴が上がったのは、その時だった。

 これ幸いと、俺は立ち上がってドアへ向かった。胸を締め付ける話題から、逃げたのだ。

 後ろから聡一と俊介の声が聞こえたが、無視して廊下へ飛び出した。

 なんだ、これは?



 廊下は真っ白な煙に占領されていた。

 一寸先は闇という言葉があるが、こいつは伸ばした手の先が見えない白い闇だ。

 学校の中で霧もあるまいし、火事かと思ったがその類いの煙とも思えない。感覚的になんとなくひんやりとした、理科実験室のような臭いのする噴煙。

 なんだ、どうした、と思って手探りで進むと、その先で、トチ狂った隆太が消火器抱えて高笑いを上げていた。その周りでは、隆太の仲間がゲラゲラ笑っている。

 隆太がレバーを押さえるたびに、ホースの先から白い粉が驚くような勢いで噴出し、それが廊下という狭い空間を満たして、渦巻き、非日常的な光景を生んでいた。

 瞬間的に怒りが膨らんだ。

 なにやってやがんだ、こんな時に。こんな、最悪の時に。

 ついさっき突きつけられた、理解も納得もしたくない事実が、怒りの膨張でほんの少し心の奥へ遠ざかった。きっとそれは、心の防衛本能の働きに違いない。

その分、体を突き動かす、じっとしていられない感情の奔流は、凄まじいエネルギーを怒りへと注いでいて、気持ちを制御できなくなった俺は、なぜか、みもよもなく涙を流しながら、隆太に殴りかかっていた。

「なにやってんだ、馬鹿が!」

 馬鹿が、こんな時に。俺がこんな気持ちの時に、なに馬鹿な真似してやがんだ。

 消火器を奪った俺へ、隆太は突進してきた。

 両手塞がれたまま無防備に殴られて、俺の体がまともに吹っ飛んだ。

 クソが。

 体格が数クラス違う巨体のパンチはハンパではない威力を発揮する。

 消火器を後方へ放り、体勢を整えて右フック。

 うおお、超痛ぇ。なんて顔面の固さだ。

 同時に、わきの煙の中から、誰だかわからない拳が飛んできた。

 なんだ?

 隆太の巨体をとりあえず蹴飛ばし、いま殴りかかってきたやつを探す。

 消化剤の霧のため、まるで先が見えない。

 俺は今、どこにいる? どの方向を向いているのだ?

 ここはどこだ? なにも見えない。

 いくつもの悲鳴があちこちで上がる中、隆太の雄叫びが聞こえた。

 あっちか。

 両手で霧を振り払いながら、声のした方向へ向かう。壁すら見えない、真っ白な視界の中を。

 仲間に羽交い絞めにされている隆太を発見して、容赦なく殴りかかろうとし、突然背後から肩を押さえられた。

「馬鹿、やめろ!」

 聡一の声。

 いつもと役目が違う。喧嘩っぱやい聡一を、俺がなだめるのがいつものパターンなのに、これじゃあ、反対だ。

「凄いね、これ。全部消化剤? 火事になったら、消化剤にまみれて確実に逃げ遅れるね」

「まったくだぜ、うはははははは」

 聡一は無意味に笑う。

「これだ、これだよ、俺の求めていたものはこれだ。こういう、はっちゃけたイベントのために学校通ってんだ!」

「でも、はじけすぎだ」

 からから、という窓を開ける音がした。

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