誤解の恋愛コンサルタント
正直に言えば、学校には行きたくなかった。
遅刻や欠席は日常茶飯事だったから、一日バックレても不自然はない。
だが、万が一、昨日のコトであかねが俺の気持ちを類推してしまう可能性がある。
・・・・・・考えすぎだとは思うし、あかねと顔を合わせたくなかったけど、それでいて、一日でもあかねと会わずにはいられない。
俺はなんて女々しいんだろうか。
朝、教室に入ると、一通り室内を見渡すのが俺の習慣だ。
別に意味のあることではないが、それで教室内に異変がないとわかると、なんとなく安心するのだ。
ところが今日は、異変があった。
「よッ、詩織、どした、元気ねぇな」
自分の机にカバンを放り投げて、俺は異変の元へ声をかけた。
「アノ日か?」
うはは、と笑うと、詩織は笑って「なんにもないよ、ようちゃんこそ、どしたの、変なのー」 と返してきた。
ふむ、やはり変だ。
アノ日という単語に反応する女子としない女子は、だいたい見当がつく。彼女は前者のはずだ。それも、卑猥な話題に自ら飛び付くタチの悪い形で。中学時代からの知り合いだから、確かだ。
彼女の表情からあらかたの推測をして、いくつかの可能性を思い浮かべる。
「なんか最近、日照りが続いててねー。女日照り。美人と話がしたくてうずうず」
「いッつもそうだよね、ようちゃんって。適当に女の子に声かけてさぁ」
そうでもしないと、あかねとの距離を保てないような気がしたからだ。
今となっては無駄な努力、いやさ、有害なあがきだったか。
しかし、今は詩織のことだ。
「詩織ンを誘ったこと、あったっけ?」
「誘ってほしーなぁ、とは思ってたけど」
どお? という感じで流し目を送られて、憶測が当たったこと知った。腹の底で怒りが沸いた。
「今度にしとこう。逆に俺が食われちまう」
「なにそれ、そっちから話しかけておいて、マジ頭くる言い方」
「魔性の女、だろ?」
男をとっかえひっかえする魔性の女。
周囲で詩織をそう言うヤツはいるし、本人自ら自分をそう吹聴していた。が、実際には、騙されやすい、利用されてばかりの女。
中学時代から今まで、それで何回泣きを見てきたんだ? 悲しみを笑顔で誤魔化すのは上手くなっても、泣き寝入りは相変わらずか。
俺は教室を何気なく出て行き、疾風のごとくやつの教室へ向かった。
詩織と付き合っていた男、隆太。
だが、そいつの前に立った瞬間、俺はしおしおと体から力が抜けていった。
隆太と言えば、この学校一年生では、俺たちバンドメンバー(特に聡一)と双璧を成す問題児だ。そのでかい図体は、一度に四人まとめて病院送りにしたという伝説がある。
その巨体が、小さく萎んでいた。
なんなんだ? 女をもてあそんだ罪悪感でも感じているのか、今さら?
「よお、洋平、なんか用か」
メチャメチャ力の抜けた笑顔が俺を迎えた。
「今度のお前らのライブ、俺、行けそうにないから、チケット回すなよ」
「・・・・・・なにがあった?」
戦闘態勢を維持しつつ、俺は訊ねた。
こいつは、えへへ、と笑った。
「フラれちまった」
なに、話が逆じゃないか!?
「昨日、あいつの誕生日だったんだよ。プレゼントはディオールのバッグがいいとか言ってたんだ。でもさ、出せるか、十万も!?」
自分の見に置き換えてみると、微妙な話だ。あかねのためならなんでもする、するが、しかし、十万はでかい。たかがバッグ一個で。
「だからミキハウスのいろいろをプレゼントしたら、五発も引っぱたかれて、大嫌い、だとよ。あれ、買うの無茶苦茶恥ずかしかったんだぞ!」
思わず頭を抱えた。
詩織は、クリスチャン・ディオールなんてブランド名を出すことから想像する通りの、大人ぶった格好を好んでいる。その彼女に、ミキハウスはないだろ。
関わり合いになった自分に後悔した。
「なあ、教えてくれよ。お前ならわかるだろ、女心っつうか、こういう時の対処。お前、こういう時はどうしてた?」
無茶言うな。女と付き合ったことのない俺に、なにを聞きたいってんだ。
もっとも、学校内じゃ、俺は気安く女に声をかける遊び人、と見られている。影じゃ恋愛の達人とか囁かれているらしい。
なぜだろう? 普通に学校生活を送っているだけなのに。
「まあ、なんだ、ひたすら謝ることだ。土下座してもいい」
「馬鹿言うなよ、そんな情けない格好、あいつに見せられるか」
それは同感だ。
俺だって、土下座する姿なんかあかねに見られたくはない。
しかし、こいつは・・・・・・
ちょっと親近感が沸いた。
俺と同じ日に失恋したんだなあ。
このまま、別れさせてやろうか・・・・・・
いや、いかん、そんなわけにはいかん。なにより、詩織の様子を思い起こせ。カラ元気を絵に描いたような弱々しい笑顔を。彼女自身、隆太との蜜月を捨てられないのに違いないのだ。
「あれだ、プレゼント作戦だ。借金でもカツアゲでもして十万のバッグを・・・・・・」
「今朝失敗した。そんなことじゃないのよー、だってさ。もう、駄目だあ」
隆太はごつい顔を机にごつんとぶち当てた。ごつい体で小さい机に突っ伏すんじゃない。暑苦しい。
まったく、俺自身それどころじゃないってのに、なんでお前の相手までしなきゃならん。
まあ、詩織の様子を見る限り、まだ脈が途絶えたわけじゃない。別れるつもりなら明言するはずだ。俺の誘いに乗ろうとしたのは、単純に隆太へのあてつけだろう。
さて、どうするか。
影で恋愛コンサルタントと呼ばれる、恋愛経験なしの俺が、どういう答えをはじきだすか。
・・・・・・わからねぇ。
俺は考えなしに、隆太の巨体を見下ろした。
哀れだが、これは昨夜ベッドの中で身悶えた俺の姿と、奇妙にダブる。
ああ、俺もこんな感じだった。
「さすがだね、ようちゃん」
隆太の教室を出たところで、あかねに声をかけられた。
「詩織の様子に気付くなんて。同じ女でもなかなか気付けないよ、あの子の演技」
「昨日今日の付き合いじゃないからな」
彼女を前にしてどういう顔をすればいいのかわからないが、キーワードは「いつも通り」 だ。あかねにとって、俺は昨日までと変わらぬ友人なのだから。
「お前も隆太に会いに来たのか?」
「違う違う。勘違いしたようちゃんが、いきなり隆太くんを殴ったりしないよう、止めに来たの」
「アレを見て、なにをどう勘違いしろって言うんだ、お前は?」
机に突っ伏して脱力する巨体を指差し、俺はため息をついた。
「フラレた男ってのは、みじめなもんだな」
実感だ。
「それより、あかね、昨日はどうしたんだ? 練習サボるなんて、珍しいじゃないか」
「んー、ちょっとね」
教室へ戻りながら、俺たちは肩を並べた。俺とあかねは同じクラスだ。
ごくっ、と俺は生唾を飲んだ。
昨夜から思っていたこと。あかねに会ったら、まず訊こう。
告白はしたのか?
「あかね」
「ん」
「コク・・・・・・」
先の言葉が出ない。
「コク、コク」
「なに? なんかのモノ真似?」
「コク・・・・・・いや、なんでもない」
この軟弱者め、と俺は内心で自分を罵った。
告白したのかどうか、その結果は。それらがわからなければ、若さに突き動かされた俺の哀れな妄想が暴走したまま止められない。
だが、もし、あかねが無邪気に「何々くんと付き合うのー」 なんて言ったら、暴走は暴発へと発展して爆発する確信もあった。
悶々とした内面をひた隠しに隠す俺を、聡一が教室前で待ち構えていた。なんだか、朝っぱらから待ち伏せの多い日だ。
「洋平、あかね! これ、昨日言ってたやつだ」
でかい封筒を渡された。
中は、B5判のワープロ用紙の束だ。
「なに、これ?」
「ああ、そうか、昨日はあかね、いなかったっけ。ついに完成したのだ、俺様の最新にして最高の傑作が」
「この前いってた小説のこと? なんだっけ、ロリコン入った獣姦モノだっけ」
「違―う! 誰がそんなこと言った。少女と恐竜との心の交流を描く、ハートフルなアドベンチャーミステリーだ」
あかねは承知で聡一をからかっているだけだ。
イカレてるという噂のある聡一を、こうも平然とからかう女は、全校の中でもこのチタン合金ただ一人だった。
それにしても、と、ワープロ用紙の束を見て半分呆れた。
中身の質はどうか知らないが、量的には大作に違いない。どういう時間の過ごし方をすれば、バイトとバンドをやりながら、小説が、それも毎回こんな大作が書けるのだろう。
聡一は詩も書くし曲も作るし、小説まで書く。詩も曲も小説も、バンドメンバーが最初に鑑賞し、歯にキヌ着せぬ感想で聡一をぼこぼこにするのは慣例で、それでもヤツはへこたれずにまた創作活動にいそしむ。
時々思うのだが、こいつは存在する場所を間違えている。こんな落ちこぼれ高校の、ろくに本も読まない俺の友人なんて、おそらく才能のカラ回りだ。
「楽しみ。あたし、聡一の書く小説って好きなんだ。キレてるくせに、ちょっとほんわかしてて」
「今回はあんまりキレてないぞ。その分のキレ・エネルギーは新曲に傾けてるからな」
わっはははと無意味な大声で笑い、聡一は肩をいからせながら去っていった。