この世界であなたはいずこ
練習の後は、いつも俊介の部屋でたむろする。誰が決めたわけでもない、惰性的習慣だ。
俊介と母親が住む団地はスタジオ・アーベの近くで、母親は遅くまで仕事、兄弟もいない、では、集まるのに絶好の場所だった。
けっこう広い俊介の部屋で、俺たちは車座になって座っていた。
「なんだ、俊介、大学にでも行く気か?」
机の上に見慣れない参考書を見つけて、聡一が驚いた声を上げた。
メンバーは全員、落ちこぼれ高校の中の落ちこぼれだ。進学なんて単語、会話に出たことすらない。
「中学出る時、専門か高校か、迷ったんだよ。早く手に職つけるか、学歴か。せっかく高校選んだんだから、さ」
「でも、それじゃおばさん、大変じゃねぇか?」
「夜間って手もあるし、バイトはやるし。うちみたいな家庭は、優先的に奨学金もらえるって話だしね。ま、一番の問題は、俺の頭かな?」
「んな保険はいらねぇよ、俺たちゃプロ一直線だぜ」
聡一と俊介の会話を聞き流しながら、俺は奈美の視線に不穏なものを感じ取っていた。
「どした、奈美ちゃん」
「あかね、来なかったね」
「・・・・・・体調悪いんじゃねぇの? アノ日だとか。ウヒヒ」
「うあ、サイテー。女の子に一番嫌われる話題だよ、生理関係」
誰に嫌われたっていいさ、別に。俺の恋は永遠に閉ざされたのだから。
というか、なんで俺はここにいる? さっさと帰ってしまえばいいのに、練習の熱を引きずったまま「バンドの話には加わらないと」 などという無駄な責任感に引っ張られた。
奈美からの奇妙な視線から逃れるために、俺は聡一に話しかけた。
「そういや、井浦の説教、どうだったんだよ?」
聡一はケラケラ笑って、「いつもの熱血ヒューマンドラマだ」 と手をヒラヒラさせた。
「けど、そろそろ、お前、ヤバくねぇか? 問題起こしたの、今までで・・・・・・」
「言われたよ、次に問題起こしたら退学だあ、ってな。ンなこた知ったこっちゃねぇ。俺は俺のやりたいようにやる」
実に聡一らしいセリフだ。
「そうだ、洋平」
聡一が、バッグからノートを取り出し、ページを開いて俺へ見せた。
言い忘れたが、洋平とは俺の名だ。
「新曲の詩、まだ前半だけだけどな。ここのメロディー作るのに、なんかリズムがわかんなくて」
聡一はいつも早口で喋る。背は高いが痩せているその体で、よくまあと思えるエネルギッシュな男だった。
「三連ってあるだろ」
「三連?」
「タタタ、タタタ、ってやつ」
「ああ、三連符」
三連符とは、本来四回叩くところを、三回にわけて叩く拍子を言う。
俺はこれが苦手だった。
四はいい。ニ、四、八という数字は、頭にも体にもしっくりくるリズムで、間違えるということがない。だが、三とか五とか奇数になると、途端にリズム感がわやくちゃになる。
だいたい、なんなんだ、三連符って。たとえば四秒を四で割ってリズムを刻んでいて、いきなりここは三で割れなんて無理だろ。一.三三三三・・・秒に一回叩く。計算機で割り切れないのに、偏差値五十割れの俺に理解できるわけがない。
「マジかよ、三連符か・・・・・・」
正直に言うと、「三連符」 が正しい用語なのか、確かめたことはない。四分の三拍子との違いも、俺は理解していなかった。オール独学、の弊害だ。
「最初だけな。なんか、こう、狂気を含む踊るようなリズム、ってないか?」
確かに、三連符は跳ねるような感じが出やすい。明るくて、踊るようなリズムだ。
それに狂気を含ませる、ってのは難題だ。
俺はざっと詩に目を通した。
「なになに、
いつわりのやさしさ
笑顔はみんなまやかし
汚れたうつろな世界
どこまでも続く青い空と
どこまでも続く道を夢に見て
でも、目が覚めればここにいる
汚れたうつろな世界で
アナタはドコ?
暗ッ! 暗すぎる!」
「俺様の新境地はどうよ。狂気って感じの曲にぴったりな導入部だ。それと、最後の一言は、イズコ、だ。何処と書いてイズコと読む」
「でもこれ、三拍子に合うかな」
下手すれば曲調が目茶苦茶になる。
「たぶん三でも四でも合わせられると思う。メロディーはこんな感じだ」
ハードタイプのギターケースから愛器を取り出し、聡一ははさんであったピックを握った。
ゆっくりとした、いや、聡一の作る曲にしてはゆったりしすぎているテンポ。まるで音の欠けたピアノで演奏しているような、妙に音和の少ない、聞き様によっては不気味なメロディーだ。
試しに頭の中で三拍子と四拍子とをその旋律に合わせてみる。
・・・・・・まあ、毎度のことだからわざわざ言わないが、お前もっと音楽を勉強しろ。
拍子なんぞ無視して、目茶苦茶なリズムを刻んでいる。四分音符も八分音符も関係ない。三連符も五連符もごちゃまぜだ。
いいか、ロックの基本は8ビートだ。それがいきなり10ビートや6ビートになったら、ドラムが一番混乱する。俺をいじめるのか?
作者注
楽器経験者なら「なに言ってんの、あなた」 という説明だし、知らない人が読めば「うざい説明はいらん」 と感じることでしょう。
できるだけ無駄をはぶいているつもりですが、作者の実力不足で思うようにいかないのが現実でした・・・・・・
今後もそのような箇所が出てくると思いますが、なにとぞお付き合いください。
閑話休題
「どうだ、俺のラブソングは」
「ラブソングなの!? ホラー映画のテーマかと思った」
俊介が的確な指摘を与えている横で、俺は頭を抱えていた。
聡一の自由な作曲は、まあ、一種の特技だろう。そいつを、後で訂正し矯正しまともにするのが、俺と俊介の役目だ。それはわかっている。
難題は後回しにするか。
「ドタタ、ドタタ、ってのはどうだ?」
とりあえず、俺は曲調に合いそうなフレーズを口頭で伝えた。
「バスドラがドッ、スネアがタッタッ。ドッタッタッドッタッタッドッタッタッドッタッタッ」
「いい! いいぜそれ!」
自称天才の聡一が喜びのあまり立ち上がって、勢い余って跳びあがった。
「いや、やっぱリズムは洋平に聞くのが手っ取り早いわ。なんか来た、そのリズムを受けて、俺のインスピレーションが発光を始めた」
聡一のインスピレーションはホタルイカみたいなものらしい。
ドッタッタッドッタッタッと踊りだす聡一を、まあいつものことだから、と無視する俺たち。
踊りがおさまった頃、俺は何気なく訊ねた。
「曲の後半はどうなるんだ?」
直後、聡一がニタリと笑ったの見て、げんなりした。
まだいやがらせを残していやがったか。
いたずら小僧そのままの顔で、ジャガジャーン! とギターをかき鳴らす。なんのつもりかと思ったら、さっきのメロディーの続きだ。
「こっからテンポアップ。曲調変化。もう、ドラムなんか2ビートでどかどかやってくれ」
曲の途中でテンポを変えるだと!?
自殺行為だ。いいか、このバンドのドラマー、つまり俺は、自慢じゃないがリズム音痴なんだぞ。わかってるだろ!
これ以上、俺に負担をかけるんじゃない!
「カタストロフに向けて一直線だ! みんな壊れろ、無茶苦茶になれ! 歌詞なんか、あれだ、たぶん、お前を殺して俺も死ぬー、とかそんな感じになるはずだ。わはははは!」
一度壊れた聡一は、時間をかけてクールダウンさせなければ、元に戻らない。
「なんで付き合う気になったんだ?」
奈美に訊ねると、「将来を買った」 と、しごく利己的な返事が返ってきた。
確かに、聡一の将来は、天才か狂人かのどちらかだ。天才の目が出れば、恋人の地位もおいしいものになるだろう。
しかし、ふふッ、と笑う奈美に、俺は言った。
「お前ら見てると、愛には理由が必要ないのか、趣味は人それぞれなのか、どっちかだと思えるよ」
奈美はしばらく俺の顔を見つめ、それから、少し表情を険しくした。
「他人のことがわかる程度に、自分のことがわかればいいのに」
どういうことだと訊ねようとしたが、家具を破壊しそうになる聡一を止めるため、それどころではなくなった。
やがて冷静に戻った聡一は、やけに静かな表情で言った。
「あー、洋平、すまん。さっきの、ナシだ。8ビートでいいフレーズが浮かんじゃったよ。ドッタッタッは、また今度」
はっ倒すぞ、お前。