真夜中の煩悶
俺は眠れない夜を過ごした。
加藤の唇の感触を思い出すたびに、心がわさわさと騒いで、脳みそが熱をもったように熱にうなされた。それは性的な興奮でもあったし、未知の領域に触れたことの驚きでもあった。
だが、同時に、俺の胸に居座る罪悪感が目を醒まし、ニヤついてんじゃねぇと俺を蹴飛ばす。
俺は経験がないから、心のこもったキスというものがどんなものか、知らない。隆太辺りが自慢するように、舌を入れればいいというものではないだろう。現に、加藤は違った。
知らないはずなのに、わかってしまうことがある。加藤のキスも、そうだ。
彼女の唇には心がこもっていた。
俺には誠意があったか? 気持ちが入っていたか? 興奮して頭真っ白状態で、その瞬間には罪悪感からなにから忘れて、無我夢中だった気がする。
嘘で塗り固めたくちづけ。
そんなものに、心をうきうきさせるような価値が、あるはずがない。
加藤の心を受け止められるだけの価値が、俺にはない。
考えていくうちに、気持ちはどんどん下降していき、深夜過ぎる頃には、自分に対する嫌悪感に沈み込んだ。
違うことを考えようとして、そうだバンドはどうするのだ、と一人で解決できるわけない難問を思いついた時、ポンとあかねの顔が頭に浮かんだ。
あかねの唇も、あんなに柔らかいんだろうか? あんなに甘いのか?
甘いと言う以外形容のしようがない、不可思議な感覚だった。匂いか、それとも味か? 思い出そうとして、気付いたら夢想の中には加藤の代わりにあかねがいて、頭をかきむしった。
だいたい、なんなんだよ、奈美ちゃん、話が違うじゃないか、と八つ当たりしようとして、ふと我に返った。
加藤の結論は、別れた方がいい、だった。
なのに俺は、絆を深めるようなイベントをやっちまった。
なんで別れた方がいいのか、今だにわからない。それが加藤のためなのか? たしかに俺は嘘の上塗りを繰り返しているのだから、彼女に失礼だ。こんな屑ヤローと付き合ったって、いいことはない。時間の無駄だ。だが。
彼女は俺が好きなんだよな? 理解できない感情だが、それはおそらく、俺がウソとデタラメで偽装しているからだろう。玉ねぎを剥いてくみたいに偽装を剥がしていけば、取るに足らない気弱でリズム音痴のドラマーが残るだけだ。
本当の俺を見せれば、加藤は愛想つかすだろう。もっとも、俺は、自分の弱さをさらけ出すなんて、絶対にできないけど。
それにしても、なぜ俺なんだろう? 俺よりいい男はぞろぞろいる。逆に、俺よりひどい男は少ないに違いない。
今までいくども考え答えの見出せなかった疑問が、頭に満ち満ちた。
俺のどこがいい?
臆病で、卑怯で、頭は悪い。やることなすこと全て裏目に出て、ギャンブルじゃ最弱、私生活じゃ後悔と悔恨の連続、学校までやめる羽目になった。
奈美など、聡一の将来を買ったと豪語していたが、俺には買える将来などない。どうせ適当に生きていくのだろう。たとえば・・・・・・
たとえば・・・・・・?
呆然となった。
本当に、なにも、ない。
学校に通っていた時は、漠然とだがわかっていた将来。適当に卒業し、適当に就職し、適当に結婚し・・・・・・
わかっていた? いや、違う。考えていなかっただけ。考えずにいてすんだのだ。だから、すべて「適当」 で誤魔化していた。
だが、今、俺の前には高校という揺りかごがない。三年間を保障する敷かれたレールが、存在しない。今この時点から、俺の選択は始まってしまっている。
俺は二年半の期間をすっ飛ばして、ほとんど想像もしていなかった将来という時間に、今、立っているのだ。
そして、ここから先が、なにもない。
高校中退して、それで、なにをやる? なにができる?
進路指導もなく、就職の斡旋もなく、相談できる人もいない。中退したコゾー一人になにができる?
後からじわじわ襲ってきたのは、恐怖と不安と、絶望的な闇の色だった。
友人を殺し、恋人を欺き、己れを誤魔化して平然と生きる愚か者。そんな男に、なにができるというのだ。
自分かわいさに心を隠す臆病者。傷つきたくないがために思いやりを見せる詐欺師。弱者と見られたくないがために喧嘩してみせ、その実いつも怯えている弱虫。
そんな男に・・・・・・
明日から先の未来が見えない。無明の漆黒は、突然、俺の眼前に立ちふさがった。