俺的絶望
小学生のとき、学校の行事でナントカ科学館へ連れて行かれたのだが、俺はそこで出会った。
チタンと。
単一元素によって構成される云々、という説明の下で、たくさんの金属が展示されていたが、鉄も銅もアルミもぶっちぎりに引き離して、チタンはかっこよかった。
白銀色の姿も、なによりチタニウムという名前の、なまめかしい響きがいい。
もう一つ言うと、「チタニウム」 より、「チタニウム合金」 の方がよい。
それ以来、俺は血眼になってチタン合金を探し始めた。
そして小学校五年の初め。
引っ越してきたあかねを見て、思ってしまった。
チタン合金だ、と。
そう思った根拠は、今だにわからない。
なぜ生身の女と金属とが、イメージとはいえ頭の中で一緒くたになるのか、まったく不思議だ。
まあ、早い話、俺はあかねに一目ぼれしたのだ。
そして、この物語の冒頭で、いきなり五年越しの恋が終わった。
そうか。リアルな感じで、好きな人ができたのか。
「確かめたのか、その相手に?」
「・・・・・・確かめなくてもわかることって、あるでしょ」
「いや、わからん。ありえん。お前をフる男がこの世に存在するとは思えない。いーから、コクっちまえ。大丈夫だ、あかねが言い寄ればカマもモーホーも落とせる。俺が保障する」
無責任な断言と、心のこもってない励まし。
喋り続けていないと泣いてしまいそうで怖い。どこを見ればいいのかわからなくて、すぐ近くの雑木林を見つめていた。
「あれだぞ、どんな女が相手であれ、好きだと言ってくれると、嬉しいもんだ。男ってやつは、自分を好きでいてくれる人がいる、ってわかるだけで、幸せいっぱいの有頂天になっちまう馬鹿なんだ。だから、コクるってのは、成功しようが失敗しようが、相手のことを思うならとても素晴らしいことなんだ」
俺はなにを言ってるんだろう?
あかねとの親しい関係が崩壊するのを恐れ、五年ものあいだ身をすくませ、口を閉ざしてきたくせに。
好きなひとの友人という地位にしがみつき、ただひたすら惰性にまかせてきたくせに。
言ってることとやってきたことが、全然違う。
さらに今、いっぱしの友人ヅラして、もっともらしい言葉を並べ誤魔化している。自分も、あかねも。
俺は卑怯で臆病な弱虫だ。
「・・・・・・そうだね」
あかねの声に反応して、彼女の顔を見た。
どこかうつろな笑顔があった。
時は二十世紀末、九十年代前半。
当時すでにバブル崩壊も湾岸戦争も過去のもの、高校生の俺たちには関係ないとそっぽを向いていた。
大震災も地下鉄テロも起きる前で、安全神話が闊歩する平和があった。
不景気にあえぐ大人たちは、すぐに景気は回復するさと楽観論を唱え、俺たちも、高校出る頃には就職難だって改善されているさ、と気楽にかまえていた、そんな時代。
世間は空前のバンドブームに沸き、流行に弱い日本人の常として、俺もバンドを組んでいた。
ボーカルのあかね。ギターが聡一。ベースに俊介。俺はドラムだ。
駅前の大通りからほど近いスタジオ・アーベには、AスタとBスタという二つの個室があって、俺と俊介は大きい方のAスタで各々の楽器のチューニングをしていた。
いつも思うのだが、ギターやベースのチューニングはラクそうだ。チューニング・マシンにつないでベローン、とやればいいだけなのだから。
それに引き換えドラムは、八個とか十個とかのネジを均一に締め、なおかつ好みの音を作らなければならない。こいつは機械でできる芸当ではなく、ネジの締め具合からなにから全て、自分の耳だけを頼りに調整するのだ。時々職人気分になる。
なんてアナログなんだ、この科学万能の時代に。
「ベースだって難しいんだよ」
俺の愚痴が届いたのか、俊介が苦笑を浮かべながら足元のエフェクターを指差した。
「デジタルはデジタルで、自分の音は作らなきゃならないからね。一晩中つまみいじくってることなんて、しょっちゅうさ」
そんなことは知っている。ちょっとなにかに八つ当たりしたかっただけだ。
カチッ、カチッとエフェクターを踏んづけてスイッチをオンオフし、その度に音を確認しながら、俊介は肩をすくめた。
「ま、ベースは楽な方だけど。聡一なんか、エフェクターつなげすぎて、ディレイ抜きで音が遅れちゃってさ」
「遅れる?」
「ああ、知らない? 楽器とアンプの間にあんまりいろいろつなげすぎると、少しだけ音がズレるんだよ」
そいつは凄い。
しかし、ギターもベースも、要は音を電気に変えてるわけだろ? 電話と一緒じゃないか。今のところ、北海道から沖縄にかけた電話で、声がズレたという話は聞かないが。
「コリ症だからねぇ、聡一。オールインワンのタイプがあれば、まだ楽なんだろうけど」
「なんだ、オールインワンって?」
「一台でいろんなエフェクトをかけられるやつ。けっこう高いそうだよ。安物は役に立たないらしいから」
最近聡一が借金の取り立てを厳しくしているのは、そいつを買う資金のためか。
それにしても、その聡一はおろか、あかねまでが遅い。
聡一は、たぶん教師の説教が長引いているのだろう。しかし、あかねは俺と一緒に帰宅している。遅れるはずがない。
「なにかあったのかな?」
俺の顔色から、考えていることを読んだのだろうか。俊介が主語抜きで訊いて来た。
相変わらず鋭いやつだ。
「なに、って、なにがだよ」 と一応わからないフリをしてから、ああ、と俺はうなずいた。「あかねか。知らん。男とでもいちゃついてんだろ」
ほとんど反射的に口を出てしまった本音。
きっとあかねは、俺の提言に従い好きなひととやらに告白したのだ。あかねをフル男など皆無であるから、三段論法の結果として相手といちゃつく彼女の姿が、俺の脳裏にありありと浮かび上がってくる。
ドラムパートでよかった。
なにかをぶっ叩くというのは、たぶん、人間の無意識が欲する本能の行動だ。つまり、これほど気分爽快になる気晴らしはない。
俺はひたすらスネア・タムをぶっ叩いた。タムタムをロールしフロア・タムをどついた。
――おかしい。全然気分が爽快にならない。
シンバルをがしゃがしゃやって、自前のチャイナ・シンバルは手加減して叩いた。
バスドラを連打しハイハットを打ち鳴らした。
駄目だ! 男といちゃつくあかねが頭から離れない! おまけに腹が痛い。あ、いや、痛いのは胃か? 鉛でも飲んだみたいに胃が重い。つーか、これが、あれか? 胸が苦しいというやつか?
やっぱり、練習来るんじゃなかった。
俺がいなくても、練習はできるのだ。極端な話、ドラムなぞリズムマシンで代用すれば事足りる。こんな気分のドラマーよりも役に立つかもしれない。
ベベベベベベベベ
不意にベースが始まった。持ち曲の一つだ。
自然と俺のドラムが俊介に合わせる。そこからは、俊介が俺に合わせるのだ。
俊介は、ピックを使わず指で弦をはじく。すました顔でやっているが、はたで見ていて凄いなあといつも感嘆する。
――大したことじゃないんだよ。
彼はいつも、そう言って謙遜していた。
・・・・・・俊介、絶好調だな。
誰にだって、好不調はある。そいつをいち早く感じ取って、全体をまとめるのも、ドラムスの役目だと思う。
――と大見得を切ったところで、俺の腕は素人に毛が生えた程度、まだまだ、そこまでのことはできないけど。
聡一が奈美を連れて入ってきた。
後書き
前書きのスペースを有効活用できないものか、と考えて、小細工をしてみました。
イメージ的に、前置きナレーションの後タイトルロゴがドドーン、です。
すみません、今回は失敗です。