彼女の事情と俺の阿呆
加藤かすみは、どこか大人びた雰囲気を持つ美人だ。
俊介と同じ中学の出身で、そのつながりから、ライブに毎回来てくれていたし、打ち上げにもよく顔を出していたから、それほど親しいとは言えないまでも、俺は彼女の人となりを知っていた。
俺たちの浅はかな魂胆なんか見抜いて、きっと上手く断るだろう。
ジーコジーコ、ルルルルル、ガチャ。
『はい、加藤です』
「う、ううう、うう浦木と申しますが」
声が裏返った。
「か、かすみさんは、ごごご在宅でしょうか」
『・・・・・・洋平くん?』
ひどく困惑した、驚きを含む声の後で、加藤は電話の向こうになにか言った。
『ゴメン、ちょっと待って』
待つ間、エリーゼのために、が受話器から流れてくる。
『ゴメンネ、待った?』
ゴメンは二度目だ。
「いや・・・今、部屋?」
『うん。聡一くんのお葬式以来だね。どお、落ち着いた?』
「ああ、まあ、なんとなく、だ」
『・・・・・・お酒、飲んでない?』
なぜわかる?
「いや。飲めねーよ、今は」
嘘をつく罪悪感が、胸にじわりと広がった。
「なにしてたんだ?」
隆太が、ノート持ってきてなにか書いている。ええと・・・・・・「早くコクっちまえ」
やかましい。外野は黙ってろ。
『テレビ見てた。洋平くんは?』
「あー、さっきまで、ドラムの練習だ」
『次のライブ、いつになる?』
「さあな。もう、やらないかもしれない」
ふと本音が飛び出して、俺は思わず愕然となった。
普段は無理して納得しようとしなかったことなのに、口からぽろりと出てくると、恐ろしく現実味を帯びて目の前にそびえる。
もう、バンドは解散か・・・・・・?
『・・・・・・あたし、ギター上手い人、知ってるよ』
「そういうんじゃ、ないんだ」
『うん・・・・・・そだよね』
なんか、雰囲気がおかしい。いつもの加藤らしくないのは、聡一のことがあったからだろうが、俺も変だ。
告白? 愛の告白か?
たとえそれが嘘の告白でも、俺の心臓がばくばく跳び上がった。今のこの一瞬だけは、擬似的にしろ、加藤が恋愛の対象となりえた。
なんだ、この気分は? 恋愛感情のない相手に対して、心が奇妙な反応をしている。
なんだ?
「なあ、加藤、話があるんだけど」
『・・・・・・どうしたの? また、署名とか集めるの? なにかのイベント?』
「そういうんじゃねぇんだ」
隆太のノートに、付き合ってください、の一言が踊っていた。
受話器の向こうから、加藤の息が届いた。彼女も、なにかを察している。
「・・・・・・あのさ、俺と付き合わねぇか?」
あえて、軽い調子で言ってみた。他に言い様がなかったから。
「いや、加藤に好きな人がいる、ってのは知ってる。それをふまえた上で、ちょっと俺と試しにというか、俺で妥協するというか、俺に同情するとか、ああ、言ってること意味わかんね・・・・・・つまり、アレだ。お前のことが好きだ」
隆太がノートを振った。書かれている言葉は、愛してるぜベイベー。
遊ぶな、阿呆。
「まあ、無駄を承知で言ってみた。駄目だろ? ノーだよな? いや、悪かった、こんな電話して。それじゃな」
ずっと無言だった加藤が、ふとつぶやいた。
『あたしは、洋平くんが好き』
俺は目を剥いた。受話器に耳を寄せ集めていた野郎どもも、間抜けに口をあけた。
『誰かいるでしょ、そっち』
「ん、あ、いや、まあ、俺を応援する馬鹿どもが」
『馬鹿ども、なんて』 加藤が笑う。『相変わらずだね。男に偉そうにして、女にやさしいの』
なんだ、そりゃ。俺は普通に接しているだけなのに。だいいち、やさしい男は、けして、女に嘘の告白などして遊ばない。
『これは、なに? 賭けかなにか? ギャンブル、好きだものね。だけど、これって、洋平くんらしくない』
「賭け? なんだ、そりゃ」
『成功したらいくら、とか。ねぇ、あたしの場合、オッズはいくらなの?』
「馬鹿言うな。そんな失礼な賭けをするわけねぇだろ。それに、負けとわかってるギャンブルも、俺はしない」
『いつも負けてるくせに』
ぐうの音も出ない。
『断られると思って電話したの?』
「そりゃ、お前には好きな人がいて」
『それなのに、俺と付き合えとか、無責任なこと言うの? ホント、洋平くんらしくない』
お前に俺のなにがわかる? 俺の行動はすべて俺の意思でおこない、たとえそれが、後で振り返り大失敗だと気付いても、結局のところそれが俺なのだ。らしいもくそもあるものか。そう、電話したこと自体、俺はすでに後悔している。
『言ったでしょ。あたしは、洋平くんが好き』
「それなんだが、なにか間違ってないか? 俺なんぞ、卑怯卑劣で臆病ないじけ虫だぞ。あ、いや、表向きそんなのは見せてねぇけど、つまりそれが俺という人間だ。お前に好意を持ってもらえるほど立派な人間じゃない」
隆太が渋い顔にノートを当てている。
『・・・・・・付き合ってくれ、って言われた直後に、そんなこと言われたら、どう反応すればいいの? 怒る? 呆れる?』
「ああ、そうだな、変なこと言ってるな、俺」
『これじゃ、あたしの方から告白したみたい。もっと上手く断ってくれないと、泣いちゃうよ?』
腹立たしいが、加藤の方が俺より数枚上手らしい。
『女の子を泣かしちゃう洋平くんなんか、嫌いだよ?』
「ああ、そうだな」
もはや言葉が出ない俺に、隆太がノートを指差す。
お前だけだ、俺のスイートハート。
詩織がイヤになるのもわかる。なんだ、こいつのセンスは? 笑いを取る気なのか? 誰も笑ってくれないと思うぞ?
『聡一くんのこととか、他のこととかで、気落ちしてるの、わかるよ。あたしで慰めてあげられるなら、いつでも飛んでく。でも、嘘で、好きって言われても、嬉しくなんかない』
「嘘なんかじゃ・・・・・・」
『なにも知らないと思ってるの? ひとこと、言ってよ。愛してるわけじゃない、けど誰かが必要だから、来てくれ、って。そうすれば、あたしはすぐに駆けつけるのに』
やめてくれ。
俺は、お前からそんな好意を受ける資格のない男だ。くだらない人間だ。リズム音痴のドラマー、足手まといの愚か者。
せいぜい虚勢を張ってそれを誤魔化し、他人の顔色窺って生きる能無し。
しばらく無言でいると、加藤が呼吸する音だけが耳に届いた。
どれくらい時間が経ったろう。俺はなにも言えなかった。
『じゃ、切るね』
なぜか、深い敗北感と、底知れない喪失感をあじわった。
なんだか、踏み出してはいけない一歩を、歩き始めてしまったような、うしろめたさ。
嘘という名の、底なしの罪悪感。
急いでダイヤルを回し、加藤に謝ろうとして、だが、そんなもの自己満足に過ぎず、彼女を傷つけるだけなんじゃないかと思いいたって、手は止まった。
俺はなにをしているんだ?
加藤が言った言葉から、彼女の気持ちを知ることができずにいた。なんのつもりで、あんなことを言ったのか?
・・・・・・いや、違う。そうじゃない。
知らない、わからない、という言い訳を並べて自己を守り、想像の先にあるなにかを恐れ、俺は、出さなければならない答えを拒絶しているのだ。
変だ。
付き合ってください、ごめんなさい、それじゃあね、で終わるはずの会話が、なんでこんなことになるんだ?
「さあ、次は山根由紀だ」
と、なぜか意気軒昂な隆太の手をはねのけて、俺は逃げるように部屋を飛び出していった。