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ライブ準備オーケー

 署名総数三百五。

 当時の高校生世代はベビーブーム最盛期の余波が残っていた。一クラス四十人でそれが十一クラス。

 先輩の家も回ったとはいえ、この数は上出来どころではなく、感動ものだった。



 校長室の前で、俺は制服の詰襟を閉ざした。生まれて初めてのことで、窮屈な窒息感があった。

 学校とは思えない豪華な扉を数回叩き、失礼しますと声をかけてから、ノブを回した。

 目の前に突然ついたてがあらわれて、ちょっと驚いた。

 ついたてに向かって頭を下げ、もう一度、失礼しますと言った。

 奥から声。

 教室の床と異なるカーペットの上を歩き、ついたてを迂回すると、応接セットの向こうに、大きなデスクと、大柄な男が存在した。

 まさに、存在した、という感じだ。

まるでこの部屋のパーツの一部でもあるかのように、校長は自然にそこに存在した。

 正直に言えば、気圧された。いつもの、体育館のステージで長話するハゲオヤジと同一人物とは思えなかった。

「どうしたね?」

 訊ねられて、俺は反射的に、手に持ったノートの束を差し出していた。

「しょ、しょしょ署名です」

「署名?」

「昨日の消火器騒ぎはご存知だと思いますけど、あの騒ぎを止めようとした友人が、退学処分になるかもしれないんです。それで、急いで署名を集めました。彼を知る友人たちの声です」

 用意していた文句をとりあえず並べて、俺は校長の様子を探った。

 校長は無表情のまま、デスクに置かれたノートの束を見つめていた。

 ノートは雨に濡れてふやけ、膨らんでいる。

「趣旨は、最初のページに書きました」

 ふむ、と校長は小さくうなずいた。

「預かろう」



 学校が終わると、急いで帰って準備しておいた器材を持ち、電車に飛び乗った。

 俺の器材は、スネア、チャイナ・シンバル、スタンド、スティックとスティックホルダー。

 これが馬鹿にできない荷物で、借金王たる俺は、専用のケースなどスネア用のソフトケースしかなく、他は使わなくなったバッグなどを流用しているから、持ち運びが大変だ。

 開演の二時間前にライブハウス到着。大急ぎで準備を整え、ニ、三曲の音あわせでリハを終えると、後は自由時間、という予定だ。

 狭い階段を降りていき、「おはようございまーす」 とライブハウス独特の挨拶をした俺は、ほとんど凍りついた。

 見たことのある顔が、所在なさそうに壁に寄りかかっているのだ。

「お、浦木、邪魔してるぜ」

 赤井は、軽く手を上げて、俺をニタニタした笑みで迎えた。

 あえて考えないようにしていた事実が、心の準備もないままに眼前に飛び込んできて、しかも勝利者の笑みで俺を見ている。

「お前らのライブ、見に来んの初めてだけど。ちょっと、実力のほどを確認させてもらおうかな、みたいな。学校じゃ、けっこう持てはやされてるみたいだしさぁ」

 やけに粘つく口調が、俺の腹の中をこねくり回す。

「けど、小さいとこでやってんね。俺らは、ほら、ツリークスとか、あっちでやってっからさ」

 ツリークスといえば、御野宮にある大きなライブハウスだ。

「なんか、庶民的、って感じ?」

「なんで部外者のお前がここにいる?」

「ほれ」

 赤井は胸に貼り付けたシールを指差した。

 出演者かスタッフであることを示すバック・ステージ・パスだ。これがあれば、開演前でもチケットなしでも自由に何度でも出入りができる。裏口使用もオーケーだ。楽器のケースに張ったりすることが多いが・・・・・・

 こいつにパスを渡す人物など、一人しか思いつかない。その一人が、ステージの袖からやってきた。

「遅いよ、洋平くん」

 俺は愕然となった。

 いつだ? いつから俺は「ようちゃん」 から「洋平くん」 に変わったのだ!?

「曲順とか、もう書いて渡しておいたから。MCのタイミングとかは、小木さんに見せてもらって覚えてね」

 突き放すように言われて、俺は思わず一歩後ずさった。

 赤井が笑う。

「そんなことより、なあ、あかね」

 馴れ馴れしい呼び方で、見せ付けるように彼女の肩を抱く赤井。

 あかねはちらりと俺の方を見たようだったが、俺はそれから先を見ていなかった。聞いてもいなかった。ソッコーで楽屋に飛び込み、器材をばら撒いていた。

「どういうことなのよ、コレ!?」

「うおッ」

 俺を待っていたのは、ワールドワールドチルドレンのボーカルのお姉さんだった。

「なんであかねちゃんが、あんな男といちゃついてんの!? ちょっと、説明しなさいよ、なんであんたたち別れちゃったのよお!」

「いや、あ、あの、待ってくださいよ、別に、別れるもなにも、そんなこと」

「無駄だよ、洋平」

 向こうで、別のバンドメンバーに囲まれた俊介がいた。

「お前たちはベストカップルだと誤解されてるみたいだから」

「誤解もくそもないでしょお。だって、幼馴染でずっと一緒で、まだ若くて恥ずかしくって愛を語れない純愛カップル! マンガよ、おとぎ話よ。それが現実に存在してたのに、なんであんたはそう簡単に、あたしの夢をぶち壊すかなあ!」

「けっきょく、お姉さんの夢が大事なんだ?」

「そうよ、あなたたちみたいな人生を一度歩いてみたいの! もうドロドロもヘドロも傷害沙汰もいらないッ、きれいな恋をしたいのよ! なのにあんたは! なんにもわかってない、全国の男どもが嫉妬する幸運なシチュと、なによりあかねちゃんの希少価値がわかってない!」

 首を絞められかけて、俺はかろうじて逃げ出した。

 バンドをやっている人は、見かけが怖そうな人でも、案外やさしい人が多い。未熟な俺たちをかわいがってくれる。

 それはありがたいことなのだが。

 俺とあかねの関係にまで踏み込んでもらいたくない。これはプライバシーに属する。

「あいつが、好きで付き合ってるだけでしょ。俺は関係ないですよ」

 まるきり拗ねたような返事になってしまったが、それを聞いたお姉さんは、ちょっと考えてぱあっと顔色を明るくした。

「なんだ、洋平くんはまだ未練たっぷりなんだ」

「なんでそーなるンスか!?」

「大丈夫、障害のない恋愛はないわ。あたし、応援するわね。処女でなくても女は女、そこんとここだわっちゃ駄目よ」

 リハでーす、の声に、お姉さんはステージへ通じるドアを潜った。俺が遅れたせいで、順番を変えたらしい。

 俊介は笑っていた。

「お姉さんも、最初はちょっと違う反応だったんだけどね」

「どういう?」

「あかねの新しい恋を見守ろうかな、っていう感じ。でも、赤井が偉そうにでしゃばってきてからは、ずっとあの調子だよ」

 どういうことだ?

「赤井のやつ、あかねの準備手伝おうとして、馬鹿さらしてね。エフェクターの種類も区別できないでやんの。ストラトとテレキャスの違いもわからないんだぜ。そのくせ、ずっと偉そうにしてさ。笑っちゃったよ」

 俺はぶすっ、とした顔で、壁の一面にはめられた鏡を睨んだ。

「笑えないな」

「なんで?」

「あかねが選んだ男だ」

 俊介の笑顔が、急速にしぼんでいった。

 俺だって、ストラトとテレキャスの違いはわからない。



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