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チタン合金の告白

 広い田んぼの真ん中に、十三階建てマンションがぽつんとそびえている光景は、ほとんど笑い話だ。

 すぐ近くを通る国道の向こうは開発された住宅地、マンションを挟んで反対側を走る川の向こうは、ニュータウンの建ち並ぶにぎやかさ。

 夜になると、マンションの周辺だけが闇に閉ざされる。

 そのマンションに、俺は小学校四年生の時に引っ越してきた。

 あかねは五年、聡一は六年だ。

 それ以来の、いつまで一緒の腐れ縁。

 県立地季高校は、勉強など生まれてこの方一度としてやったことのない俺でも入れる、実にバリアフリーな学校だ。ありていに言えば、誰でも受かるレベルということだ。

 一年生用自転車置き場からは、正門より裏門の方が近い。そこを出れば、すぐに土手があり、川はけして小さくはない。

「あれ、あかね、どした?」

 自転車置き場のそばで、あかねは所在なげに空を見上げていた。

「別に。空がきれいだな、って思っただけ」

 空はまだ青いが、もうしばらくすれば、西天が赤く染まっていく、そんな時間だ。

 彼女には奇妙なところがいくつかある。時々空を見上げ、突然立ち止まって何分でも立ち尽くすという癖だか趣味だかも、その一つだ。

 自転車のハンドルを握っているのだから、帰宅意思はあるに違いないが。

 「奈美は?」 と、彼女がいつも一緒にいる友人の名を出すと、あかねはつまらなそうに校舎を指差した。

「聡一待ってるんだって」

 ああ、なるほど。

 聡一と奈美が付き合い始めてまだ一週間。新婚さんと一緒でいつも二人でいたいらしい。聡一は昨日の喧嘩について教師に説教食らってる最中だから、ますます心配で学校を離れることもできない気分だろう。

「聡一、練習に間に合うの?」

「さあな。井浦の熱血トーク、始まると長ぇからなあ」

「そーだよねぇ」

 なんだか、あかねの様子がいつもと少し違う。心ここにあらず、って感じだ。

「聡一が遅れた時のために、いちお、ギター用意しといてくれ」

「うん」

 やはりおかしい。素直すぎる。いつもなら、聡一か俺を言葉の槍で串刺しにする場面なのに。喧嘩なんてバカのすることよ、とか、スタジオの時間早すぎんのよタコ、とか。

「あかね、なんかあった?」

「別に」

 実に素っ気無い返事だ。

「そうか。じゃ、スタジオで。あかねも遅刻すんなよ」

「あ、待って」

 なんだ? と振り返ると、あかねが自転車にまたがるところだった。

「久しぶりに、一緒に帰らない? どうせ道は全部一緒なんだし」

 驚いた。

最近ではいつも、帰宅時間を無理矢理ズラしてでも、あかねは俺たちと合流するのを嫌がっていたのに。なんだか俺と二人きりになるのを避ける素振りもちらほら。高校にまでなると、男友達より女友達なのか、とがっかりしていた俺だった。

 土手の上を並んで走ると、なんとなく気分が浮ついた。ひどく懐かしい思いもある。中学の頃には、よく一緒に通学したものだ。

そんな気恥ずかしさを隠すために、わざとぶっきら棒な調子で、俺は訊いた。

「ゼッテーなんかあるだろ、お前。言っとくけどな、俺はいま金欠どころか借金王で」

「知ってるわ。ようちゃんからお金むしり取る気なんかないから。できないよ、そんな、可哀想なこと」

 そうか、俺は可哀想か。

「・・・・・・ま、なんだ、悩みごとでもあるんなら、話してみな。俺でよけりゃ聞いてやるぜ。奈美ちゃん聡一に取られて、愚痴聞いてくれるやつ、いないんだろ?」

「なにその友達いないだろみたいな発言」

 ぎらりと睨まれた。

 うお、久しぶりに睨まれたが、超こえぇ。かわいい顔してるくせして、あかねの睨みは、その筋のおっちゃんに通用する殺気を放つ。

 このギラついた目を見るたびに思う。この女は、チタン合金だ。

「・・・・・・相談しようと思ったけど、やっぱ、やめる」

「そーか、ま、いーんじゃねぇか? 相談事なんて、気分が乗らない時はしない方がいいからな」

 実際には、相談という言葉におそろしく興味を引かれた。以前はあれこれ悩みを聞かされたりしていたが、最近はそういうことが一切ない。頼りない男と思われているのじゃないかと、密かに俺の方が悩んでいたのだ。

 しばらく、無言で自転車を走らせた。

 橋を渡り、住宅街へ入る。街と言ってもこの辺りは下町で、最近開発された地区を除けば小さな家がところ狭しと並ぶ小さなとこだ。

「やっぱり、話す」

 あかねは思ったよりあっさりと白旗をあげた。

 長い付き合いだ、あかねの性格は知悉している。こういう時は突き放して、一定の時間を置くのが効果的だ。

「あたしね、好きなひとがいるの」

「!!!」

 思わず反射的に両手を握った。結果として、凄まじくブレーキが効いて、体がT字ハンドルを飛び越えそうになった。

「好きなひとぉ!? おッ、おッ、お前にかあ!?」

「ムカついた。その反応はムカついた。驚き過ぎ。あたしだって女なんだから、好きなひとぐらいできるわよ。たぁッくさん恋してるんだから」

「だって、お前の恋って、近所の兄ちゃんとか酒屋の親父だろ!?」

「いつの話よ! とっくに時効成立してる過去の遺物じゃない。蒸し返さないでッ」

「遺物ってゆーか、今でもオーバーテクノロジーじゃねぇか。ワイルドさが素敵とか言ってた兄ちゃんが、実は部屋にゴミためっ放しのゴミ男で、取材に来たカメラの前でお前・・・・・・」

「言うな!」

 ほとんど大戦勃発の緊張感が漂う中で、俺は必死こいて虚勢を張った。

「中学じゃ浮いた話一つなかったじゃねぇか。いきなり高校デビューたあ笑わせる」

「デビューとか言わないでよ! 恥ずかしいからッ」

 おおッ、あかねの顔が赤く火照っている。珍しい見世物だ。もちろん、怒っているのだろうから、注意は必要だ。

「相手は誰だよ、俺の知ってるヤツ?」

 あかねは俺を睨んで動かない。よほど怒っているらしい。マズいな。

「あんたに相談しようとしたあたしが馬鹿だった」

「なんだよ」

「あんたね、今、人の心にフォーク突き刺してぐりぐりやったのよ。わかる? この表現。我ながら聡一並みに気のきいた、素晴らしい言い回しだわ」

 おお、自画自賛だ。

「デリカシーってもんがないの、あんたには?」

「悪かったな、文才なくて」

「そーいう話じゃないでしょ」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 そしてにらみ合いが始まった。

 最近、このパターンが実に多い。彼女が、俺と二人だけになるのを避けるようになったのは、こいつも理由の一つだろう。

こうなる原因がわからん。俺は別に意地張ってるつもりはないんだが。

「・・・・・・そいつと付き合うのか? それでバンドやめたい、っていう話なら、みんながいるとこで話すべきじゃねぇか?」

 あかねの顔から、数秒ほど殺気が消えた。キョトンとした目が空中を探るように動き、「そんなんじゃないよ」 と直後に口を尖らせた。

「誰と付き合ったって、バンドは続けるもの」

「じゃ、なんだ、相談って。そいつが俺の知ってるやつなら、いろいろ助言したり間を取り持ったりできるけど、そういうことか?」

「先に先に話を進めないで。しかも全部大ハズレの見当違い。ようちゃんの悪い癖よ」

 やかましい。俺はさっさと帰ってふて寝したいのだ。こんな話、一秒でも早く終わらせたいのだ。

「・・・・・・あたしの片思いだしね。付き合うなんてできないよ」

 信じられない話だ。

 世界中の男があかねを好きだと告白しても、俺は笑わない。なんといっても、あかねは世界で一番いい女なのだから。

 ――もっとも、それは俺の主観にすぎず、客観性が著しく乏しい説だと、最近になってなんとなく気付き始めている。

 俺は目の前にたたずむ生身のチタン合金を見つめた。

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