るいちゃんと谷さん
◆
『るいちゃんと谷さん』という漫画がある。白鳳社のウェブ媒体で連載されて、その月の頭にアニメ化が発表された。
舞台は昔の池袋北口にあったガールズバー。中学をろくに出ていない──ギリ健少女のるいと、時給の良さだけで働きはじめた女子大生の谷さんの話らしい。らしい、と伝聞で書くのは麻衣子がこの作品をろくすっぽ読んでいなかったからだ。
ちなみに麻衣子は文学部の三年である。彼女の好みは男と男の恋愛──いわゆるBL物だ。
きっかけは中学一年の秋だった。学級文庫の隣の席の子が机の下で読んでいた同人誌を読ませてもらったのだ。『ヴァンダル・キッズ』という少年漫画の二次創作である。灰谷という二十八歳の元傭兵が、トウマという十四歳の主人公を廃工場に閉じ込める。閉じ込めて、外の世界がどうなっているかを一切教えない。執着というかドロドロというか──そういう感じの作品が麻衣子は好きなのだ。
発表の日からタイムラインは荒れていた。そればかりではなく、数日してアニメ化の中止を求めるオンライン署名が立ち上がった。発起人は妙に思想が強そうな女性インフルエンサーである。署名のリンクと一緒に、作中の場面を切り抜いた四枚の画像が添付されている。るいが数を数えられずに指を折っている場面と、その隣で谷さんが笑っている場面である。この作品の露悪的な部分がこれ以上ないほど前面に押し出されている画像だった。
まあ荒れるのはある意味仕方ない部分もあった。
なにせ『るいちゃんと谷さん』ときたら、足りないるいちゃんがとかく酷い目にあって、最後は殺されて終わるのだ。まあ救いがないし、障碍者を持つ家族が激憤するのも致し方ないだろう。
麻衣子がそのアンケートに署名したのは五月なかばの事だ。
『弱い立場の人が消費される作品をこれ以上広めないでください』
そんな呼びかけに内心大きく頷きながら、送信ボタンをタップした。
◆
「あれさあ、アニメ化止まると思う」
ある日、麻衣子がそんな事を言った。声には籠った熱がある。ここは文学部の部室だ。文学部──というと響きは良いが、内実としてはそこまで大層なものでもない。仲間内で寄り集まり、お勧めの本やら漫画やらを勧め合うみたいなほほえましいものである。
「止まるでしょ。もう白鳳社に電凸してる人いるし」
麻衣子の確信めいた言葉に、友人の沙理が答えた。
沙理もまた今回のアニメ化には思う所はあるが、ここ最近の界隈の空気はどうにも過熱しすぎているようにも思う。麻衣子としては沙理にももう少し熱をいれて欲しいところだが、自分と同じスタンスであることは確かだし、と自分を納得させている。
──が。
「なんだかなあ」
そんな声が響いた。
声の主は立花朋という友人だった。
朋は読みかけの文庫を膝に伏せている。
「あたし、あれ好きなんだよね」
この状況で好きと言い出す人間が身内にいるとは麻衣子は考えたこともなかった。
「好きとか嫌いとかの話じゃなくない? 弱い立場の人が消費されてるんだよ」
「麻衣子は全部読んだの?」
「読まなくてもわかるよ、ああいうのは」
「そっかぁ。でもああいうのだって表現の自由で守られるべきだとおもうんだけどなあ」
朋の言葉に麻衣子は少しむっとした。
確かに表現の自由は尊重されるべきだとおもう。でも、無責任であってはいけないはずだ。表現のその先を考えて、もし社会に悪影響があるなら規制だって仕方ないと思う。あの作品を読む事で傷つく人だっているだろう、そういう人たちの心を無視するのはどうなのか。
麻衣子がそんな感じの事を言うと、朋はふうんとだけ言って文庫に目を戻した。そして、翌週から部室に来なくなった。
◆
六月の末に白鳳社が告知を出した。
『昨今の状況に鑑み、本作のアニメーション企画を中止いたします。連載につきましても作家と協議のうえ当面休載とさせていただきます。皆さまに安心してお楽しみいただける作品作りのため、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます』
とのことだ。
この発表に、タイムラインは祭になった。
その晩は沙理とファミレスで打ち上げめいたものをやった。
◆
夏が来た。
事態は何やら妙な方向へ──ただ、例の作品のアニメ化反対の声を掣肘していた者たちにとっては予想の範疇で──進んでいった。
八月に別の漫画が燃えたのだ。成人向けの、まあいわゆるエロ本が燃えた。燃えたというのはつまるところ、発禁となったという意味である。
九月は動画配信の大手がガイドラインに文言を加えた。未成年と誤認されうる表現を禁止するとの由。
十月は成人向けを扱う決済の代行会社が軒並み手を引いた。
十一月──駅前の書店が棚を入れ替える。成人向けの作品が中心に排除されたのだが、今回はそればかりではない。クライム系の作品や、バトルアクションといった暴力表現を売りにしている作品も消え去った。麻衣子の行きつけの書店には『親子で安心して選べる棚づくりをしています☆』という手書き風のポップがいくつも踊っていた。
当然世間、というか創作界隈は反対の声をあげる。表現の自由を守れだとかなんだとか、大御所たちも昨今の風潮に警鐘を鳴らすが──冬には文科省が『表現の自由は最大限尊重されるべきですが──』などと宣い、非道徳的、非倫理的とされる作品がどんどんどんどん燃やされていった。
◆
年が明けた。
麻衣子が愛用するサイト、ミクシブの仕様が変わって、R18のタグが検索から外れた。運用の見直し、と運営は書いている。作品は残っているのに辿り着く道がなくなってしまったのだ。これからはフォローしている作者のページに飛んで、そこから直接作品を閲覧しなければならなくなった。
そして間を置かず、『ヴァンダル・キッズ』の二次創作が消えはじめたではないか。まあ二十八歳が十四歳を廃工場に閉じ込めるというのは倫理的とは言えないかもしれない。
ここへきてようやく麻衣子は自分達が燃やされている事に気づいた。
◆
「なんだか最近、おかしいよ」
部室で麻衣子はぽつりと呟いた。雑誌を読んでいた沙理が顔をあげて同意する。
「だね……なんか……規制、規制ってさ。あくまで創作なのに」
「確かに良くない表現はあるかもしれないけどさ、見ない選択だってあるわけじゃん。それにさ、表現の自由! あれってさ、お行儀良い表現だけを守るものじゃないでしょ?」
麻衣子はそこまで言って、ふと引っ掛かるものがあった。自分が以前、朋にいった言葉が頭をよぎったのだ。
『表現のその先を考えて、もし社会に悪影響があるなら規制だって仕方ないと思う。あの作品を読む事で傷つく人だっているだろう、そういう人たちの心を無視するのはどうなのか』
──でも、それとこれとは話が別だよ。
麻衣子は内心でそんな事を思った。
ただ、何がどう違うのかが判然としない。自分でもよく分からないのだ。『るいちゃんと谷さん』は確かに露悪的で、あの作品に心を傷つけられた人は多いだろう──少なくとも、麻衣子はそう考えている。
では『ヴァンダル・キッズ』はどうなのか。
明らかに成人している登場人物が未成年に、その、手を出すというのは──?
大人から性的加害を受けて傷ついた子供たちだって、この世の中腐るほどいるだろう。『ヴァンダル・キッズ』はそういった子供たちに対する二次加害にならないというのか?
麻衣子は自分の中で、何人もの自分が違う事を言っているのを感得していた。
──『ならないよ! そういうのだって表現の範疇じゃん!』
──『なるよ。“表現のその先”を考えないと駄目だよ』
etc……
どの自分の叫びが正しいのだろうか?
麻衣子は分からなかった。
いや、分かりたくなかったし、仮に分かったとしてもそれを認めたくなかった。
◆
そして年があけて春になり──事態はどんどん、まあ陳腐な言い方をすれば酷い事になっていった。
漫画、小説、アニメ、凡そ創作物である以上はどんな小さい事であっても、他者を傷つける要因を有するというのは言うまでもない。『るいちゃんと谷さん』は言うまでもない。かの作品は障碍者を家族に持つ者たちにとって逆鱗に触れるものであったし、また、内心で障碍者に対する差別感情を持つ者たちの汚い部分を、これ以上ないほどの鋭さで暴き立てた劇物である。
そういった毒を排除しようという人々の動きはある意味で理解できなくもない。
しかし創作界において、その動きが過熱してしまったのだ。
少しでも人を傷つけるような作品は悪だという空気が醸成されてしまった。なるほど、表現の自由は尊重されるべきである。しかし──といった論調で創作物がどんどん消えていく。
一次作品だけではない。二次創作も同様だ。作者の意図にないカップリングや性的描写、また、ただ黙認されているだけなのをいいことに作成された多くの二次創作作品が「作者の心情に配慮」という理由で各所から削除されていった。
だが創作者は、あるいはそのファンたちは反対の声をあげなかったのだろうか。
あげた。
あげたが──しかし。
◆
『で、るいちゃんと谷さんの時にアニメ化中止の署名してた皆さん、今どんな気持ち? 笑』
『創作の自由を守れ!! って言ってる人たち、半年前は創作の自由を潰す側にいたよね。記憶力大丈夫?』
『先に他人の作品燃やしたくせに自分のが燃えたら被害者面するの草』
麻衣子はスクロールする指が止められなかった。知性の高そうな長文から品性の欠片もない罵倒まで、方向だけは驚くほど揃っている。お前たちが始めたのだ。お前たちが最初に投げた石が返ってきただけではないか──と。
『よかったですね、皆さんの署名が社会を変えましたよ! (笑)』
SNSでは今や、このようなポストが飛び交っていた。
『BL描いてる腐女子が「表現の自由ガー」ってわめいてんの笑うんだけど。二十八歳のおっさんが十四歳のガキ監禁してヤる本を頒布しといて何が表現の自由だよ。お前が最初に他人の創作ぶっ潰しにいったんだろ。署名の魚拓あるけど貼ろうか? 笑』
これはある同人作家への直接のリプライだ。
その作家は翌朝、アカウントごと消えた。
万事がそんな調子であった。
◆
日本人という種が自業自得だとか因果応報だとかいう考えに強い親和性を持っていたのも災いしたのだろう、「燃やしたんだから、燃やされても文句を言うなよ」という風潮は収まるところを知らず、ひたすら創作界隈を焼き尽くしていく。政治もこれに乗っかった。畢竟、政治家というのは票を集める事が命題であるので、多数派の論調に流されやすい部分がある。
そして──。
・
・
・
とある日曜日、麻衣子はぼんやりと深夜テレビを見ていた。翌日は大学があるが、何だか眠れない。ここ最近はずっとそんな半死人のような状態だった。
ディスプレイには大根とピーマンとトマトの妖精かなにかが踊っているのが映っており、『お肉だけじゃなくて野菜も食べよう』などと歌っている。
昨今の日本のテレビ番組はほとんどがこんな調子だ。教育的なもの、道徳的なもの、健康的なものを中心に番組が編成されているのだ。テレビ番組だけではない、配信サイトなどでも同様である。麻衣子がよく利用していたミクシブなどは現在ではもう廃墟と化していた。
大根がワルツを踊っているのを見ながら、麻衣子は「なんでこうなっちゃったんだろう」と、もう何度目になるかもわからない疑問を口にする。
──私たちは正しい事をしていたのに。
露悪的で、差別的で、人を傷つけるばかりの作品なんて何の価値があるのだろう。
読めば読むほど陰鬱な気分になって、救いも何もない作品なんて何の意味があるんだろう。
ディプレイにはトマトがにこにこと笑ってリコピンがどうたらと宣ってた。そんなトマトの笑顔がやけに気に障り、麻衣子はテレビを消した。
シンと静まり返った部屋の中、耳の奥に
『でもああいうのだって表現の自由で守られるべきだとおもうんだけどなあ』
という声が響く。
──これは誰の言葉だったっけ。
去年、いや、一昨年?
──ああ、頭が。
ここ最近はずんと重く感じる。とはいえこの感覚ももう慣れたものだ。麻衣子は机に雑に放られているピルケースから白い錠剤を取り出し、口に含んで水なしで飲み下した。
はぁ、と一つ溜息をついた後、ふと手元のスマホでSNSを見る。
界隈は相変わらずと言った感じだ。やれ表現の自由を守れ、やれ責任と覚悟が──。皆が皆、議論というていのレスバを繰り広げている。
「なんだか、疲れたな」
麻衣子はそう呟いてベッドにもぐりこみ、目を瞑った。
(了)




