第一話『心の形』
始めてです
> 心に、形はあるのだろうか。
幼い頃の私は、 そんなことをよく考えていた。
母が洗濯物を干している時。
夕焼けに揺れる白い布を見ながら、 私は時々、 人の心にも形があるのだと思った。
怒りの日は鋭く。
悲しい日は脆く。
優しい日は、 春の風みたいに柔らかく。
そして―― 心の形は、 きっと変わっていく。
あの日までは。
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風が吹いていた。
乾きかけの白い布が、 夕焼けの空の下でゆっくり揺れている。
「レイ、ぼーっとしてないで手伝って」
「今やろうと思ってた」
「それ、絶対思ってない時の顔」
母は笑った。
小さな家だった。
壁は古く、 床は軋み、 雨の日には天井から水が落ちた。
でもレイは、 この時間が嫌いじゃなかった。
洗濯物の匂い。 夕飯の湯気。 母の声。
世界は狭かったが、 それで十分だった。
「ねえ母さん」
「なに?」
「心って、形あると思う?」
母は少しだけ驚いた顔をして、 空を見上げた。
赤く染まった雲が流れている。
「あるんじゃない?」
「やっぱり?」
「だって、見えないだけで、 大事なものっていっぱいあるでしょ」
そう言って、 母は濡れた布を広げる。
夕日に透けた白が、 妙に綺麗だった。
「レイの心はどんな形してるの?」
「……剣」
「ふふ、男の子だねぇ」
「母さんは?」
その時だった。
風が止んだ。
世界から音が消えた。
鳥の声も。 木々の揺れる音も。
何もかもが、 不自然なほど静かだった。
レイは振り返る。
そこに、 男が立っていた。
片側は、 眩しいほど白く光っていた。
だがもう半分は、 夜より深い闇に溶けている。
輪郭が定まらない。
まるで、 光と暗黒を無理やり縫い合わせたみたいだった。
男は何も言わない。
ただ、 レイを見ていた。
いや。
違う。
その視線は、 レイではなく――母を見ていた。
「……え?」
声が出なかった。
足も動かない。
怖い。
そう思った瞬間には、 母の胸から赤いものが溢れていた。
何が起きたのか、 理解できなかった。
母が倒れる。
白い洗濯物が、 地面へ落ちる。
赤く染まっていく。
「……ぁ……」
呼吸が浅くなる。
頭が真っ白になる。
動け。
動け。
動けよ。
なのに、 指一本すら震えなかった。
男は静かにレイを見た。
その瞳には、 怒りも、 愉悦も、 憎しみもなかった。
ただ、 どうしようもなく疲れ切った色だけがあった。
男はゆっくり踵を返す。
そして、 闇へ溶けるように消えた。
残されたのは、 血の匂いと。
倒れた母だけだった。
レイは震える足で近づく。
母は苦しそうに息をしていた。
「……レイ……」
「母さん……!」
「泣かないの……」
「喋るなよ! 今、誰か呼ぶから……!」
服を掴む。
血が止まらない。
温かい。
なのに、 どんどん冷えていく。
「レイ」
母の手が、 震えながらレイの頬に触れた。
「心を……間違えないで」
「……え?」
「憎しみに……飲まれちゃ……だめ……」
理解できなかった。
なんで。
どうして。
なんでそんなことを言う。
殺されたんだぞ。
母さんは。
なのに。
「人を……想える子に……なって……」
最後まで、 母は優しかった。
その手が、 ゆっくり落ちる。
風が吹いた。
白い布が揺れる。
赤く染まりながら。
その日、 レイの心は初めて形を変えた。
それはきっと。
怒りによく似ていた。




