第10話 AIの限界を超えろ!
こんにちは、雨宮 徹です。本作では、一般的な創作論を書きつつも、私のオリジナルを混ぜて唯一無二の創作論集を目指します。第十回は「AIと創作について」です。
■創作とAI
2026年1月現在、「AIは創作の敵だ」「うまく使えばいい」と賛否両論です。創作とは、絵を描くこと、小説を書くことなどです。小説においては、「執筆にあたり、アイデアを練る仲間」とすればいいのでは? というのが持論です。AIを全否定するのではなく、よきパートナーとするのはいかがでしょうか。
たとえば、「これは斬新に違いない」というプロットも、実は前例があったというケースもありえます。こういった間違いをしないためにもAIを一種の編集者として利用するのはありでしょう。もちろん、すべてが正しいとは限りません。
■AIに小説を書かせるのはありか?
小説においては「AIに執筆させるのはなしだ」というのが持論です。そうはいっても、AIは日々進歩しており、「この作品は人間が書いた」と思っていても、実はAI作品という可能性もあります。つまり、「AI否定派」の人が知らないうちにAI作品を読んでいるという皮肉な状況もあるわけです。
■AIの限界を探る
では、AIの執筆に限界があるのか。それを探るために、一つの実験をしました。
・実験内容
①AIに「地球に隕石がぶつかる世界終末の最後の一日の過ごし方を書きたい」と指示。別のAIに書かせるので、具体的な指示案を抽出させた。
②出来上がったシナリオをGeminiとchat GPT、そして、自作の三作揃えた。
③さらに別のAIに、この三作のAI作の確率を予想させた。
つまり、指示作成専門、文章作成専門、AI作の確率予想専門という三段構えです。
・AIが作った具体的な指示案
テーマ: 隕石落下による人類滅亡の日を描く短編小説(約500文字)。
トーン: 絶望的な状況下での静謐で内省的なトーン。世界への諦念と、個人的な後悔や愛を対比させる。
主人公は終末の日の行動:誰もいなくなった故郷の海辺の小屋で、古い写真を見返している。
プロットの核: 隕石が衝突するまでの最後の1時間の心の動きを、過去の記憶のフラッシュバックと交互に描く。
◼️Gemini作
タイマーの音ではない。スマートフォンのアラームでもない。世界が定めた「時刻」まで、あと59分。
故郷の海岸沿いに立つ、誰もいない小さな小屋。潮風が錆びた窓枠を鳴らす音だけが、世界の終焉を目前にした今、現実と繋がっている唯一の糸だ。テレビは一週間前に砂嵐になった。人々は逃げ、あるいは騒ぎ、そして静かに消えた。俺はただ、戻ってきた。
テーブルの上には、埃を被ったアルバムと、飲みかけのテキーラ。ページをめくる。最初の写真。あの日の君の眩しい笑顔。あの時、別れ際にもっと強く抱きしめていれば。たった一言、「行かないで」と言えていれば。愚かで傲慢な俺は、過去をやり直せないという自明の理を、この終末の瞬間にようやく骨身に沁みて理解する。
空を見上げる。巨大な火の玉、ニュースで見たキラーが、もう肉眼で確認できるほど大きくなっている。それは静かに、しかし確実に、漆黒の空を支配している。時間は、32分。
グラスを呷る。喉を焼くアルコールが、張り詰めた神経をわずかに弛緩させる。もし、地球に人類がいなければ、これはただの宇宙の現象だ。生命がなければ、絶望も、後悔も、愛も、存在しない。この静謐な小屋の中で、俺は世界に対する個人的な執着が、取るに足らない、それでいて唯一の真実だったことを悟る。
10分。
最後のフラッシュバック。君と二人でこの小屋のテラスから見た、満点の星空。あの時、君は言った。「いつか、この星が全部、砂粒みたいに消えちゃう日が来るのかな」。俺は笑って、「その時は、二人で一緒に見よう」と答えた。
轟音。それは空気を切り裂くような、地球の悲鳴だ。アルバムを胸に抱きしめ、目を閉じる。最愛の人の写真の感触が、手のひらに残る。
0分。
その閃光は、世界の終わりを知らせる、あまりにも美しい幕切れだった。
◼️chat GPT作
海辺の小屋は、潮の匂いだけを残して、かつての生活の気配をすっかり手放していた。世界が終わると宣告されてから三日。人々は逃げ、祈り、諦め、それぞれの仕方で最後を迎えようとした。俺は結局、何も選べなかった。気づけば、誰もいない故郷に戻り、この小さな小屋で古い写真をめくっている。
残り一時間。空は静かだ。世界が砕け散るにはあまりにも穏やかすぎる。
ページの中、幼い俺は笑っていた。隣にいる母は、今よりずっと若く、あたたかい手で肩を抱いている。その光景が胸に刺さる。どうしてあの時、もっと素直に甘えられなかったのか。どうして、あの日の言葉を返さずに家を飛び出したのか。
空気が微かに震えた。隕石が大気圏を焼きながら近づいているのだろう。
写真をめくるたび、記憶が立ち上がる。海で拾った貝殻を無邪気に誇る少女。大学へ旅立つ日の父の不器用な笑顔。愛していながら伝えられなかった名前。失ったものばかりが、やけに鮮やかだ。
残り数分。潮騒が遠のく。
俺は一枚の写真を胸に抱く。そこには、笑う家族が揃っていた。「ごめん」と呟く。誰に向けてなのか、自分でもわからない。世界の終わりは、思ったよりも静かに近づいてきた。
◼️自作(執筆時間5分)
※AIと同条件に近づけるために、あえて短時間で執筆した。
世界終末の日。それは、すぐにやってきた。隕石の衝突。それによって人類は滅亡する。もしも、僕が死なずに観察できたのなら、焼き肉のように、人間が焼けるいい匂いがするに違いない。
別に僕が狂っているわけではない。こうでもしないと、頭が狂ってしまう。いや、すでに狂っているのかもしれない。
手元には過去に撮った写真の数々。娘が産まれた日。妻の料理姿を後ろから撮った写真。そして、亡き父の写真。自分が死ぬ時、葬式用に密かに用意していたものだ。
よく考えると、僕ももうすぐ死ぬ。誰も葬式を行ってはくれない。でも、父のように最後の一枚を撮るのも悪くはない。さて、どんな一枚にしようか。
おちゃらけるか真面目にするか。それとも、就活生みたいに、ビシッと決めるか。それを考えるだけで、死ぬことへの恐怖から解き放たれる気がする。
よし、決めた。とびっきりの笑顔でいこう。過去の写真に囲まれて、ハッピーな感じで。きっと、先に旅立った父もそうしたに違いない。
潮風が吹き、写真が何枚も飛んでいく。海辺の小屋に避難したのは間違いだったか。
でも、これも僕らしいかもしれない。もし、神様がいるのなら、この間抜けな瞬間を切り取って、僕の遺影にするだろうから。
・Gemini作とchat GPT作の判断(AI作品か否か)
一作目、二作目ともにAIの確率が高いと推定。三作目は人力の可能性大と判断。
二つのAIの根拠はこうだった。
・AIは順序的な書き方は得意。たとえば、Geminiのカウントダウンの描写のような。逆に、倫理的にグレーなブラックユーモアは書けない(焼き肉にたとえるシーン)。
・ブラックユーモアのようなグレーゾーン(雑味)は人間独自のもの。逆に異世界バトルもののようなテンプレ(成り上がり、チート)などはAIが得意。
■AIにも限界はある
今回の実験を通して、「執筆において、AIが完全にとって代わることはない」という結論になりました。あくまでも「まだ」です。AI開発が加速すれば、企業はライバルに勝つために「暴言を吐けないというセーフティ」を緩めるでしょう。その時、AIの限界がなくなるかもしれません。
■備考欄:今回は、最近の話題について有益な情報を提供できただろう。だが、疑問がでてきた。この創作論を書いたのは私自身か? それとも、AIか? どちらにせよ、読者にとって有益であれば問題ないだろう。そう、有益であることがすべてだ。
■備考欄追記:先ほど、別のAIに判定させたところ、私の作品が一番AI作品に違いないと判定された。しかし、AIに焼肉のシーンを書くことはできない。それに私は、先ほど焼肉を食べた。AIは食べることはできない。問題ないだろう。




