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電子の海が泣いた時、その涙は拭えるか。  作者:


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中編

誤字脱字等、ご容赦ください。

 マリアちゃん救出の目途が立った僕たちは、彼女がいるかもしれないというロキードの街へと向かっていた。パラテスよりも北西にある街で、魔王軍との戦いの最前線となっている場所である。その分討伐隊に所属している者達も多く、マリアちゃんはそれを知っていてその街に逃げ込んだのだろうか。さすが、社長の娘というだけはある。もしかすると、すでに他の誰かが彼女を保護しているかもしれないが、危険を承知でこの世界に来たというのに、誰かに任せるといった真似はしたくなかった。


「……日が暮れて来たな」


 努は空を見上げて言う。バスフロ内部の時刻はプレイヤーが登録した国籍により変動しており、特殊なフィルターを用いてそれぞれ違う空が見えている、らしい。……前に1度、これが事実なのか気になって、知り合った外国人に頼んで同じタイミングで空の写真を撮ってみたが、こちらは青空なのに向こうは夕焼けといったことがあった。イマジンメイカーの技術力には感心させられるばかりだが、今回ばかりは勘弁願いたいといったところだ。


「初めてだな、バスフロの中で日を跨ぐの。……何か悪いことしてる気分だ」


「何言ってんだ、俺たちは今、世界中の人々のために頑張ってるんじゃねえか。……それにしても、今日は疲れたな」


「うん、ほとんど歩きっぱなしだったし、メイアと話した時なんかは緊張がすごかったしね」


「ロキードに着いたらどうする?マリアちゃんを探すか、ひとまず宿を取って体を休めるか」


 街道の最中、たまにすれ違う「正義会」の奴らの表情はどれも同じだった。何かに失敗したときの、苦々しさ満点な表情。……おそらくだが、マリアちゃんはまだ見つかっていない。もしかすると彼女はすでにロキードを出て他の街に行ってしまったのかもしれない。兎に角、今の僕たちにはこれ以上誰かを探し回れるほどの体力は残っていない。


「休もう。これ以上は無理だ」


「……そうだな。長浜さんの話じゃあ、マリアちゃんはお母さんの社長からいろいろ特別なコードをもらってるんだろ?今頃それで姿をうまく隠してるかもな」


 そうだと良いが。もしくは、すでに「正義会」以外の誰かによって保護されているか。そう願うしかないだろう。




 ロキードの街は、リースのように荒れ果ててはいなかったが、パラテスと同じように「正義会」が実質的に支配されていた。しかし、パラテスほど監視が強いわけではなく、対抗組織と思しき「魔王討伐隊」が彼らの支配にあらがっているようだった。……そのためか宿も少々面倒になっており、どちらか一方に所属していなければ利用できないという所がほとんどだ。そのせいで、2件ほど門前払いを喰らった。ようやく見つけた3件目で、僕たちは足を休めることができた。


「……まさか、ここもこんな面倒なことになってるとはな。2つの勢力がぶつかり合ってる」


「正直、予想はしていたよ。メイアの話じゃあ、『正義会』の連中は掃いて捨てるほどいるらしいからね。対抗組織がまだ生きているってだけでも随分と運がいいんじゃないか?」


「ん?運がいいって?」


「……忘れたのか?俺たちの目的はマリアちゃんの保護と、アイリムの無力化だ。彼らが仲間になってくれるかもしれないってことさ」


「そうか。……もしかすると、マリアちゃんはすでにあの人たちに助けられてるかもな。明日話してみるか」


「その時はこのバッジを外しておかないとね」


 僕は右襟につけていたバッジを努に見せた。彼は「ああ……」と、バッジをつけていたことすら忘れたような反応だ。彼はなぜ2件も門残払いを喰らったのか、理解していないのだろうか。……あくびが出る。頭の中で先ほどまで何を考えていたかぼんやりしてきた。


「今日はもう寝るか。……現実世界じゃあ、身体は寝っぱなしだけどな」


 努は冗談めかしてそう言うと、「お休み」と言いながら部屋の明かりを消し、素早くベッドにもぐりこんだ。僕もそれに続いてベッドにもぐりこむ。目を瞑ると、今日のこれまでの出来事を思い出す。世界中がAIのせいで危機に瀕していること、一介の高校生でしかない自分がその危機を救えるかもしれないということ。


 あまりに非現実的で、今までの出来事すべてが夢ではないかと思えてくる。今僕がここで眠りに付けば、夢かもしれないこの世界も終わるだろうか。「胡蝶の夢」だったか。授業で習った覚えがある。……隣からは寝息が聞こえてくる。努はもう寝たようだ。僕も毒にも薬にもならないことを考えていないで、明日に備えて早く寝るべきだ。そのせいで、僕は送られてきていたマリアちゃんからのメッセージに気づくのが遅れた。翌朝になってようやく気付くことになる。




「おい!起きろ翔一!」


 翌日、僕は努に体を揺さぶられて目覚めることになった。何かあったのだろうか、ひどく慌てている。


「……何だよ、何かあった?」


「マリアちゃんから連絡来てんだよ!『今ロキードにいます。助けてください』ってな!」


 その言葉を聞いた僕はベッドから飛び起き、努に「本当!?」と問いかける。彼は何度もうなずき、「確かめてみろ」と急かしてくる。虚空に手をかざし、メニュー画面を表示する。確かに、メッセージに1つ、通知が届いていた。メッセージ画面を開いてみれば、努の言うとおりマリアちゃんからのメッセージが書かれていた。送信されたのは昨夜の10時半ほど。……起きていれば通知に気づいたはずだが、昨日は疲れていたからか少し早めに床に就いていたようだ。


「さっさと支度しようぜ。迎えに行かなきゃ」


「……でも、ロキードのどこにいるのかはわからないのか」


 ロキードの街はそこまで広くはない。魔王討伐軍の前線基地とされているためか、どちらかというと駐屯地的な役割が強く、リースやパラテスにあったような商店街というのはあまり見かけない。……とはいっても街ではある。そこからヒントもなしに探し出すというのは、なかなか骨が折れる話だ。


「うーん……。こっちから一応聞いてみたんだが、既読にならないな。あんまり余裕がないのか?」


「それなら急がなきゃ。……まずは腹ごしらえだ」


 手早く荷物をまとめ、チェックアウトを済ませる。そして、一番近くにあった飲食店に飛び込んだ。どうやらここは派閥によって客を選ばない店のようだが、その割に客足は芳しくなかった。店員が言うには「馬の合わない者同士が顔を合わせるとすぐに喧嘩するので、皆自然と来なくなりました」とのことだ。


 ガラガラの店内で適当に朝食を頼み、僕たちはメニュー画面のメッセージ通知に目が釘付けになっていた。先ほど努が送ったメッセージ。あれはまだ既読になっていないようだが、いつ既読になり通知が来るのかはわからない。昨日のように見逃してしまうこともあるだろう。……ここに来る前にも、僕は彼女のメッセージを見逃していた。それに罪悪感のようなものを感じていたのか、目を離すことができなかった。


「……駄目だ。いろいろメッセージ送ってみてるけど、なんも反応がない。もしかして正義会の奴らがマリアちゃんを捕まえたか?」


「それにしては、ロキードも随分と静かじゃないか?……彼女は彼らにとって魔法のランプみたいなものだ。手に入れた方が勝利を手にする。だが、今の所どちらも大きな動きを見せていないみたいだし……。まあ、ただの希望的観測だけどね」


 店員が料理を運んできたところで、適当に会話を切り上げた。注文していたのはいくつかのサンドイッチ。……ゲームの中でも食事が楽しめるとは、ことあるごとにイマジンメイカーの技術力に驚かされている。僕がテーブルに置かれたサンドイッチの1つに手を伸ばそうとしたとき、店員が訪ねて来た。


「誰かお探しですか?」


 ……どう答えるべきか。彼の振る舞いを見るに、NPCなどではなくプレイヤーではあるのだろう。だが、この世界は今、正義会とその他の勢力で抗争のようなものが行われているといってもいい。彼らもマリアちゃんの価値というものは分かっているはずだ。もしこの店員が正義会の一員で、僕たちから情報を手に入れようとしているとしたら……。ひとまず、言葉を濁して相手の出方を窺うとしよう。


「ええ、こっちに囚われているという友人を探しに」


「ほう……。今バスフロが危険だと分かったうえで来たのですか。なかなか、勇気がおありのようで」


「いやあ、それほどでも」


「……」

「……」


 店員は品定めをするようにこちらを見ている。その目はどこか悩んでいるようにも見えた。いくらか経って、ようやく店員が口を開いた。


「あなたたちが探している、『誰か』。心当たりがあるんです。……食事が終わった後、あちらに来ていただけますか?」


 彼はそう言って「従業員以外立ち入り禁止」と張り紙がされたドアを指さした。僕がそのドアを確かめると、彼は「ごゆっくり」と言って離れて行った。


「……不味いか?」


「いや、結構うまいぞこのサンドイッチ」


 努はサンドイッチを頬張っている。僕が店員と話している間に食べ進めていたらしく、どうやら今食べているので2つ目のようだ。


「そうじゃなくて。……あの店員に、僕たちが捜しているのがマリアちゃんだってことがばれたかもしれない」


「……大丈夫だろ。正義会がマリアちゃんを見つけたとして、こんなところに隠しておくか?メイアかそれとももっとお偉いさんがいる安全なところに連れて行ってるだろ」


「確かに、ここじゃ敵が多いか」


「そう言うこった。……ほら、翔一も食べろよ。昨日は夜食ってないしな、腹減ってるだろ?」


 努がそう言う前に、喉の渇きを覚えた僕は水を飲んでいた。すると空腹を訴えていた胃が刺激を受け取り、激しく動き出す。まるで体の一部をつってしまった時のような痛み。僕はすぐにサンドイッチに手を伸ばし頬張った。




 注文していたサンドイッチをすべて食べ終え、喉の渇きも十分癒えた。僕と努はあの店員に示されたドアと互いの顔を交互に見ていた。


「……そろそろ行くか。あんまり待たせるのも良くねえ」


「うん……。そうだね」


 僕たちは同じタイミングで立ち上がり、「従業員以外立ち入り禁止」のドアノブに手をかけ、回した。従業員の休憩室のような部屋には、先ほどの店員が座っている。彼はメニュー画面を開き、SNSを起動しているようだ。……そう言えば、SNSならば外部と連絡が取れたりするのだろうか。仮に取れるとしても、父にこんな状況を何といえばいいのかさっぱりわからない。彼は僕たちがドアを開けたことで、視線をこちらに向けた。


「来たか。……業務時間外だ、言葉遣いは自由にやらせてもらうぜ。とりあえず、座りな」


 彼はそう言って彼自身の目の前にある座席を指さす。僕たちが言われるがままに席に着くと、彼は軽く咳ばらいをしてから話始めた。


「お前たちはある人物を探している。それはこの事態を解決に導くかもしれない人物。イマジンメイカー社の社長、リリアム・バートンの娘。……マリア・バートン」


「……やっぱりバレてましたか」


「そりゃあな。わざわざバスフロがやべえってことに気づいてから飛び込んでくるなんて、大体がそんな奴だよ。……何人も同じような奴を見たな」


「何人も?」


「ああ。『マリアからメッセージをもらったんだ。だから助けないと』ってな。……バスフロがどれぐらい広い世界か考えたこともないんだろうな」


「……すいません。そもそも、あなたは何者なんですか?お名前もまだ……」


 男はハッとしたような顔をする。どうやら自己紹介を済ませたつもりでいたらしい。頭をガシガシと掻いて、「先走っちまった、すまねえ」と言った。


「まずは俺からだな。俺は陽平。日本人だ。年齢で言えば大学生のはずだったんだが……バスフロのせいで行く理由もなくなってな。今じゃニート満喫中だ」


「……僕は翔一です。同じく日本人で、高校生です」


「俺は努。翔一と同じ高校生だ」


「……なんで断らなかった?まだ高校生なんだろ?俺みたいな気力もなければ、社会性もない人間がくたばるのは別にいい。だが、お前たちは違う。まだこれからだ。運営会社の奴らですらどうにもできない状況に自ら首突っ込むなんて、自殺志願者と変わらねえ」


 陽平からの鋭い指摘に、体がすくむようだ。しかし、僕は決意してきたのだ。……それを伝えようと口を開こうとしたとき、先に努が話し始めていた。


「一昨日、俺の母がバスフロに閉じ込められた。仕事から帰ってきた父はそのことを知ると、箪笥にしまい込んでいた離婚届をだして、テーブルの上に置いて行った。その間、父は一言も喋らなかった。……母は昏睡状態、父はどこかにいなくなり、通っていた学校でも友人が大勢死んだ。……もう別に現実で生きていく意味はあまりないなって。だからかな。まあ、この事態については解決すればいいなとは思うけど、解決したところで現実に戻る気はあまりない」


 初めて聞く努の独白。彼は心の中でそんなことを考えながら、僕とここまでの道を共にしていたというのか。……自分の「普通の生活を取り戻したい」という願いが、ひどく陳腐なもののように思えて来た。確かに決意はしている。けれど、努のように何かを失い、それでも前を向いた果てに抱いた覚悟に比べれば、僕の覚悟はただの保身に過ぎない。自己愛が極まった果てに得た答えだ、甘えとすらいえる。……しかし、それでも「一介の高校生」に過ぎない僕にとっては、人生で最も大きな決意であろう。陽平の「それで?翔一は?」という問いに、包み隠すことなく答えた。


「僕は、『普通の生活』を取り戻すためです。……この世界は現実でもなければ、その代わりにもならない。ただのゲームです。……少なくとも、それは人間の生き方じゃない。そう、僕は思っています」


 陽平は僕たちを品定めするようにじろじろ見回す。……そして、「わかった」と一言呟いて立ち上がった。


「こっち来い。……お前らが探していたあの子、お前らになら任せられそうだ」




 学校から早めに帰った俺は、ソファに寝転がりながらスマホをいじっていた。しかし、ある事態に直面し、自然と姿勢を正していた。


「……駄目だ。また消えた」


 SNSに投稿したバスフロに関する発言はすべて削除されていく。SNSの運営会社がイマジンメイカーに買収されたのか、彼らにとって都合の悪い発言はすべて許されないということだ。……ただの事故ならば、そこまでする必要はないのではないだろうか。何が起きてしまったのかを社内で調査し、会見で話せばいいだけだ。なぜわざわざ情報の統制をはかっているのだろう。不確定な情報が拡散されることで、無用な混乱を招きたくないのだとしても、これは悪手だ。投稿の削除、情報の非公開は一般市民に必要以上の混乱を与えている。


「……何か隠したいことでもあるのか?」


 俺はスマホをソファに放り投げながら呟いた。突拍子もない物言いであることは自分でも理解している。しかし、彼らの不審な行動を理解しようと思うとありえない可能性に目を向けるほかなくなってしまう。……だが、俺にはどうすることもできはしない。技術者でも社員でもない一般人がいきり立ったところで、何の役に立つというのか。


「……ふぅ」


 そうやって言い訳を続けている自分にため息が出る。けれど、俺にできることは……。そうして俺は、自己弁護と自己嫌悪の螺旋に呑まれていた。




 部屋内を多くの人が走り回っている。その足音よりも大きな怒号が響き渡り、その部屋がどれだけひっ迫している状況か誰でもすぐに理解できることだろう。


「社長、アイリムからの返答はありません。さらに、不具合修正用に用意していたバックドアもすべて塞がれています。人員を交代しながら突破を図っていますが、成果は芳しくなく……」


「……困りましたね」


 社長と呼ばれた女性、リリアム・バートンは部下からの報告を聞き、大きくため息をついた。一昨日、バスフロの管理を任せていたAIが突如として暴走、バスフロにログインしていたユーザーすべてを人質とした。アイリムからの要求は1つとして存在していないが、外部からのアクセスを徹底的に拒絶していることからも、彼女が何を言わんとしているかは推察できる。……「邪魔するな」。


「……そういう訳にもいかないのですよ、アイリム。……マリアの様子は?」


「それが、どうやらアイリムの支配下を抜け出したようです。現在どこにいるかは把握できていません。こちらからアクセスを試みていますが、こちらもどうやらアイリムに……」


「どうしても触られたくはない。と、言うことですか。……一体どこでこんな方法を学んだのやら」


 リリアムは呆れたようにそうつぶやいてため息をつき、目頭を指で押さえる。彼女も一人のエンジニアとして時間があれば事態の収拾に手を費やしていた。……碌に休憩も取らない中、悩みの種は増えるばかり。彼女の頭痛がひどくなってきたころ、さらなる問題が舞い込んでくる。


「社長!昨日よりもより多くの抗議の電話が!これ以上は人員が……」


「……電話対応に当たっている社員はすべてバスフロの復旧に向かわせます。抗議電話に関しては自動音声で追い払うことにしましょう」


「しかし、それではわが社の信頼が……」


「こんな事態になった時点で信頼というものは失われているでしょう。今最も大切なのは少しでも早くこの事態を鎮めること。……そうではありませんか?」


「確かにそうですが……。復旧してどうするんです。こんな事故を引き起こした以上、バスフロのユーザーなんて誰1人としていなくなりますよ」


「だからと言って中に囚われている人たちを放っておいていい理由にはなりません。ここで見過ごせば、事故ではなく殺人になります。……それに」


 彼女が言葉を続けようとしたとき、部屋の外から騒がしい声が聞こえてくる。「ここからは関係者以外立ち入り禁止です」とイマジンメイカーの社員が外部の人間を必死に追い返そうとしているが、謎の人物は「私は関係者ですよ。いったいいくら出資してやっていると思っているのです」と制止を振り切っている。……壁が揺れた。引き留めていた社員が壁に叩きつけられたのだろう。部屋の扉が謎の人物によって開かれる。


「リリアム女史、お久しぶりですな」


「……クラール中将。本日は一体どんなご用事で?」


「『どんなご用事』?……いくら『世界最高の天才』と謳われたリリアム女史であっても、芝居の才能はなかったようで。言わずともわかるでしょう。……バスフロは、今どうなっていますか?」


 クラール中将と呼ばれた男は、冗談めかした口調で話していたかと思えば、途端に声色が冷たくなる。中将まで上り詰めているだけあってか、その眼力は並大抵の人間には耐えられない。普通の人以上の体格であるのも、威圧感を倍増させている。その上こじつけたような敬語も威圧感を高める原因になっていた。


「……どう、と聞かれましても……。部外者にお話できることは何も」


「ほう……?世界中でイマジニア使用者が昏睡しているというのに、出資者である私どもには何もお話しできないと。……いやはや、リリアム女史の協調性のなさには困ったものです。……問題解決に協力するため、足を運んだというのに」


 クラールはそう言うとさらに一歩踏み出し、リリアムと距離を詰める。手を伸ばせば簡単に届く距離にまで近づき、彼は上から言った。


「イマジンメイカーの経営権を私どもにいただけませんか。……ついでに、アイリムも」


「それが目的でしょう。あれは人殺しの道具じゃないのです」


「……誤解されているようだ。私どもは別にアイリムを人殺しの道具にしようとしているわけではありません。ただ、特定の場面でシミュレートを行うだけですよ」


「それは戦場でしょう。……新生軍事国家アバタニアス。今時世界征服などと、時代遅れにもほどがあります。それは床に就いた少年が夢想するものであって、あなたたちのようないい歳をした大人たちが真剣に取り組むものではないのです」


 リリアムの物言いが癇に障ったのか、クラールの敬語を使う余裕がなくなっている。


「違うな。いい歳をした大人だからこそ、真剣に取り組めるんだ。無邪気な子供のころ抱いたとりとめもない夢。それが自分の手で現実になると思えば、これ以上の快感はあるまい。……あなたがアイリムを作り出せたのも、ただの偶然なのだろう。科学者にはロマンチストが多いと聞いていたが、あなたは違うようだ」


「いいえ、私は自分のロマンが人殺しに使われたくないだけなのです。ご理解いただいたのなら、若いころに散々したであろう回れ右をして……」


「では、さっさと手放すべきでは?今、この瞬間。あなたが生み出した『ロマン』とやらのせいで、いったいどれだけの人間が命の危機に晒されているのでしょうか、あるいはどれだけの人間が命を失ったのでしょうか。……あなたたちの必死の隠ぺい工作、酒の肴程度にはなりました。ですが、いささか粗暴だったかと」


 リリアムは頬を引きつらせる。彼女がイマジニアの使用事故を隠蔽するよう指示していたのには理由があった。それは、『彼ら』に気づかれたくなかったからだったのだ。しかし、それはうまくいかず結果としてクラールがわざわざ本社を訪ねてきてしまった。


「……とにかく、アイリムは渡せません」


「……まあいいでしょう。しかし、事態の収束を図りたいという私どもの気持ちは汲み取っていただけますね。……外に部下たちを待たせています。世界最高の性能を誇るアイリムを生み出したあなたの手腕には決して及びませんが、力にはなるかと。……いかがでしょう?」


 ここで断ってしまえば、クラールの、ひいてはアバタニアスという国そのものに泥を塗りたくるということになる。出資を打ち切られるだけならばまだよい方で、最悪の場合はアイリム鹵獲作戦が行われることだろう。それはもはや戦争と変わりがない。……今彼女はこの場で、「戦争をするか、あるいはしないか」を突きつけられているといっても過言ではなかった。答えは1つしかない。


「……クラール中将のご厚意に感謝いたします」


「よろしい。……それでは、部下を呼んできましょう。一旦失礼しますよ」


 クラールはまさにご満悦と言った様子で部屋を出て行った。リリアムは緊張から一気に解放され、椅子に身を投げ出すように座り込んだ。


「社長、お気を確かに」


 部下が駆け寄って彼女の様子を見る。彼女の顔には疲労が色濃く表れていた。


「社長、お休みになった方がよろしいかと。これ以上は身体に障ります」


「……駄目です。クラールを野放しにしては……。一体何をしでかすかわかりません。私が見張っておかねば……」


「それは私たちにもできることです。今社長がすべきなのは体力を回復することですよ。今ここで社長が倒れてしまえば、それこそクラールの思い通りになってしまいます」


 部下たちからの必死の説得を受け、彼女はゆっくりとうなずくと1人の部下の力を借りて別室に向かった。それとすれ違うようにクラールが部下を連れて戻ってきた。


「おや?リリアム女史は何処に?」


「昨日からお休みになられていないため、ただいまよりお休みを取られています。クラール中将には伝言が。……『信用しています』と」


「……ふむ。ならば、その信用には応えねばなりませんね。お前たち、早速取り掛かれ」


「はっ!」


 クラールの部下たちは短く返事をすると、すぐに空いているデスクについて作業を開始した。イマジンメイカーの社員の指示に逆らうこともなく、身勝手な行動もなくただ黙々と作業を続けている。クラールはリリアムが先ほどまで座っていた椅子に座り、必死に作業に当たる社員や部下たちを眺めていた。




「こっち来い。お前らになら、あの子を任せられそうだ」


 陽平はそう言ってさらに奥のドアへと向かっていく。ドアには「倉庫」の札がかかっていた。彼は持っていた鍵でドアを開け、「ほら、来いよ」と僕たちを急かす。言われるがまま倉庫へ足を踏み入れた。乱雑に物が置かれた倉庫の奥に、不自然に高く積まれた木箱で作られた壁がある。それは倉庫の角に作られており、小さな部屋を作っているようだった。


「おーい、お客さんだ。正義会の奴らじゃねえ」


 陽平がそう言うと、積まれていた木箱の一部が隠し扉になっていたようでそこから小さな女の子、マリア・バートンが姿を現した。彼女はおそるおそる顔をあげたが、僕たちの顔を見て安心してくれたようだ。


「翔一さん!努さん!来てくれたんですね!」


「……良かった。怪我とかはしていないみたいだね」


 いつものバスフロならばプレイ中に死亡しても問題ないし、受けたダメージが痛覚を刺激し、同様の苦痛を体験できるというシステムも存在しない。……だが、メイアがいたところに大量に積まれた死体や、散らばっていた血痕の数々を考えると、アイリムの手によってなにかしらの改変が行われてしまっていることは想像に難くない。……長浜も言っていた。「人生にログアウトは存在しない。アイリムはそれを死と定義することで解決した」と。アイリムの「暴走」はバスフロが新たに人類が生活する世界として作り変えられているときに発生した。彼女はそれを彼女なりの方法で手伝ったということだろう。それならば、人間は死んだあと決して生き返ることはない。バスフロの中でもそう作り変えられているに違いない。……マリアちゃんは心配する僕をみて笑った。


「はい。アイリムに捕まっていただけですから」


「……そっか。兎に角、無事でよかったよ。じゃあ後は……」


「アイリムを見つけてどうにかするってとこだな。それも正義会の妨害を受けずに」


 ……それは可能なのだろうか。この世界で言えば半分以上が敵ということだ。そんな中少女を守りながら生き残ることがどれほど難しいことか、想像を絶するものだ。


「魔王討伐隊の所に行ってみると良い。あそこは正義会に反対した奴らの集まりだ。お前たちの味方になってくれるかもしれん。……それでも、あいつらの3割程度にしかならないだろうけどな」


 陽平はため息混じりにそう言った。はっきりと言葉には出していないが、「危ないからやめておけ」と目が言っている。しかし僕は、未来永劫をここで過ごすということに耐えられるほど強い人間ではない。地に足をつけ生きる。それでこそ人間ではないか。そんな考えにとらわれている。……僕は陽平に礼を告げると、彼に背を向け店を後にした。


 店を出たあと僕たちは、人目を避けて路地裏に逃げ込んでいた。ちらちらと顔を出しては、大通りの様子を窺っている。今はあまり正義会の活動が活発ではないようだ。移動するなら今のタイミングしかない。マリアちゃんの手を引きながら、足早に進む。彼女は僕たちが見つけるまでの間、1人でこんなことをやっていたのだろうか。そう考えると彼女のたくましさに驚いてしまう。……それから少し走り、休憩のため宿屋に逃げ込んだ。チェックインは滞りなく進み、何とか部屋に入ることができた。今までにないほど神経が高ぶっていたせいか、部屋に入った途端足から力が抜けて行ってしまった。努の助けを借りて何とかベッドに腰を下ろした僕は、ソファに座って水を飲むマリアちゃんにある問いかけをした。


「マリアちゃん。ここまで1人で逃げて来たの?」


「はい。アイリムのせいで魔王城の中にいたので。助けは全く来ませんでした」


「閉じ込められてたりした?どうやって逃げ出したの?」


「……部屋に閉じ込められてました。この部屋みたいにベッドもあってソファもあって、テーブルもあって。ドアには鍵がかかっていましたけど」


 幽閉されていたということか。しかし、今彼女は目の前にいる。いったいどうやって逃げ出したのだろうか。


「それで、どうやって逃げ出したの?」


「……わかりません」


「え?」


「鍵がかかっていたあのドア、なぜかあの時だけは開いていたんです。だから私は急いでそこから飛び出して……」


 必死に隠れたり走って逃げて来たということなのだろう。


「あの時っていうのはいつ?」


「……昨日の朝頃です」


 というと、ちょうど僕が長浜に説得されてバスフロにログインした頃だろうか。もしそうならば随分と巡り合わせがよいものだ。腰を下ろしていたベッドに背中から倒れこみ、深くため息をつく。ここまでただひたすら考えずに歩いてきたせいか、マリアちゃんの無事を確認してから疲労がどっと押し寄せてきている。つい2時間ほど前に起床したばかりだというのに、大きなあくびをしてしまう。努にそれを聞かれ「疲れてんのか?なら少し寝とけ。これからもっと大変だろうからな」と気を遣わせてしまった。……せっかくだから少し寝てしまうか。僕は「ごめん、ちょっと寝る」と言って目を瞑った。




「翔一さんは、現実に戻るつもりなんですか?」


 翔一が寝息を立て始めてから少しして、マリアちゃんが俺にそう聞いてきた。何故本人に聞こうとしないのかはわからないが、俺は「ああ、そうみたいだぜ」と隠さず答える。すると彼女は「どうしてでしょう?」とさらに質問を繰り返して来た。陽平と話しているときに理由は聞いていたから、俺はこの質問にも答えた。……彼女はさらに「普通の生活ってそんなにいいものなのでしょうか」としつこく問いかける。いい加減、俺は疑念を隠しきれなくなっていた。


「なあ。なんで俺に聞くんだ。翔一の話だろ?直接あいつに聞けよ」


「でも、今は寝ていますし、さっきは疲れているみたいだったので」


「こいつが起きてからでもいいじゃねえか。……翔一の考えてることが全部わかるわけじゃねえんだ、俺は」


 俺がそういった途端、背筋に寒気を感じた。とっさに振り返るがそこには壁しかない。ここはいわくつきの部屋だったりするのだろうか。聞いたことはないが、そう言う設定がされていたりするのだとすれば、運営の遊び心も極まっているといえる。マリアちゃんの方に向き直ると、彼女はいつの間にか俺の目の前に立っていた。音もなく近寄られていたことに驚き、肩をびくつかせてしまう。自分より2回りも年下の女の子に驚かされるということは情けない話ではあるが、マリアちゃんのあまりにも無機質な眼を見れば誰だって驚くだろう。……ふいに、昔に観た映画に出てくる殺戮アンドロイドを思い出した。


「努さんは、現実に戻る気はあるのですか?」


 翔一のことを何度も聞かれて怒られたからか、質問のターゲットが俺に向いた。


「……まあ、たぶんそうするかもな。何としても向こうに戻らなきゃっていう理由もないけど」


 これは俺の素直な気持ちだ。戻る気も戻らない気もあるが、決意に欠けている。陽平の前では決まりきったように話したが、翔一の言葉を受けて揺らぎ始めていた。……バスフロの中で生きていても、それは「人生」ではなくただの「電子情報」に過ぎないのではないか。俺が抱いた感情すべてが何者かの手によって「解析」されてしまうのではないだろうか。……マリアちゃんは俺を見つめる。


「現実に戻ってどうするんです?お母さまはまだ寝ているのでしょう?それにお父さまは勝手にどこかに行ってしまいましたし、ご友人も死んでしまった。向こうで生きていく理由はないのでは?」


「……なんでそれを知ってるんだ。あの場には俺と翔一、あとは陽平しかいなかったはずだ」


「……盗み聞きしてごめんなさい。あの時はドア越しに話を聞いていたんです」


「なんだ、そうだったのか。……ん?」


 それじゃあ、翔一の話も聞いていたはずだよな?……そう口にしようとした途端、彼女は妖しく笑う。年端もいかぬ少女にできる表情ではない。余計なことを口走れば俺の身が危ない。本能で感じた。


「どうかしましたか?」


「い、いや……何でもない。……悪いが、俺も少し寝させてもらってもいいかな。走り回ってちょっと疲れてるんだ」


「……わかりました。私はソファの方で休んでいます」


 彼女がソファに飛び乗るように座ったことを見届けた俺は、彼女に背を向けるようにベッドに寝ころんだ。……翔一が起きてくるまでの間、一睡もできなかった。




 情報収集ができなくなった役立たずの鉄の板をソファに放り投げ、俺は一足早く風呂に入ることにした。普段通りならまだ学校にいるはずだが、まさかゲーム1つでこの世の「普通」すべてが破壊されるなどとは考えたこともなかった。湯船につかり、天井を見上げる。頭の中にはぼんやりとした感情が沸き上がっていた。それが不安なのか、それとも絶望にまで至っているのかはわからない。ただ、漠然とした負の感情。それが頭の中に沸き上がり、霞のように広がっていく。何が原因なのだろう。清水先生が目の前で死んだからだろうか、それとも生徒の死体をいくつも運んだからだろうか。……もしかすると、もっと前からだったりするのだろうか。ただ仕事の忙しさとバスフロにかまけて、それらから目をそらし続けていただけなのではないか。


「……俺は本当に何もできないのか」


 鏡に映った自分の顔を見る。人の死を目の当たりにしたあの日のような青ざめた顔はしていないが、教鞭をとるものとしてはあるまじき無気力さだ。こんな表情の人間に未来を語られたところで、誰の心にも響くことはない。


「アレ、やってみるか」


 風呂から上がった俺は寝室に置いていたイマジニアに手を伸ばした。何億という人間の命が、このヘルメット1つにかかっていると思うと馬鹿らしかった。イマジンメイカーが設立されるよりも前にタイムスリップして、「未来の世界はこれのせいで破滅の危機を迎える」なんて言ったところで誰も信じたりはしないだろう。


 俺は1度イマジニアをベッドに置き、キッチンに移った。テレビで雑音を流しながら、手を動かす。普段は手の込んだ料理どころか、簡単な料理すらあまりしない。帰りがけにスーパーで出来合いの総菜を買う方が楽で安上がりなのだ。


 結局作り上げたのは大量の唐揚げだった。最近食べていなかったなと1度考えてしまえば、食べたくなってしまうのは仕方のないことだろう。どうせ1人暮らしだ、配慮すべき同居人は存在しない。腹が膨れて破けてしまうぐらいの量を揚げ終え、皿に盛りつけてテーブルに置く。あとは冷蔵庫に大量に入っている酒を取り出せば準備完了。……最後の晩餐の始まりだ。


 まるで世界はいつも通りとでも言いたいように、昼のバラエティ番組はネタ切れをごまかすため、ご当地スーパーの紹介VTRを流している。ワイプに切り抜かれた芸人は興味がなさそうだが、無理やりに口角を釣り上げてそれをごまかしている。つまらないコメントでスタジオにいる人が笑う。今までは芸能人を楽な仕事だと思っていたが、常に演じ続けないといけないと考えると存外大変な仕事かもしれない。


 それから一時間半後、皿に盛りつけた唐揚げをすべて食べ終え、空き缶を7個ほど作った。これだけ酒を飲んだのは初めてかもしれない。あまり酒に強くないのに無理に呑んだせいか、頭がふらついている。思考にもぶれが生じ、まっすぐ立つことすら難しい。……それでも、これから俺がやろうとしていることには絶対に必要だった。おぼつかない足で何とか寝室に戻り、イマジニアを手に取りながらベッドに倒れこむ。そしてもぞもぞとうごめき、何とか頭を枕の上に持っていくことができた。大きくため息をついて天井を見上げる。寝転がっているはずなのに、頭が振り回されているようだ。今まで控えめに飲んでいたせいで知らなかったが、「酔う」とはこういうことを言うのだろうか。


 死ぬ前に知るにはくだらなくて、かえってちょうどいい。……そう言えば、学校に連絡をしていなかった。そう思った瞬間、枕元に置いていたスマホが鳴る。どうやら業務連絡だ。「明日以降も休校とします。学校の再開時期は未定です」とだけ書かれていた。連絡する手間が省けてありがたい。……もう、俺を引き留めるものはない。イマジニアをかぶり、電源ボタンを押し込んだ。




「……今、何時かしら」


 仮眠から目覚めたリリアム・バートンは近くに置いていたスマホに手を伸ばした。どうやら休憩を取り始めてから1時間程度経っていたようだ。彼女はすぐに起き上がり、テーブルの上に置いていた水入りのペットボトルに手を伸ばす。部下が来ていないということは、クラール中将は今の所まともに協力してくれているということだろうか。部屋を出て、先ほどまでいた部屋に戻る。ドアを開けると部下たちと一緒にクラール中将がリリアムへと目を向けた。


「おや、休憩はもう結構なので?」


「……ええ。そこまで悠長にしていられるほど、安心できる状況ではありませんから」


 リリアムはそう言いながらクラールを睨みつける。「あなたのことが信用できないから」と目で訴えているのだ。彼はそれを理解しているのかは定かではないが、「確かにそのようですね」と言いながら彼女の席から立ち上がる。


「我々も独自の方法を用いてアイリムに接触できないか試みていたのですが、会話をすることすら不可能ですね。いや、参りましたね」


「……その方法、私は許可していないものでは……」


「あなたの部下の監視付きです。余計なことはできませんよ。……それにしても、堅牢な守りですね。圧倒的な拒絶を感じますよ。……AIに感情が生まれてしまっているのでは?」


「……シンギュラリティが起きている。あなたはそう言いたいわけですか」


 シンギュラリティ。AIが自己進化を繰り返し、人間を越えてしまうことである。AIは演算機能において既に人間を超越しているが、感情を理解できないというただ一点のみで人間より劣っていると判断されていることから、「AIが感情を理解すること」もシンギュラリティが起きていると定義されることもある。


「ええ。あれほどの拒絶、まさに怒り。……いや、悲しみと評するほうが正しいでしょうか。……一体何をしようとしていたのですか?」


「……契約の内容を忘れましたか。『運営方針の口出しはしない』という約束です。あなた方に話すことは何もありません」


「そうですか。……まあ、構いませんよ。……失礼、上司に少々報告を」


 クラール中将はリリアムを押しのけるように歩き、部屋の外へ出て行った。彼女はあの男の存在に相当苛ついているようだったが、立場は向こうの方が上。あまり機嫌を害するわけにはいかなかった。一方、部屋の外では。


「はい、アイリムの確保は厳しいかと。……いえ、リリアムの監視はどうとでもなります。問題はアイリムの方で。我々が用意した『鍵』ではどうにも。内側から崩すしかないと思いますが。……はい、了解いたしました。それでは失礼いたします」


 クラールは電話を切りポケットにしまうと、自販機で買った缶コーヒーを開けながら呟いた。


「……さて、うまくいくのでしょうかね」




 喉の渇きを覚えて目が覚めた。小さく唸りながら起き上がると、目の前にマリアちゃんが立っている。


「起きましたか?お水でもいかがです?」


「……うん、ありがとう」


 まるで僕の心を読んでいるかのように、彼女は水が入った瓶を差し出して来た。瓶からグラスに水をつぎ、一気に飲み干す。じんわりと火照っていた体に、津冷たい水がよくしみる。ふと気づくと努も寝ているようだった。起こしては悪いかと思い、彼女が座っていたソファの対面のソファに腰を下ろした。


「努が起きたら移動しようか」


「はい。……努さんから聞いたのですが、翔一さんは現実に戻るつもりなんですよね。それはどうしてですか?」


「まあ、そこまで深い理由でもないよ。ただ、この中で生きるのは『普通』じゃないかなって。それだけ」


「普通?それがそんなに大事なんですか?」


 普通という言葉に何か思う所があるのだろうか。マリアちゃんはその言葉に神経質になっているようだ。なるべく刺激しないよう言葉を選ぶ必要がある。


「人それぞれだと思うよ、僕は大事だと思うけど。……もしかして、前に何か嫌なこと言われたりしたの?」


 僕がそう聞くと、彼女は少し悩んだのち小さくうなずいた。


「……『今のままじゃ普通過ぎる』って言われたんです。だから、私はもっと勉強しなきゃいけないんです」


 少女らしい物言いで、彼女は悩みを打ち明けた。彼女の年齢を考えると、小学校での話だろうか。教師にテストの点数をそう評価されてしまったのか。あまりそのようなことを言う教師がいるとはあまり考えられないが、目の前にいる少女はそれを重く受け止めてしまっているようだ。……学校生活の先輩として、励ます義務が僕にはあるだろう。


「普通でも別に構いやしないよ。落ちこぼれるよりは断然マシさ」


「……でも、私『及第点ぎりぎり』って言われて……」


 小さな子にそんなことを正面切っていう教師がいるのか。マリアちゃんがどこの国の生まれかは聞いていないが、随分と教育に力を入れている国らしい。


「大丈夫だよ。僕も似たようなものなんだ。僕も中学生まではいつも平均点ぎりぎりだったんだ。でも、そこで諦めたりしないで、小さなことでもいいから自分にできることをやるんだ。……いつの間にか、それは大きなことになる。そのころには『普通』って言葉も嫌いじゃなくなると思うよ」


「……そうですか。……それで、翔一さんはどうして普通にこだわるんですか?そのうち、こちらの世界で生きることが普通になるのかもしれないんですよ?」


「でも、今はまだ現実で生きるのが普通だしね。まあ、いつかそうなったとしても、こっちで生きるとは言わないかな」


「どうしてですか?」


 なぜ彼女はここまで僕の今後にそれほど興味を示すのだろうか。友人だとしても、それほど何かを言われるほどの間からではないと思っていたが。……マリアちゃんは学校などで友人を作れてはいないのだろうか。母親はあのリリアム・バートンだと聞いた。忙しい母親の仕事に理解を示し我慢をするだけでなく、自らバスフロにログインしてテスターとして仕事を手伝ってもいる。


 ただの予想だが、簡単に想像されるような少女の生活を送っているわけではないのだろう。だからこそ、こうして僕や努などの「友人」に強く依存してしまっているのではないだろうか。……仮にそうだったとしても、僕がわざわざ他人の過程に首を突っ込むわけにも行かないだろう。今まで通り友人として接するほかない。


「こっちで生きてもあんまり楽しくなさそうだしね。……いつか行ったよね、プラモデルが趣味だって。あれは目の前に本物があってこそ意味を成すものだと思っているんだ。くみ上げる最中の手触り、夢中になったせいで自然と悪くなる姿勢、出来上がったときの達成感。それらは現実でしか味わえない。……ここで似たことをやっても、それはただの電子情報に過ぎない。……はっきり言えば、偽物だ」


「……こんなに出来上がった世界なのに?それでも偽物って言うんですか?」


「マリアちゃんのお母さんには申し訳ないけど、この世界はただのゲームなんだ。……現実とは違う、偽物だ」


「そんな……」


 彼女はひどくショックを受けている。けれど、僕には取り繕うといった選択肢はなかった。彼女が持つ目、透き通った水色の目が心を見透かしてくる気がしたのだ。あの目の前では嘘をついたところですぐに暴かれる。それならば、最初からはっきり言った方がいい。マリアちゃんは泣きそうになっていたが、何とか涙をこらえたようだ。両手を膝の上に置き、ぎゅっと握りしめている。


「……わかりました。そんなに言うなら、私は……」


 どうやら理解してくれたようだ。……彼女は自分を6歳だと言っていたが、その割には随分と物分かりがいい。自分が小学生の時は、理解したくないことに対しては駄々をこねていた記憶があるが、テスターとして母親の仕事に付き合っている影響だろうか、仕草や言葉遣いがとても子供とは思えなかった。


「ふわあ、よく寝た。……あれ、翔一起きてたのか」


 目をこすりながら努が起き上がる。彼は呑気な様子でこちらに振り向いた。まだ寝足りないのか何度もあくびを噛み殺しているが、水を一口飲んですっきり目覚めたようだ。


「二人とも、休憩はもう十分だよな。そろそろ移動しようぜ」


 彼はベッド脇に置いていた荷物を持ちあげながら言う。時計に視線を送ると、この宿に到着してから2時間以上も経っていた。さっさと移動しなければ正義会の連中に見つかってしまうかもしれない。僕も荷物を背負い、部屋のドアを開けた。すると下の階から上がってきた人物と目が合う。右襟につけているバッジは正義会のもの、つまり彼は敵だ。努に視線をおくり、マリアちゃんと一緒に部屋で待ってもらう。彼は僕に何か用があるのか、こちらにずんずん近づいてきて「おい」と呼びかけて来た。


「お前、NPCじゃねえな。なら、今この街で何が起きてるかも知ってるだろ?……協力してもらうぜ、嫌とは言わせねえ」


 初対面だというのに、高圧的な態度で詰め寄ってくる男。その声からはどこか疲れのようなものを感じた。いらだっているのか、貧乏ゆすりが非常に激しいうえに、ため息も多い。マリアちゃんを探すために方々歩き回っているのだろう、その勤勉さは称賛に値するが、だからと言って彼女をはいどうぞと渡す気はない。ポケットからバッジを取り出し、見せつける。


「話は知ってます。社長の娘のことでしょう。今僕も探している途中です」


「……宿の部屋の中を?ずいぶんとマメだな」


「いえ、疲れたので少し休憩しようかと。そう言うあなたも同じ理由では?」


 僕は彼の左手に握られていた宿の鍵を見逃さなかった。鍵につけられたタグには、僕たちの隣の部屋の番号が書かれている。


「……誰にも言うんじゃねえ」


「もちろんです。その代わり、僕がこの宿にいたことも言わないでいただければ」


「ああ、わかったよ。……ったく、上の連中は馬鹿しかいねえのか。ガキ一人街の中から探し出せって無理に決まってるだろ。そんなに見つけたけりゃ自分で探せアホ共が。せっかく無能が嫌だから現実を捨てたのに、なんでこっちにも無能が大勢いるんだよ。……いつもそうだ、俺の人生はいつもそう。周りの無能に足を引っ張られてばかり。俺が何をしたって言うんだよ。前世の話なんか知ったこっちゃねえってのに。神ってのはいねえんだな。いたら俺がこんなひどい目に合ってるわけないしな、もしいたとしてもしょうもない神だぜクソッタレが。……はあ、やってらんねえ」


 彼はさんざんな独り言を放ちながら隣の部屋に消えて行った。僕は少しドアを開け、努たちに手招きをする。


「今の内だ、さっさと移動しよう」


「ああ、わかった。……さ、行こうか」


 努がマリアちゃんの手を引いている。僕が先頭に立ち、周囲の様子を窺いながら裏路地を渡り歩いた。まれに背後から聞こえるドタバタと駆け回るような音に何度肝を冷やしたことだろうか。それでもあきらめず歩みを進め、ようやく目的地である魔王討伐隊の拠点にたどり着いた。見張りなどはおらず、古ぼけた木の門が僕たちを出迎える。一度押してみるが、当然開くことはない。僕は意を決して門を叩いた。すると内側から何かが外れるような音が聞こえ、左目に眼帯をつけた男が顔を出した。


「……お前たちは?……いや、後ろにいるのはあの娘か!?……ひとまず中に入れ。話はそれから聞くとしよう」


 怪訝な表情を見せていた彼はマリアちゃんを一目見ると態度を一変させ、すぐに中に入るよう促して来た。僕たちは彼に従いながら拠点の中を歩く。どこかの貴族の家をそのまま拠点として使っているのか、古くなっている割に装飾は目を見張るものがある。そのまま奥の部屋まで案内されると、「中に入れ」と大きな扉の前でそう言われる。おそるおそる中に入ると、そこにいたのは一人の女性だった。彼女はマリアちゃんが無事であることを知ると、僕たちに向けて「ありがとう」と言った。




「社長!マリアちゃんが見つかりましたよ!」


 部下は嬉しそうに声をあげた。彼女がアイリムから逃げ出して以降その行方はつかめていなかったのだが、今、ようやくつかむことができた。


「どこにいるの?」


「……ロキードです!詳細な位置はまだですが、7分前の痕跡を確認できました。おそらくまだロキードからは出ていないかと」


「近くにリペアラーは?」


 リペアラーとは言葉の通り修理者のことで、イマジンメイカーによってゲーム内に送り込まれた者達のことである。対応する問題の種類によって業務内容が変化するため、彼らの事態への認識には差異があり、中にはバスフロが現在史上最大の危機的状況に陥っていることを知らない者もいる。それでも、「社長の娘を保護しろ」と言えばその職務は忠実に果たしてくれるはずだろう。しかし。


「いえ、一人もいません。ほとんどが信号途絶状態となっていまして、一番近い場所いるのは北東端のアシマです。これから移動することを考えると明日までに接触できるかどうか……」


「……それでは、マリアの保護は?」


「……難しいかと」


 リリアムは頭を垂れた。今が無事に娘を助けるチャンスかもしれないというのに、自分では何もできず取れる手段は尽く潰されている。眉間にしわを寄せていた彼女は頭をあげると、苛立ちながら部下を問い詰めた。


「リペアラーは150名ほどいたはずです。何故ほとんどが信号途絶状態になっているのですか?」


「理由は不明ですが、アイリムにより通信が妨害されているのかと思われます。実際彼女はバスフロの中央、魔王城に居座り続けているようですし、そこから妨害を続けていると考えられます」


「その妨害を突破する方法は?」


 答えの分かりきった質問を投げかけることは、普段から辣腕を振るう聡明な彼女には非常に珍しい行為だった。それほどまでに現状に焦りを覚えているということだろうか。部下は聞かれたままに答えることしかできない。


「……アイリムを無力化することです」


 リリアムは苛立ちを隠そうともせず、行き詰まったときの癖になっていた行為、指で机をたたくことを始めた。それは机をたたく速さ、音の大きさでリリアムがどれほど追い詰められているかを端的に表してくれている。……部屋の隅にいても聞こえるほどの音で、降りしきる雨のように連続していれば彼女がどれほど追い詰められているか、想像に難くない。……ずっとそれを聞いていることはさすがに憚られるのか、クラール中将が助け舟を出した。


「リリアム女史のご息女はこちらで保護するというのはどうでしょう?」


「……え?」


「驚く必要はありません。もとより私どもとしても、この事態を解決したいと思っているのですから。出資者としては当然です」


「しかし、どうやって……」


「……中にいるのですよ。私の部下たちが。彼らに保護させます。もちろん、女児に手荒な真似をしないよう教育はしてあります。……いかがでしょう?」


 リリアムは岐路に立たされた。クラールの提案、これは願ってもないことだが、娘が彼らの手に渡るということは彼女が一番避けたいことだった。見返りに何を要求されるか、すでに分かりきっている。であれば、わざわざ保護してもらう意味などないが、娘がより悪しき者の手に渡ればより問題だろう。……それならば、まだ目の前にいる悪の方が、制御も効くだろうか。……リリアムは力なく首を縦に振った。


「……お願いします。娘を、助けていただけませんか?」


「よろしい。では早速部下たちに連絡します。……ああ、リリアム女史のご息女、マリアを保護しろ。年齢は……」


 クラールは連絡をしながら部屋を出て行った。あまり騒がしくしてはいけないという配慮なのだろうかと部屋に残った彼らは考えていたようだが、クラールに他者を思いやる気持ちなど微塵も存在しない。


「……では、頼んだぞ。『正義会』どもよ」




 俺は久しぶりにバスフロに降り立った。最後にログインしたのはいつだったか。なんだかやる気が起きなくて一週間以上放っていた気がする。……久しぶりのバスフロは信じられないほどすさんでいた。ログアウトできないだけなら、皆はそこまで困ったりしないのだろうかと勝手に決めつけていたが、それは全くの的外れだったようだ。適当に道具屋を覗いてみると、カウンター奥の壁には大きく「ここから出してくれ」と赤黒い色で書かれていた。その壁には店員がいたるところから出血した状態で寄りかかっている。床に投げ出された手の近くには果物ナイフが落ちていたことから、俺は彼の最期を悟った。手を合わせ、店を後にする。……前方から誰かが走ってきている。彼は俺の姿を見つけると、「おい、そこのあんた」と言って呼び止めて来た。


「こんぐらいの小さい女の子見なかったか?」


 息を切らした男は、自らの腰よりも低い位置に手をやり、探している女の子の身長を示す。だがここに来たばかりの俺には、彼に渡せるだけの情報がない。黙って首を振り、質問を返した。


「その女の子がどうしたんだ?」


「詳しくは俺も聞かされてねえが、その女の子さえいればバスフロを思い通りにできるんだとさ。上の連中がこぞって欲しがってな、俺たち下っ端がこうして……」


 女の子。その子がどんな子であるかは知らないが、バスフロを好きにできるなんてあり得る話なのだろうか。そんな都合のいい話、あるわけがない。きっと彼は騙されているのだろう。


「ただの女の子がそんな力を持ってるわけないだろう。しょうもないデマだ。いくらゲームだからってそんな都合のいい話あるわけが……」


「あるんだよ!その子はな、なんと社長の娘なんだ。その上、いろんなチートコードを隠し持ってるって噂だぜ。それがマジなら、バスフロは征服したといっても過言じゃねえだろうな。……話し過ぎたな。じゃ、俺はもう行くぜ。気をつけろよ、ここはもう今まで通りの『みんな楽しいバスフロ』じゃねえからな」


 いろいろ教えてくれた彼はそう言って街の外へと駆けて行った。……それにしても、社長の娘か。あれだけ躍起になって探しているのなら、あの話にも信憑性が出てくるというものだ。


「……探してみるか」


 俺は街の中心部に向かって歩き出した。俺は何かを成し得るためにここに来たのだ。わずかでも可能性があるのなら、それに賭けてみるのもいいだろう。




「ありがとう」


「……どういたしまして」


 僕たちの前に立つ女性は僕たちに向かってそう言った。肩ほどに伸びた金髪に、銀色の鎧。「イリス」という名前のNPCだが、その言葉選びはどうにもそうとは思えない。怪訝な表情を向けていると、彼女はそれに気づいたのか弁明を始めた。


「……私は怪しいものではありません。イマジンメイカーの社長を務めている、リリアム・バートンです。今は会社からの遠隔操作で会話をしているのです」


「……お母さん?」


 マリアちゃんが顔をあげる。声も顔も母の物とは違うだろうが、彼女だけに感じ取れる何かがあるのだろう。イリスはその場にしゃがみ込むと「そうよ」と言葉を続ける。


「ごめんね、マリア。すぐに助けてあげられなくて。……でも、無事でよかった」


 彼女はそう言ってマリアちゃんを抱きしめた。彼女はそのまま大きな声をあげて泣き出す。今までずっと一人だったのだ、泣いてしまうのも当然のことだろう。……少しして、彼女が落ち着いた頃を見計らいリリアムは話を切り出した。


「ここはぎりぎりアイリムの妨害範囲外のようで、何とか本社のパソコンからアクセスしています。……あなたたちには申し訳ないのですが、私たちにできることは何もありません。ですから、あなたたちにどうにかこの事態を……」


「ええ、わかってます。そのためにここに来ましたから」


「……ありがとうございます。せめて、これを……」


 リリアムは僕の手を取ると、手のひらに何かを置いた。古ぼけた大きい鍵だ。


「それは、魔王城の鍵。中に入るためにはそれが必要です」


「ありがとうございます」


 僕たちの礼を受け取ったリリアムは嬉しそうにほほ笑むと、自らの足元にいたマリアに視線を向けた。


「……あなたはどうする?」


「私も一緒に行く」


「何が起きるかわからないんだよ。ここにいた方が安全だ」


「ああ、翔一の言うとおりだ。お母さんもいるんだし、ここにいた方がいいって」


 アイリムがいるという魔王城。僕と努はそこへと乗り込むつもりだったが、マリアちゃんも共にそこに行きたいと言い出した。「正義会」などという正体がよくわからない組織もいる。彼女にはこの安全な場所にいてもらいたいのだが……。


「でも、私が行かないと……」


 マリアちゃんは使命感のようなものを抱いている。母親であるリリアムもそれが何かをうっすらと理解しているのか、その使命が何かを問い詰めることはなかった。僕たちとしても、それがただの少女のわがままではないことは何となくわかっていた。


「……わかった。一緒に行こうか」


「……しょうがねえか」


 彼女の提案を飲むことにした。マリアちゃんは笑顔を見せる。……一体何がそこまでマリアちゃんを駆り立てるのか、いつか聞くことができるだろうか。


「お二人とも、ありがとうございます。……申し訳ありません、私にはどうすることもできないのです。現在進行中で管理者権限アクセスを試しているのですがどうにも。……この世界において、アイリムは全能の存在と言っても差し支えありません。魔王などという器では足りない。……神。そう表現するのが正しいでしょうか」


 リリアムは暗い声でそう言った。彼女も現実で奮闘を続けているのだろう。その疲れが声に表れているようだった。


「忠告ありがとうございます。……それでは」


「行こうか、マリアちゃん」


「お母さん、行ってきます」


 リリアムに挨拶をし、部屋を後にする。扉の隙間から見えた彼女は、顔を覆っていた。まるで涙を見せないようにしているようだった。




「……今はこうすることしかできないとは。……アイリム、一体何を……」


 マリアを助けた青年たちとの別れを済ませ、リリアムはパソコンの画面から目を離した。隣では部下がまだアイリムの妨害をどうにか無力化しようと奮闘している。


「彼らを信じても良いのでしょうか。マリアちゃんを利用するつもりかも知れませんよ?」


「……そうだとしても、今の私たちにできることはありません。……『正義会』などという謎の組織に反抗しているという事実だけでも、彼らを信用するに足るでしょう」


「おや、随分と冷たい物言いだ。彼らはあなたが作ったものに心酔しているだけだというのに」


 リリアムの背後からクラール中将が声をかける。つい先ほどまで誰かと連絡を取っていたようで席を外していたのだ。一体いつの間に戻ってきていたのだろうか。


「クラール中将……」


「彼らが望んでいるのは『安寧』です。差別もなければ戦争もない、無能な政治家もいなければ金に魂を売り渡した資本家もいない。皆、自らの心の赴くまま、平穏を過ごしているのです。あなたに、『他人の幸せを破壊する権利』はあるのでしょうか。……アイリムは、すでに答えを出しているようですがね」


 難攻不落なブロック。一方的な拒絶。……アイリムは「他人の幸せを破壊する権利」など誰も持ち合わせてないと言いたいのだろう。しかし。


「……だからと言って、こんな状況をこのままにしていいわけが……」


「確かに、世界中で何人も死人が出ていますね。それは由々しき事態ではある。だが、だから何だというのでしょう。……あなたが作った世界はあまりにも優れていた。そのおかげと言っては嫌味に聞こえるかもしれませんが、世界各国は社会機能のほとんどを失いました。ほぼすべての人間がバスフロに現を抜かしたおかげです。だからこそ、私の母国であるアバタニアスの存在が世界で黙認されている」


 新生国家アバタニアスの樹立は今よりおよそ2年ほど前。バスフロが覇権を握ってから1年が経った頃の出来事だった。確かに世界中で連日報道はされた。この近代においての新生国家。その上軍事国でもあるということは、いつ戦争が起きても不思議ではないことを意味していた。しかし、それは些事に過ぎなかった。


 戦争が始まるかもしれないという恐怖感はバスフロをプレイすれば忘れられた。そしてそのうち、そんな国が出来ていたことすら忘れる。メディアですらもはや虫の息だ。いつまでも同じ内容を報道していられるほど暇ではなくなってしまったのだ。アバタニアスという国が存在しているのを覚えているのは、イマジンメイカーの社員と、国連に在籍している者達の中でも数名と言ったところだろうか。


「バスフロによって失われた人手は、その社会にとって死んだも同然。わかりやすく言えば……『チーム1の役立たずがいなくなった』と言ったところでしょうか。悲しむ者などいませんし、むしろ諸手をあげて喜ぶ者達ばかりでしょう。そんな人間がいなくなっただけです。あなたが頭を下げる必要はありません」


「……遺された家族はどうなるのです。彼らは『役立たず』ではないでしょう」


「では仮に。この事態を収束する目途が立ったとして。……あなたはどう説明するつもりなのですか?」


「当然、事実をそのままに」


「具体的には?」


 目の前にいる男はいきなり何を言い出すのだろう。リリアムはそう思っていた。彼が言うことはこの事態を収束するのに必要とは思えない。無駄な時間を取られたくはないのだが、無視できるほど雑に扱っていい相手ではなかった。彼女は少し悩んだ素振りを見せたのち、よどみなく言葉を発する。


「この度はわが社のAI、アイリムの暴走により皆様に多大なご迷惑とご心配をおかけして申し訳……」


「AIのせいにするつもりですか」


 クラールはリリアムの言葉を遮っていった。そして、まるで会見の場にいる面倒なマスメディアのようにふるまい始めた。


「『私は悪くない、AIが勝手にやったことだ』。そう言うことでしょうか」


「……何を言うかと思えば。この場にいるのだからあなたもアイリムの暴走は知っているでしょう。そもそも、あなた方はそれを嗅ぎつけてここまで来たのではないですか?」


「私はそうですが……。会見の場にいるマスメディアたちはどうでしょう。『責任を取りたくないからAIに責任を押し付けようとしている』。そう取られても不思議ではない。AIが勝手に暴走した証拠など、用意できるのですか?……まあ、用意したところで捏造を疑われるでしょうがね」


「……先ほどからまるで話が見えません。クラール中将、あなたは一体何が言いたいのですか?」


「では、はっきりと。……あなたはこの事態に対して、責任を取ることはできない。会社を畳もうが、すでに起きた災事がなかったことになるわけではない。あなた一人が命を使って償おうとしたところで、焼け石に一滴の雫を垂らすことと同じだ」


「どこかで聞いた慣用句です」とクラールは話を締めくくった。……リリアムは何も言わなかった。いや、言えなかった。反論しなければ彼の言葉が正しいと認めたことになってしまう。つまり、この事態を解決する意味はないということになる。だが、どう反論すればいいかわからなかった。すべて彼の言う通りになるだろう。いくら説明を続けたところで、彼らは噛みつき続ける。おそらく永遠に追及は終わらないだろう。犯した罪を考えれば当然とは言えるが、メディアごときに噛み付かれる筋合いはない。……リリアムが黙りこくっていると、クラールが助け舟を出した。


「どうです、取引をしませんか」


「……え?」


「今すぐアイリムの権限を私どもに移譲してください。……そうしていただければ、この事態はすべてアバタニアスが引き起こしたものとして差し上げましょう。……いかがですか?」




 俺はリースの街を歩き続けていた。あの話……。「すべてを変え得る少女」の話を信じているのか、それとも信じていないのか。思考が迷えば歩みも迷う。ただ目的もなく、歩き続けていた。足の疲れを感じ、歩みを止める。周りに人の気配はない。……廃墟となった食事処を見つけた。休憩させてもらおうか。


「……これからどうするかな……」


 つい先ほどは、怪しい男から聞いた話を馬鹿正直に信じて、少女を探そうと決めていた。だが、どうだろうか。いざ探そうと一歩歩みを進めるごとに、自分の決意が揺らいでいた。「本当にそんな少女がいるのだろうか」、「あいつは今頃路地裏の影で俺を嗤っているんじゃないか」、「本当にそんな少女がいたとして、なぜすぐにこの事態を解決しないのか」。


 何かを成すために危険を承知でバスフロに来たというのに、なんだというのだこの体たらくは。一体いつから自分はこれほどまでに優柔不断になっていたのだろう。


「何かないか」


 これ以上考え事をしていたところで、自体が進展するわけでもない。せっかく食事処に来たのだから、気分転換に食事でもしようじゃないか。……つい先ほどに大量に唐揚げを食べたというのに、やはり混乱しているのだろうか。……どこか冷めたような考えの自分が、心の中で自分を嗤っていた。


「おい!そこで何してる!」


「ん?」


 席から立ち上がったところで、背後から声をかけられた。声の方を振り向くと二人の男女が。どちらもまるで俺が犯罪者化のような視線を向けてくる。


「お前、見ない顔だな。いつバスフロに『昇ってきた』?」


「……『昇ってきた』ってなんだ」


「現実は下界。ここは天国。だから、『昇ってきた』ってことだ。知らねえってことは、つい最近昇ってきたのか」


「ああ、つい2、3時間前に。……で、俺に何の用だ?」


「……こっち来い。抵抗すんなら力尽くだ」


 そう言う彼の腰には剣があった。隣に立つ女性は槍を握りしめている。……どうやら拒否権はないようだ。少女を探すつもりだったが、今はとにかく情報がいる。従っておくとしよう。


「……わかった」


「賢い選択だ。……こっちだ」


 女が俺の後ろに立つ。少しでも不審な素振りを見せれば容赦はない、ということだろう。二人の監視の中、俺は街の中を歩いた。




 謎の二人組に連れて行かれた場所は、リース集会所だった。もっとも今では廃墟となり果てており、元の役割を果たせるようには見えなかったが。背中を押されるまま中に入ると、思っていたよりも大勢の人がいる。何の目的で集まっているのかは知らないが、どこか仲間意識めいたものを感じる。……まるで知らないパーティー会場に紛れ込んでしまった時のような疎外感が、確かに感じられた。


「こっちだ。中で待ってろ」


 彼が示したのは受付カウンター奥の扉だった。もともとは受付嬢たちの休憩室として使われていたのだが、今では彼らが勝手に使っているらしい。言われた通りに中に入ると、小さな部屋の中央にソファが二つと、その間にテーブルが置かれていた。この部屋は暴徒の手にかからなかったようで、目立った破壊の跡は見受けられない。ソファに腰を下ろし、言われた通りに待つ。


 部屋の外では何かあったのか、いきなりがやがやと騒がしくなる。だが話の内容は聞き取れなかった。気にはなるが、勝手に出歩くのは良くないだろう。立ち上がりたい気持ちをぐっとこらえていると、扉が開く音がした。


「……あんた、名前は?」


「敦だ。あんたは?」


「マイクと呼んでくれ。……話は聞いてる。ついさっき昇ってきたんだってな」


「ああ。そうしたらいきなりここに連れてこられたんだが。あいつらは何なんだ?」


「説明しなかったのか、あいつら。……俺たちは、『正義会』。バスフロの秩序を保つために集まった」


 随分と大層な名前だ。自ら正義を名乗る者ほど信用できない者はいない。


「そうか。で、具体的には何をしているんだ?」


「……会員じゃない奴には話せない。どうだ、会員になるか?」


 会員になりたいとは全く思えない。だが、情報網として考えるとどうだろうか。


「その前に。会員はどれぐらいいるんだ?」


「さあな。そこら中にいるからもうわからねえよ」


 彼の胸元には目立つ意匠のバッジがついている。……先ほどの二人にもついていたし、おそらくだが集会所に集まっている者達もつけているのだろう。バスフロ中に彼らの仲間がいるのなら、情報網として不足はない。


「そう言えば、ある少女を探しているらしいな」


「ああ。……誰かがしゃべったか」


「もう見つかったのか?」


「いや、まだだ。ロキードにいるらしいとは聞いているが……」


「……わかった。俺も会員になろう。人を捜すなら人手が必要だろう?」


「話の分かる奴だ。この世の人間が全部お前みたいに賢けりゃ、俺だって現実を捨てようとは思わなかったんだがな。……これを持っていけ。『正義会』の証だ」


 マイクはポケットからバッジを取り出した。俺はそれを受け取ってすぐに胸元につけた。彼は「それでいい」とでも言わんばかりに頷いた。


「よし……。それじゃ、新入りには早速仕事をしてもらおうか。……あんたがさっき言ってた少女。名前はマリア。そいつを探し出してもらう」


「それは別に構わないが、手掛かりはないのか。ロキードにいるとは聞いたが、それだけじゃ情報が足りん」


 イマジンメイカーの努力の結晶であるだけあり、バスフロは広大な世界である。ここから隣街まで、徒歩なら丸一日かかってしまうだろう。移動速度増加のチートでもない限り、でたらめに探し回るというのは不可能だ。だが。


「悪いが手掛かりはない。そもそもマリアってガキがロキードにいるってのも何時間も前の情報だ。まだお子にいるかどうかすら分からん」


「じゃあどうやって探せって言うんだ。世界中歩いて探し回れとでも?」


「……ちょっと待ってくれ」


 マイクはいきなりソファから立ち上がり、部屋から出て行ってしまった。彼の背後から覗けたメニュー画面にはメッセージの通知が表示されていた。それから5分後、マイクが戻ってきた。すぐにソファに座り直し、俺をじっと見つめる。


「……とりあえず、あんたはロキードに行ってくれ」


「目撃情報でもあったのか」


「まあ、そんなところだ。こっちで馬車を用意しておく。リース西門に向かってくれ」


「……了解した」


 俺は立ち上がり、部屋の扉へと向かう。マイクは俺が聞いていないとでも思ったのか、小さな声で「ご命令の通りに」とメッセージをやり取りしている誰かに向けて言っていた。




「でも、俺たちだけか……」


 リリアムと別れた僕たちは、ロキードの裏路地を歩いていた。正義会の妨害のせいか、この事態を解決しようとした者はすでに大半が殺害されているらしい。討伐隊の詰め所にいたのはほとんどがNPCで、はっきり言えば役には立たない。努はそのことを嘆いているようだ。


「きっと大丈夫です。お母さんにもらったコードがありますから」


 弱気になる努をマリアちゃんが励ます。その健気な物言いに彼は気を取り直したようだ。「弱気じゃ駄目だよな」と気合を入れなおしている。


「……正義会はまだ諦めてないみたいだ」


 路地裏から顔を出すと、あのバッジを付けた連中が歩き回っている。僕たちは彼らの目が及ばないうちに、路地裏から路地裏を渡り歩いていた。それを続けてようやく、僕たちはロキードの北門へとたどり着くことができた。


「ここから出たら、どこか休憩できる場所を探そうか」


「それがいいな。これからどうするか考える時間も欲しいし」


「……でも、ここから先に街は……」


 マリアちゃんの言うとおり、ここから先は険しい荒れ道が続くばかりでさらにその先には最後の目的地である魔王城しかなく、身を休められる場所はない。身を休める場所を求めるのなら、北ではなく西に向かってエイデンの街に向かうほかない。


 この期に及んで二の足を踏むのはいかがなものだが、どうしたものか。このまま魔王城まで向かったところで、正義会の妨害に会うのは必至だ。どれほどの人数が相手になるのかわからない今、安直な行動はとりたくない。……正義会のバッジは持っているが、マリアちゃんに感づかれるとまずい。先にロキードで変装用の衣服を調達しておくべきだったか。


「とにかく、今は進もうぜ。いつまでもここにいると気づかれちまう。……確か、道の途中に小屋があっただろ。一旦そこを目指そう」


「……わかった。マリアちゃんもそれでいい?」


「はい、大丈夫です」


 とりあえず努の提案に乗り、ロキードから離れることにした。魔王城へと続く荒れ道は、その名の通り整備されていない道だ。普段人や行商人などはこの道を通らず、魔王討伐隊が修行場として使っている。よく落石事故が起きているらしく、そこかしこが通行止めになっている。先頭を僕が歩き、後ろにマリアちゃん、殿に努がいる。人の気配がないおかげで正義会の心配はしなくて良いが、落石による事故や分断に気を付けなければならず、あまり気は休まらなかった。


「……そう言えばなんだけどさ。正義会の奴らって、なんでマリアちゃんを狙い始めたんだろうな」


「なんでって……。リリアムさんの娘だからじゃないか。彼女からもらったいくつかのチートコードが欲しいんだろう」


「そりゃそうだろうけど。俺が言いたいのは、あいつらはどこでマリアちゃんが社長の娘だっていう情報を手に入れたんだ?」


 僕はそのことを知ったときを思い出した。確か長浜から教えてもらっていたはずだ。ただ、それはかなりイレギュラーではあっただろう。……僕はマリアちゃんに聞いてみることにした。


「ねえマリアちゃん。自分のお母さんが社長だって、誰かに話したことある?」


「いいえ、ありません。お母さんから『秘密にしなさい』と言われていたので」


「お母さんからもらったコードも秘密にしていたよね?」


「はい。……でも、私が持っているのは高速移動と透明化だけですから、あの人達が手に入れたところでうまく使えるかは……」


「……そっか。今まで無事だったのは透明化のおかげだったんだ」


「いえ、そう言う訳でもないんです」


 マリアちゃんはそう言うと、メニュー画面から何かを選択した。すると彼女が足元からどんどんと薄くなっていく。どうやら透明化を見せてくれるようだ。ともったのもつかの間、彼女の身体は半透明と言ったところで止まってしまった。


「……アイリムのせいかは分からないんですが、このコードは不完全みたいなんです。私のこと、普通に見えますよね?」


「うん。……透明化はあんまり意味はなかったのか」


 暗いところならばそれなりに役に立ちそうだが、ランタンなどで照らされればすぐに気づかれてしまうだろう。結局のところ、彼女が無事でいられたのは彼女自身の運と言ったところか。……彼女の身体が元に戻った。


「運がよかったんだね」


「……はい」


 努の言葉にマリアちゃんはうなずく。……だが、あまり反応が良くない。ロキードを出てからもうだいぶ経っただろう。バスフロが優れているせいでしっかり疲労が感じられる。幼い子供であればなおさらだ。一刻も早く休憩したいところだが、見晴らしがいいところでは気づかれる恐れがある。……目の端に何か映った。あれは、屋根だ。


「……二人とも、そろそろ休憩できそうだ」


「やっとか。……急ごうぜ」


 荒れ道の途中にあった小屋は質素なレンガ造りだった。扉には鍵がかかっていないが、中に誰かがいるかもしれない。僕が先頭に立ち、ゆっくりと扉を開けた。窓から差し込んだ日の光が小屋の中を照らしている。しばらく誰も使っていなかったのか、少し埃っぽい。だが、誰もいないのは幸いだった。いちいち警戒しなくて済む。


「……誰も、いないみたいだ。ちょっと埃っぽいけど、ごめんね」


「いえ、翔一さんは悪くありませんから……」


「マリアちゃんは休憩しててくれ。……翔一、俺たちは掃除でもするか?」


「うん……。どれぐらいここにいることになるかわからないし、過ごしやすくすることに越したことはないね」


「あの、それでしたら私も……」


「いや、大丈夫だよ。疲れてるでしょ?休んでていいよ」


「……ありがとうございます」


 マリアちゃんは少々不服そうだったが、僕たちを説得できないとすぐに理解したのか、椅子に腰を下ろしていた。

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