第一章
誤字脱字等、ご容赦ください。
「なあ、今日も『バース・フロンティア』行こうぜ。予定ないだろ?」
「……昨日も行ったじゃないか。そんな毎日行く場所でもないし、そろそろ試験が近いだろ?テスト勉強した方がいいよ」
「翔一は真面目だなあ。でも、今日からバスフロの中でイベントが始まるんだよ。初日ぐらいは参加しておきたくないか?」
「どうせまた一か月ぐらいイベントが続くよ。今すぐに参加しなくても乗り遅れることなんてないさ」
僕の名前は木村翔一。家の近くの高校に通っている普通の高校二年生だ。彼は友人の川内努で、どうしても付き合ってほしいのか、僕の肩を揺さぶって懇願を続けている。どうあっても付き合ってほしいようだが、僕自身はそこまで「バース・フロンティア」、略して「バスフロ」に興味がなかった。バース・フロンティアは外国のとある企業、「イマジンメイカー」が提供しているオンラインゲームである。ヘルメット型のゲームデバイスを頭に装着することでプレイするゲームで、世界人口80億人の内、約7割がこのゲームをプレイしているという、異常な盛り上がりを見せていた。一応僕もプレイはしているが、噂で聞いた言葉が僕を気後れさせ、そのゲームに対してあまり積極的にはなれていなかった。
「何言ってんだ。今回のイベントは今までとは一味違うんだぜ。何と初めてのランキングが導入されんだってよ。高難度ステージをクリアする速さで、世界中のプレイヤーと競えるんだ。一瞬だけでも一位を取れれば、それだけで二か月は自慢できる。なあ、一瞬だけとはいえ世界の頂点に立てるんだぜ。やらない理由が……」
「それなら、僕たちよりも先にプロゲーマーが一位になるはずだよ。僕たちはプロでもなんでもないただの高校生なんだからさ、普通に楽しく遊んでいればいいんじゃない?」
「……翔一、もしかしてまだあの噂を気にしてんのか?『バスフロは軍事組織の人体実験に利用されている』ってやつ。あんなのただの陰謀論だよ。それに、あの噂を流したのはイマジンメイカーにクビにされた従業員だから、私怨でついた嘘だってはっきりわかったじゃん。まだ何か気になるのか?」
昼休みの教室、昼食を終えた僕たちは教室の一角でそんな話をしていた。バスフロの話をしていることを聞きつけたのか、二人の女子がこちらに近づいてくる。
「ねえ、今バスフロの話してなかった?私たちも今その話してたの。先週はいくらぐらい稼いだって……」
僕が気になっていたのはこれだ。バスフロはただのゲームではない。ゲームの内容は普通のMMORPGで、クエストを受けそれをクリアするというのが一般的な流れとなっている。しかし、報酬が普通ではない。ゲーム内通貨、Gにタネがある。ゲームからログアウトすると所持Gをすべて清算し、任意の貨幣に返還されたのち指定の口座に振り込んでくれるというシステムがある。……1Gは日本円で十円の価値があり、変動することがない。例えば、ゲーム内で100Gを入手したとする。それがゲームからログアウトする際に千円となって、自分が指定した口座に振り込まれる。……僕の不安の種はこれだった。普通に考えてプレイヤーに無制限で金を渡す企業など存在しない。確かに世界中でプレイされているゲームでもあるし、非常に高い技術が利用されているゲームデバイスである「イマジニア」は非常に高額だ。最新型は200万円もくだらないし、初期型にいたってはプレミアで1000万円を超える。ゲーム内でも現実世界の通貨を使用する場面は複数あり、会社としての利益は上々なのだろう。しかし。
「私ね、先週だけで20万稼いだの。だからもうバイトなんかやめちゃった。普通に働くなんてばからしいしね」
いくら高い買い物をしようが、その赤字はすぐに取り戻せてしまう。このゲームだけで生活をしている者も増え、日本は異常なほどの人手不足に陥っている。何年か前は外国人を大量に呼び寄せて人手をごまかしていたが、今やそれすら通用しなくなった。誰もわざわざ待遇の悪い日本の企業で働こうとは思わない。バスフロで稼げばいいのだ。……その結果、日本のアルバイト平均時給は一万円を超え、大卒の初任月給が最低でも100万円なければ「企業努力が足りない」と揶揄されるほどになっていた。
「俺も。コンビニバイトなんてしてても客すら来ねえからな。暇すぎて働いてらんねえよ。……今一番稼げる仕事はデリバリーらしいけど、あれは有名大学を卒業しても書類審査すら通らないらしいぜ。とんでもねえ世界になっちまった」
バスフロの存在は就職にすら影響を与えた。どんな大学を卒業したかよりも、イマジニアを持っているかが優先される。持っていれば、「バスフロで稼げるのにわざわざ働きに来てくれた」と判断されほぼその時点で内定が決まる。持っていなければ「イマジニアを買われると、こいつも仕事をやめてしまう。すぐにはやめさせないようにしなければ」と判断され、平均収入の半分以下の生活を余儀なくされる。……バスフロの影響により世界中で物価が破壊されており、昔は六枚切りのパンが一袋100円だったのが、今では500円となっている。そんな中で平均収入の半分以下しか給料をもらえなければ、あまりにも苦しい生活を強いられるのは想像に難くない。生活保護によって支給される金額も増えたものの、このご時世の中では普通どころか最低限の生活すら出来やしないだろう。そんな中ではイマジニアなど買えるわけもない。……バスフロは一定水準以上の貧困問題を解消した。イマジニアさえ手に入れられれば、人としての生活が確約される。できなければ、人権を失うも同義だ。ただのゲーム一つで世界がここまで動くことなど想像できなかったが、誰もできる訳がない。
「……翔一?聞いてるか?今日帰ったら……」
「さっき断っただろ。毎日あんなの何時間もやってると疲れるんだよ。今日ぐらいは休ませてくれ」
「ちょっとだけでいいんだ。ほら、これ見ろ。マリアちゃんもお前のこと呼んでるぜ」
努が端末の画面を見せつける。そこには「今日も翔一さんと遊びたいです。連れてきてくれますか?」というメッセージが彼宛に届いている。自分の端末を確認してみれば「今日も来てくれますよね?」というメッセージがマリアちゃんから送られていた。
「え~?マリアって誰?外国人?もしかして彼女とかだったりすんの?」
まだ近くにいたのか、稼ぎを誇っていた同級生の女子たちが興味を示してくる。特に隠すようなことでもないため、普通に答えることにした。
「バスフロ内で知りあった子だよ。たぶんまだ小学生ぐらいなんじゃないかな。ご両親が仕事で忙しいみたいでね、たまに遊んであげるんだ」
――――――
彼女と知り合ったのは2年前、バスフロを遊び始めてから1週間ほど経った頃だった。ゲーム内の集会所にぽつんと一人だけいる小さな女の子が気になったのだ。他の者は気にする素振りもなく横を通り過ぎていく。その時にはすでにバスフロが世界でもっとも稼ぎやすいゲームであることが知られており、皆掲示板から仕事を引き受けては足早に集会所を出て行く。小さな女の子一人に構っていたところで金が稼げるわけでもない、全員そう考えていたのだろう。……だから僕は、その女の子に声をかけた。
「どうしたの?今一人?」
「……うん」
「お友達は一緒じゃないの?」
このゲームは一人でもプレイできるが、およそ5歳か6歳程度の女児が一人でいる訳がない。そう考えたうえでの質問だった。
「……いない」
「いない?……じゃあ、お母さんとかは?」
そもそもこのゲームには年齢制限が存在する。最低でも15歳以上が必要だ。それより低い年齢なら親などの同伴者が必要になる。
「忙しいから、ここにはいないの。……ねえ、遊んで」
事情を聞けば、どうやら彼女の親はイマジンメイカーに勤め、バスフロの開発と提供に携わっている技術者とのことだ。この子はデータ収集のためにイマジニアを手渡され、毎日バスフロにログインしているのだという。……可哀想に思った僕は、彼女の手を引いた。
「わかった。一緒に遊ぼうか」
それが、彼女との出会いである。それからというものほぼ毎日のようにバスフロ内で出会い、遊び相手を務めていた。
――――――
「いいのか?小さな女の子一人待たせて。マリアちゃんはお前のこと待ってるぜ」
「……わかったよ。今日もバスフロやるよ」
「そう来なくっちゃな。……そろそろ昼休みも終わりか。それにしても、学校に来る奴もずいぶんと減ったよなあ」
もともとは30人ほどいたはずの教室も、今や半数ほどしか姿を見せていない。バスフロの存在は学生諸君にも大きな影響を与えている。……午前8時から午後4時まで。およそ8時間をただ座って話を聞いたまま過ごすことに耐えられなくなってしまったのだ。その時間があれば少なくとも2万は稼げる。いくら学校で何かを学んだところで、それがすぐに金になるわけではない。……そもそも、社会人の間にイマジニアが普及した結果、物価はすでに崩壊しているのだ。高校生たちが友人との日々の娯楽を楽しむためにも、現在となっては法外といえる値段が必要である。生活と学習、それらを天秤に乗せた時どちらに傾くのかなどとわざわざ考える必要もない。……15人しかいない教室に、教師が足を踏み入れる。彼はため息混じりに「このクラスはまだ多い方だ」と悲しい愚痴をつぶやきながら授業を始めた。
午後の授業が終わり、時刻は午後3時50分。担任教師が連絡事項を話しているが、聞く意味もない。これだけ生徒が欠けた中での体育祭など無意味に近い。……それどころか、そろそろ学校組織の維持すら厳しいのではないだろうか。去年から学食が廃止されたのがいい証拠だ。清掃員もいなくなり、少なくなった生徒と教師が協力して校内を清掃している。
「それでは皆さん、気をつけて帰るように。さようなら」
担任のおしゃべりが終わった。皆も「さようなら」と返し、我先にと教室を出て行く。それを後ろから眺めていた僕の背中を努が軽い力で叩く。
「お疲れ。早く帰ろうぜ。イベントが始まるまであと二時間しかねえ」
「うん」
出口に集中していた人波がようやく収まったころ、僕と努はようやく教室から出られた。廊下を普通に歩いていると、後ろから次々と抜かされていく。壁に貼られた「廊下は走るな」という標語はもはや誰に目にも入っていなかった。下駄箱で靴を履き替え、校舎の外に出る。眼の先にはサッカーコートと野球場の両方が設置された広い校庭があったが、部活をしている人の姿はまばらであり、広い校庭と相まってとても寂しそうに見えた。「部活なんかよりもバスフロ」。皆そう口を揃えてやめて行った。僕がもともと所属していたバスケ部はそのあおりを強く受け、たった一人残っても碌な練習ができないからと廃部となってしまった。彼らも近い将来そうなるのかと思うと、同情せざるを得ない。ぼうっと校庭を眺めていると、努の「早く帰ろうぜ」という声で意識が引き戻される。彼は自転車に乗り、「じゃ、またあとでな」と言って勢いよく走りだしていった。僕はというと家が近くにあるため徒歩通学である。
バスフロの影響は何も学生たちだけという訳ではなく、どちらかというと社会人側に大きな影響を与えていた。もう無駄な労力を使って安い給料をもらう必要などなくなったのだ。今までは汗水たらして歩き回っていた営業のサラリーマンも、どんな日でも工事を続けていた土木作業員も交通整理員もいない。車もほとんど走っていないのだから、信号すら役割を失い始めた。ちかちかと光っているが、その表示を守る者は誰一人としていない。大通りであっても車は一時間に一度通るか通らないかだ。……のどの渇きを覚え、帰り道の途中にあるコンビニに立ち入る。店員の愛想はもともとあまりなかったが、もはや「いらっしゃいませ」の挨拶すらない。こちらを全く見ようともせず、手元のスマホに夢中だ。500mlで600円する麦茶を手に取り、レジに持っていく。セルフレジになってくれたのが逆にありがたかった。スマホに夢中な彼女の邪魔をすれば、嫌味を言われるに違いないだろう。僕は会計を済ませてコンビニを出た。それと同時に大きなため息も漏れ出してしまった。
僕が住んでいるのは高校から五分ほど歩いたところにある七階建てのマンションだ。約十年前に建てられた新築というだけあり、外装と内装はともにきれいである。エントランスに入る直前、マンションの管理人であり清掃員でもある男性、村田さんと目があった。挨拶をすると彼も挨拶を返してくれる。こんな世の中では非常に珍しい人だ。……僕の部屋は三階にある。エレベーターのボタンを押して待っていると村田さんに声をかけられた。
「翔一君、家賃は大丈夫なのかい?」
「ええ、大丈夫です。今時はどこで働いても割のいい仕事しかありませんから」
「そうか、もしあれだったらすぐに相談してくれていいよ。どうせ他の部屋からは割増しで家賃を取ってるしね。一年ぐらい君が家賃を払わなくても困らないさ」
「いくら何でもそんなこと頼めないですよ」
「まあ、大変な時になったらいつでも相談してよ。……このご時世、地主ってのは無限に儲かる。趣味にお金を使おうにも時間の限界ってものがあるのさ。だから逆に私を助けると思って、気軽に頼ってね。……じゃ」
エレベーターが到着した音を聞き、彼は話を切り上げて管理人室に戻っていった。……村田さんは僕の抱えた事情を知ってくれている頼れる大人だ。たまに冗談かそうではないかわからないことを言うことがあるが、中年男性は大抵そういうものだろうと受け流している。エレベーターに乗り込み、三階のボタンを押す。ここ一年ほど、誰かと一緒にエレベーターに乗った記憶がない。
僕の住んでいる部屋は307号室、角部屋だ。本来角部屋は普通の部屋よりも少し割高になってしまうのだが。村田さんの計らいにより平均の半分以下で住まわせてもらっている。だからこそ、これ以上何かを頼もうとは思えなかった。
「ただいま……」
誰もいない部屋に自分の声が響く。家に誰もいなくともただいまは言った方がいい、防犯に詳しい誰かがそう言っていたから続けている。バスフロは犯罪にも影響を与えた。昔は多様化していた犯罪はイマジニアの価値により崩壊し、現在はイマジニアを狙う強盗殺人しか発生しない。……鞄を床に置き、すぐさま風呂に向かった。部活をしていたころは毎日汗だくで帰っており、帰宅後すぐ風呂に入るのが習慣になっていた。シャワーで今日一日の汗と疲れを流し、部屋着に着替える。自室に戻ると、スマホが震えている。画面を見ると努からの催促ばかりだった。「今から行くから待って」と返事を送り、ベッド脇の小さな棚の上に置いたイマジニアに手を伸ばした。それをかぶり、耳あたりにある電源ボタンを長押ししながらベッドに寝転がる。電源がつくと、目の前に深夜にテレビをつけた時に見られる「砂嵐」が巻き起こる。それをじっと見つめていると、なぜか次第にまどろんでいく。……バスフロをプレイしている者は皆口をそろえて「夢を見ているような感覚だった」と評するが、僕もそう思う。次に意識を取り戻した時、目の前には大勢の人と、日本では絶対に見られないような木材とレンガの混合建築が広がっていた。
僕はしっかりとした足取りで石畳の上を歩いていく。現実世界では一度も履いたことのないブーツの音が響く。上半身は白いシャツ、下半身は黒いズボンをはき、ベージュの外套を羽織って道を急ぐ。努をこれ以上待たせると面倒くさいのだ。石畳の道を進んでいくと、奥に大きな建物が見えてくる。そこが目的地である「リース集会所」だった。リースとはこの街の名前で、バスフロ内では一番大きく人の動きが盛んな街である。木の扉を押しのけて入ると、集会所の中でたむろしていた他のユーザーがちらりとこちらを見る。ここにいるということは誰かと待ち合わせをしているということであり、待ち人が来たのかと確かめているのだ。ごく自然の行動とは言え、一斉に視線を向けられるのはやはり慣れない。……努が僕の姿を見つけ、こちらへ向かってくる。
「ごめん、遅くなった」
「いや、大丈夫だ。まだイベントは始まってないからな。……じゃとりあえず、一稼ぎ行っとくか?」
彼は握りしめていた紙を僕に見せつける。書かれていたのは「交易の邪魔になる魔物をどうにかしてほしい」というものだった。出てくる魔物はゴブリンやスライムなどの戦闘をしたことがない者でも楽に勝てる相手だ。……ゲーム側が用意した仕事だ、困っている人間なんか本当は一人もいやしないが、これだけで金がもらえるのなら断る理由はない。
「わかった。それじゃ、早速行こうか」
もう集会所に用はない。もう一度木の扉を押しのけ外に出ると、聞き覚えのある声が僕の名前を呼んだ。
「翔一お兄さん、努お兄さん、こんにちは!」
「やあマリアちゃん、こんにちは。待たせてごめんね?翔一があまり乗り気じゃなかったからさ、説得に時間がかかって……」
「努、あんまり変なこと吹き込むな。マリアちゃん、こいつの言うことは真に受けなくても……」
「ここに来たくなかったんですか?」
マリアちゃんは冷たい声で言う。彼女は自分の年齢を六歳だと言っていたが、こんな言葉で詰め寄られると目の前にいるのは幼い子供ではないように感じられる。透き通るような、こちらの心を見透かすような水色の瞳。その瞳を前にして嘘をつく気にはなれなかった。
「いや、まあ……。毎日このゲームをやってると、ログアウトしたときに頭が痛くなるんだよね。それに、よく寝られない気もするし。他にもやりたいこととかあるしね」
「やりたいことってなんですか?ここじゃできないことですか?」
「え、うん。プラモデルを作ったりフィギュアを集めたりっていうのは、この中でやっても意味のないことだからね」
「……そうですか。いろいろ聞いてしまってごめんなさい。お仕事行きましょう!」
そうして、自分が求めていた回答を聞き出すと、まるで人が入れ替わっていたのかと思うほど明るい声に戻り、子供らしい無邪気さを取り戻す。その切り替わりがなんだか怖くて、情けない話ではあるが自分の半分以下もない年齢の子供の言いなりになるしかなかった。頬が引きつっていないことを願いながらにこやかな顔をマリアちゃんに向ける。努は彼女のことを怖いとは思っていないようで、「よし!さっさと行って一緒に遊ぶか!」とまるで年の離れた兄のようにふるまっている。彼女はそんな努には目もくれず、なぜか僕の方をじっと見つめていた。
三時間ほど経っただろうか。ゲーム内で二人と別れ、イマジニアを脱ぐ。このゲームの副作用として、プレイをやめてイマジニアを脱ぐと猛烈な頭痛に襲われる。少し寝転がって安静にしていればすぐに収まるが、僕はこの時間が果てしなく嫌いだった。ベッド脇の棚に置いていたはずのスマホを手探りで探し、画面をつける。時刻は七時半。日はとっくに沈み、部屋の中は真っ暗だ。そうしているうちに頭痛は治まり、その代わりのように空腹が顔を出す。ぐうぐう鳴る腹をさすりながら寝室からリビングに移り、部屋の明かりをつける。簡単にパスタを作り、適当にサラダを添えて夕食を済ませる。無音のリビングが耐えられず、スマホで動画サイトを検索する。テレビは数年前に捨てた。もともとSNSの普及でその役割は取って代わられかけていたが、バスフロのサービス開始がとどめを刺した。もはや暇つぶしにテレビを見るという選択肢すら存在しない。彼らに暇などないのだ。皆バスフロに必死で、食事は楽しむものではなくただ栄養を補給するだけの物と化した。手早く料理を口の中に詰め込み、すぐさまイマジニアをかぶる。……動画サイトも同じだ。ランキング上位は大抵バスフロに関連した情報を発信するものばかりだ。それ以外の動画はすべて見向きもされない。かつて存在していた動画配信者はすべてバスフロへと流れて行ったか、引退した。ゲームで金がもらえるのだ、働く必要すらない。動画の投稿はすべて趣味となり果てていた。何の益にもならない動画を横目にパスタをすすり終える。皿洗いを済ませ、気分転換としてベランダに出た。
ここ一帯は住宅街だが、家にともる明かりはまばらになっている。別にここが田舎という訳ではない。徒歩圏内に駅がある、それなりに発展した街だ。家主がまだ帰ってきていないという訳ではない。電気をつける必要がないのだ。家族団欒の時間は消え失せた。自らが明日を生きていくための金を手に入れる時間と入れ替わったのだ。家族だからという理由で共に暮らしていても、ゲーム内で知り合った友人より人となりを知らない。そのためか、近頃は円満離婚というのも増えている。「共に暮らす理由がないから」という円満とはとても思えないような理由だが、彼らにとっては円満なのだろう。残された子供はすでにイマジニアを使いこなしているから生活に困ることもない。……かく言う僕もその一人だ。
中学三年生、卒業を間近に控えた頃に両親は離婚した。これは円満離婚ではなかったが。原因は母だった。……イマジニアが流行り始めた頃、母も「ママ友」とやらに誘われバスフロに手を出した。当初は誘われたときに少したしなむといった程度で抜け出せなくなるほどハマっていたわけではないが、それは次第にエスカレートし始めた。ママ友の間でバスフロはステータスになり始めたのだ。どれだけプレイしているか、どれだけ稼いでいるか、どれだけレアなアイテムを所持しているか。子供の学歴や夫の稼ぎなどで競っていた彼女らにとっては、ようやく自分の力で競える事柄ができたのだ。その結果、母は専業主婦であるにもかかわらず家事をすべて投げ出し、バスフロにのめりこんだ。僕が学校から帰ってきても、「お帰り」もなければ朝食後の皿洗いすらやっていないこともあった。外は大雨だというのに洗濯物も取り込まず、三日に一回かけていた掃除機は一年見ていない。父も仕事から帰ってくるが、夕食の用意がされていないことに腹を立てる。それを母に問い詰めると、「私はお腹すいてないから、自分たちで何とかして」と悪びれない。……母は家の金をバスフロにつぎ込んだこともあった。その額400万円。そこで父は離婚を決意した。
父は当初僕を引き取るつもりだったようだ。母もすでに僕から一切の興味を失っており、「親権などいらない」とのたまった。しかし、僕は一人暮らしを選んだ。僕が父に着いて行っても、負担になることは間違いない。それに、この世界はもう子供一人でも生きていける世界になっていた。だから僕は「少し早いがひとり立ちの時だ」と父を説得した。……こうして僕は、高校の近くに家を借り一人暮らしを始めた。ただ、父とは週に一回、日曜日に顔を合わせている。妻というストレスから解き放たれたのか、顔色は良くなっていた。今は母からの賠償金と会社の退職金で悠々と暮らしているらしい。……母は一体どうなったか、たまに気になって父に尋ねるが、「知らないし、知る必要もない」と冷たく返される。
夜風が身に染みた僕はベランダから部屋の中に戻った。一人暮らしを始めてからすでに一年以上経っているとはいえ、この時間に家で一人というのはまだ慣れそうにない。雑音のために再生し続けていた動画も鬱陶しくなり、画面を消灯する。そして積んでいたプラモデルを片付けるために、趣味用の部屋に向かった。努からバスフロの続きを催促する声が何度も届いたが、すべて聞こえないふりをした。
翌日、通学路にて。村田さんに挨拶してマンションを出る。少し歩いて赤信号で立ち止まると、後ろから声をかけられた。
「おはよう、翔一。聞いてくれよ、昨日のイベントでな……」
自転車に乗っていた努は僕と歩幅を合わせるために自転車を押して歩き始める。どうやら昨日のタイムアタックのイベントはいいところまでいけたようだ。だからあんなに誘いの連絡をしてきたのだろうか。
「それにしても、今時珍しいぞ?バスフロやりこまないなんて」
「……頭が疲れるし、すごく痛むんだ。だからあんまり長い時間続けられなくてね」
「一日何時間もやってればそのうち頭痛なんかしなくなるぞ。まだ頭がバスフロに慣れてないだけなんだよ。だから今日も……」
「……試験は大丈夫なの?一緒に二年生をやり直すなんて無理だよ」
「いざそうなったら高校やめるわ。どうせ学校通ってたって何の得にもならねえしな。今だってバスフロのための気分転換として学校来てるだけだしな」
バスフロがサービスを開始してから、高校の同級生や部活の先輩は同じような言い訳をして姿を見せなくなった。すっかりバスフロに生活を支配されているが、万が一サービスが終了してしまえば、彼らはどうなってしまうのだろう。……もしもの話ではあるが、僕はそれが怖かった。日常をすべてかなぐり捨てた先に何が残るのか。果たして現在は日常に代わり得るのか。
高校の駐輪場に自転車をしまう努を待つ。時刻は8時20分。あと10分ほどで校門が閉められてしまうが、駐輪場はスカスカだった。せっかく五年ほど前に改装したというのに、ほぼ無駄になってしまっている。校内の人の姿はまばらで、地域の学生は大抵通っている、いわゆるマンモス校なのだが現在の在学生徒数は全盛期の10分の1にも満たない。教室もやはりというべきか生徒の姿はあまりなく、あったとしても頭にはイマジニアをかぶっている。一応校則で「校内でのイマジニアの使用は禁止」とされているが、その校則を破ったことがないのはおそらく僕だけだ。
努と他愛ない話をしていると、いつの間にか始業のベルが鳴っていた。普段は朝の連絡事項を伝えるために担任が教室に来るのだが、姿を見ていない。それどころか、一限目である歴史の授業を担当している教師も姿を見せない。4月に押し付けられたクラス委員の役割を果たすため、同じクラス委員である努と共に職員室へと向かった。
「……別によくねえか?いや、気になると言えば気になるが、みんなも自習の方がいいって思ってるって、絶対」
「バスフロやりたいだけだろ、それ。……そもそも、本当に自習なら誰かが監督として来たり、自習の連絡をしてくれるはずじゃないか。それすら一切なしっていうのはさすがにおかしいよ」
「まあ、それはそうだが……」
電気代をケチっているせいで薄暗い廊下を進み、職員室を目指す。目的地に近づくにつれ、何やら騒がしい声が聞こえて来た。耳を澄ませると怒号なり困惑の声なりが響いている。どうやら今この場にいる教師たちはそれぞれ別の所へ電話で連絡を取っているようだ。「こっちも駄目みたいです」「こちらも同じく」という声が聞こえる。……聞いているだけでは何もわからないと判断した僕は意を決して職員室のドアをノックした。普段はそこまで緊張しないが、今日は部屋からあふれ出てくる殺伐とした雰囲気にあてられてしまっている。
「2年2組、木村です。斎藤先生はいらっしゃいますでしょうか?」
「ああ、木村君。こっちに来てくれるかい」
「はい、失礼します」
中に入りたがらない努を部屋の外で待たせ、僕は職員室に一歩踏み込んだ。教師たちは僕が来たことで初めて時間を認識したのか、大慌てで机の上の書類をまとめてバタバタと職員室から出て行く。僕はドアからまっすぐ、窓際のデスクに座っている斎藤先生のもとへ向かった。
「わざわざ来てくれてありがとう。用事は分かっている、朝の諸連絡がなかったことだろう?」
椅子に座ったままこちらに向き直った、少し筋肉質で短髪、30後半の男性。それが2年2組の担当である斎藤先生で、担当科目は英語である。彼はすでに僕が来た理由を察しており、すぐさま本題に入った。
「はい。それと、外で少し話を聞いてしまいました」
「……誤魔化しても無駄だな、全部話そう。だが、他の生徒には秘密にしていてほしい」
斎藤先生はなぜか事態が深刻であるかのような前置きをする。……そう言えば、職員室にいる教師の数が、今日はなんだか少ない。
「わかりました。それで、なぜ……」
「理由は不明だが、なぜか教師が半分ほど学校に来ていないんだ。さっき職員室を出て行った先生たちは、自習のプリントを渡した後にそれぞれ学校に来ていない先生の家に向かうことになっている。かく言う俺もこの後すぐにいくつか回らなきゃならなくてな」
「警察には連絡したんですか?来ていない先生たちとは連絡が取れていなかったようですが」
「……駄目だった。彼らも仕事をえり好みするようになっていてな、イマジニアがらみの強盗か殺人でもないと動かないようになってしまった。……日本の司法はもうだめだな」
斎藤先生は大きくため息をつく。いつもエネルギッシュな彼がここまで追い込まれているように見えるのは初めてだった。彼は気を取り直すように膝を軽く叩くと勢いよく立ち上がった。
「先生はそろそろ行かなきゃならない。……朝の諸連絡は特になし、午前はおそらくすべて自習になるだろうから、このプリントを持って行ってくれ。試験前だし、自習用のプリントは少なめにしてある。テスト勉強に時間を使ってくれ。……それじゃあ、頼んだぞ」
彼も何枚かの机に散らばっていた資料をまとめ上げると、それを小脇に抱えて職員室を出て行った。出た瞬間に努と顔を合わせ、何かを話しているようだ。話が終わると努が職員室に入ってきた。
「プリント運ぶの手伝ってやれ、だってよ。当たり前だよなあ?……よし、戻ろうぜ」
斎藤先生の机に摘まれたプリントを努と半分ずつ持ち、職員室を出る。廊下の窓からちらっと外に目をやると、教職員用の校門から色とりどりの車が列をなして出て行く。両手で数えても足りないほどの車を一度に見たのはいつ以来だろうか。そんなことを考えながら眺めていると、努が「早く行こうぜ」と声をかけてくる。早く教室に戻りたいようだが、自習をしたいわけではないだろう。
教室に戻り、斎藤先生からのプリントを手渡すと皆が露骨に嫌な顔を浮かべる。どうせ大した内容でもないというのに、何がそんなに嫌なのか。案の定ほとんどのクラスメイトはプリントには手を付けずに、校則違反であるイマジニアを頭に装着しだした。クラス委員として何か注意をするべきかと思い立ったが、どうせ聞く耳を持ってもらえない。いちいち何かを言うことすら面倒だと彼らを諦め、自らの机に向かった。
「お待たせして申し訳ない。生徒と少し話していまして」
「ああ、すれ違いましたよ。木村君でしょう?今時珍しいまともな生徒で、斎藤先生がうらやましいですよ」
「……それより、まずはどちらに?」
「ああ、申し訳ない。無駄話が過ぎましたね。……ええっと、最初は清水先生のお宅ですね。ここから十分程度かかりますな。……運転は私がしましょう」
「ありがとうございます。……しかし、一体どうしたのでしょう。無断欠勤をするような人ではなかったのですが……」
「連絡がつかないというのも、少々気味が悪いですね。……バスフロでしたかな?あれに夢中になっているだけならばいいのですが」
俺は助手席に座り、大島先生が運転する車で清水先生の家に向かう。昨日、彼女に特に変わったような所は見られなかったはずだ。このご時世、事件に巻き込まれている可能性はあまり高くないが、万が一ということもあり得る。それに、もし殺人などが起きていたとしても、一人暮らしの彼女は誰かに見つけてもらうことすら難しい。こうして家を訪ねるのも仕方のないことなのだ。……もはや赤信号はただの照明に成り下がった。法定速度も何の意味を持たない。運転する彼の匙加減がすべてだ。車を飛ばしに飛ばしておよそ七分。もともと十分の予定だったが、かなり早く到着した。後ろもかなりつかえているため、多少の車酔いは我慢することにした。俺より先を歩いていた彼は、彼女が住んでいるマンションの管理人に事情を説明する。
「……はあ、それで?」
「それでってなんなんです。連絡が取れないから、部屋に行って様子を見たいと言っているんです。このオートロックを解除してもらえませんか?」
俺の目の前には数字を入力するパネルと自動ドアが立ちふさがる。その横の小さな小窓に対し、彼は苛立ちを何とかこらえながら交渉を続けていた。
「……仕事はやめたんじゃないんですか?今時黙って辞めちゃうのも珍しくはないでしょう。一日仕事場に来なかった程度で押し掛ける人がいるようじゃあ、辞めたくなる理由もわかりますけどね」
管理人の男は椅子に座ってテレビに視線を向けたまま、癇に障ることを平然と言う。彼は怒りのあまり窓を殴りつけるが、管理人は動じない。
「大島先生、あんなのに構う理由はありませんよ」
「しかし斎藤先生、彼に自動ドアを開けてもらわねば私たちは中に入れないのですよ?」
「……任せてください」
俺はパネルに向かう。少し悩んだ末、「0301」と打ち込み解除のボタンを押した。無事に自動ドアは開く。彼は信じられないといった顔で俺を見つめた。
「知っていたのですか?」
「……以前、飲み会の時に少しだけ。『暗証番号が必要な時は大事な数字を使っている』と言っていたので」
彼女が大事にしているもの、それは3年1組の生徒たちに他ならない。彼女が担任のクラスは特進クラスで、学年内の成績優秀者が集められる。一年の頃から受験を見据えた学校生活を送るため、クラスメイトはあまり入れ替わらない。……そんなクラスに一年から担任として関わり続け、ついに三年目を迎えた。受験を前に頑張る生徒を応援する彼女の働きぶりは、教師たるもの誰もが手本にしなければならないほどだった。そんな彼女が黙って生徒を見捨てるような真似をするわけがない。開いた自動ドアを前に小さくつぶやく。
「行きましょうか」
「……え、ええ」
彼は俺がわずかなヒントのみでロックを突破したことにかなり驚いているようだったが、雑念を振り払うように首を横に振ると俺の先を歩き出した。彼女は確か四階に住んでいたはずだ。エレベーターで四階まで上がり、あまりスペースがない廊下を歩く。405。そこが清水先生の部屋だ。ドアの前に立ちインターホンを鳴らす。一階程度では何の反応も示さず、二度三度鳴らしても中にいるはずの清水先生はいかなる反応をも示さない。彼はある疑問を抱き始める。
「本当に中にいるんですかね、彼女。もしかするとどこかに出かけているやも知れませんね」
「職場にも来ず、連絡もせずに一体どこに行くんですか。緊急の要件ができたのならなおさら連絡を入れるはずですよ」
「……ふむ、確かに斎藤先生の言う通りではあります。しかし、実際彼女がどうしているかを確かめるすべは私たちにはない。……鍵がかかっていなければいいのですが」
彼はそう言ってドアノブに手をかけてひねる。ドアは抵抗を見せずに開いた。目を大きく見開いた彼と目が合う。戸締りがされていない部屋。連絡のつかない家主。……考えられることは1つしかない。俺たちはすぐに部屋に足を踏み入れた。
玄関で靴を脱ぎゆっくりと廊下を進む。考えていることが事実なら、部屋には彼女以外の誰かがいるかもしれない。それを警戒していた。部屋はカータンを閉め切られていて暗くなっている。下部に少しだけある隙間から日の光が差し込んでいた。
「清水先生?いらっしゃいませんか?大島です」
大島先生はいるかもしれない清水先生に対し声をかけながら進む。廊下の途中にあるいくつかの小部屋を除きながら進み、十分ほどかけて部屋の奥にあるリビングにたどり着いた。部屋の中は耳が痛くなるほど静まり返っていて、二人の足音と微妙に緊張した息遣いだけが聞こえている。彼は部屋の暗さに耐えかねてカーテンを開けた。部屋はあまり物がなく清潔さが保たれている。よく言えば整理整頓が行き届いているが、悪く言えば生活感がない。……最近は担任をしているクラスの子達が受験を控えているから、前よりも忙しいと言っていた。そのせいなのだろうか。俺はリビングから続くドアに目を向ける。まだ確認していない部屋はあそこだけだ。おそらくあの部屋が寝室。……どうか、日ごろの疲れがたまっているだけの寝坊であってほしい。そう願いながらドアを開けた。
清水先生は何の異変もなくベッドの上で寝ている。頭にはイマジニアをかぶっているが、想像していた中でも最悪の事態にならなかっただけでも十分だろう。彼はカーテンを開け、ベッドの上でイマジニアをかぶっている彼女に声をかける。
「清水先生、起きてください。もう十時を過ぎていますよ。受験を控えた生徒たちに示しが……」
声だけでは反応を示さず、肩を揺さぶっても何の反応もない。どうやら相当バスフロに夢中になっているようだ。こうなれば、外部からの強制ログアウトを試すほかない。……ゲームからログアウトする際、プレイヤー自身がゲーム内でログアウトしなければならないのだが、イマジニア左側面についている電源ボタンを長押しすることでもログアウトさせることができる。しかしこれはゲームに重大なバグが生じた場合など、正規のログアウト手段が使えなくなってしまった場合にのみ利用するようにと規約にある。だが、今はそんなことを言っていられない。俺は大島先生にこのことを説明し、イマジニアに手を添えた。シリコンのような柔らかい素材でできた電源ボタンを押し込む。確か7秒ほど押せばいいはずだ。……予想通り、すぐに彼女は意識を取り戻したように体を動かし始めた。だが、様子がおかしい。何か凄まじい苦痛が体の中を駆け回っているのか、鼓膜が破れてしまうほどの絶叫をあげ、のたうち回る。勢い余ってベッドから落ちてしまっているが、それに構うことすらしない。あまりの光景に呆気にとられるばかりだったが、あることに気づく。床に敷かれていたカーペットが赤く染まり始めているのだ。それと同時に彼女の動きも緩慢になっていく。嫌な予感を覚えた俺はすぐに彼女がかぶっているイマジニアを脱がせた。……清水先生は、耳と鼻から血を流し、目からは血の涙を流していた。イマジニアには彼女が流した血がたまっていたのか、驚きのあまりイマジニアを床に落とすのと同時に血が飛び散る。
「清水先生!清水先生!返事を!……斎藤先生!すぐに救急車と、他の先生方に連絡を!……『バスフロから強制ログアウトはさせるな』と!」
20分後。イマジニアが普及し、ほとんどの公共機関が使い物にならなくなっていたが、救急隊は違ったようだ。通報を受け迅速に駆けつけてくれた。だが事情を説明すると「またか」と小さくつぶやく。訳を聞こうとしたが、すぐに清水先生が運び出され俺たちも関係者として同行することになった。
「……すみません、先ほど私たちが事情を説明したとき、『またか』って言いましたよね。どういうことですか?」
街中を走る救急車の中。担架の上に寝かされている彼女を囲むように座っている俺たちは、近くにいた救急隊員に説明を求めた。彼は少し迷っているようだったが、救急車を運転している上司が「話してもいい」と言ったことを皮切りに、信じがたいことを話し始めた。
「実は、あなた方のような通報が昨日の夜からひっきりなしに続いているんです。我々の担当区域ではすでに100件以上。……イマジニアの使用が原因だとみられる昏睡状態、または死亡事故が」
……おそらくだが、清水先生はすでに亡くなっているのだろう。あれほどの血を流して生きている方が不思議なほどだ。今は死亡診断書を書くために病院に運んでいるといったところか。俺が考え事をしている隙に、大島先生が別の質問を投げかける。
「では、まさか強制ログアウトは悪手だったということですか?」
彼は震える手を何とか押さえつけながら言う。もしかすると、自分たちが清水先生を殺してしまったのかも知れない。その罪悪感が彼の心を苛んでいるのだろう。……救急車を運転中の隊員が大島を慰める。
「あなた方のせいではありません、絶対に。……つい4時間ほど前に、同じような容態の患者を運びました。その方もすでに死亡しており、不審死の疑いを持ってすぐに司法解剖にまわしたのですが、死亡していたのは搬送よりも5時間ほど前、つまり今日の深夜1時にはすでに死亡していたという結果が出たのです」
「え……?でも、同じような容態って……」
「ええ。その方も、通報者によりバスフロから強制ログアウトさせられていました。そして同じように床をのたうち回り、叫び声をあげながら血や体液をまき散らして動かなくなったのです。……死亡時刻から5時間も後に」
何を言っているのか全く理解できない。すでに死んでいるはずの人間が、息を吹き返してもう一度死んだとでも言いたいのか。大島先生も彼の言葉が理解できないのか、少しいらだち始めている。
「一体どういうことです。まるで、一度死んだ人間がよみがえってもう一度死んだと言っているみたいではないですか。そんなこと、あり得る訳が……」
「仮死状態。おそらくですが、イマジニアの使用者はこの状態になっていたのだと、医師たちは見ています」
仮死状態。暇つぶしに見ていた刑事ドラマで聞いたことがあるような言葉だ。だが、実際にそれを目にするのは初めてだった。予想していなかった言葉を前に驚く俺たちを無視して、隊員は話を続ける。
「……イマジニアというのは大変危険なおもちゃです。人の脳に直接影響を及ぼし、認知機能を改ざんすることで、使用者の意識をファンタジーの世界に飛ばしています。医療研究機関ではたびたびイマジニアの危険性を議論あるいは公表してきましたが、誰も見向きしなかった。……しかしまさか、人を仮死状態にまで陥れるとは」
「……イマジンメイカーは何か声明を出していないんですか?こんなの事故で済まされていいことでは……」
「あの会社の公式サイトは削除されています。電話などで連絡を取ろうとしても、誰も出ないそうです。今、接触を試みる配信者がライブを公開しているようです」
その言葉を聞き、すぐにスマホを取り出す。イマジンメイカーと調べるだけですぐにそのライブが見つかった。少しチャラい恰好をした外国人が会社の前に立っている。英語で何か言い合っているようだ。
『おい、説明責任を果たせよ!あんたらが出した最悪なおもちゃで何人死んだと思ってるんだ!』
配信者の男は、会社の前でそう声をあげる。彼のライブ配信に同調したのか、大勢の一般人も集まっている。彼はその勢いをそのままに会社に雪崩れ込もうとする。警備員が必死に止め、乱闘騒ぎにまで発展していた。私のスマホを横から覗いていた大島先生は驚きを隠さずに言う。
「……英語は少ししかできませんが。相当大騒ぎになっているみたいですね」
「ええ。この男は今会社に乗り込もうとしていますね。……あ、誰か出て来たみたいです」
会社の自動ドアから出てきたのはおそらく30代ほどの女性だ。ぴしっとスーツを着こなし、『私は仕事ができる女です』という意識を前面に押し出しているように見える。
『みなさん、お集まりいただきありがとうございます。要件はもちろん分かっております、今世界中で頻発しているイマジニアの事故のことでしょう?』
『事故?事故だと!?あんな死に方、普通じゃあり得ねえ!あんたらが何か仕組んだんだ!』
『……ただいまより、それらに疑問にお答えする説明会を開始いたします。疑問がおありの方は警備員の指示に従って、落ち着いた移動をお願いいたします。……それと、社内は機密保持のためすべてのエリアにおいて撮影を禁止しております。メモ程度はとって構いませんので、どうかご理解のほど』
そう言うと、彼らは素直に案内に従い会社の中へと入っていく。そしてここでライブが終わってしまった。
「結局、具体的なことは何一つわかりませんでしたね」
「……到着しました。それではこちらに」
いつの間にか病院に到着していたようだ。俺たちは隊員の案内に従って中に入る。……学校で自習をしている生徒が気がかりだ。
「なあ翔一、これ見ろよ」
課題を終えた努はスマホでネットサーフィンをしている。彼は興味深いものでも見つけたのか、僕に画面を向けた。
「……『バスフロ内の新イベント!優勝者にはレアアイテム贈呈!』かあ。よくネタが尽きないもんだね運営も」
「なんだよ、冷めてんな。まあ翔一はあんまりこういうのに興味ないか。でも、いつまでもそんな態度じゃいられねえかもな」
努はいきなり含みを持たせたようなことを言う。彼はよく言えば素直、悪く言えば単純で表裏があまりない。そのため、そんな物言いは今まで聞かなかった。だからこそ余計に気になってしまう。
「……どういうこと?」
「ほんとにバスフロに興味ないんだな。……なんでもバスフロ内のゲームマップが拡大されるらしくてな、世界中の都市が再現されるらしい。しかも、俺たちはそこで現実世界とほとんど変わらない生活を送れるようになるんだと。もうすでに何人かテスターに選ばれてるらしいぜ」
「現実世界と同じように?何の意味があってそんなことを……」
「お前いつも言ってたじゃん。『バスフロやめた後頭が痛い』って。思ったよりそれを言う人が多くてな、イマジンメイカーも対策を練っていたんだと。その結果出て来た案が、『バスフロをやめさせなければいい』っていう案だ」
「……馬鹿げてるな」
「まあそう言うなって。翔一は違うかもしれないが、世の中の人間のほとんどはバスフロをずっとプレイしている。一番長くやってる奴なんか、三日間一度も休まずにやってたらしいぜ。飯は雇った人間を使って口の中に流し込んでもらってたんだと」
「そこまでする理由が全くわからないんだけど」
「……まあとにかく、日常生活をバスフロ内で過ごしたいってやつも意外といるのさ」
僕は呆れたようにため息を出してしまう。するとまるでそれが合図にでもなったかのように授業の終了を告げるチャイムが鳴った。今は4時限目、結局斎藤先生は戻ってこず、午前中はほぼ自習で過ごしていた。……待ちに待った昼休み、僕はすぐさま鞄の中の弁当を取り出す。勉強というのは存外エネルギーを使うものだ。包みを解き、箸入れから箸を取り出した時、教室の後方から騒ぎ声が聞こえて来た。
「おい、起きろって。昼休みだぞ。ほら!」
クラスメイトが床に寝転がるもう一人のクラスメイトを揺さぶっている。いったいどこから持ってきたのかマットレスと枕が用意されており、まともな学生生活を送る気は微塵もないことを態度だけで表している。頭には当然のようにイマジニアを装着している。校則で禁止されているはずだが、生徒が守る気もなければ、教師が注意をする気もない。彼は形骸化した規則の上に寝転がり、悠々と自らの快楽を満たしていた。
「……どうしたの?」
「ああ、翔一。……こいつがさ、『昼休みになったら起こしてくれ』って言ってたのに、全然起きねえんだよ。いつもならちょっと体を揺さぶればすぐに起きるのに」
僕も試しに寝ている彼の身体を揺さぶってみるが、全く反応がない。これでは寝ているというより、死んでいるような……。僕はすぐに首を横に振った。そんなことあるわけがない。イマジニアの機能は簡単に言うと「脳波をいじって夢を見せる」というようなものだ。今、彼は深く眠っている。そうに違いない。
「……しょうがねえ。強制ログアウトしてやるか。今いいとこかも知れねえが、そろそろ休憩時だろ」
そう言ってクラスメイトは寝ているクラスメイトのイマジニアに手を伸ばす。そして左側にある電源ボタンを押し込んだ。強制ログアウトに必要な時間は7秒。それが終わり「ポン」というログアウトが完了した音が鳴った。そして、そのクラスメイトは。……いきなり叫びはじめ、床をのたうちまわっている。机や椅子に体をぶつけようと気にすることなく暴れ続け、床を赤く染めていく。あまりの騒ぎに近くの教室にいた教師も駆け付けた。
「何の騒ぎだ!?」
「せ、先生。……それが、僕たちにも全くわからないんです。彼がバスフロをやっていて、昼休みの時間だからと強制ログアウトさせたんです。……そうしたらいきなり……」
数多の机と椅子をなぎ倒し、イマジニアをかぶった生徒は教室の床のど真ん中に大の字になっていた。床にはいくつもの血だまりが出来ており、先ほどまで人が出しているとは思えない声をあげていた彼はすっかり落ち着いていた。駆け付けた先生はおそるおそる彼に近づき、かぶっているイマジニアを脱がせる。中にたまっていた血が流れ出て、新しく血だまりを作った。教室内は悲鳴に包まれる。僕はというと、このあまりの非現実さにバスフロ内のイベントなのではないかと現実逃避していた。
それから、学校は緊急下校となり、僕は帰路に着いていた。あの時、クラスメイトの死を皮切りに、他の教室でも同じような叫び声が響き始めたのだ。教師たちは不在の同僚の様子を見に行くために学校から出ており、急な電話対応ができる程度の人数しか残していなかった。そのせいであっという間に学校内は混乱に包まれたが、教頭先生の校内放送により何とか一応の収束を見た。僕が学校を出る前には救急車を呼んでいたらしいのだが、こうして歩いている途中でも救急車が学校に向かっていく様子はない。通話相手の努は滅多にみられない状況に興奮を隠しきれていなかった。
『やべーよ、これ。何がどうなってんのか、何もわかんねえ。外人がイマジンメイカー本社に突撃したらしいけど、動画が削除されてる。世界中で同じような事故が起きてるみたいだが、その投稿もすぐに消されてる』
「イマジンメイカーは何か隠したいみたいだ。まあ、僕らには様子を見ることしかできないさ」
『これテロかもしれないぞ。世界のどこかにいるテロ集団が仕掛けて来たんだ。理由は……きっとバスフロの資金力なんじゃないか?』
「……どうでもいいよ。イマジニアさえ使わなければ、こんな馬鹿げた事故に巻き込まれることもないし」
『どうでもいい!?敦が死んじまったってのに、どうでもいいのか?』
「誤解だ。敦が死んだことは残念だと思うし、僕にとってもショックだよ。前の遠足じゃあ、同じ班になって歩き回ったからね。たくさん写真も撮ったし、バスフロの中でも何度も一緒に遊んだ仲だ。どうでもいいって言ったのは、テロがどうとかって話だよ。……僕たちはただの高校生、どこか異常に秀でたところがある天才少年とかでもないんだから、そんなこと考えていたって無駄さ」
『でも、その間バスフロは遊べないんだろ。困るなあ、何して過ごせばいいのかわかんねえよ。……バスフロが出る前、何して暇つぶししてたっけなあ』
「なら、久しぶりに家で勉強でもすればいいじゃないか。一人じゃ無理って言うんなら、電話で僕が付き合ってあげるよ」
『……そうするわ。家着いたから切るぜ、じゃまたあとでな』
「うん、バイバイ」
スマホの画面を操作し、電話を切る。すでにマンションの前には着いていた。エントランスに入るが、今日は村田さんの姿がない。管理人室には明かりすらついていないようだ。何か用事でもあって、空けているのだろう。……学校であんなことがあった。村田さんにも家族はいる。もしかすると家族が同じような事故にあっているのかもしれない。……僕はエレベーターに乗った。あんなことがあっても、エレベーターの中は一人だ。
部屋の中はいつもと変わりない。先ほどまで体にまとわりついていた非現実感というものがどこかに消え失せていく。鞄を寝室に置き、着替えをもって風呂に向かった。シャワーを浴びる最中、鏡に映った自分の顔が見える。……顔は青白い。それに疲れ切っているようにも見える。……血は、バスフロの中で何度も見ていたはずだが、見る度に気分を悪くしていた。大抵のことは慣れでどうとでもなるという人がいるが、あれは嘘だ。そんなことを言う人は大抵、簡単にどうとでもなるようなことしかやってこなかっただけだ。何度見ても、血は慣れない。熱い湯を浴びて、少しは頭がすっきりしてきたようだ。体をふいて脱衣所から出る。すると、僕を待ちわびていたかのように、寝室から何度も聞いた音が聞こえる。通話アプリの通知音だ。画面を見ればやはり努の名前。イマジニアを禁じられて暇を持て余しているのだろう。通話してきてもいいと言ったのは僕なのだから、付き合ってやらねばならないか。
「もしもし?」
『翔一!助けてくれ!』
「……何があったんだ!?」
努は人を心配させたあげくからかうといった、つまらない冗談は言わない性質だ。……僕の問いかけに、彼は震える声で答える。
『母さんが、起きないんだ。イマジニアをかぶってる。……もしかすると……』
「救急車は呼んだ?」
『ああ、呼んだよ。けど、こっちに来るのにあと三時間はかかるって言われて……。どうすればいいかわかんねえよ』
「……今日、学校であったことは覚えてる?強制ログアウトだけは絶対にダメだよ。そのまま寝かせておくしかないんじゃないかな」
『そっか……。そうだよな。俺にはそれぐらいにしかできねえか。……なあ、このまま話さないか』
努も相当堪えているようだ。しかし、それも無理はないというものだ。僕はその後、努の頼みを聞き入れ、救急車が来るまでの間、彼ととりとめのない会話を続けた。少し黙るたびに、今日感じた不安が心の中に湧き上がってしまう。それに負けないように、誤魔化し続けるしかなかった。
清水先生の遺体が病院に運び込まれた後、俺たちはタクシーを捕まえて大島先生の車を取りに戻った。タクシーの運転手は相当なおしゃべりで、そんな気分ではない俺たちを無視して話を続ける。俺にできることは適当に相槌を打つことだけだった。
「……それでね、最近はどこの家庭もひどいもんですよ。家族で住んでるのに、帰っても『お帰り』の声がない。家の中も真っ暗。みんなしてでっかいヘルメットかぶって、夢の世界で現を抜かしてるんでさあ。私も、一応買ってはいるんですが、どうにもああいうのは身体に合わなくて。……どうです?お客さんもそういう経験ありますか?」
「ええ、まあ。それなりに」
「ですよねえ、いやあ、何がイマジニアだってことですよ。みんな幻想に囚われちまった。……あ、そうだ。ラジオをつけてもよろしいですか?そろそろ好きな番組の時間なんです」
「ええ、お好きにどうぞ」
おしゃべりな彼が黙ってくれるのなら、どうでもよかった。運転手は片手でハンドルを握り、もう片方の手でラジオのつまみをいじる。ザリザリ響くラジオのノイズが次第に掻き消え、声が鮮明になる。彼は「待ってました」と言わんばかりにラジオの音量を上げたが、そこから流れてきた言葉は想像だにしないものであった。
『緊急速報です。現在世界中でイマジニアによる同時多発的な事故が発生しています。イマジニアを使用している方を見かけた場合、強制ログアウトは絶対にしないでください。まだイマジニアを使用していない方は、この不具合が解消されるまでの間、決してイマジニアを使用しないでください。イマジンメイカーでは現在……』
「……え?なんだ、コレ。イマジニアの事故?……なんだか、大変そうなことになってますね……」
運転手は今まで通り陽気な人柄を装うが、声に動揺がにじみ出ている。彼はそのまま何度もラジオのチャンネルをいじるが、どの局も話している内容はほとんど変わらない。清水先生のような出来事が世界中で起きている。……スマホが鳴った。画面を見ると、教頭を務めている立花先生から電話がかかってきていた。
『斎藤先生、今どちらに?』
「今、清水先生を病院に運んでもらって、病院から出たところです。清水先生が住んでいたマンションに車を置いてきてしまったので、今はそっちに戻っている途中です」
『清水先生の容態はどうですか?』
「……残念ながら」
『……そうですか。では、車を回収次第、学校に戻ってきてください。他の先生の所は結構です。……それに、こちらも少々トラブルがありましてね』
「トラブルって言うと、やっぱりイマジニアがらみですか」
『ええ、大方予想通りかと。……校則を破った複数生徒がイマジニアを使用、他生徒の手によって強制ログアウトさせられ、教室内で死亡が確認されました。全校生徒150名の内、15人が死亡。35名が現在も昏睡状態のままです。救急車を呼びはしましたが、手一杯のせいでこちらに来るのは一時間後とのことで。……生徒を床に寝かせたままというのもあれですし、彼らを運ぶためにも人手が欲しいのです』
「わかりました。すぐに戻ります」
俺はそう言って電話を切った。話し声は当然隣にいる大島先生にも聞こえており、トラブルの追加に相当頭を悩ませているようだった。そして、電話の内容は運転手にも聞こえていたようで、彼はラジオのつまみから手を離し、ハンドルを握りこんだ。
「……何が起きているかさっぱりわかりませんが、急ぎの用事ですよね。……少し飛ばしますよ」
運転手の厚意もあり、思っていたよりも早く学校に戻ることができた。時刻は午後1時。昼食はまだとっていないが、とる気にはならなかった。職員室に向かうと、すでに戻ってきていた先生たちが立花教頭の指示を受けている。彼はこちらを見つけると、手招きした。
「お二方、お疲れ様です。まずは、他の先生方の状況確認をしましょうか。……全教師72名の内、今日ここにいるのは30名。ここにいない教師の内、死亡の報告をもらったのは22名。……イマジニアによる事故だとは聞いていますが、それ以外の情報は全くありません」
俺はすぐに救急車内で見ていた外国人のライブのことを話す。おそらくではあるが、現在イマジンメイカーでは事故に関して何らかの説明が行われているはずだ。そうでなくてはならない。……結局、これも新たな情報とはなり得ない。立花教頭はため息を何とか飲み込むと、机の上に置いていた紙を手に取った。
「お二人に仕事を頼みたい。体育館に向かって、運動用のマットを倉庫から出しておいてください。必要分は不明ですので、できるだけ多くお願いします。すでに他の先生も向かっているので、合流する形でお願いします」
「わかりました。……そうだ、無事の生徒はどうしているんです?」
「帰らせました。どのみち皆さんが外に出ているようでは碌に授業もできないでしょうし。ですから、生徒のことは今はあまり気にせず」
「……わかりました。それでは」
体育館にはすでに二人の教師がいた。あまり力仕事に向いていなさそうな二人しかいない。どうやらそれほど人手が足りていないということか。その二人に声をかけ、すぐに仕事に加わる。そうしてどれほど経っただろうか。体育館の床に敷かれたマットの上には何人もの生徒がイマジニアをかぶったまま寝転がっていた。男子も女子もいる。学年も関係ない。事故に巻き込まれる者に法則性はなさそうだった。
「皆さん、お疲れさまでした。救急隊に関しては私が対応するので、皆さんはもう帰ってもらっても構いません。……明日に関しては、今の所未定ですが、おそらく休校になるはずです。……校長が現在出張中のため、正式な決定はこれから行います」
そう言われて、俺は学校を後にした。今、世界中で何が起きているのか全く分からず、まるで映画の世界にでもいるのかと錯覚してしまうほどだった。
努との電話はようやく終わった。通話を開始してからおよそ2時間半ほどして、やっと彼の家に救急車が来たようだ。彼は母に付き添って行った。自分から言い出したこととはいえ、長い間通話に付き合うのは疲れるものだ。瞼の裏にはクラスメイトの死がこびりついている。少し目を瞑るだけで、あの光景が呼び起こされる。僕はそれを振り切るように立ち上がった。夕食にしよう。……何も作る気になれず、ジャンクフードのデリバリーを頼んだ。待っている間、情報を求めてネットで調べてみたが、ほぼ同じような情報しか得られなかった。「イマジニアによる死亡事故」……。イマジンメイカーは未だに一言も声明を発表していない。彼らにすら手に負えない何かが起きているのだろうか。それならばやはり、バスフロなど存在すべきではなかっただろう。今の人類には早すぎた代物かもしれない。……配達員から夕食を受け取る。チップを払わずに扉を閉めると、小さく舌打ちが聞こえて来た。情けないものだ。
夕食を済ませ、ごみをまとめる。テーブルの上に置いていたスマホに通知が来た。……明日は休校のようだ。当然の処置だろう。僕はテレビを消し、リビングの明かりを消すと自室に戻った。明日が休みなら、少しばかり夜更かしをしてもいいだろう。……目を瞑ると、血に塗れたあの光景が浮かんでくる。今だけはベッドに行きたくはなかった。
翌日、僕はインターホンの音で目を覚ました。近くに置いていたデジタル時計は午前9時を表示している。等間隔で鳴り続けるインターホンの音が気になった僕は、身だしなみを整えることもなく、ドアの覗き穴から外を覗いた。……そこには、見たことのない大人が何人もいる。全員が黒いスーツを身にまとっていることから、どこかの会社員だったりするのだろうが、僕は彼らを知らない。そもそもこのマンションのエントランスにはオートロック式の自動ドアがある。いったいどこから入ってきたのだろうか。僕はドアガードを仕掛けながらドアを開けた。
「……一体、どちら様でしょうか?」
「おはようございます、木村様。私、イマジンメイカー日本支社、代表取締役の長浜と申します」
長浜と名乗った40か50ぐらいの男は、ドア越しに名刺を差し出す。僕の頭はより一層混乱を極めた。何故そんな人物がここに?イマジニアの事故は一体どうなったのか?……僕が口を開くよりも早く、彼が一歩こちらに歩み寄る。
「実は、どうしても木村様の耳に入れていただきたいお話がございまして。……聞いていただけませんか?」
……「中に入れろ」ということだろう。一介の高校生に一体何の話があるというのか、全く予想もつかないが、いつまでもこんな人たちを家の外に置いておくわけにも行かない。僕はドアガードを外すために一度ドアを閉め、もう一度開けた。
「どうぞ、リビングでお待ちください。着替えてきますので」
「ありがとうございます。それでは失礼しますよ」
長浜達をリビングに案内し、僕は寝室でパジャマから着替えた。茶を出して彼らの向かいに座る。長浜一人だけが席に着き、他の者はその後ろを守るように立っている。体験したことはないが、取り調べとはこういう物なのだろうかと、嫌な緊張感が走り始めた。
「お茶、ありがとうございます。……早速ですが、本題に入ってもよろしいですか」
長浜は一口茶をすすると、話を切り出した。だが、本題に入る前に僕には聞きたいことがいろいろある。……僕の表情からそれを察したのか、長浜は「あなたの疑問は、本題の途中で解決すると思いますよ」と落ち着き払ったような声で言う。今のうちは彼の言うとおりにしていた方がいいだろう。
「……わかりました。それで、一体何の用で?」
「単刀直入に言いましょう。……あなたに、バース・フロンティアを救ってもらいたいのです」
彼はそう言ってまた茶を一口飲んだ。どうやら彼もそれなりに緊張しているらしく、すぐに喉が渇いてしまうようだ。……言っている意味が分からず黙りこくる僕を前に、長浜は「申し訳ない」と前置きした。
「いきなりそんなことを言われても、意味が分かりませんよね。ご説明しましょう。……現在、イマジンメイカーは未曽有の危機に見舞われています」
「……イマジニアの事故、ですよね」
「ええ。ゲーム内ではなぜかログアウトの機能が削除され、外部からの強制ログアウトが行われると、イマジニアの使用者が死亡するという『事故』です。……本社の調査結果によると、バスフロ内部を管理しているAI、『アイリム』が暴走した結果、ログアウトが行えなくなっているということのようです」
アイリム。名前はニュースで何度も聞いた。今現在、世界でも最も優秀な人工知能と評されている代物だ。何処かの軍事国家がアイリムを手中に収めるために、イマジンメイカーに多額の援助を行っているという根も葉もないうわさすら巻き起こしてしまうほど、注目されている。しかし、そんなものが暴走などするのだろうか。
「……アイリムって暴走するんですか?あれほどまでに高性能だというのに……」
「本社の調査結果では、そうなっているというだけです。……ここだけの秘密にしてほしいのですが、私自身はアイリムが暴走しているとは思えません。あれは今も正確な演算を続けているはずです」
「どういうことですか?」
「……バスフロ内に、都市などができるという話を聞いたことはありませんか?」
「ええ、今はもう何人かのテスターがいると聞いたことがあります」
彼は一度頷くと、「少し長くなります」と前置きした。
「少し前、人類の新たなステージとして持て囃された『メタバース』というものがありました。それを先導して社名すら変えた会社は、あまりにも金勘定が下手すぎたせいで開発費を捻出できず、結果開発が中止になってしまったようですが。……しかし、世界中の人間は待ち望んだのです。差別もなければ戦争もない、言語の壁を越えた完璧な世界というものを。……今現在、バスフロがその役割を担えているようで私としてもうれしい限りです。ですが、彼らが求めたのはゲームではなく『生活』。この肉体がある世界を捨て、バスフロ内で精神だけが生き続ける。いわゆる、『肉体は魂の牢獄』という物でしょう。……少し間違っているような気もしますが」
どこかで聞いたような哲学らしい話を持ち出されたところで、ピンと来るはずもない。なんだか煙に巻かれているように感じ、少しだけ語気が強くなってしまう。
「……結局、どういうことなんですか。何故、バスフロの中で生きることが、事故につながるんです?」
「人生にログアウトというものは存在しません。オンラインゲームのように、『今日はここまで』ということは不可能です、決して。……アイリムはそれを知っていました。そして彼女は『人間のログアウトは、死と同義である』と定義づけました。今の彼女にとって自らの意思で行うログアウトとは、安楽死と変わりありません。そして安楽死は、バスフロ内で想定された挙動ではないのです」
「だから、ログアウト自体をできないようにした、と」
長浜は深くうなずき、茶をすする。……頭が痛くてしょうがない。とてつもない情報量が形を成し、ハンマーで頭を殴りつけられている。しかし、まだ僕の一番の疑問である「何故僕の所に?」という疑問に答えが出てきていない。……僕の考えていることは顔に出やすいのか、彼は湯飲みをテーブルに置くと「さて」と言って一息ついた。
「かなり話がそれてしまいました、閑話休題。……あなたには、バスフロを救っていただきたいと先ほど話しましたね。次は、その理由について。……『マリア』という名前に聞き覚えは?」
その名を聞いた瞬間、背筋が粟立つのを感じた。何かいけないことだったのだろうか、冷や汗が流れ出ているに違いない。しかし彼はすぐさま私をなだめる。
「いえ、それ自体が何か悪い行いという訳ではありません。ただの事実確認ですから。……それで、どうですか?」
「……知っています。バスフロ内で、何度か遊んで連絡先も交換しました」
「そうですか。……この方に見覚えは?」
長浜はそう言って懐からスマホを取り出し、ある人物の写真を表示する。30代半ばほどの、かなり仕事が出来そうな目つきが鋭い女性だ。……僕の覚えが正しければ……。
「イマジンメイカーの、社長ですよね?リリアム・バートン……」
「よくご存じで。……いや、テレビで見ない日はありませんか。……マリアちゃんはこの方の娘です」
僕は今日一番の驚きを感じた。そんなすごい人物の娘と何度も遊んで、しかも連絡先を交換していたなんて……。誰かに自慢するわけではないが、珍しいこともあるものだ。……だが、それだけではまだ僕がバスフロを救わねばならない理由にはならないだろう。彼もそれが分かっているのか、話を続ける。
「マリアちゃんはお母さんの仕事にも協力的ないい子でしてね。イマジニアを使っての使用感だったり、バスフロ内のイベントだったりについてかなり建設的な意見をくれるらしいのです。……そして彼女は今、バスフロ内に囚われたままです。……スマホを見てみてください」
彼はなぜかいきなり僕にスマホを見るよう勧めてくる。彼のスマホはすでにしまわれている。自分のを見ろということだろうか。しかし、見たところでいったい何が……。
「……これは、マリアちゃんからの……」
メッセージが届いていた。ただ一言「こっちに来て」とだけ。届いたのは深夜零時。その時はすでに床に就いていただろうか。……僕がメッセージを確認すると、長浜は話を続けた。
「それは、世界中でマリアちゃんと交流を持っていたバスフロユーザーに一斉に送信されたものだと思われます。実際、日本支部にもいくつか同じような問い合わせがありましたので」
どうやら彼女と仲良くしていたのは僕だけではなく、世界中にもいたようだ。僕がバスフロをプレイしていない間、マリアちゃんが寂しい思いをしていないかとうぬぼれた心配をしていたが、どうやらいらぬ心配だった。……一人勝手に安心している僕に対し、彼は冷たい言葉を投げかける。
「……そのメッセージを送られたのは世界中で約15万人です。あなたは唯一、その呼びかけに応じなかった。だからこうして我々が出向いたのです」
「え?それは一体……」
「ここからが本当の本題です。……バスフロ内にはストーリーが存在していることはご存知かと思います」
ストーリーとはいっても、そこまで壮大なものではない。「魔王がモンスターを操って人間を脅かしている。魔王を倒してくれ」というシンプルなものだ。だが、今それをここで口にすると言うことは何かしらの変化があるというのだろう。
「それは今、アイリムの手によって改変させられました。バスフロの制御権を手にした彼女が魔王となり、社長の娘であるマリアちゃんをその手中に収めている。……『外部からの強制アクセスは許さない』という脅迫だと、彼らは考えているようです」
「AIが、脅迫……?」
「私に言わせれば、アイリムはただ世界を守ろうとしているだけなのでしょう。マリアちゃんを手中に収めたのは、それが人間に効く一番の武器だと知っているから。……実際、本社の彼らは丸一日が経った今でも何もしていません。説明を求めて本社を訪れた者たちにイマジニアをかぶせて事態収束の駒としているようですが、成果は芳しくないようで」
「なら、ただの高校生である僕が赴いたとしても、意味がないのでは……?」
「マリアちゃんからのメッセージがあります。……それはパスコードになっていまして、バスフロ内で使用者に有利な影響をもたらします。例えば、モンスターの自動討伐だったり、移動速度の上昇だったりと。……リリアムはどうやら娘にいろいろ開発者コードを持たせていたようで、マリアちゃんはそれを使って外部の人間に助けを求めているのです。……あなたでないといけない理由、ご理解いただけましたか?」
頭の中はぐちゃぐちゃだった。彼が何を言っているのかはわかっている。そしてバスフロの中に閉じ込められた者を救い出すということができるのは、今の所僕しかいないというのも理解できている。……だが、信じられなかった。今すぐにでも玄関から面白くもないタレントが入ってきて「どっきりでした!」と言い出すのではないかと考えている。しかし、長浜の眼は真剣そのものだった。
「……どうでしょう?我々を、そして世界中の人を助けていただけませんか?」
世界人口の約8割、50億人以上の命が僕の身体にのしかかる。あまりの重圧に呼吸が浅くなっていくのを感じる。自分でもわかるほど目も泳いでいる。長浜は、そしてその後ろに立つ彼らはそんな僕をあざ笑うかのような眼で見ていた。……つばを飲み込む。それでも喉の渇きは癒えない。彼らに断ってキッチンに立った。よく冷やした麦茶を喉に流し込む。今自分の顔を鏡で見れば、昨日よりもひどい顔をしているという確信があった。……昨日。クラスメイトが死んでしまった。もしそんなことが世界中で起きているのなら、これからも起きるというのなら、絶対に止めなければならない。それは分かっている。けれど、僕はただの高校生だ。これまでも普通に生きて、これからも普通に生きていく。そんな人生設計を描いていた。……長浜が僕を見つめている。僕はもう一度席に着いた。そして、決心した。
「……わ、わかりました。僕、やります」
このまま傍観していたところで、僕が望む「普通」が戻ってくるわけもない。僕にできることがあるならば、やるべきではないのか。……長浜は僕の言葉に対し、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。……それでは、これを」
そう言って彼は何やらUSBメモリを差し出して来た。
「これには、今回の事態の解決に必要となるであろうアイテムを獲得できるチートコードを入力してあります。ご使用のイマジニアに接続するだけで、すぐに使用可能です。……どうか、よろしくお願いします」
そう言って長浜達は僕の家から出て行った。……僕がイマジニアをかぶる瞬間を見届けないのは、彼らなりに僕を信頼しているということの表れだろうか。……僕は朝食として即席ラーメンを胃に収めると、USBを差したイマジニアをかぶってベッドに寝た。いつも通りの不快な感覚が頭を支配する。誰かの話では「イマジニアは脳に直接作用している」とのことだったが、その話は正しいような気がする。脳みそがかき回されるような感覚が続き、そして次第に眠くなっていく。つい先ほど起きたばかりだというのに、また眠ることになるとは思っていなかった。一体どれほど時間がかかるのだろうか。そもそも僕にできることなのか。……歯を磨いておけばよかった。意識を手放す瞬間、僕はそう思った。
バスフロは荒れていた。ログイン時に必ず降り立つ街であるリースは、普段のにぎやかな雰囲気を完全に失っていた。事態を把握してしまったユーザーによる暴走のせいか、それともアイリムの支配下に置かれたモンスターのせいか。家屋はすべて破壊され、武具屋や道具屋はその看板が真っ二つになり地面に転がっている。整然と敷き詰められた石畳の道は、石材が残っている方が珍しいほどに破壊されていた。……僕は人の気配が微塵もなくなってしまった道を行く。リース集会所ならば、NPCである受付嬢がいるはずである。いつも通りの役割を遂行してくれるとは信じていないが、何かしらの情報は得られるはずだろうと、高を括っていた。
集会所は一応その形を留めてはいた。扉は突き破られ、壁はボロボロに崩れ、屋根の一部が剥がれ落ちていたが。玄関を通って中に入ると、凄惨な光景が広がっていた。剥がれた屋根の隙間から差し込む光が、床に散らばった血痕を照らしている。……ゲーム内ではリアリティの追及のために血痕が表示されるが、それは1分もしないうちに消える。周りには血痕の主らしき人物の影はない。集会所の奥に作られた即席のバリケードが、事態の深刻さを表していた。
テーブルを横倒しにして並べられたバリケードの向こう側には、NPCやユーザーを問わず、複数の人物が床に倒れていた。いくら声をかけても身体を揺さぶっても反応はない。死んでいるのだろうか。……外傷などは特に見つけられない。現実世界で強制ログアウトされると、こうなってしまうということだろう。
「……そうだ、あれを……」
現実世界のことを考えているとき、長浜にもらったUSBのことを思い出した。虚空に手をかざし、ゲームのメニュー画面を開く。……やはり「ログアウトする」の文字がない。とんでもないことに首を突っ込んでしまったことを少しだけ後悔しつつ、「コード入力」の画面を開いた。ここで特定のパスコードを入力すると、ゲーム内で使用できる少し特別な品がもらえるというものだ。……画面を開くと、勝手に文字が入力されていく。決定ボタンが青く光っている。「決定」を押すと、何度も聞いた短いファンファーレと共に、ある物が目の前に現れた。
「これは……、鍵か」
目の前に現れたのは一本の鍵。どこで使えるのかすら説明がない謎の鍵。長浜はこれが役に立つと言っていたが、こんなものを一体いつ使うのだろうか。……悩んでいても仕方ない。ひとまずゲームのシナリオ通り魔王城に向かわねば。……まずは、集会所でモンスター討伐の依頼をいくつか成功させ、「魔王討伐隊」に入隊する必要があるのだが……。
「どうしろって言うんだよ……」
集会所に置かれた掲示板。普段は街の警備から食材の調達といった幅広い仕事の依頼が掲示されているのだが、今は何一つとして存在していない。直接魔王城に向かえということだろうか。……掲示板の前で立ち尽くしていると、誰かの足音が聞こえて来た。僕はとっさに掲示板の裏に身を隠す。入ってきたのは、まさかの努だった。彼は集会所に入ってくると、周りをきょろきょろと見渡し掲示板の方へと近づいてくる。……僕は隠れるのをやめた。
「努。なんでここに?」
「え……?は!?な、なんで翔一がここにいるんだよ……」
「……努のお母さん、大丈夫なのか?」
彼は昨日、母親がイマジニアを使っていたために病院に搬送されていた。母親の搬送に付き添って病院に行った彼に、バスフロにいられる余裕などないはずだ。
「ああ、母さんはなんともない。……というか、なんともできなくてな。強制ログアウトは駄目だろ?そのせいで『絶対安静』としか言われなくてな。……ベッドも足りてないとかで、タクシー呼ばされて帰ることになったよ。今、母さんは家の上の階で寝てる」
「じゃあ、なんで努はここに?今バスフロは危ないってわかってるだろ?」
「秘密にしてくれよ。……長浜ってやつが家に来たんだよ」
努はそれから、長浜との会話の一部始終を話してくれた。内容は僕とほぼ同じ。彼もまた、マリアとの交流を有していた。そのために長浜から目をつけられたのだろう。彼の手には、僕と同じように何かの鍵が握られている。
「で?翔一はなんでここに?お前そんなにバスフロ好きじゃなかったじゃん。禁断症状がでたわけでもねえだろ?」
「僕も……同じなんだ。長浜って人に、USBを渡されて、ここに」
努は目を見開き、驚いた様子を見せる。しかし、これは好都合だと判断したのか、僕の肩を抱き寄せた。
「なら、一緒に行こうぜ。こんな状況下で一人行動は正気じゃねえ。……な?いいだろ?」
「うん、努の言うとおりだね。一緒に行こうか」
彼は「よし」と嬉しそうな声をあげると、僕の肩にまわしていた手を離して、集会所の出入り口へと向かっていく。
「ここには人がいないみたいだな。……ひとまず情報が欲しい。NPCでもプレイヤーでもなんでもいいから捜しに行こうぜ」
彼に連れられ、荒れたリースを歩く。「誰かいませんか」と声をあげながら歩くが、返事は全くない。それから二時間ほど経ち、リース全体を歩き回った僕たちが見つけたのは、無残な死体と血痕だけだった。
「……ここには、誰もいないのか。どうする?」
「どうするも何も……。もうこの世界は今まで通りのバスフロじゃない。用意されたストーリーすら、なぞれやしないな。……このまま、まっすぐアイリムのとこに行ってみるしかないね」
「そうするしかねえか。……それにしても、なんで他の奴の姿はちっとも見つけられないんだ?」
「僕たちより先に、ここから出発したのかもね。先に進めば、誰かに会えるかも」
僕はそう言ってベンチから立ち上がる。二時間歩き続けるのはさすがに体に負担がかかる。……たとえそれがゲームの世界で、現実世界の身体は寝たままだとしても。つくづくこの技術力が恐ろしく感じる。努も僕に続いて立ち上がり、歩き出した。リースの街から出て、北西に向かう。バスフロの舞台、イマージ大陸はその中央に魔王城が鎮座している。リースの街は大陸南東端に位置し、すべてのプレイヤーがここから冒険を始めることになっている。今僕たちが歩いているのはリーパラ街道。リースとパラテスを繋ぐ街道で、ここでよく行商人がモンスターに襲われている。……だが、今は平穏そのものだ。破壊された馬車の残骸があちこちに散らばっているものの、人の悲鳴などは聞こえてこない。穏やかな風が吹き抜ける街道を早足で歩いていく。今この瞬間だけは平穏そのものだが、今の僕達にその平穏をかみしめている余裕はない。少しでも早く前に進み、この事態を収束させねば。……それから一時間ほど歩き、ようやくパラテスの街が見えて来た。近くには人影も見える。彼らは僕たちのことを見つけると急いで駆け寄ってくる。
「……あんたもプレイヤーか。こんな時に、残念なこったな。俺たちはここで死ぬんだよ」
剣を腰に下げたいかつい男は、すっかり生きることを諦めてしまっていた。隣にいる男も同様に「こんな死に方はしたくなかったがな……」とつぶやいている。……僕はとりあえず情報収集として話を聞いてみることにした。
「ここで何をしているんですか?街にも入らないで……」
「……まあ、話したほうがいいか。パラテスの中は気をつけろ。……お前たちがそうなのかは知らないが、俺たちはここから出ようと思ってな。すべての元凶がいるって噂の魔王城に殴り込みをかけようとした。だがな……」
いかつい男の歯切れが悪くなる。彼は街の中を覗いているようだった。隣にいた仲間らしき男が話を続ける。
「この世界にとどまりたいってやつも、思ったより大勢いるみたいなんだ。……まあ、今の現実はあんまりいいものではないってのはよくわかるが……。お前たち、どこの国だ?」
「……日本です」
「そうか。俺たちはドイツ暮らしだが、こっちはもうだめだ。インフラはまともに動きやしねえし、店だって開くかどうかは店主の気分次第。現実に戻ったところでいいことなんかねえけどな。それでも、俺たちは人間だ。電子の存在じゃない。……一生ここで過ごすなんて、御免なんだけどな」
「街の中にいる人たちが、邪魔をしているんですか」
「ああ。こっから先にはいけねえ。魔王城に続く道は、全部あいつらにふさがれてる。力尽くでどかすしかねえが、何人いるやら……。たとえ俺たち全員が協力したとしても、10分もしないうちに返り討ちだろうよ」
僕は空の遠くを見た。天高くそびえる黒い塔の上を、黒い雲が渦巻いている。あそこに行かなければこの事態は収束しないというのに……。
「どうかされましたか?」
横から声をかけられる。街の入り口となっている門から少しだけ顔を出している者がいる。この世界は危機にさらされているというのに、どこか余裕があるような、すでに破滅を目の当たりにしたかのような穏やかな眼をしていた。彼は僕たちが話していたいかつい男たちを見つけると、途端に眼を鋭くする。
「……あなたたち、まだいたのですか。いい加減諦めてはいかがですか?そこまでして行きたい世界でもないでしょう、『あちら』は」
「俺たちの勝手だろ、邪魔すんじゃねえ。別にお前らまで無理やり連れて帰るわけじゃねえんだ、何が嫌なんだよ」
「あの文字。……ログアウトという字を見る度に、この世界が紛い物だという事実を突きつけられる。私は、それが耐えられない。ここは、あちらとは違う!努力をすれば、それは実る。欲しいものを無理に我慢することもない。喧嘩や戦争などというくだらないものも存在しない。……この世界は完璧だ、あの字を除いて」
「……狂ってやがるな」
いかつい男の友人がそう口にした瞬間だった。門から顔を出していた男が、隠し持っていた槍で彼を貫いた。腹と口から血を流し、地面に倒れこむ。
「おい!アスト!」
いかつい男がとっさにしゃがみ込んで、倒れた友人に手を伸ばす。しかし、それよりも早く門にいる男が、アストと呼ばれた男の遺体を街の中に引きずり込んだ。
「おい!待て!アストを返せ!」
いかつい男はそれを追うように門の中に消えて行った。僕たちのもとには静けさだけが取り残されていた。僕は目の前で行われていたことを理解しきれずに呆けていたが、努が僕の背中を軽く叩き意識を引き戻してくれた。
「大丈夫か?……ひとまず、後を追ってみようぜ。あいつらがどんな奴らだろうと、人間であることに変わりはねえ。なら、少しは話し合いの余地があるはずだろ?」
「……う、うん。わかった。……ふう。じゃあ、行こうか」
大きく深呼吸した僕は閉ざされた門に手を伸ばす。もともとパラテスには門どころか塀すらもなかったが、あの怪しげな男やその仲間が作ったものなのだろう。特に鍵がかかっているわけでもない門を押して開け、中へと入る。僕は努と二人して「おお」と感嘆の声をあげた。
パラテスは変わっていなかったのだ。都市部であるイマージに近いこともあり流通が盛んで、様々な行商人が軒を連ねる、いわゆる「商店街」が人気だった。リースの惨状をすでに目にしていた僕たちは、怪しげな男の存在も相まってひどい様相であることを想像していたのだが、いい意味で裏切られる形となった。
「安いよ安いよ寄っといで!お兄さん、これどうだい!?」
店員のNPCがいつもと変わらない様子で、他の所で買っても同じ値段のポーションを差し出す。僕はいつも通りそれを無視し、この街にあるはずの「魔王討伐隊駐屯所」を目指した。変わらずにあるのなら、街の中央にあるはずだ。努もきょろきょろと見回し、あまりの場違いさに呆気に取られているようだ。
「……まさか、まだ無事な所もあったなんてな……」
「あの様子がおかしい男のおかげかもな。……そう言えば、さっきの人はどこに行ったんだろう」
「そういや、そうだな。……まあ、パラテスはそこまで広くねえし、そのうち見つけられるだろ。……早く行こうぜ。魔王討伐隊がまだ生きてるなら、力を貸してくれるだろ」
……それはないだろう。あそこには人が集まっているだろうが、その名通りの役割を果たしているわけではないはずだ。……あの怪しい男、あれが今この街の実権を握っているのは、先ほどの言動から想像できる。あの男は事態の解決に消極的どころか、否定的な立場をとっていた。そんな男が自分の思想と相反するものを生かしておくだろうか。……アストという男性が問答無用で殺害された光景が、瞼によみがえる。だが、彼がどのような人物であろうとも、何かしら僕たちが知らない情報を握っていることは確かだ。それに、努の言うとおり話し合いの余地というのはまだ残されているはずだ。……予想通り駐屯所が視界に入った時、視界が人影でふさがれる。避けて先に進もうとしたが、目の前をふさいできた男は僕たちの邪魔をする。
「……何か用ですか?」
「ここから先は関係者以外立ち入り禁止です。お引き取りください」
「誰が何の力をもってそんな適当なことを決めたんだ?」
努は臆することなく警備員風の男に食って掛かるが、奴は腰に下げていた剣を素早く抜いてこちらに突きつけて来た。
「……どうせ手は出されないとでも思ってたか?あまり調子に乗るなよガキども。今この街はメイア様の支配下にある。あの方に逆らうような奴らは殺していいとお達しを受けているのだ」
「……そのメイアって人が、あそこにいるんですか」
僕は警備員の背後にある建物を指さす。
「ああそうだ。あの人は今身の危険を感じていてな。せっかくアイリムがバスフロを完璧な世界に作り替えてくれたっていうのに、それを邪魔するような奴らがうろうろと。メイア様を殺そうとする奴も多くて、今は警戒を強めているところなんだよ」
「……僕たち、ついさっきバスフロに来たばかりなんです。ログアウトはできないということはすでに知っています」
「……そうか。じゃあ、メイア様に挨拶しに来たってことか。殊勝な心掛けだな。……案内するよ、ついて来い」
警備員の男は剣を収めると、僕たちの先を歩いていく。努は何が起こったのか理解できず、小声で僕にささやく。
「どういうことだ?なんであれだけで……」
「ログアウトできない状態になっていることを知ったうえで入ってきたとなれば、彼らの思考回路では真っ先に『現実世界を捨てた同志』だと思うんじゃないかと思ってね。で、試しに言ってみたんだけど……。予想通りだね。さあ、行こうか」
警備員が周囲を警戒しているせいか、街中に比べて人気が少ない。それどころか謎の冷気のようなものがどこかからか漏れ出しているのか、居心地が悪い。単純に他の警備員に睨まれているせいもあるだろうが、彼らはすぐに僕らから目を離す。だというのに気持ちの悪い冷気は身体にまとわり続けているのだ。……その冷気の正体は、すぐに分かった。駐屯所の横、もともとは討伐隊の訓練所となっていたはずだが、そこは解体され墓場と化していた。しかし、墓石が並んでいるというような整った様子ではない。無残に殺された死体が、乱雑に積まれている。埋めることも燃やすこともせず、まるで見せしめのように放っておかれている死体と目が合った。あれは、アストと呼ばれていた男だ。……彼らの思想に反した者はああなるということだろう。全身に鳥肌が立ち、身震いしてしまう。
「どうした?メイア様はこの中だ。早くこっちに来いよ」
案内してくれた警備員の男は死体に目をくれることもなく、駐屯所の扉に手をかける。彼らにとっては死が日常ということだろう。死体の山から顔を背けて深呼吸をする。死臭を吸い込んだような気がして何度かえずいた。眼からあふれ出た涙を手の甲で拭い、開けられた扉を通った。
中にいた者達は一斉にこちらを見る。男女それぞれ入り乱れ法則性は見受けられないが、少しばかり女性が多いだろうか。彼らはこちらをじろじろ見ては小声で隣にいる者達と何かを話している。まるで田舎に生きる人間のような排他的な反応で気分が悪いが、これも仕方のないことだと受け止めるしかない。
「あそこだ。まっすぐ行った一番奥の扉。扉の前にいる奴には、『クラが許可した』っていえば通してくれる。……俺は仕事場に戻るよ。じゃあな」
ここまで案内してくれた警備員の男は、僕らに向かって後ろ手に手を振ると駐屯所から出て行った。扉は閉められ、退路がふさがれる。窓はいくつもあるはずなのに、扉がしまった途端いきなり夕方のように暗くなったと感じられた。……いつまでも扉の前にいても仕方ない。僕は歩き出した。努は肩をすぼめながら後に続く。彼は周りをきょろきょろと見回しながら、震える声で話しかけて来た。
「……なあ、不味いんじゃないか?訳は知らねえがあれだけ死体を積み重ねるような奴らだぞ?関わっていいことなんて……」
「さっきの人たちの話、聞いてなかった?……あの人たちの言葉から考えると、彼らこそが今この世界を牛耳っているといっても過言ではないんだ。なら、無理に敵対しないのが賢い選択だよ。……仲間のふりをして入り込めば、隙ができるかもしれないし」
「けどよお……。こんな危ない橋渡らなくなっていいんじゃないか?」
「……『魔王城への道は彼らが塞いでいる』。あの人たちはそう言っていた。街1つ自由にできる力を持つ組織が、その程度で収まるわけがない。たった2人でどうにかできる相手じゃないだろ?……今この状況ですら、襲ってこられたら僕たちは終わりだよ」
「なら、俺たちと同じ目的の奴を探せば……」
「それなら猶更、ここと話はつけておくべきだ。……彼らからすれば、僕たちみたいな思想は危険思想の持ち主として扱われるだろうね。訓練所跡地にあれだけ積まれていた死体がいい証拠だよ。……つまり、彼らは不穏分子を探し出して殺している。探そうとしている人間は僕たちとこいつらで同じなんだ。だから……」
「こいつらが見つけた瞬間に横から掠め取れれば……」
僕は口を開かず、ただ頷いて努の言葉に肯定の意を示した。目の前には門番のような大柄な男がいたからだ。扉の向こうに重役がいるからか、彼の眼光は気の弱い者なら一瞥で肝をつぶしてしまうほどだ。しかし、今の僕たちにひるんでいる暇などない。
「……何用だ?」
「ここを仕切ってるメイアっていう人に会いに来ました。クラという人から許可はもらっています」
「……いいだろう。中で待っていろ」
門番の男は扉を開けてくれた。中はカーテンが閉め切られているためか真っ暗で、様子はよくわからない。しかし彼の言い方からすれば中には誰もいないのだろう。「そこに座ってろ」と男はカーテンを開けながら、すぐ近くにあったソファを顎で示す。2人して並んで座ると「おとなしくしていろよ」とくぎを刺して部屋を出て行った。……部屋の内装は正直趣味が悪いと言わざるを得なかった。赤いカーペットに赤いソファ。テーブルクロスまで赤い部屋はかなり居心地が悪い。その上、まるで自分の権威を示すためだけに、ある女の胸像が飾られている。肩甲骨あたりまで伸びた髪は石造だというのにつややかさを醸し出しており、表情はささやかな笑みを湛えている。少し吊りあがった眼は気の強さを表しているのだろう。この笑みすらも威嚇しているように感じられてくる。一般的な目線からすれば美人の類ではあるのだろう。僕個人としてはあまり好ましいとは思わないが。……努は緊張しているのか何度も座りなおしたりと落ち着きがない。「待て」と言われてからどれほど経っただろうか。部屋を見回しても時計の類が見つからない。太陽はまだ傾きを見せておらず、おおざっぱな時間しかわからない。ただ待っているだけ、退屈なせいであくびが出て来た。眼からあふれた涙を拭う。その瞬間、扉が開く音がした。
「……30分も私のこと待っていたみたいね。で、何の用?」
人を30分も待たせておきながら謝罪の一言もない。……大方胸像から想像していた見た目ではあったが、想像よりも相当性格が厳しそうな女が姿を現した。
「僕は翔一と言います。こっちにいるのは努です。僕たち、イマジニアの事故を受けて、現実を捨てて来たんです」
「ふうん、それで?」
「今バスフロがどんな状況になっているのか知りたくて、パラテスを牛耳っていると噂のメイアさんにご挨拶したいなと……」
「……翔一ね。あんたがあいつ本人とは限らないけど、同じ名前の奴がいるってのは気分が悪いわ。……まあいいわ、質問はある?答えてあげる」
初対面ではあるが、僕はすでにこの女性が苦手だ。高圧的な態度が母を思い出させる。……あの時学んだように、下手に出ておくとしよう。
「ではまず、この組織に名前はあるのでしょうか?街の人にはそんなことを聞けるような状況ではなかったので」
「名前?特に決めてないわ。別にそういうちんけな仲間意識で集まってるわけじゃないから、名前なんか付けなくても結束できてるのよね。不便なら……『正義会』とでも呼んで」
随分と大層な名前を名乗るものだ。外に大量に積まれた死体は目に入っていないのだろうか。……彼女を見下しているのがばれないよう、質問を続ける。
「いつから活動を?」
「前々からバスフロ内で大小限らずいろいろな活動をしていたのだけど、あまり見向きされなかった。けど、アイリムがバグってくれたおかげで、みんな困ってるみたいでね。今まで見下してたはずの私たちに頭下げて来たの。笑えるわ」
「……今現在、『正義会』の人数はどれほど?」
「大体、ユーザーの4割くらいじゃない?」
彼女の言うとおりだとすれば大体20億人程度か。かなり大きな組織だ、真っ向から相手をするべきではない。ひとまずは友好的な態度を示しておく方がいいだろう。
「……僕たちも『正義会』に入ることはできますか?」
「別に構わないけど。……ちょっと待ってて」
メイアはそう言って立ち上がり、部屋の隅に置いてあったチェストの方へと向かった。何かを探しているのか引き出しをいくつも開けては閉め、騒々しい。それから少し経ち「あった!」と言って何かを持って戻ってきた。手のひらに収まるそれは小さなバッジだった。
「これ、会員証みたいなもの。よく見える場所につけておけば、警備員に引き留められることもないと思うわ」
僕は受け取ったバッジを羽織っていた外套の右襟につけた。努は僕のまねをするように同じ場所につけた。それを見届けたメイアは「さ、もうここに用はないでしょ。私は忙しいからどっか行って」と退出を急かしてくる。こんな世界で何が忙しいのかはさっぱりわからないが、特段逆らう理由もない。素直に従ってそのまま駐屯所から出た。
「……これからどうすっか?」
駐屯所から少し歩き、パラテスの街中に戻ってきた僕たちは、適当な喫茶店で席を借り、今後の計画を話し合っていた。
「最初の予定通り、魔王城に近づいてみようか。……彼らにストップをかけられるかどうかはやってみなくちゃわからないしね」
その後のことは、その時考えればいい。そう考えていた僕のもとに、耳を疑う情報が飛び込んできた。
「なあ、聞いたか!?アイリムに捕まってたマリアって女の子、自分で逃げ出したらしいぞ!」
喫茶店向かいの酒場、昼間から酒を飲んでいる二人組の男の内、片方がそう言った。僕と努は条件反射のように首を動かし、聞き耳を立てる。
「マリアってあれだろ?イマジンメイカーの社長の一人娘のことだろ。ありゃ人質みたいなもんじゃなかったのか?」
「あの子には母親が与えたコードがいくつかあるんだと。チートコードみたいなもんだな。で、それを使って逃げ出したって話らしい」
「……そんな話をどこで聞いたんだ?パラテスから出てないだろ?」
「あれだよ。……あいつらが話してたんだ」
ジョッキを呷る男はそう言って、少し遠くの方を指さした。そちらに視線を向けると、胸あたりにあのバッジを付けた者がいる。……どうやら正義会の連中が話していたのを、僕らのように盗み聞きしたということか。
「あいつら、アイリムの真似事をしようとしてるみたいでな。今度は自分たちがあの子を捕まえて、会社側にいろいろ取引を持ちかけようとしてるみたいだ」
「……どこまで聞いてんだよ……」
もう片方の男が話題を変えた。僕は努と顔を合わせ、同時に席から立ち上がる。目を合わせ、同時に頷いた。考えていることは同じだ。手早く会計を済ませて、あまり人の目が入らない路地裏に入った。
「聞いたな、翔一!」
「うん。……マリアちゃんの救出。僕たちが今すべきことはこれだ」
僕はここにくる以前に長浜から聞いていた話を思い出していた。「約15万人がマリアちゃんと交流を持っており、全員が彼女を救出するためにバスフロに乗り込んでいる」。正義会の活動のせいで、何人かはもう殺されてしまっているかもしれないが、全員が死んでいるわけではないだろう。……彼らと協力できるのなら、頼もしいことこの上ない。味方を探すためにも、マリアちゃんは必ず保護しなければ。
「……さっきの人に話聞いてみるか。今マリアちゃんがどこにいるのか全然わからねえしな」
「うん、そうしよう」
僕たちは路地裏から出て、先ほどの酒場に向かった。しかし、あの男はもうどこにもいなかった。二人組の内片方はまだいたのだが、顔に殴られた跡が残っている。僕たちはすぐに駆け寄り呼びかけた。
「どうしました!?大丈夫ですか!?」
「……き、君たちは……」
「ここを通りがかっただけです。一体何があったんですか?」
「あいつのせいだ。……あいつの」
どうやら命に別状はなさそうだが、殴られた跡が痛々しい。彼はしきりに「あいつ」と言うが、もう片方の男の姿はない。……2人でいたのは知っているが、いちいち理由を説明するのも面倒だ。知らないふりをして聞きだすことを選んだ。
「あいつ?他に誰かいたんですか?」
「ああ。ただの友人なんだが、適当言いまくってたせいで正義会に目をつけられてな……」
僕は右襟につけていたバッジを外してポケットにしまった。無用な警戒はさせるべきではない。……簡単な手当てを施しながら、情報を聞き出す。
「それで、目をつけられて暴行されたということですか?」
「ああ。あいつが余計なことを話すから……」
「余計なこととは?」
「やめた方がいい。あんたらも正義会の連中にやられるぞ。あいつは連れ去られちまったしな」
「……大丈夫です。周りには誰もいませんから。……で、余計なこととは?」
地面から起き上がった男は悩んでいたようだが、「助けてくれたし、教えてやるよ。だが、悪く思うなよ」と忠告してくれた。
「……アイリムってAIが社長の娘、マリアをさらってたのは知ってるな?で、マリアはついさっき、自力で脱出したらしい」
「そんなことが……。しかし、どうして正義会の人たちはそれだけでそんなに……」
彼らの話を盗み聞きしていたからそれも知っている。けれど、怪しまれないためにも自然な反応をしておくべきだ。
「あいつらもマリアを手に入れようとしてんのさ。今、社長の娘を人質にとれれば、世界を相手に優位に立てるといっても過言じゃない」
「なるほど、その計画が漏れたから……」
「ああ。あいつが勝手に話してただけだっていうのに、俺まで巻き込まれちまった。……こんなバカなとこに閉じ込められてるってことですら我慢できねえのに、なんでこんな目に合わなくちゃいけねえんだ!」
話を聞いているうち、彼は次第にヒートアップしていく。けがの手当てが住んでひと段落したからだろう。「安静にした方がいい」となんとかなだめ、聞きたかったことを聞いてみた。
「今、マリアはどこにいるとかその友人さんから聞いたりしましたか?」
「ああ。確かロキードの方にいるらしいぜ。……何時間も前の情報だ、今もまだそこにいるかはわかんねえぞ」
「いえ、ありがとうございます。……それじゃあ」
僕はそう言って立ち上がった。努と目を合わせ、「お大事に」と言って男から離れる。その間際彼の口から「頑張れよ」と聞こえて来た気がした。
清水先生の死を目の当たりにしてから一日が経った。結局まともに寝られず、日が昇りきってからもあくびを何度も繰り返している。……今日が休校になってくれてよかった。いや、良くはない。もとより減っていた生徒数がさらに減り、教職員も激減した。もはやK高校は学校としての体裁すら保てないだろう。……ただ自分でそう思っているだけだったが、教頭からメールが届いた。『全校連絡。明日以降、無期限の休校といたします。なお、3年生の教室については開放しますので、自習などで使っても構いません。教職員方は会議がありますので、明日は必ず学校に来てください』と記されていた。……明日の会議、おそらくそれは今後のK高校の行く末を決めるものになるはずだ。……ため息が出る。なんだか憂鬱で、眠気もひどい。けれど、なぜだか寝る気にはなれなかった。……俺は散歩に出た。あのまま部屋にこもっていればどんどん気が滅入っていただろう。涼しい風は優しく肌をなでる。今、世界中で起きていることなどどうでもよい。俺にはそう言っているように聞こえた。
「はあ……」
空を見上げてため息をつく。涼しい風が体内に入り、少しだけすっきりする。……今日は少し遠くまで歩いてみよう。今まで以上に車が通らない道を大手を振って歩く。車道の真ん中を歩いても、身の危険は一切感じられなかった。昨日はひっきりなしに聞いていた救急車のサイレンもおさまり、昨日のことはすべて嘘か、俺個人が見ていた悪夢だったのではないかと思えて来た。ふとスーパーが目に入り、寄ってみることにした。普段は仕事帰りにしか利用しないため、開店してすぐにこのスーパーに来るのはおそらく初めてのことだった。
当然というべきなのか、店内に人の姿はない。客も店員もどこにもおらず、ここで暮らしていた人は全員どこかへ行ってしまったようだ。……魔が差した。防犯カメラを探し、ばっちり映る角度を探す。そして、カメラの目の前で、棚にあった商品をポケットに入れてみた。そのまま店内を歩き回る。店員は誰も来ない。俺は今万引きしたというのに、誰も咎めに来ない。……30分ほどかけて店内を歩き回った結果、見つけられた人影はレジにいた1人のみだ。20以上のレジがずらりと並んでいるというのに、使えるレジはたった1つだけ。……ポケットから商品を出して、会計を済ませた。特に好きでもないグミだったが、気分転換にはちょうどいいだろう。早速封を切り、一粒口に放り込む。
「……微妙だな」
静寂の中を歩き続け、俺は帰路に着いた。およそ1時間程度しか歩いていないが、なぜだか変に疲れている。俺もそろそろ年だということか。家に帰ると、ポストに珍しく何かが突っ込まれていた。……新聞は2年前に廃業した。デリバリーのチラシだろうか。ポストの中から出てきたのは、予想とは全く違う代物だった。「イマジンメイカーを糾弾せよ!立ち上がれ市民たち!奴らは善良なる一般市民を……」。頭が痛くなってくる。くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に押し込んで、大きくため息をついた。
「そんなんでどうにかなるなら、ここまで大事になってねえだろ……」
ソファに体を預けながらそう独り言ちたところで、返事をする者はいない。……誰であっても、家族がバスフロに取り残されていれば何かしらの行動は起こしたくなるものだろう。彼らが活動に懸ける想い自体は否定されるべきものでもない。だが、喚くだけでどうにかなる問題などありはしないのだ。……普段学校で働いているせいか、騒がしいのに慣れている。そして静かなのはどこか落ち着かなかった。雑音を求めてテレビをつける。偶然映ったチャンネルでは、暴動の中継が行われていた。
『ご覧ください!イマジニアの使用事故に対しての説明を求めて、多くの市民がイマジンメイカー日本支部に詰めかけております!』
マイクを握りしめて声を張り上げるアナウンサーは、ヘリを使って上空から暴動の様子を伝えている。拡大されたカメラの先にいたのは、まだ高校生にもなっていない子供だった。何かを叫び、石を力の限り投げつけている。おそらく家族が死んでしまったか、目覚めないかのどちらかだろう。警備員ももちろんいるが、あまり積極的に鎮圧は行っておらず、会社に近づかせないようにすることに専念しているように見えた。……俺はあることを思い立ち、席を立つ。そして酒とつまみをもって戻ってきた。……大きな組織が呼び起こした混乱、翻弄される一般人。まるで映画のワンシーンだ。人が大勢死んでいるため冗談では済まないが、どうせ周りには誰もいない。何かを思う程度は自由であるべきだ。
『おっと!何やら動きがありました!中から誰かが出てきます!……重役の男性でしょうか、拡声器を使って何かを話しているようです!』
40か50程度の、物腰が柔らかそうな男が何かを言っている。群衆は一瞬にして静まり、そして蜘蛛の子を散らすように散っていった。……武力で鎮圧するとか、そのようなことを言ったのだろう。イマジンメイカーは思っているよりも、なかなかきな臭い組織のようだ。……それよりも、まだ酒盛りが中途半端な方が、俺にとって問題なのだが。
翌日、午前7時半。一昨日が寝不足だったおかげもあり、昨日はよく眠れた。瞼の裏に同僚の死が映ろうとも、眠気には勝てなかった。……俺は案外、薄情な人間なのかもしれない。
「……人間みんな、そんなもんだろ」
誰に責められたわけでもないが、そう自己弁護した。そしてすぐに、自分の情けなさに嫌気がさして、大きくため息をついた。……世界は1日程度では決して良くならない。イマジンメイカーが引き起こした問題は解決するどころか、その兆しすら見せていない。もっと言うならば、今現在何が起こっているのかすら、一般人には知り得ないのだ。あの会社は一体いつから説明責任を免れるほど偉くなったのだろうか。昨日あれほど吠えてかかっていたデモ隊は、もう影も形もない。……テレビの電源を切り、立ち上がった。そろそろ時間だ。どうせ教師としての仕事はないだろうが、職業病とでも言うのだろう、いつもの時間に家を出なければ済まない体になっていた。景色はいつも通りだ。風もいつものように優しく吹き抜け、木々はそれを受けて緩やかに揺れる。皮が流れる音も耳に心地よいものだ。世界は変わらず時を刻み続けている。……人間。人間がいない世界というものは、かくも穏やかな物なのか。
学校の門をくぐった。駐輪場をちらと覗くと、少しばかりだが、生徒の物らしき自転車が見える。……真面目なものだ。今が真っ当な世の中であれば、彼らは正当に評価を受け、それなりの暮らしを送ることができるだろう。……イマジンメイカーは、ただのいち会社に過ぎなかったが、彼らがもたらしてしまったものは世界を大きく変えた。
「はあ……」
空に向けてため息をついた。今世界を牛耳っているのがイマジンメイカーなら、空に吐いたため息は彼らに届いたりするのだろうか。……清水先生や、他の先生あるいは生徒の死を知ってから、変に考え込んでしまうことが増えた気がする。学校が休みになって、自分の時間が増えてしまったからだろうか。今までは多忙を言い訳にし続けていたが、そろそろ趣味の1つや2つ、見つけるべきなのかもしれない。……校内は当然というべきか、静まり返って寒気を感じるほどだった。2年ほど前から急激に生徒数が減っていたが、それでも年頃の子たちが集まれば必然、騒がしくなるものだ。自分の学生時代を思い出して、懐かしさに浸ることも、ままあった。が、もう難しいだろう。
職員室の明かりはすでについていた。ドアを開けると、4人の先生が中にいた。教頭の立花先生。大島先生。そして倉持先生に、教務主任の下野先生。時刻は8時を過ぎている。普段ならもっと多くの教師がいるはずだが、他の教師は家を出るほどの気力もないということか。
「……きましたか、斎藤先生」
たかが俺1人を待ち望んでいたような声。立花教頭は相当参っているようだ。一昨日だけでなく昨日もいろいろと働いていたようだから、それも当然だろう。……そう言えば、校長の姿がない。学校の一大事だというのに、何をしているのだろう。その疑問が顔に出ていたのか、立花教頭が口を開く。
「田畑校長ですが、今はイマジンメイカーに連絡を取っている最中です。……あの会社が起こした、あまりに多すぎる死亡事故。うちの教師や生徒も例外ではありません。……幸いと言うべきではありませんが、PTAに所属している親御さん方も未だ昏睡中だったり、あるいは死亡しているため、思ったほど生徒の死に対する追及は強くありません。追及されたところで、私どもとしてもどうにもできませんがね」
教頭は自嘲気味に言葉を締めくくった。それと同時に職員室の扉が開き、田畑校長が入ってくる。そして開口一番「クソッタレ!」と怒りを露わにするのだった。
「何が『お答えできかねます』だ!お前らが引き起こしたのだから、つべこべ言わずにさっさと説明しろ!……はあ……。見苦しいところを見せてすまない。少し取り乱した」
「……やはり駄目でしたか」
「ああ。けんもほろろ、なしのつぶてとはまさにこのことだろうな。……いや、受け答え自体はしてくれているのだから、暖簾に腕押し、糠に釘と言ったところか。……あの会社、社員にどういう教育をしているんだ。何が起きているか社内で情報共有できていないのか、そんな会社が世界を牛耳っているのなら、この世界は終わりだな」
生徒がいないからと言って、見たこともないほど悲観的な物言いをする校長。生徒に夢を抱く大切さを語ったその口で、これからの若者が生きていく世界を「終わり」と評するのは、別人に入れ替わったことを疑ってしまうほどだ。……しかし、悲観的になってしまうのも仕方のないことだろう。大きくため息をつく校長をなだめた教頭は、「時間ですね」というと、職員室にいた教師全員を集めた。と言っても、俺を入れて6人しかいないが。
「……それでは、これより会議を始めたいと思います。議題は『今後の学校運営について』です。……校長、お願いします」
「うむ。……イマジンメイカーが引き起こしてくれた大惨事のおかげで、我々は非常に厳しい現状を強いられている。教育委員会も被害に苦しめられているようで、今朝も連絡を取ろうとしたが繋がらなかった。……教育委員会はすでに崩壊していると言ってよい」
集まった教師の口からは「そんな……」という失望の声が漏れ出ている。校長は大きくため息をつくと、話を続けた。
「しかし、学校運営自体は可能なはずだ。生徒の親がバスフロに閉じ込められようとも、換金機能自体は生きているはずだ。ならば、学費を払われないといったことにはならないだろう」
「しかし、問題は生徒の方です。友人が死に、親が死んでしまった子は、授業を受けるような精神状態ではないかと」
下野先生が言う。教務主任というだけあって、生徒のことを第一に考えているようだ。校長は少し頭を悩ませて口を開いた。
「……カウンセラーもあまり意味はないか」
「ええ。この状況、誰にとっても未知の世界です。下手な慰めなど、何の価値もないでしょう」
カウンセラーなど、適当な言葉で客を煙に巻き、高い金をむしり取る悪徳業者そのものだ。バスフロの普及の影響か、デジタル依存に対するカウンセラーも数を増やしたが、デジタル依存の患者数は毎年最多を更新している。
「……授業を受けることが、その子の気を紛らわせることになるかもしれません。傷が癒えなくとも、一時その痛みを忘れさせるぐらいは……」
倉持先生が言う。彼女はその優しさから生徒間でも人気が高かった。
「ひとまず、学校運営は限界が来るまで続けるとしよう。……それがいつ来るかは、わからないがね。会議はここまでとしようか」
校長自らの口で会議の終了が言い渡された。彼はすぐに「もう一度、各所に連絡を取ってみる」と言って職員室を出て行った。俺たちは部屋に残されたが、特にやらなければいけないことなど何もない。皆はとりあえずと言ったようにそれぞれのデスクに付き、少し何かを考えたのちに目の前の書類を片付け始めていた。……俺はただ、目の前に摘まれたほぼ白紙の英語のプリントを見つめていただけだった。
自分の机の上に積まれていたプリントをすべて処分し、机の上を片付けた俺は、教頭に許可を取って家に帰ることにした。このままここでぼうっとしている意味もない。自分のクラスを覗きに行ったが、来ている者は誰1人としていなかった。別に期待していたわけではない。仕事を増やされたくない一心で確かめただけだった。
「はあ……」
一体いつから、自分はこんなに無気力になっていたのだろう。高校生の頃から望んでいた仕事をしているというのに、今俺の心にあるのは「面倒」という気持ちだけだった。学校の敷地を跨いだ後、校舎に一度だけ振り返り、もう一度大きなため息をついて、学校を後にした。
ぼうっとしている意味がないからと言って帰路に着いているが、帰ったところでやりたいこともなかった。……唯一の趣味と言ってよかったバスフロは、命に危機が及ぶことから、棚の上に置きっぱなしにしている。視界に入れるだけでも、清水先生の死に様を思い出す。……ヘルメットの中いっぱいにたまった血が、脱がせると同時に流れ出て行き、床を赤く染めていく。そしてそれを思い出すたびに、俺は自分のイマジニアを持ち上げて、血が出てこないことを確かめていた。……家に帰り、荷物を適当に床に放ると風呂場へ直行した。熱い湯さえ浴びれば、すっきりするはず、そう考えた。……そして20分後。いくばくか余裕ができた俺は、昨日残したつまみと酒を冷蔵庫から取り出し、テーブルの上に置く。そして、スマホ片手にソファに寝ころんだ。今、世界で何が起きているのか。少しだけ知りたくなったのだ。
バスフロ内にもSNSの機能が存在し、ゲーム内からアクセスすることもできる。……今の状況下ならば、中に取り残された者の言葉を知ることができるかもしれない。……別に知ったところで、どうという訳でもない。この現状、一般人にできることなど何もないのだ。しかし、自分だけが蚊帳の外というのはどこか耐えられない気持ちがした。情けない自分を満足させるため、SNSを覗く。そこに、バスフロに関する書き込みは全く見つからなかった。様々な検索方法を試してみるが、該当する情報は1つたりともない。公式のアカウントすら削除されているようだ。画面に表示された「存在しません」という文字に、なんだか腹が立ってきた。
「なら、これでどうだ」
『今バスフロに入ると、死ぬまで出れなくなるぞ。イマジンメイカーは何をやっているんだ?』という書き込みを送信してみた。その文言は無事に公開され、心の中に湧き上がっていた「検閲されているんじゃないか」という疑問が鳴りを潜めていく。しかし、それもつかの間に過ぎなかった。ふとスマホに目を戻すと、書き込みが削除されている。一瞬誤操作で消してしまったのかと自分を疑ったが、そんな偶然はあり得ない。やはり検閲されているのだろうか。
「……うさんくせえな」
昨日飲み残した酒を流し込む。……2度と飲みたくない味だ。
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