第9話 舞台裏の陰謀、二つの刃
勝利の歓声がまだ王都を満たしている夜半、私は侯爵邸の書斎で帳簿を広げていた。投票の結果は明白だった。橋が過半を制し、パンが後を追い、夢は消えずに残った。民は選んだ。だが、それで終わるほどこの国の物語は甘くない。
蝋燭の炎が揺れる中、黒薔薇商会の使いが駆け込んできた。
「レディ・セレスティア、密書を入手しました。王家の評議会と議会の長老派が——同盟を結んだのです」
私は扇を閉じ、低く息を吐いた。
「敵対していた二つの刃が、背後で交わったわけね」
その密書には、鮮明な文言が記されていた。
王太子を傀儡に据え、議会が実権を握る。
「悪徳令嬢」の名を利用し、王都の動乱の責を彼女に帰す。
公開投票の結果を「民の暴走」と定義し、無効を宣言する。
要するに——舞台のリセット。
私は紙を指先で弾き、蝋の欠片を払い落とした。
「夢の次は、帳尻合わせすら無視する気か」
翌朝、王都の広場には再び兵が並んだ。王家の旗と議会の旗が並び、民はざわつく。壇上に現れたのは老議員と王太子アルバート。
老議員が高らかに宣言する。
「昨夜の投票は、民意の仮装にすぎぬ。王権の威信と議会の理性を乱すもの。ゆえに——無効!」
群衆が一斉に叫び声を上げる。「嘘だ!」「票を見たぞ!」
だが兵の盾が光り、刃が抜かれる。
アルバートは沈痛な顔で俯いていた。傀儡として立たされているのは明らかだった。
私は拘束輪を掲げ、壇に進み出た。
「無効とは、手続きを逆さに読むこと。昨夜の票は箱に眠り、灰は証拠に残り、署名は紙に刻まれた。——それを消すには、紙を燃やし、箱を割り、灰を踏み潰さねばならない」
黒薔薇の代言人が続ける。
「議会と王家の密約は、既に証拠がここにある」
群衆がざわめく中、栗髪の少女が声を張った。
「票を投じたのは私たちです! その声を“暴走”と呼ぶなら、あなた方の椅子こそが暴走です!」
広場に拍手と怒号が響いた。老議員の顔が赤く染まり、杖を振り下ろす。兵たちが前に進む。
だがその瞬間、アルバートが一歩前に出た。
「やめろ!」
剣を佩かぬ彼の叫びに、兵が一瞬動きを止める。
「俺は昨夜、橋に名を刻んだ。民が選んだ数字を、俺が無効と叫べば、それは夢の破片すら奪うことになる!」
老議員が叫ぶ。
「愚か者! 王権は民意に屈してはならん!」
アルバートは静かに答えた。
「屈するのではない。支えるのだ。橋の下で」
群衆が再び沸いた。
私は扇を広げ、冷ややかに告げる。
「老議員殿。あなたが望むのは“物語の続投”。けれど観客は、もう脚本の古さに飽いています。——次の幕は、新しい舞台装置で」
黒薔薇の代言人が宣言した。
「非常委員会の密約を公開。議会筆頭の退任動議を発議!」
民衆が歓声を上げ、兵の列も揺れる。彼らの中に混ざる若い兵士の目は、すでに橋を渡った夜の熱を思い出していた。
その夜。
私は侯爵邸の窓辺に立ち、王都の灯を見下ろした。橋の上では子どもが駆け、孤児院の窯からはパンの匂いが漂う。
背後から黒薔薇の使いが囁く。
「レディ、王家と議会の刃はまだ折れていません」
「分かっている。次は——刃を研ぎ澄ませた上で、鞘ごと奪う」
拘束輪が月光を浴びて冷たく光った。悪徳令嬢の物語は、なお終幕を拒んでいる。