第7話 投票の火、灰の証言
夕陽が王都の屋根に赤い縁を残す頃、南倉街の火はようやく鎮まった。黒く焦げた梁が軋み、まだ熱を孕んだ石壁がじりじりと音を立てている。
群衆は火の勢いを抑えた達成感に息をつきながらも、目はまだ熱を帯びていた。火を仕掛けた者の意図が、誰の目にも明らかだからだ。
「灰は語る」
私は掌に残した焦げ麦を掲げ、群衆に告げた。
「海晶の粉、偽印、三人の息。火は偶然ではなく、脚本。だが、舞台を奪ったのは私たちです。炎は証拠になった」
人々の目が輝いた。恐怖の炎が、今は正義の焔に変わりつつある。
その夜、公会堂に再び人が集まった。灰の匂いをまとった民衆、煤で顔を黒くした子どもたち、そして議会の長老派。壇上には王太子が座り、その隣に私。拘束輪の冷たさは相変わらずだが、もはや誰もそれを枷として見ていない。
「追加聴聞を開始する」
黒薔薇の代言人が開会を告げる。香炉が焚かれ、白い煙が天井へと昇った。
壇上に三人が呼ばれる。議会筆頭の老議員、王宮侍従、海晶工房の親方。いずれも蒼ざめた顔で、それでも虚勢を保つように歩を進める。
「問う。“南倉街放火”に関わったか」
代言人の声が響く。
「無実だ!」と叫んだ瞬間、香が青を濃くした。群衆がざわめき、三人は互いに目を逸らす。
私は一歩前に出た。
「海晶の粉を燃え筋に混ぜ、青を虚偽の証明に仕立てた。封印の偽印は三人の息を交互に乗せた。——証拠は灰に残っている。灰は嘘をつかない」
黒薔薇の術師が瓶を掲げ、中の灰を光に透かす。粒子の中に青砂が煌めき、風の向きを描く線が浮かんだ。群衆から感嘆の声。
老議員は杖を震わせた。
「女の細工で舞台を奪われるわけには……!」
香は青をさらに濃くする。
「舞台は奪ったのではなく、記録で塗り替えたのです」
私は扇を広げ、静かに告げる。
「悪徳令嬢は、芝居を終わらせるために存在する。あなた方の脚本は、灰に埋もれました」
その瞬間、王太子が立ち上がった。
「俺は今夜、火を消した。だが火をつけた者の名を隠すつもりはない。議会筆頭、侍従、親方——お前たちを罪に問う」
群衆がどよめき、やがて拍手と歓声に変わった。王太子の声は、善の演出にすぎないかもしれない。だが、演出も必要だ。私は頷いた。
「善は旗。悪徳は土台。——旗は高く、土台は低く。両方あってこそ国は立つ」
香炉の煙は透明に戻り、聴聞は閉じられた。
翌朝。
王都の広場には投票所が並び、人々の列が街道まで続いていた。橋を渡る子どもが笑い、老職人が杖で箱を叩き、農婦が麦粒を握りしめて札を投じる。
「橋」「パン」「夢」。
札はひとつひとつ落ち、木箱は音を重ねる。音は群衆を整える。
私は拘束輪を鳴らし、群衆に向かって告げた。
「炎は証拠となり、灰は語りました。次は——数字が未来を語る番です」
群衆が沸き立ち、太鼓が鳴る。王都は、悪徳令嬢の腕輪の輝きに導かれて、新しい物語へと歩き出そうとしていた。