第3話 聴聞会の火蓋
黒薔薇商会が告示を打ち出して三日目、王都はすっかりざわめきに包まれていた。
「悪徳令嬢が公開審問に挑むらしい」「王太子殿下が訴えられるだなんて前代未聞だ」「黒薔薇が背後についた時点でただ事じゃない」——街角の噂は、炎に油を注ぐように広がってゆく。
侯爵邸の窓から外を見下ろすと、新聞売りが声を張り上げているのが聞こえる。
「号外! 王太子と悪徳令嬢の断罪劇、次幕は公開聴聞! 庶民も傍聴可能!」
束ねられた紙面には、私の顔を模した粗い木版画が刷られていた。扇を掲げる横顔——どこか悪女めいて見えるのは、刷り手の悪意か、それとも私自身の演出の賜物か。
(いいわ、その役を演じ切ってあげる)
聴聞会前夜。書斎の机に並ぶのは山積みの帳簿と契約書。黒薔薇商会の使者が沈痛な面持ちで言う。
「レディ、これだけの情報を開示すれば、敵味方を問わず多くの者が失脚いたします。王太子殿下の後ろ盾だけでなく、議会の長老派、名家の連中までも」
「承知の上よ。むしろ望むところだわ。“悪徳”の名を被る者こそ、膿を抉り出す役を負うもの」
私はペンを走らせながら応じる。前世で学んだ法学の知識と、この世界の契約魔術が融合すれば、書類はただの紙束ではなくなる。——証拠を持つ者が、物語を制する。
当日。王都中央広場には人の海が押し寄せていた。普段は市が立つ場所に仮設の壇が組まれ、黒薔薇商会の紋章を染め抜いた幕が張られている。その中央に、私と殿下が並んで立った。
群衆の目が一斉に注がれる。怒り、好奇、期待、憎悪——あらゆる視線を浴びながら、私は冷ややかに微笑んだ。
「これより公開聴聞を開始いたします」
黒薔薇の代言人が声を張り上げる。まず提示されたのは、王家が密かに改ざんした婚姻契約の写し。その字の歪み、押印の不自然さが魔術式で浮かび上がると、群衆の間からどよめきが上がった。
「偽造だと……」「王太子がそんな……」
殿下は顔を真っ赤にし、机を叩いた。
「戯言だ! 悪徳令嬢が黒薔薇を買収しているに決まっている!」
その瞬間、壇上に焚かれていた香炉の煙が濃い青に変わった。真実香——虚偽を告げれば色を変える香。群衆が一斉に息を呑む。
「……っ!」
殿下の声が震える。私は一歩進み出て、扇を高く掲げた。
「皆さま、見てのとおりですわ。これが“悪徳令嬢”のやり口。数字と契約と記録を武器に、欺瞞を暴きます」
ざわめきが喝采に変わる。庶民の目には、王子よりも私のほうが真実を語っているように映ったに違いない。
そのとき、壇下から声が響いた。
「待ってください!」
群衆が割れ、一人の少女が前に進み出た。栗色の髪、真っ直ぐな瞳。前世の記憶と重なり合う。——ゲームのヒロイン。
彼女は両手を胸に重ね、真摯な声で言った。
「王太子殿下は……確かに誤りを犯したかもしれません。でも、殿下は民を思って戦場に立ち、血を流してきたお方です! そのすべてを否定するのですか、セレスティア様!」
群衆の空気が揺れる。ヒロインの言葉には、人の心を動かす力がある。物語は、彼女の側に味方するよう出来ている。
(なるほど、ここであなたを投入してきたのね)
私は扇を閉じ、彼女に向き直る。
「否定などいたしませんわ。——だからこそ、帳簿と契約を差し出すのです。功績と罪過を並べて秤にかける、それが真の正義でしょう?」
ヒロインは言葉を詰まらせた。群衆の視線は再び私に戻る。
私は確信した。——悪徳令嬢として、物語の筋書きを乗っ取る時が来た。
聴聞会はまだ始まったばかりだ。王家の暗部を暴き、ヒロインの正義をも利用し、舞台を支配する。
“ざまぁ”の帳尻合わせは、これからさらに大きな炎となって王都を包むだろう。
(さあ、次の幕を開けましょう。悪徳令嬢の劇は、まだ序章にすぎませんわ)