第2話 黒薔薇の聴聞状
大広間を出て、王宮の廊下を進む。石壁は昼の冷気を帯び、蝋燭の炎が小さく揺れていた。背後の扉が閉ざされた瞬間、そこはもう「儀式の場」ではなくなった。けれど、私の物語はここからが本番だ。
黒薔薇商会の使いは足音ひとつ立てず、横に並んだ。低く囁く声は、壁の厚みに吸われて消える。
「レディ、公開聴聞の告示は一週間後でよろしいですか?」
「ええ。王都中に噂が広まるには、そのくらいがちょうど良い。……それと、孤児院のパン窯。今夜のうちに資材を搬入して」
「承知いたしました」
彼らは“商会”を名乗るが、その本質は訴訟と監査の亡霊だ。誰もが避けたい、けれど頼らざるを得ない黒衣の人々。私は彼らと契約を結んだ。——悪徳と呼ばれるために。
馬車に乗り込むと、内装のクッションに香油の匂いが残っていた。侯爵家の家紋が揺れ、御者が手綱を鳴らす。窓越しに見る王都は、もう私を「悪徳令嬢」として噂しているに違いない。
(いいわ。なら、徹底的に演じて差し上げる)
処刑フラグ? むしろ利用する。世論が盛り上がれば盛り上がるほど、公開の場は増える。公開の場こそ、私の数字と契約が映える。
だが、その未来図の手前に、私は一つの壁を感じていた。王太子の背後に控えていた少女——栗色の髪のあの子。彼女は前世で読んだゲームの「正ヒロイン」に酷似していた。清廉な心、偶然の出会い、奇跡のような導きで王子と結ばれる存在。つまり、彼女は「物語の味方」をすでに得ている。
(……なら、こちらは“悪役”を極めるまで)
屋敷に戻ると、執事が深々と頭を下げた。
「お帰りなさいませ、レディ・セレスティア。……王都でのご様子は?」
「芝居がかった一幕よ。まあ、観客の反応は上々だったけれど」
私は笑って扇を机に置く。応接室には既に数名の来客がいた。領内の商人、孤児院の院長、そして数人の農夫たち。彼らは私を恐れるどころか、むしろ信頼の眼差しを向けている。
「お嬢さま……商会から米粉を卸していただけると伺いました」
「ええ、パン窯が増えるでしょう? その粉は全部、子どもたちのため。代わりに、来月の市で“新種の麦”を試してもらうわ」
彼らの顔がほころぶ。——これが私の「悪徳」だ。看板を盗み、数字だけを残す。名声を削り、現場の腹を満たす。
夜。書斎のランプの下で、私は次の手を考えていた。黒薔薇の聴聞会を仕掛けるだけでは足りない。いずれ王家は反撃してくる。あの少女を旗印にして、「悪徳令嬢を成敗する正義の物語」を再演しようとするだろう。
(なら、その舞台すら奪い取る)
机の上に広げたのは、領内の帳簿。収入、支出、賄賂、隠し倉庫——全部を晒す覚悟がある。数字は嘘をつかない。誰が善で、誰が悪か。舞台装置の外側で、それを決めるのは観客——つまり民衆だ。
「殿下。あなたが私を“悪徳”と呼ぶなら——ええ、喜んで名乗りましょう」
窓の外、月光に照らされた庭が白く輝く。
私は笑った。次の幕は、すぐそこだ。