⑤
「シャルロット、なにを言って――」
「……ごめんなさい。本当にわからないのです」
男があまりにも苦しそうな顔をするため、見ることができなかった。咄嗟に顔を背ける。
「倒れる前の記憶はあるのか?」
「い、え」
「自分のことは覚えているか?」
「……まったく」
首を横に振ったシャルロットを見て、男は額を押さえた。
同時に部屋にレノンが戻ってくる。彼女は室内の異様な空気に混乱しているようだ。
「悪い。あまりにも衝撃的で反応することができなかった」
「そうです、よね」
自分を知っているはずの人間に「知らない」と言われたのだ。
混乱するのも無理はないし、ショックなはず。当然だ。
「お前はいつも堂々としていた。その姿はまるで、世界の中心は自分だと信じ切っているようだった」
レノンの態度や言動からも、以前のシャルロットが傲慢な人物だったことはうかがえる。
「口は悪く、謝ることなど一度もなかった。そんなお前がごめんなさいと言ったんだ。驚くしかない」
「……そちらなのですね」
どうやら彼は、シャルロットの記憶がないことより、自分が「ごめんなさい」と口にしたことが衝撃的だったらしい。
あまり喜べない。
「だが、そうだな。お前が俺の妻であることに変わりはない」
「は、ぁ」
一人ぶつぶつと言っている姿は、いっそ危ない人だ。
彼は周囲から頼られる騎士団長らしいが、その面影は現在これっぽっちもない。
「俺はディートリク・ハーヴェイ・ルビッチ。お前の――シャルロットの夫だ」
さりげなく手を握られた。
「なにも覚えていないことはショックだ。だが、俺がお前を好きな気持ちは変わらない。安心してほしい」
「――好き、ですか?」
頬がひきつった。
彼は一体なにを言っているのだろうか。だって、先ほども言っていたじゃないか。
――シャルロットは傲慢で、謝ることができないのだと。
(そんな私を好きになる要素などないでしょう? そりゃあ、見た目はいいけど……)
先ほど鏡台で見たシャルロットの姿を思い出す。女神といっても過言ではないほどの美女だった。
もちろん、性格は最悪のようだが。
「あなたさまが、私を好き?」
「なにかおかしなことを言っただろうか?」
「私を好きになる要素など、ないでしょう?」
小首をかしげて問うと、室内の温度が下がったように錯覚する。
ディートリクの瞳から見る見るうちに光が消えた。地雷を踏んだのだと、シャルロットは悟る。
「そんなわけがないだろう。俺がどれだけシャルロットを求め、恋をしてきたのかを知らないとは言わせない」
「記憶がないので、知りませんね……」
それしか返せなかった。
「俺ははじめてだったんだ。こんなにも一人の人を欲しいと思ったのは」
「……えっと」
「お前を娶る以上、快適な暮らしを提供しなくてはならない。そのために、俺は――」
シャルロットの手を握る彼の手に力が入る。振りほどこうとしてみるも、できなかった。
「どうしたらお前は俺を思い出してくれるんだ? なにをすればいい?」
「……わ、私にもさっぱりです」
首を横に振る。
今の自分には記憶がない。なにが原因で記憶を失ったのかも――わからない。つまり、対処法など見当もつかない。
申し訳なくて、目を伏せた。ディートリクを見ることができなかった。
「侍医が到着したら、一度診てもらう。原因がわかるかもしれない」
「はい」
「朝食はまだだろう。たまには一緒に食べよう」
シャルロットがうなずくと、彼はレノンに指示を飛ばす。レノンは指示を受けて、もう一度部屋を出ていった。
(うん? たまには?)
彼は先ほど「たまには」と口にした。今までは別々に食事をしていたのだろうか?
「あの」
「どうした?」
「たまには一緒に――ということは、今まで私たちは別々に食事をしていたのでしょうか?」
静かに問うと、ディートリクは首を縦に振った。
「そうだな。俺のほうが忙しくて、シャルロットとの時間がなかなか作れなかったんだ」
「……そうでございましたか」




