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六章 連なる決意 十話









十、縷紅の場合









執政官蠍隼 蘇芳がもはや何度目かの兵部長官室を訪れたのは、風蘭が夏星州に来た、と報告を受ける少し前のことだった。






「一体、『輝星』は何をしているのですか、双大将?!」


イライラした様子を隠しもせず縷紅に尋ねてきた蘇芳に、彼はちらりと一瞥だけしてから、手元の書類に再び視線を戻した。


「双大将!!」


「そんな大声を出されなくても聞こえてますよ」


「ならば、お答えいただけるのでしょうね?!」


「見てわかりませんか、執政官殿?わたしは今、兵部長官としての執務中なのですが?」


「ですが、あなたは兵部が統括する総大将でしょう?!」


いつになく余裕なく取り乱す蘇芳を見ながら、縷紅は内心笑みを浮かべていた。





いつも淡々と冷徹に物事を意のままにしていた目の前の人物が、取り乱して焦っている様子はなかなか小気味がいい。


飄々と蘇芳の言葉を受け流しながら、縷紅はそんなことを思っていた。






「『輝星』がどうなったかと仰られても、わたしはこうして水陽にいるのです。知るはずがないと思いませんか?」


「蟹雷少将と連絡はとられるでしょう?!何か報告は?!」


「わたしは少将に『輝星』に関する全権を一任したのです。報告などありませんよ?それはあなたが一番ご存じではありませんか?」


嫌味と共にそう言ってやれば、蘇芳は縷紅を睨み付けるようにして唇を噛み締める。





縷紅は知っている。


蘇芳が縷紅に、兵部に送られてきた文を、縷紅の手に渡る前に逐一確認していることを。


だから、態々縷紅に尋ねなくても、彼に『輝星』から何の報告もないことはわかっているのだ。


縷紅は、このような事態になることは容易に予測できていたから、少将には一切文をよこすなと言っておいた。少将がどんな決断を下そうと、その報告はいらない、と。


『輝星』が何もしていないということは、彼はそう決断したということだろう。


そして、薄々蘇芳も気付いているのだろう、だからこそこうして縷紅に問い詰めてくる。




「『輝星』がどうしているかなど、わたしにはわかりかねますよ、執政官殿?」


再度縷紅がそう言ってやれば、蘇芳は冷たく彼を睨み付け、静かに言い放った。


「・・・では、五星軍を出軍させる用意をしてください」


「それは陛下からのご命令ですか?」


「わたしは、兵部に関することすべて、王より委任されております」


「・・・・・・それで?五星軍まで出軍してしまったら、この水陽をどうやって守るのです?」


肩を竦めて問い掛けた縷紅に、蘇芳も静かに言う。


「春星州へ出軍せよとは申しておりません」


「では、どうされたいのです?」


「金星軍、銀星軍は水陽を守り、残りの軍は海燈に向かわせてください」


「海燈に?あそこには我が一族がお預かりしている、夏星軍があるはずですが?」


わざとらしく縷紅は言い返す。薄く笑いながら。






「・・・噂で、その夏星軍が風蘭公子の加担をすると聞いたのですよ」


「ほぉ、噂で?たかが噂ごときで短慮を起こされるとは、あなたらしくありませんな、蠍隼執政官殿?」


「・・・双一族当主のご子息であるあなたにも、連絡はないと?」


「父は個々人の意志を尊重する方でして。いちいち報告してきて我々を巻き込むようなことはしませんよ」


笑いながらあっさりと言い切り、そして声を低くして縷紅は蘇芳に忠告した。


「噂ごときで五星軍を海燈に向かわせることはできません。国軍の使命は陛下をお守りすること。『輝星』がいない今、水陽の守りを手薄にするわけにはまいりません」


「ですが、双大将・・・」


「お話はここまでです。どうぞお引き取りを」


「しかし・・・」


「お引き取りください、執政官殿」


凛とした声で縷紅は再度蘇芳に言う。





冷徹無情で官吏たちに恐れられている蘇芳だが、縷紅は例外だった。


武官としての、凡人ですら息を飲みそうな鋭い殺気に似た気配を放つ縷紅に、さすがの蘇芳すら反論ができなかった。


それでも仰々しいほどのため息をついて、負けじと冷たい一瞥を縷紅に与えてから、蘇芳は乱暴に扉を閉めて退室した。






室にひとりきりになった彼は、静かになったそこで小さく笑みを漏らした。


夏星軍が風蘭に加担する、か。


なるほど、縷紅にすら知らせることなく決断するとは、薊らしい。




桔梗と縷紅の父である薊は、決して周りに流されることのない、確固とした「自分」を持っている人物だった。双一族の当主となっても、正妃の父となっても、その姿勢が変わることはなかった。


朝廷や後宮にいる桔梗や縷紅、双一族たちにどんな影響が及ぼうとも自らの決断を揺るがすことはなかったし、反対に、双一族の誰かの決断が薊に悪い影響を及ぼしても、そこを咎めるようなことはしなかった。






縷紅が風蘭を支えたいと思いながらもそれができなかったのは、桔梗に及ぶ影響が怖かったからだ。蘇芳がそこにつけこみ、桔梗を失脚させるようなことになったら、縷紅には後味の悪い結果になる。


だから、兵部の大将として芍薬側の立場にいながら、影から風蘭を支える、中立ともいえない微妙な立場を選んだ。しかし、縷紅はこの位置が気に入っていた。こうして、影で世の流れを見守りながら、蘇芳のすました顔をじわじわと追い詰めていくことができるのだから。


「・・・・・・我ながら、性格が悪いかな?」


くすり、とひとり静かに縷紅は笑った。













それから間もなくして、風蘭が大軍を率いて夏星州、海燈に到着したとの報告が朝廷や後宮を駆け巡った。


それは様々な意味を意味し、不安と困惑、興奮と期待が入り乱れて人々の間に渦巻いていた。


もちろん、軍を司る立場にある縷紅にも、すぐにそれは報告された。





風蘭が大軍を率いている。


それは、冬星軍とその私軍だけに留まらない。もはや、国中の風蘭を支持し、現状の国政に異を抱く若者たちが、大きな軍になろうとしていた。


それは戦力になることはないかもしれないが、水陽の人々の心を脅かすには充分だった。いや、水陽の中にも、風蘭に加担するために飛び出していった者たちもいる。


各州のふたつの勢力による対立も益々激しくなってきていると聞く。




まだ冬星州に旅立つ前の風蘭は、あどけなさもあったというのに、今や国賊となり、味方を率いて国中を震撼させている。


縷紅にとって、公子といえど甥にあたる風蘭は、やはり特別な存在であり、桔梗が目にかけている平民、連翹にも信をおいていた。そのふたりが縷紅の見えないところで力強く成長している。それは楽しみでもあり、寂しくもあった。






そして、人々が騒ぐもうひとつの要因。


縷紅の父、薊が統率する夏星軍が風蘭に加担するという確信に近い噂。


薊は昔から風蘭のことは気に入っているようだった。桔梗譲りの正義感と負けん気、縷紅仕込みの武術を兼ね備えた風蘭は、薊の目に留まっている。


だから、縷紅はこんなことになるだろう、と安易に予測できていた。おそらく、桔梗も。


双一族が当主である薊の決断をどう思っているかは測れない。当主の決断に従え、とは薊は言わないだろう。風蘭につくもよし、芍薬につくのもまたよしとするのだろうから。


なんとも破天荒な我が父らしい。





騒がしい朝廷とは異なり、人払いもして至って静かな兵部長官室内で、縷紅はそんなことを考えてはひとり静かに笑っていた。


人払いをしたのには理由がある。おそらく、しばらくここで待っていれば、彼が来るはずなのだ。


また。




「双大将。今日ばかりはわたしの話を聞いていただきますよ」


予想通り、何の前触れもなく入室してきた人物に、縷紅は呆れ声で言い返す。


「いつもあなたのお話は聞いてると思いますがね、執政官殿?」


「聞いているだけでしょう!!」


つかつかとこちらに向かってくる蘇芳に、縷紅は仰々しく肩を竦める。


「だから、聞いているじゃないですか」


「屁理屈は結構ですよ、双大将」


ばんっと乱暴に執務用の机を叩き、蘇芳は縷紅を睨み付ける。


「五星軍を出軍させてください」


これまでなんだかんだのらりくらりと言い逃れられてきたが、今日は逃がすつもりはないと蘇芳の目が言っている。しかし、もとより逃げるつもりもなかった縷紅はあっさりと頷いた。





「かしこまりました。五星軍を出軍させればよいのですね?指揮はわたしでよいですか?」


「え・・・?あ、え、えぇ・・・・・・」


蘇芳としては予想外の縷紅の態度に、戸惑いを隠せずにいる。縷紅はそんな蘇芳におかしさを感じながら、それを露とも見せず、むしろ神妙な表情で言葉を続ける。


「・・・執政官殿としては、双一族のわたしが国軍の指揮をとることはさぞやご不審な思いがおありでしょう。我が父が起こしました軽率な行為により、朝廷内に混乱をもたらしましたことは、真に申し訳なく思っております」


「双大将・・・・・・。・・・では、あなたと双星官には何の関わりもないとおっしゃるのですね?」


「もちろんです。そして、双大后さまも」


「・・・そうですね。あの方は真に芍薬陛下をお守りしようとしていらっしゃる」


満足そうな蘇芳の言葉に頷きながら、縷紅は思う。






そうなのだ、桔梗は縷紅とは違い、心底風蘭たちを敵視し、芍薬を守ろうと意思表示をしている。


その行為は芍薬派の者たちには安心感を与えたが、風蘭派の者たちには困惑と混乱を与えた。事実、縷紅も桔梗の真意がわからずに困惑している者のひとりだ。


なぜ、息子である風蘭の味方をせずに芍薬の肩をもつのか。




・・・いや、おそらく桔梗は芍薬を守ろうとしているのではなく、『王』を守ろうとしているのではないだろうか。先王の妃として、後宮を守る大后として。


それならば、なんと皮肉な、哀しい親子の闘いだろうか。







「・・・双大将?いかがされました?」


押し黙ったままの縷紅に、蘇芳が怪しむかのように声をかける。思考の海に沈んでいた縷紅は、すぐに我に返って表情を引き締めた。


桔梗にどんな思惑があろうと、縷紅がやるべきことは決まっている。


「いえ、何でもありませんよ、執政官殿」


「しかし・・・」


「五星軍の出軍ですが、海燈はすでに夏星軍で固められているでしょう。数で勝ろうと、地の利はあちらにある。ならば、我々は水陽を守り固め、風蘭公子たちを迎え撃とうと思いますが、いかがでしょうか?」


「・・・そうですね、戦術に長けているあなたがそうおっしゃるのなら」


「ありがとうございます。では、出軍の日取りは、神祇所所長、北山羊殿と相談してからでよろしいでしょうか?」


「・・・早めに願いたいものですな」


「無論です。事は一刻を争います」


縷紅の口から次から次へと出軍への積極的な台詞が出てくることにより満足したか、笑みすら浮かべて蘇芳は彼に立礼をとった。


「賢明なご判断、感謝いたします、双大将。・・・期待していますよ」


「当然ですよ、執政官殿」


互いの心の内を明かさずに、ふたりは不敵に笑む。


もしも今、この場に第三者がいたならば、彼らのどちらがより腹黒く見えたことか。





「・・・では失礼いたしますよ」


立ち去る蘇芳の背中を見送りながら、縷紅はまだ不敵な笑みを浮かべていた。


五星軍を指揮し、水陽の入口で風蘭たちを迎え撃つ。


それが『兵部大将』として縷紅がやらねばならないことだ。もちろん、職務は全うしよう。


それが蘇芳の思うものと一致するかはわからぬが。




今はまだ、怪しまれてはいけない。


ふっと笑みを消すと、縷紅もまた、兵部長官室を出た。


五星軍の出軍の日取りを決めるために、星読みの能力を持つ神祇所所長、北山羊 柊を訪れるために。










一体、どっちが腹黒いのでしょう、といった話ですね(笑)

蘇芳を対面させるシーンは、誰が相手でも結構ノリノリで書いてます(笑)


さて、第一部もあと残りわずか。

こちらで更新するのもあと少しになりそうです。

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