六章 連なる決意 八話
8、水蝋の場合
素直じゃないなぁ。
それが、自らの当主を眺めていての牛筍 水蝋の感想。
牛筍一族の当主で、春星軍を統率する牛筍 著莪は、水蝋にとって遠い存在だった。水蝋は、牛筍家の分家の分家のような小さな家の生まれだったから、当主である著莪と話をすることはおろか、こんな間近で彼の姿を見ることだってあまりなかった。
それがどんな運命の悪戯か、今はこうして当主の意地っ張りな性格に苦笑を漏らすほどになっている。
「水蝋さん?どうしました?」
「いんや、なんでもないさ。それよりも、準備は進んでいるのか?」
「えぇ、あとは風蘭の決断次第かと」
苦笑を浮かべる水蝋を案じた木蓮に、彼は近頃の首尾を尋ねてみる。
不利かと思われた形勢は、着々とこちらが優勢になってきていた。最強の国軍『輝星』が春星州に来たのだと知ったときはさすがにどうなるものかと思ったが、『輝星』は芍薬にも風蘭にもつくことなく、中立という名目で春星州に駐屯したままになっている。
加えて、こちらの軍勢には、幻の国軍『闇星』が味方にいた。まさか風蘭と共に旅をしていた椿という少女が、『闇星』を統率する『黒花』だとは、さすがの水蝋も思いもしなかったが。
なんとか『輝星』の問題は片付いた風蘭たちだったが、最終目的は玉座のある水陽へ行くこと。当然、五星軍が待ち受けているだろう。
水蝋もまた、五星軍のうちのひとつ、赤星軍に所属している武官だが、だからこそ、五星軍の強さは身に染みている。
その五星軍を相手に、さすがに冬星軍と『闇星』だけで応戦するのは困難な気がしていた。
とはいえ、執政官の一族が取り仕切る秋星軍は期待できないし、一度言い出したら前言撤回はしない頑固者当主、著莪も春星軍を出軍させるつもりはなさそうだった。
八方塞がりか。
誰もがこの強行突破に不安を隠せずにいたそのとき、夏星州の意外な人物から文が届いた。
「風蘭さま、夏星州から文だそうっすよ」
春星州州主、桃魚 華鬘の屋敷に届いた風蘭宛の文を取り次いだのは、水蝋だった。
そのときはまだ冬星軍もこちらに到着しておらず、いかに犠牲を最小限にして水陽に向かうかを話し合う日々を繰り返していた。
そんな中、渦中の夏星州からの文に、軽い口調でそれを風蘭に渡しながら、水蝋は気になって仕方なかった。しかも、文を読み進めていく風蘭の表情が、みるみる驚愕の色に染まっていくのだから、ますます気になる。
「・・・・・・風蘭さま、文には何と?」
ちなみに、室内には風蘭と水蝋しかいない。木蓮は梅の屋敷から、椿と共に荷物を運んでいる途中。華鬘と著莪はそれぞれ当主としての務めのために不在だった。
そんな中届いた文で、風蘭が驚いた様子で何度も読み返しているのを見ていて、じっとしていられる水蝋ではない。
こうして風蘭に呼び掛けることを、水蝋は身の程知らずだとは思わなかった。なぜなら、風蘭がそんなことを気にしないから。
今や、華鬘だろうが水蝋だろうが木蓮だろうが、みな、風蘭の味方であることで同じ立ち位置にいる。
何より、そうあることを風蘭が望んだ。だから、不安があれば遠慮なく彼に告げるし、こうして気になることがあっても、何の気兼ねをすることもなく彼に詳細の説明を求めた。
「・・・海燈の双星官からの文だ」
「双星官?・・・って、双一族の当主で・・・・・・」
「俺の外祖父にあたる方だ」
水蝋の言葉を継いで、風蘭が頷く。
双 薊。
前王芙蓉の正妃であり、今は大后である双 桔梗と、兵部長官兼大将である双 縷紅の実父。
そして、桔梗の息子である風蘭にとっては祖父にあたる人物だ。
その彼が、いったい風蘭にどんな用件で文をよこすというのだろうか・・・・・・。
「まさか、宣戦布告、とかないっすよねぇ?!」
半分冗談、半分はそうでないことを祈って水蝋が軽い口調で問えば、意外な解答が返ってきた。
「薊じーさまが?はは、それはないさ」
薊じーさま。
なるほど、風蘭にとっては祖父なのだからそう呼ぶのかもしれない。水蝋は妙なところで感心しながら、風蘭の次の言葉を待った。
「文にはなかなか不可解なことが書いてあったんだ。・・・・・・夏星軍を出軍させる、と」
「・・・まさか、『輝星』の代わりにこちらに・・・?」
「いや、こちらを脅かすためではないし、出軍とはいっても春星州には来ない」
「え?じゃぁ・・・・・・」
「夏星州に・・・海燈に来い、だそうだ。夏星軍の力を貸してくれるらしい」
苦笑しながらそう言った風蘭の言葉を、水蝋はすぐさま飲み込むことができなかった。
ぱしぱしと瞳を瞬かせてから、彼は風蘭が教えてくれた事実を考えてみた。
夏星軍の統率を任せられている双一族の当主、薊は、同時に桔梗と縷紅の父。
そして桔梗と縷紅は、共に風蘭ではなく芍薬側についている。そのふたりの父が、芍薬ではなく風蘭につくというのか。
朝廷を裏切れば、貴族としての立場が危うくなる。それでも、霜射、瓶雪、長秤、そして桃魚一族は覚悟をもって風蘭を支持した。
だが、双一族はそれだけに留まらないはずだ。
後宮の事実上の統率者、双 桔梗大后を裏切ることになる。
同時に、桔梗の立場とて、どうなるか・・・・・・。
水蝋の考えを察したのか、風蘭が複雑な表情を浮かべながら彼に言った。
「薊じーさまが俺を支持すれば、母上たちの立場が危うくなることくらい、わかっておられるとは思う。だけど同時に、あのじーさまは自分の考えを意地でも貫き通す偏屈だから・・・・・・こんな展開もありえないわけではないと思う」
「桔梗さまも縷紅さまも、お覚悟はされていると・・・」
「俺なんかよりずっと先を見ているふたりだからな。たぶん、わかっていただろう」
「・・・武官一族って、頑固者揃いなんすかね?」
思わずぽつりと水蝋が漏らせば、風蘭が吹き出して笑った。
「そうかもしれない」
「それでも、薊さまは風蘭さまを・・・風蘭さまが描く未来を支持された。また、道が開きましたね」
力強く水蝋が言えば、風蘭も表情を引き締めて頷いた。
「・・・・・・すべてに雌雄がつくときが近い。黒灰殿たちが春星州に到着したら、海燈に向かおう」
それが、その時の風蘭の決意だった。
そして今、冬星州から瓶雪 黒灰が率いる冬星軍や私軍が到着し、いよいよ夏星州に向けて出立する日が近づいてきていた。
みながそわそわと準備を進めるなか、著莪がイライラした様子でそれを見ていた。なぜ著莪がイライラしているのかを何となくわかってしまった水蝋は、思わず苦笑をもらすしかないのだ。
素直じゃないな、と。
「水蝋さん?何を笑っているんですか?」
そばにいた木蓮が不思議そうに彼に尋ねてくる。そんな木蓮に、にやにやしながら水蝋はこっそりある方向を指差した。
「我が当主さまの不機嫌の理由」
「著莪さまの・・・・・・?それって、春星州に次々と軍が入り込んでくるからですか?」
「いんや、それだったら、もうすぐ夏星州へ行こうとしてるんだから、不機嫌になる必要はないだろ?」
「た、たしかに・・・」
「逆だよ、逆」
「逆?」
くっくっと笑いながら告げる水蝋に、木蓮は首をかしげる。
「ほんとは、春星軍も参加させたいんだとオレは思うな」
「えぇ?!だ、だって、著莪さまは最初・・・」
「最初こそああだったけど、こうして風蘭さまと多くの時間を過ごして、あの方の人望も知って、力を貸してもいいと思い始めてるんじゃないかねぇ・・・・・・」
「そうなんですか?!それならどうして・・・」
「そりゃあれだよ。著莪さまの矜持が許さないんだろうねぇ」
「と、いうと・・・・・・?」
「あれだけ『春星軍は手を貸さない』って豪語したのに、前言撤回できないってとこかな?」
「風蘭?!」
「さっすが風蘭さま、わかってらっしゃる!!」
どこからともなく現れた風蘭に、木蓮は驚いた様子だったが、水蝋は平然と茶化して返した。
「俺の周りは武官が多かったからなぁ」
「なるほど、やっぱり武官は素直じゃないんすね」
自分も武官であることを棚にあげて、くすくす笑いながら水蝋が言えば、風蘭も笑って返した。
「著莪殿の態度が最初の頃より柔らかくなっているのは気づいていたから、なんとなく、そうだといいな、という願望も込めてだけど」
「じゃぁ、風蘭は春星軍も連れて、夏星州へ向かうつもりなの?」
木蓮がきょとん、とした様子で尋ねると、風蘭は穏やかな表情を浮かべながら首を横に振った。
「いや、おそらく著莪殿が考えを変えられることはない。だから、このまま俺たちは夏星州へ向かおう」
賢明な判断だろう、と水蝋も同意を込めて頷く。
どんなにイライラしようが、著莪は春星州のためにも州軍は出さないだろう。当初から彼が主張しているように、州軍を出軍させれば、春星州全体が王に刃向かったことになる。
だが、著莪を含め、春星州の民は星華国一、王への忠誠が厚い。
そんな春星州の人々の意を無視して、安易に州軍を出してしまえば、今以上に混乱と暴動が発生するかもしれない。
だから、風蘭は著莪に春星軍について触れることはなかったし、水蝋もなんだかんだ言っても、著莪に発破をかけるような真似はしなかった。
「春星軍がなくても、風蘭さまには充分な戦力が集まってきてるじゃないっすか?」
「まぁ・・・・・・ね。だけど、彼らはあまり巻き込みたくはなかったんだけど・・・」
「とはいえ、彼らもこの国に住まう当事者たちですよ」
「そう・・・だな」
肯定しながらも納得はしていない様子の風蘭に、水蝋は小さく微笑む。
彼らが話していたのは州軍でも国軍でもない、民たちが自主的に集った民軍のことだった。
瓶雪 黒灰が冬星州の民を集めて訓練してきた私軍とも違う。
戦などしたことがない、武装の経験など皆無に近い民が、国中から集まり決起しているというのだ。
風蘭が芍薬と・・・・・・蘇芳と戦うそのときに、自分達も戦うために。
蓋を開いてみれば、それは結構な人数の軍隊になった。
例え戦力にならなくても、彼らの気持ちと覚悟は、風蘭たちに感動すら与えた。星華国の民のためにも今の王政を建て直さなければ、という風蘭の強い想いは、ちゃんと民の心に伝わっていたのだ。
だが、こうして慣れない武装をして集う民軍を風蘭は巻き込みたくはないと思っているようだった。
国の一命をかけた戦いだというのに、あくまで犠牲を最小限にしたいと考える彼の姿勢に、思わず水蝋も呆れるよりも微笑ましくなってしまう。
風蘭にとって、王族とか貴族、平民などという垣根は関係ないのだ。
人の命、心、それはひとつひとつ平等に彼の中で位置付けられている。
だから、水蝋は最後まで風蘭を支えたいと思ってしまう。たとえ敗れることになったとしても。
彼の成長を見守ってきたあの男も、水蝋と同じ気持ちなのだろうか・・・・・・。
「風蘭さま、海燈で夏星軍と合流して水陽に攻めるのはいいとして・・・連翹はどうやって救い出すつもりっすか?」
ふと水蝋が風蘭に尋ねると、彼は困惑したように眉を寄せた。
「そうなんだよな・・・・・・できれば水陽に攻め込む前に助け出したいとは思ってるんだけど・・・」
「あ!!」
考える風蘭の横で、それまでおとなしくふたりの話を聞いていた木蓮が突然声をあげた。
「も、木蓮?」
「ごめん、風蘭。ばたばたしててずっと伝え忘れてたよ」
「伝える?俺に?」
「実は、水陽を出る前に、僕、連翹さんに会いに行ったんだ」
「えぇ?!大獄にか?!」
木蓮の思わぬ発言に驚く風蘭の横で、水蝋はぽん、と手を打った。
「そいえば、双大将がそんな手引きをしてたなぁ」
「双大将が?!」
「まっさか木蓮単独じゃぁ、執政官の目が光る大獄に行けませんて。な?」
簡単に水蝋が風蘭に説明してから木蓮に同意を求めると、木蓮はしっかりと頷いた。
「双大将に大獄まで連れていただいて、連翹さんと直接話すことができたんだ。・・・だから、たぶん、連翹さんはもう水陽にはいないと思う」
「へ?!話がよくわからないんだけど?木蓮が連翹と会って、なんでもう水陽にいないとわかるんだ?」
「まさか、木蓮てば、連翹を逃がしちゃった?」
水蝋が緊張を含んだ声色で、それでもふざけたように問えば、風蘭がはっと木蓮を見た。
だが、木蓮はくすりと笑ってから首を横に振った。
「ううん、連翹さんはそんなことを僕に望んではいなかった。僕が連翹さんが水陽にいないとわかるのは、連翹さんから風蘭に伝言を頼まれたからなんだ」
「伝言?連翹が?」
「そう。連翹さんはこう伝えてほしいって言ったんだ」
――――――――――・・・・・・一足お先に海燈にてお待ちしております。
「・・・あいつ、どこまでわかってるんだか」
「おっそろし~男っすね・・・・・・」
連翹を絶対的に信頼している風蘭はどう思ったか知らないが、水蝋はその一言に寒気すら覚えた。
一体連翹はどこまで見越していたというのだ。
木蓮が連翹と会ったときは、当然風蘭はまだ春星州にはいなかったし、州主である桃魚 華鬘が風蘭の味方になるかなどわからなかったはず。
そもそも、秋星州に着く前に風蘭と別れたというのに、まるで風蘭には多くの支持者がいることをわかりきっていたかのように。
「・・・風蘭さま、お願いがあるんですが」
「なんだ?」
「いきなり大軍率いて海燈に行ったら、さすがの双星官もびっくりされるんじゃないかと思うんですよ。だから、オレを使者として一足お先に海燈に向かうことをお許しいただけませんかね?」
早く再会してみたい。
もしかしたら、風蘭を支える者たちの中の一番の策士かもしれない彼に。
水蝋のそんな思いが伝わったか、風蘭はしばらく黙り込んでから、頷いて答えた。
「わかった。では、先に海燈に向かって双星官に知らせてくれ」
「御意」
それからの水蝋の行動は早かった。
すぐさま出発の支度を済ませると、馬を駆って春星州を飛び出した。まるで何かに攻め立てられているかのように、水蝋は急いだ。
向かう道すがら、民軍がちらほらと集っているのを横目で見ながら、連翹はこうなることもわかっていたのだろうかと考えてしまう。
同じだけ人生の年月を重ねてきて、こうも違うものかと思う。
まして、彼は平民。
いくら双大后の特別な待遇があったとはいえ、風当たりの方が強かったはず。
そんな平民の彼の方が、貴族である自分よりも貴族のことを把握していたということか。
今、彼はどんな思いで海燈にいるのだろう。
水蝋は海燈に着くと、迷うことなく双一族当主の屋敷に向かった。そして、門をくぐるよりも早く、出会うことができた。
「風蘭さまの使いの方ですか?」
門の前にいた衛人。だけど圧倒的な威圧感は並みの者じゃない。
ゆっくりと振り返り、水蝋はその人物と対面した。
「・・・・・・よぉ、連翹。久しぶりだな?」
彼が放つ警戒という名の殺気を無視した、明るい調子で、水蝋は連翹に笑いかけた。
水蝋と連翹っていいコンビだと思うんですよね。
まるで、柘植と黒灰のように(笑)