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六章 連なる決意 七話







7、霞の場合










言ってしまえば、まるで希望の光のようだった。


貴族と平民の間には、暗黙の了解の上に築かれた壁ができあがっていて、平民はその壁を、引かれた一線を越えることができなかった。




秋星州は、州主である女月一族の計らいもあり、平民にも知識を得て学ぶ機会を貴族同様に与えられた。それは次第に技術面や商業的にもよい結果をもたらしたが、同時に、平民の不満も募らせた。


いくら知識を得ても、それを活かすだけの機会を与えられないことに。


そこに、どうしても越えられない暗黙の壁の存在があることに。




意欲があって、知識もあっても、地位がなければ思うようにはいかない。本人の努力だけではどうすることもできない。


それが、努力して苦労して知識と能力を得た民たちに、不満をもたらした。






学ぶ機会を与えた女月一族とて、それをわかっていないわけではなかった。しかし、それは州主という立場の一存だけではどうすることもできなかった。


貴族と平民の間にある壁は、この星華国全体のものだったから。


霞もまた、自分が平民であることに歯噛みしているひとりだった。








長秤一族の当主、海桐花に仕えるようになってから、彼の好意で霞は医学を学ぶことができた。医学の知識を得れば得るほど、霞は弱き民を救う医者になりたいと思うようになった。


しかし、平民が医者になるとしたら、なれるのは町医者のみ。何の設備もなく、充分な薬の用意もできない、小さな診療所の町医者。


軽い病なら治せても、重病人ならば諦めるしかなくなってしまう。たとえ治すための知識があったとしても。


だから、霞は身の程知らずと言われようとも、官吏に・・・・・・医官になりたいと思った。


多くの知識を、薬学を学びたいと思った。


重病人であっても、貴族や平民という立場など関係なく救えるようになりたいと。





しかし、現実はそうはいかないことも、霞はわかっていた。


そんな時だったのだ。


道端に倒れていた椿と風蘭を見つけたのは。





まさか、倒れていた旅人が王族だとは思いもしなかった霞は焦った。


共にふたりを介抱してくれていた若き当主、海桐花も戸惑っているようだった。けれど次第に霞は風蘭の熱い志に惹かれるようになり、貴族と民の壁をなくしたいと言った


彼の言葉に希望の光を見出だした気がした。


だから海桐花が、長秤一族を説得し、風蘭を支持することになったときは霞は素直に喜んだ。


その裏にある、政治的な難しさを平民である彼女にはわからなかったから。










「海桐花さま、お文が届いております」


「・・・・・・来ましたか・・・」


ある日、長秤一族当主の屋敷に内密な早文が届いた。差出人が誰かはわからなかったが、この時期にこの文だ。取り次いだ霞とて、わからないわけじゃない。


文を開き読み進める海桐花のそばで、じっと霞は見守り続けた。文を受け取ったときから緊張した面持ちだった海桐花の表情は、文を読み進めるうちに益々強張っていった。





・・・そこに、何が記されているのか・・・。





霞の視線に気付いたか、ふと顔を上げた海桐花が彼女に笑いかけた。


「やはり、君も気になるかい?」


「・・・はい」


「・・・そう」


そっと文を畳み直すと、海桐花は静かに立ち上がり、窓の外を眺めた。


「・・・・・・霞、気づいていたかい?ここ最近、愁紅だけでなく、秋星州全体の賊の被害が減少していることに」


「・・・え?」


まさかそんな話題になるとも思わなかった霞は、突然の海桐花の話に戸惑いを隠せなかった。海桐花は彼女のそんな反応には構わずに、話を進める。






「もともと秋星州に現れる賊は、貴族に対する不満から生まれたもの。それが減少した、というのはなぜかわかるかい?」


「・・・貴族への不満がなくなったのですか・・・・・・?」


「本当にそう思う?」


くすりと笑った海桐花に、霞は顔を赤くして首を横に振った。


「別にわたしたち貴族への不満がなくなったわけではない。けれど、彼らの不満が解消される新たな道が現れたから、彼らは活動を緩めたのだよ」


「新たな道・・・?それはまさか・・・・・・」


「さすが察しがいいね、霞。そう、風蘭さまの存在だよ。風蘭さまが立ち上がり、今の朝廷の在り方を否定し、貴族と平民の壁を壊すことを掲げた動きが、秋星州の民たちに落ち着きを与えたのだよ」





それは、秋星州の誰もできなかったこと。


国の在り方を否定することも、壁を壊そうと動くことも。


だからこそ、王族という立場でありながら、平民に最も近い場所で異を唱える風蘭の姿が、荒吹いていた民の心の波に落ち着きを取り戻させた。





「風蘭さまが芍薬陛下に反旗を翻したという話は、あの方が考えていらっしゃるよりもずっと広く早く国中を駆け巡っている・・・・・・」


独り言のように窓の外に視線を向けたまま呟く海桐花の言葉に、霞はじっと耳を傾ける。


「今や、貴族だけではなく、国中の民もあの方を支持しようと立ち上がり始めている」


「・・・・・・では、最近秋星州に賊が現れないのは、風蘭さまと共に立ち上がる準備をしているからですか?」


「・・・彼らの不満に耳を傾けてくれる存在。風蘭さまが玉座を手にしたときへの希望と期待に、彼らは様子を見ることにしたのだろうね」


「では、風蘭さまが王におなりになられたら、民にはいいことばかりですね!!」


霞が素直にそう言って喜んでも、なぜか海桐花は複雑な笑みを浮かべただけだった。





「・・・海桐花さま・・・・・・?」


「わたしたちは、彼にそこまで期待してよいのだろうか?彼が何もかもを叶えてくれるような希望の光のように、崇めてしまっても」


「で、ですが、風蘭さまはお約束くださいました。平民であっても、貴族の方々のように官吏になれるように・・・・・・平民と貴族の壁をなくしてくださると・・・・・・」


必死に海桐花に語る霞に、けれど彼は首を縦に振ることはなかった。何かを憂うかのような複雑な表情で、否定も肯定もしなかった。





「海桐花さまは・・・・・・何を心配しておいでですか・・・?」






静かに問いかける霞に、海桐花は優しい眼差しを返してきた。


「何を・・・だろうね。漠然としていてわからないけれど・・・・・・時々不安が頭を過るんだよ」


「不安・・・・・・ですか・・・?」


「今や秋星州や朝廷の中だけではなく、星華国中の人々が芍薬陛下と風蘭さまの動向を気にかけている。どちらを支持するか、論議を繰り返している。・・・いや、論議だけならまだいい。それで争いを起こしている地域も、ある」


辛そうにそう告げる海桐花は、医官一族長秤家の当主だ。


そんな争いで被害にあった人々を救護するための医師団の派遣要請も、彼の手元に取り次がれてくる。だからこそ、この変化に楽観だけするわけにもいかないのだろう。


それに・・・・・・。





「この秋星州を預かる貴族は3つ。長秤一族、蠍隼一族、そして女月一族。蠍隼 蘇芳殿は、現王陛下の側近ともいうべき執政官の地位にある。そして、州主でもある女月 石蕗殿の愛娘の姫は、この国の王妃。あのふたつの一族が芍薬陛下を裏切り、風蘭さまにつくことはありえない。・・・・・・そうすれば、この州で現王陛下を裏切っている貴族は長秤一族だけとなってしまう・・・・・・」


心許なさげに呟く海桐花に、霞はそっと彼に尋ねた。


「・・・海桐花さまは後悔しておいでなのですか?風蘭さまのお味方になったことを・・・・・・」





霞には、貴族たちの見栄や結束などはわからない。


伝説の話として聞く、初代国王、牡丹王の時代の貴族たちの結束とはまた違う毛色の結束力・・・・・・いっそ拘束力とさえ言ってしまえるほどのもの。


かつての貴族のように、互いを支え合うための結束ではなく、互いが互いを縛るための結束。


それが、現状の貴族の姿であるように霞には見えていた。


そして、今の海桐花はそれに苦しめられているように感じられた。






「後悔・・・・・・?いいや、後悔はしていないよ。風蘭さまの描かれる未来の姿に感銘を覚え、お側でお仕えしたいと思った気持ちは今もまだ、あるから・・・・・・」


「では、海桐花さまはなぜ風蘭さまに期待をされることを躊躇っておいでなのですか?」


霞は海桐花よりもずっと年下で、ましてや彼の使用人のひとりにしか過ぎないのに、まるで彼女が彼の精神医にでもなったかのように、ゆっくりと彼の心の憂いを吐き出させようとしていた。


「・・・・・・わたしたち長秤一族だけが風蘭さまを支持することにより、この愁紅の民たちは・・・・・・どう思うだろうかと・・・。現王陛下を裏切った一族が治める街にいることが、苦痛になりはしないかと・・・・・・」


「海桐花さま・・・・・・」






海桐花の心優しいまでの不安に、思わず霞は笑みが溢れてしまう。


風蘭もそうだが、海桐花もこうして民のことをいつもちゃんと考えてくれている。貴族と民には越えられない壁があるが、それでも、こうして気にかけてくれている貴族もいる。




「海桐花さま、もしも海桐花さまのご決断に不満があれば、愁紅の民は黙っていません。けれど、こうして民は何も言わずここにいる、ということは、海桐花さまのご決断を信じているということに他ならないのです」


「そう・・・。そうなら、ありがたいが・・・・・・」


「それに、長秤一族の方々が風蘭さまを支持していることが知れ渡っていても、海桐花さまの元には医師団の要請が朝廷から舞い込んできているではありませんか。それは、やはり国が長秤一族の方々を必要とされているということなのですよ!」


霞が少し威張ったように言えば、海桐花は少し瞠目したあと、優しく微笑んだ。


「そうだね、霞の言う通りだね。すまない、どうやらわたしは、これから先への変化に怯えていたのかもしれないよ」


「風蘭さまが王におなりになられれば、この国は大きく変わります」


「違うよ、霞。すでにもう、変わり始めている」





それは民の心に、貴族の心に。


風蘭を支持するかどうかを考えているそれだけで、各々が国の未来を真剣に見据え始めたことになる。


それは、大きな変化であった。






「・・・・・・しかし、風蘭さまが必ずしも玉座を得ることができるかどうかは・・・わからないけれど」


万一、風蘭が失脚すれば、風蘭を支持した一族は当然追い込まれることになるだろう。だが、海桐花はそのことにはすでに覚悟を決めていた。


それだけの覚悟をもって挑まなければ、何も変わらない。


「・・・・・・海桐花さま、そのお文は風蘭さまからですか?」


海桐花の様子がおかしくなった文を見つめながら、霞が心配そうに彼に尋ねる。すると、彼は穏やかな柔らかい笑みを彼女に向けて、首を軽く横に振った。


「いや、この文は風蘭さまからではないよ」




風蘭は、海桐花の屋敷を去ってからマメに文を書いてきてくれた。最後の文で確認したところによれば、彼は今、春星州の州主、桃魚 華鬘の屋敷にいるらしい。


「風蘭さまからのお文でないとしたら、どなたの・・・?」


「双星官からだよ」


「双星官・・・・・・?!夏星州の・・・ですか・・・・・・?」


「そう。双一族の当主であり、双大后さま、双大将のお父上であられる方だよ」


「そのような方がどうして・・・・・・?」


霞の問いに答えるためか、ふと、海桐花は笑みをおさめてひどく真剣な瞳で彼女を見返した。


「夏星軍が風蘭さまの味方になるらしい」





海桐花の言葉が、ひどく耳に響く。


それなのに、それはまるで現実のようには思えなくて、思わず霞は目を瞬いてしまう。


「え・・・・・・?夏星軍が・・・?」





どう考えてもありえない。


霞の聞き間違えかと思い、彼女が問い返せば、海桐花はしっかりと頷いた。


「だっ・・・・・・て・・・夏星軍を預かっているのは双一族で・・・双星官は・・・・・・」


「そう、普通に考えればありえないことなのだけれどね」


混乱する霞に、海桐花は苦笑混じりに話す。双一族の当主からの文を手にしたまま、海桐花はさらにこう言った。


「実に双星官らしいお考えだけれどね。『息子や娘がどんな立場であれ、どのような考えを持っていようと関係はない。一族の当主はわたしであり、夏星軍を預かっているのは我が一族なのだから』双星官はそう文に書いておられたよ」


「・・・・・・なんて、さばさばしたお考えでしょう・・・・・・」


思わず霞まで苦笑を浮かべてしまいながら、そう返事をする。




だが、文にそこまで書いてあるのなら、それは本当に、夏星軍が風蘭に助力するということなのだろう。


王のいる朝廷がある夏星州の州軍である夏星軍が、王を討つ風蘭の味方になる。それはなんとも皮肉な構図であり、海桐花が思わず物思いに耽ってしまっているのもわかる気がした。


「これで、冬星軍、夏星軍は風蘭さまのお力になる。春星軍を率いる牛筍星官は、どうやら風蘭さまにはいい顔をされていないようだから難しいだろうね・・・・・・。そしてもちろん、秋星軍が風蘭さまのために出軍することも、ない」





海桐花の悲痛な言葉に、霞は小さく頷く。秋星軍を預かるのは蠍隼一族。王を支える・・・というよりは実情操っている執政官、蘇芳を裏切ることはしないだろう。


ということは、秋星軍と春星軍は沈黙を守り、冬星軍と夏星軍が国軍『輝星』や五星軍と戦うことになるのだろう。


沈黙を守ること、風蘭の助力をすること、芍薬王を守ろうとすること、どれが正しいのかなんて霞にはわからない。けれど、大きな大きな変化の流れがたしかに起こっていることは感じていた。


そして、もうすぐそれにも決着がつくことも。




「風蘭さまもご存知なのでしょうか、夏星軍のことは・・・・・・」


「もちろん、ご存知だろうね。もっとも、わたしたちの比ではなく驚かれただろうけれど・・・」


そして、海桐花はまた何かを考え込むように目を伏せてしまう。


「海桐花さま?」


「・・・・・・霞、わたしは自分がとてももどかしいのだよ。わたしは風蘭さまのお考えに感銘し、お力になりたいと思い膝を折ったのに、こんな大事なときにわたしはどうすることもできない・・・」


「海桐花さま・・・」


秋星軍を動かして風蘭に助力もできない。


まして、一族の当主である海桐花がひとりでふらふらと風蘭のもとに行くなど許されない。


唇を噛み締めて思いを吐き出した海桐花を見守っていた霞だったが、ふと、突然閃いてしまった。






「海桐花さま!!いいことを思い付きましたよ!!」


「え?」


きょとんと霞を見つめる海桐花に、彼女は興奮気味に自分の考えを伝える。するとみるみる表情が明るくなった海桐花の様子を見て、霞は自分の思い付きが悪いものではなかったと確信した。


「それはいい考えだね、霞。さっそく一族の皆に聞いてみよう」


「はい!!」






そしてそれから数日後、風蘭からの文が届き、そこには冬星軍と合流した彼らが、いよいよ夏星州に向かうと書かれていた。





・・・気づいたのですが、この話の伏線が明かされるのは七章なので、こちらのサイトに載ることはないですね・・・(汗)(笑)

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