六章 連なる決意 六話
6、黒灰の場合
冬星州にいる黒灰に風蘭からの文が舞い込んできたとき、いよいよだと身が震えた。
黒灰はすでにいつでも出軍ができるように、冬星軍も私軍も準備は整えていた。そしてとうとう、早文で「軍の力を貸してほしい」という風蘭の要請があったとき、黒灰は待ちきれずに柘植のもとに駆け込んだ。
柘植もそんな彼の行動は予測していたのだろう、ばたばたと慌ただしく屋敷にやってきた黒灰に、少しも表情を動かさずに視線だけ向けた。
「・・・もう少し、静かにやってこれないのか?」
「いつもは静かに来てるだろ?今日はそんなことに気を配っている場合じゃなかったんだよ。わかるだろ?」
「同意を求められてもわたしは賛同できないが?」
「相変わらずつまんない奴」
「結構」
ぶちぶち文句を言う黒灰を柘植は軽くあしらう。
黒灰と柘植は、かつて学友と呼ばれる仲だった。
同じ年頃で、互いに11貴族本家の跡継ぎ。いずれは当主となる重責を互いに背負ったふたりは、行動を共にすることも多かった。
そして、それぞれが当主の座を継いだ今も、こうしてふたりきりのときは打ち解けて話したりしている。
もっとも、柘植は元来真面目な性格なだけに、黒灰との会話はあまり噛み合ってはいなかったが。
それでも、黒灰は柘植のことをよく理解しているつもりでいた。「冷酷な州主」と呼ばれている彼が、実は誰よりも冬星州の現状を憂いていることも。
「・・・届いただろう?」
「随分と唐突な問い掛けだな」
顔をあげることなく、柘植は黙々と執務を続けながら黒灰に応じる。
たったひとりの愛娘だった雲間姫を病で失ってから、柘植の周りから次々と人がいなくなった。彼の妻も、その後の流行り病でそのまま逝ってしまった。
使用人もひとり、またひとりと柘植のもとから去っていった。そして、朝廷で民部長官をしていた弟も、謎の死を遂げた。
孤独を受け入れる柘植は、日増しに心を閉ざしていくようで、黒灰は見ていられなかった。
黒灰自身は、息子は何人もいるが、娘には恵まれなかった。
柘植のようにたったひとりの女性だけを妻として迎えているわけでもなかった。これはこれで、貴族本家の後継者としての務めのひとつだと割りきってしまえば、黒灰は何とも思わなかったが、真面目な柘植はそれにも抵抗したのだろう。
だからこそ、選び抜いたたったひとりの女性を失い、孤独になった。
頻繁に柘植の屋敷を訪れる黒灰を、彼は喜ぶわけでも疎むわけでもなく、ただ無感情に受け入れていた。
ただ黙々と執務を続ける。
冬星州のために。
民にどんな誤解をされていても。
「・・・何を黙っている?」
「え、あぁ、すまない。・・・風蘭公子からの文、届いただろう?」
「あぁ、今朝方届いた」
思考に沈んでいた黒灰は、柘植の言葉で我に返るとそのまま彼に尋ねた。それに頷きながら、柘植はやっと顔を上げた。
「いよいよ、みたいだな」
「・・・行くのか?」
「もちろん、そのための準備は整ってる」
「・・・・・・本当に、よかったのか?」
そう問う柘植の瞳が、悲しげに揺れる。多くを語らない柘植のその真意を、黒灰は違うことなく汲み取った。
「風蘭公子を支持したことを言っているのか?別に、おまえに付き合って風蘭公子を支持したわけじゃない。あの方ならこの国を・・・冬星州を変えてくれると思ったから、支持することを決めたんだ」
「・・・だが、一族は黙っていないだろう?」
「そっちほどじゃないさ」
苦笑しながら黒灰が返せば、柘植は小さなため息を返してきた。
州主である霜射一族の当主、柘植の決定に表立って逆らえる一族の者はいない。
だが、民部長官だった一族の者が亡くなった直後に、その朝廷に背信行為を決意した柘植を支持する者と、「安直だ」と非難する者がいた。
それらを押し切って、風蘭を支持することの苦難は、同じ一族の当主という立場である黒灰には理解できた。
もっとも、好戦的な瓶雪一族は、久々に軍を出軍させるならどちら側でもいい、という大雑把な者が多かったので、さほど黒灰は苦労しなかったが。
「明後日には春星州に向けて発つつもりでいる」
「・・・・・・そうか」
「行かないのか?」
「こう見えても、この州の州主だからな。そう容易く空けるわけにはいかない」
「・・・ふぅん、わかった」
てっきり柘植も黒灰と共に春星州に滞在している風蘭のもとに向かうと思っていた黒灰は、柘植の言葉を意外と思ったものの深く追求はしなかった。
「この国が変わる瞬間を見てくるからな」
最後に室を出るときに黒灰が柘植にそう言い残すと、
「本当に国が変わる瞬間にはわたしだって立ち会うつもりだよ」
と柘植が言い返してくるのが聞こえた。
それから2ヶ月の月日をかけて、黒灰が率いる軍は春星州に向かった。
風蘭が冬星州を追われるように発ち、春星州に落ち着くまでになにがあったか黒灰は知らない。
果たして、彼が自分達以外に味方を見つけたのかすら。
春星州に長居ができているということは、春星州には彼の味方をしてくれる存在があるのかもしれないが、それが貴族か平民かもわからない。できれば、自分達以外にも戦力は欲しい、というのが黒灰の正直な本音だった。
夏星州には・・・・・・朝廷には、国軍『輝星』が控えているだけでなく、五星軍と呼ばれる五つの軍隊も待ち受けている。
それに対抗するには、黒灰が全軍を率いても、あまりにも少なすぎた。
「え~と?ここらで待機してろってことだったけど・・・」
風蘭との最後の文で彼が支持してきた場所で、黒灰は待機することにした。
春星州を見渡すことができる丘の上。
黒灰は初夏の風を感じながら、ひとり軍から離れて春星州を見回した。
きらきらと町中が輝いているかのような長閑な雰囲気。吸う空気すら、軽く暖かなものに感じる。
同じ州とはいえ、こうも違うものかと黒灰は無意識に冬星州と比べてため息を漏らしてしまう。
「冬星軍の将軍がため息とは珍しいっすね」
黒灰が寄り掛かっている大木の真上から声が降ってきて、思わず黒灰は構えながら上を見上げた。すると、なんとも身軽に木の上から青年が飛び降り、黒灰に跪いた。
「上から失礼しました、瓶雪星官。オレは赤星軍所属、牛筍 水蝋と申します。風蘭様の言いつけにより、お迎えに参上いたしました」
そうして顔を上げた水蝋は、にやり、といたずらが成功した子供のように笑った。あまりにも突然な登場に呆気にとられていた黒灰だったが、すぐに豪快に笑った。
「なんとも元気なお迎えだな。こういうのは、わしは嫌いではない」
「それはよかったです。ここで大目玉を食らうことになりましたら、ご案内できませんし」
「面白い奴だな。水蝋殿といったか。君がここにいるということは、牛筍一族は風蘭さまのお力になるということなのだろうな?春星軍まで味方となれば、実に心強い!!」
意気揚々と話す黒灰に、水蝋は申し訳なさそうに頭を掻きながら言った。
「・・・いえ、牛筍一族は、風蘭さまを支持してはいないのです。オレが個人的に風蘭さまのお側にいるだけでして・・・・・・」
ははは、と乾いた笑みを浮かべる水蝋を、黒灰は思わず凝視してしまう。そんな黒灰の様子に水蝋は軽く肩をすくめてから飄々とした態度で告げた。
「とりあえず、風蘭さまにお会いになりませんか?州主のお屋敷にいらっしゃるので」
「州主・・・・・・春星州の州主か?!」
「はい」
「・・・・・・わかった。案内してくれ」
すべては風蘭から話を受けなければ。
黒灰は絞り出すように、水蝋にそれだけ言った。
連れてきた軍たちは水蝋の案内通りに誘導してから、ふたりは春星州州主の屋敷の門を潜った。
すると、庭から駆け寄ってくる足音が黒灰の耳に聞こえてきた。
「瓶雪親分!!」
「・・・椿か!!」
首に絡まるように抱きついてきたのは、冬星州で風蘭と共に旅立った椿だった。彼女が敬愛していた石榴を失い憔悴していた姿とは異なり、今目の前にいる少女は、自信に満ち溢れている。
「・・・『黒花』が板についてきたか、椿?」
「どうかしら?あたしにはわからないけど、自覚はできてきたわよ」
甘えるように抱きついてきたかと思えば、石榴から受け継いだ『黒花』の話をすれば、たちまち武人の表情に変わる。
冬星州では妓女としての椿しかほとんど見てこなかったが、冬星州を発ってから武人としての彼女を成長させるものがあったのだろう。今の椿には、妓女の気配は感じられなかった。
・・・・・・さすが、石榴が『選んだ』娘。
「風蘭さまはお変わりないか?」
「よくも悪くも変わらないわね。王を討とうっていうんだから、もっと無情になるべきだと思うのに」
「それがあの方のいいところだよ」
「お話が弾んでいるとこすいませんが」
椿と黒灰が話し込んでいると、それを遮るように屋敷から水蝋の声が飛んできた。いつの間にか、彼だけ屋敷の中にいたらしい。
「風蘭さまも瓶雪さまにお会いしたがっているんで、お屋敷にお入りいただいてもよろしいですかね」
「わかった、すぐに行く。・・・・・・彼はなかなかおもしろい奴だな?」
最後の一言だけ傍らにいる椿に向けて黒灰が言うと、椿はニヤニヤと笑い返してきた。
「風蘭に加担しようとする者たちなんて、みんな変人よ?」
「・・・それはわしもか?」
「瓶雪親分はその筆頭じゃない?」
くすくす笑う彼女を軽く小突いてから、黒灰は気を引き締めて屋敷の中に足を踏み入れた。
屋敷の中央部に位置する室に案内された黒灰は、そこで彼を待っていた面々を眺め見た。
「随分と様々な方々を味方につけられたようですな、風蘭さま」
「遠路はるばる感謝する、黒灰殿」
「・・・・・・ほう」
なぜか何かを感心するかのように呟いた黒灰に、風蘭はことんと首をかしげた。そんな彼がおかしくて、黒灰はくすくす笑いながら風蘭に言った。
「冬星州にいらした頃は、わたしのことを『瓶雪殿』とおっしゃっていらしたので」
「・・・あ」
「あなたの中で、何かが変わったのですね、風蘭さま」
「・・・そう、かもな」
それ以上は、黒灰もあえて何も言わなかった。だが、彼の心の変化を黒灰はひしひしと感じ取っていた。
何より、顔つきが違う。
冬星州にいた頃のような迷いが、彼の中で消え失せている。そしてその代わりに、芯のある強さが携わっているのを見てとれた。
それはまるで太陽のように強い光で辺りを導くように。
彼に吸い寄せられていくかのように。
理想だけを掲げていた『坊っちゃん』は、もうそこにはいなかった。
「・・・ニヤニヤ笑ってどうしたんだ、黒灰殿?」
「いえ、実に楽しいことになってきと思いましてね」
「・・・楽しいこと・・・?」
「柘植にも会わせたかったですよ、風蘭さまに」
「はぁ・・・?」
くすくす笑い続ける黒灰が到底わからないとばかりに、風蘭は訝しげな表情を浮かべる。
しかし、黒灰は想像以上の風蘭の成長がうれしくて仕方がなかった。
彼に、一族を、国を託してよかったと、そう思えるほどに。
「お初にお目にかかります、瓶雪星官。春星州の州主を務めております、桃魚 華鬘と申します」
風蘭の目の前の位置に座っていた男が立ち上がり、そっと礼をとった。黒灰もそれを返しながら、自己紹介をし、ふと、室内にいるはずのない存在がいることに気付いた。
「桃魚星官、うかがってもよろしいかな?」
「なんでしょう?」
「こうして桃魚星官のお屋敷に風蘭さまがいらっしゃるということは、あなたは風蘭さまを支持されていると判断してよろしいかな?」
「はい、そうです」
「しかし、先程わしを迎えに来てくれた牛筍一族の水蝋殿は、彼の一族は風蘭さまを指示していないと言っていた」
「そうですね。水蝋殿が個人的に我々に協力をしてくれています」
「・・・では、その方はどなたですかな?」
黒灰が指したのは、華鬘の隣。
風蘭のとなりには、風蘭と年の近いであろう青年と、その隣に水蝋がいる。
対する華鬘の隣にいる人物は、明らかに年は黒灰に近いように見えた。
そして何より、黒灰だからこそわかる。彼は、強い。
一分の隙もなく、黒灰を見つめている。まるでこれから手合わせをするかのように、互いの力量をはかっている。
彼は文官ではない、武官だ。
しかも、自分と同じ、根っからの武官。
春星州の武官一族は、主に牛筍一族。
だが、その一族は風蘭に手を貸さないと聞いた。では、彼は誰だ・・・・・・?
「彼は牛筍 著莪。牛筍一族の当主です」
苦笑混じりに華鬘がそう教えてくれたのを聞き、黒灰はわけがわからなくなってきた。頭を抱える彼に、風蘭がそれを説明した。
「・・・著莪殿は見守って下さっているのです。俺が、この州の・・・この国の民を守れるかどうか」
「だが、風蘭さまの味方にはならない、と・・・・・・?そんな勝手な・・・」
「勝手だと?どちらがだ。現王を裏切り、何の許可もなくこの州に立ち入り、あまつさえ国軍を駐屯させるなど!!わたしは風蘭公子を見張っているだけだ!!これ以上この州で勝手なことをされないように!!」
黒灰の呟きに即座に反応を示した著莪が、怒濤のように不満を吐き出す。けれどそれがすでに慢性化しているのか、その場にいる者たちは苦笑を残すだけだった。
だが、黒灰にはそれ以上に気になることがあった。
「国軍が・・・春星州に駐屯している・・・?」
そんな話は黒灰の耳には届いていない。
国軍が、この州に?
それは当然のごとく、風蘭を捕らえるために・・・?
だが、著莪は今、国軍が『駐屯している』と言った。争ってはいないというのか・・・?
「『輝星』がこの州まで出軍してきたのですよ。俺を捕らえるために、執政官が命令してね」
「『輝星』が?!」
「そしたら、風蘭ってば『闇星』を出軍させてくれって言うのよ。いきなりで驚くやら呆れるやら」
「『闇星』を・・・って、椿、まさか自分の正体を?!」
横から会話に加わってきた椿の言葉に、黒灰がぎょっとした様子で問い返したが、当の椿はあっけらかんとした態度でうなずいた。
「もちろん、ここにいる人たちは知ってるわよ、あたしが『黒花』だって。ちなみに、『闇星』のことも『黒花』のことも、ばらしたのは風蘭だけどね」
「・・・『輝星』に立ち向かうには、どうしても『闇星』の力が必要だったのです」
申し訳なさそうに風蘭が黒灰に弁解する様子を見ていて、黒灰は苦笑混じりに肩をすくめた。
「別に、椿たちが納得してるならいいんですがね。わしが口を出すことじゃぁない。・・・それで?『闇星』を使って『輝星』を撃退して、『輝星』は春星州に駐屯しているのですかな?」
「いや、『輝星』は俺を捕まえる気はないようですよ」
「え?」
「執政官がうるさいからとりあえず出軍したけど、ほんとは風蘭の話次第では捕まえる気はなかったらしいわよ。それで、実際に『輝星』を束ねてる少将をここに連れてきて話してみたら、あっさりと引き下がったってわけ」
「少将?!『輝星』は大将しか・・・」
椿の説明に驚愕した黒灰が、ふっと言いかけた言葉を切る。
・・・・・・なるほど、そういうことか。
「黒灰殿はすぐに双大将の考えがわかったようですね」
くすりと笑った風蘭に、黒灰も同じように笑みを返した。
「いやはや、あなたをどう形容してよいものですかな、風蘭さま。人の心を惹き付けるものをお持ちか、強運を引き寄せる力をお持ちなのか」
「両方お持ちなのですよ」
それまで黙ってやりとりを見守っていたこの屋敷の主、春星州州主である華鬘がそっと告げた。
そこにある穏やかな笑みの下にたしかな意志の強さを感じ取り、黒灰は小さく頷いた。そして表情を引き締めて、改めて風蘭に向き直った。
「では、風蘭さま。これからどうされるおつもりですか?夏星州へ・・・水陽へ攻め入るにせよ、いくら『輝星』を攻略したとしてもあちらには五星軍がいる。こちらの戦力はわしが連れてきた軍と冬星軍の一部だけ。『闇星』は?」
「ここまできて、今さら傍観者ってわけにはいかないでしょ?」
『闇星』を束ねる立場にある椿の返答を聞いて頷き、そして再度風蘭に問う。
「おわかりかと思いますが、これでは戦力は足りません。春星軍は望めず、秋星軍も・・・・・・おそらく無理ですな」
秋星州の州軍、秋星軍を司るのは蠍隼一族。
裏の支配者である蘇芳を裏切るなど、今の蠍隼一族にはできまい。まして、秋星州の州主の娘は、現王芍薬の正妃だ。
「・・・えぇ、秋星軍は望めませんね」
苦々しげに風蘭は頷く。
「ではどうされますか?戦力としてはあと少し軍がなければ足りない・・・」
「ひとつ、お忘れですよ、黒灰殿」
にっこりと自信を含めた笑みを風蘭は浮かべる。そして、黒灰にとって予想外の発言を風蘭は口にした。
「夏星軍が味方になってくれるようです」
風蘭が討つ、現王芍薬のいる水陽があるのは夏星州。
その州軍である夏星軍が風蘭の味方になると言うのだ。
全くの予想外の展開に、黒灰は驚きのあまり言葉を失った。
懐かしいふたり組でした。
冬星州メンバーは結構好きですね(笑)