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六章 連なる決意 三話






3、淡雪の場合






筆頭女官である淡雪の今最大の任務は、後宮内の混乱を鎮めることだと彼女は思っていた。




風蘭公子の反逆。


誰から伝えられ広がったのか知らないその事実は、朝廷だけではなく後宮内も震撼させた。




朝廷内がふたつの派閥に分かれたように、女官たちの間でもどちらの『公子』を支持するか囁かれていた。


同時に、新たな王妃である紫苑に仕える女官たちは、自らの立場がどうなるのか日々不安に感じているようであった。


もしも現王である芍薬が風蘭に討たれれば、当然、その妃である紫苑もまた討たれるのが運命。王妃に仕えるという名誉を与えられたはずの女官たちは、たちまち己の不運を嘆くようになっていた。




ひとりの主君に仕え、職務を全うする。


淡雪にその経験はないが、主君と女官にだけ通じる信頼関係というものを羨まないわけではなかった。


・・・・・・そう、まるで桔梗と花霞のような。





ふと、回廊を歩く淡雪の視界に、見覚えのある女官が通りすぎた。相手も淡雪に気づいたようで、軽く礼をとる。


淡雪は彼女に近づき、なるべく柔らかく声をかけた。


「お務めはいかがですか、野薔薇」



顔をあげた野薔薇は、一瞬何か言いたげに口を開いたものの、そのまま俯いて答えた。


「・・・お気遣い、ありがとうございます」


「・・・・・・何かありましたか・・・?」


「・・・いいえ」


強張った表情のまま、野薔薇は首を横に振る。




何かあったに違いない。


そうは思っても、淡雪もこんなところで野薔薇を問い詰めるわけにもいかない。





「・・・そうですか」


双大后の火女となった、女月 野薔薇。


同じ一族の姫、紫苑姫が王妃にならなければ退官するとすら宣言した、一途な彼女。


すぐに紫苑姫に仕えることができると夢見たに違いないが、野薔薇が今仕えるのは桔梗。


それでも、懸命に務めを果たしているのは、いつかは夢見た場所へ辿り着くことを信じているのか、または純粋に桔梗に仕える誇りを得たか。




何かを抱えているように見える野薔薇に、淡雪はそっと尋ねた。


「・・・あなたの悩みを、桔梗さまはご存知なのですか」


はっと野薔薇が驚いた様子で顔を上げる。その先に、淡雪の真剣な瞳とぶつかり、野薔薇は少し躊躇したあとに小さく頷いた。


「・・・はい」


淡雪にはその返事はわかりきったものだった。




筆頭女官である淡雪には、知っていていいものと悪いものがある。


野薔薇が桔梗に報告しているのであれば、桔梗が淡雪を『必要』と判断したときに声がかかるだろう。


筆頭女官としての立場と任務を、桔梗はよく心得てくれているから。




「では、これからも桔梗さまのために励みなさい。ひいては、それはあなたの大切な姫にも繋がるのだから」


少し意地悪く淡雪が言えば、野薔薇はそれに苦笑しながらもはっきりと頷き、礼をとってその場を去った。それを見送りながら、淡雪は思う。




筆頭女官の役割とは、なんだろうか。


女官たちを取り仕切り、中部の官吏たちと王族との橋渡しをする。


後宮の秩序を守るのが、筆頭女官の務め。


淡雪はずっと、そう思っていた。




だが、淡雪が筆頭女官となる前から、桔梗は後宮の主として静かにそこを統治していた。


女官の仕事に口出したり、淡雪の判断を邪魔するようなことは決してしなかったが、その存在感はたしかに影響していた。


淡雪の同期でもある花霞は、桔梗の専属女官となると、あっというまに側女まで出世していった。


それに負けじと淡雪も筆頭女官にまで出世したが、それゆえに、彼女は特定の誰かに仕えるということはできなくなった。




常に広い視野で女官や王族の動きを把握しなければいけない。


誰かひとりの主のために仕えることを憧れなかったわけではない。


しかし、淡雪は自身の職務にそれ以上の誇りを持っていた。





「あら?淡雪さま?」


今日は桔梗の女官によく出逢う。重なる偶然に、前方からやってくる人物に思わず苦笑を向けてしまった。


「いかがされましたか、淡雪さま?」


「いいえ。ちょうどあなたのことを考えていたのよ、花霞」


「私のこと・・・ですか?」


軽く首をかしげた花霞の簪がしゃらん、と涼しげな音を鳴らす。


キキョウの花の簪。


双 桔梗から下賜された信頼の証である、『花』。




淡雪はその簪にちらりと視線を送ってから、庭院に移した。


「私とあなたがここに出仕を始めた頃、後宮はとても乱れ・・・・・・混乱していたわね」


「・・・そうですね」


突然切り出した淡雪の思出話に、花霞は驚く様子もなく静かに同調した。






淡雪と花霞がまだ少女の頃。


水陽に、後宮というものに様々な夢を抱いて、ふたりは女官として出会った。


その頃はまだ26代星華国王の治世で、後宮の中は華美と贅沢に溢れていた。一方で、跳ね上がっていく税金に貧富の差は広がっていき、国民の王への反発心は強まっていく一方だった。




「あの頃の後宮は、今よりも人に溢れて賑やかでしたね」


「公子さまも姫さまもたくさんいらっしゃったものね。・・・お妃の方も」


淡雪と花霞がまだ水女や火女としてこつこつと修行していた頃は、後宮内は今よりももっと賑やかだった。


把握できないほどの妾妃を抱え、順番がわからないほどの公子たちがいた。


おしゃれ好きで派手好きな姫も公子と同じ数だけいたかもしれない。




「26代陛下の御世は乱れ、このままでは災いが起こるのではないかと噂されるときもあったわね」


「えぇ。・・・そして、北山羊一族との一件で、人々は天変地異すら起こるのではないかと恐怖を抱くようになりましたね」


淡雪の言葉に花霞は頷き、思出話を共に語る。




不思議な力を持つ北山羊一族。


この一族を敵に回した国王に、人々は密やかに非難を口にした。必ず、災いは起こる。


そして、その日が訪れてしまったのだ。




「・・・あの日の恐怖を、私は一生忘れることはないでしょう・・・」


「・・・・・・えぇ、私もです、淡雪さま」


ふたりとも庭院に視線を向けながらも、意識ははるか昔にある。


そして、ふたりとも同じ日のことを思い出している。


あの、恐怖の日を。





忘れもしない。


その日は、国王の誕生祭の式典があったのだ。


その後、内宮の中でさらに内輪で祭りが行われていた。庭院にある大きな池の上に舟を浮かべ、王族だけで飲んだり歌ったりの大騒ぎ。


派手好きの国王のその騒ぎに、純粋に楽しむ者も呆れて眺める者もいた。


王位継承者である第4公子もまた、父王と同等以上の華美な生活を送り、甘やかされて育ったせいか世間知らずな上に傲慢だった。




26代国王と27代国王によって星華国は滅びる。


そう囁く人々の声が次第に大きくなっていたそのときだった。


その事件が起きたのは。




国王の誕生祭の日に、舟に乗った王族が全員死んだのだ。


突然、舟が爆破し、沈んでいったことにより。


誰もが突然の出来事に目を疑った。


王族を・・・・・・王を助けようと、宮城内は騒然とした。


泣き叫ぶ女官やあまりの出来事に失神する女官すらいた。淡雪や花霞はそのどちらでもなく、ただその悪夢のような出来事を呆然と眺めていた。






「あんな事が起こるなんて、誰も予想しなかったわね」


「・・・だからこそ芙蓉陛下がご即位されるときも大騒ぎでしたね」


身体が弱い芙蓉。


あの衝撃の日も、唯一彼だけは離宮で静養中だったため、命は免れた。


その他の王族はすべて、残らず命を落とした。



病弱でめったに人前に出ることのない第8公子であった芙蓉の存在を、混乱の最中では誰も思い出すことができなかった。


王と王族が命を落とし・・・・・・牡丹王の血族が絶えたという事実が、一層混乱を強め、その場にいなかった王族のことを思い出す者はいなかった。


そしてそれは、淡雪や花霞にも言える。




「・・・混乱が鎮まった頃、芙蓉さまがまだ生き残っていらっしゃると知ったときは、ほっとしましたね」


愚君とすら言われた王の血を継ぐ公子。


それでも、貴族だけでなく平民でさえ、獅一族が絶えなかったことにむしろ安堵した。


この国は獅 牡丹により創国された。その末裔である獅一族が絶えることは、星華国の崩壊を意味する。


みなが、そう思っていた。



だから、忘れられた公子といえど、芙蓉だけでも生き残っていたことは人々を安心させた。


同時に、人々の心に不安と恐怖は残る。


強い繋がりを得ていたはずの王族と11貴族。


その関係が崩れている。


だからこそ、王族は殺された。




これは、反逆の意ではないか。





囁き騒ぐ人々をぴたりと黙らせたのは、意外にも即位したばかりの芙蓉だった。


「今後、あの一件を口にすることを禁ずる」と。




「芙蓉陛下にとって、あの一件は私たちよりも深く深く傷を残されたに違いないわ。だからこそ、あのようなことをおっしゃったのでしょうね」


ふっとため息混じりに淡雪が言えば、隣で同じように庭院に視線を送っていた花霞が小さく頷いた。


「・・・ですが、芙蓉陛下が王として表舞台に立たれたのはあまりに短かったですね・・・・・・」


齢15に満たない年齢で玉座に座ることになった芙蓉。


始めの方こそ、王として表舞台に立って貴族に指示することもあったが、次第に事件の衝撃から立ち直った貴族たちが本領を発揮しだすと、芙蓉は後宮から出てこなくなった。


だが、誰も無理強いはできなかった。



唯一の王族。


たったひとりのお飾りの人形。


何もしなくていい。


ただ、玉座に『存在』さえすれば。




「桔梗さまが正妃となられても、芙蓉陛下のお心は変わられることはなかった・・・・・・」


桔梗の最も近くでそれを見てきた花霞が、小さく小さく呟く。淡雪もそれをずっと見てきた。


まるで固く閉ざされた芙蓉の心のように、後宮から出てくることを頑なに拒んだ。


桔梗がどれだけ望んでも、王として政を行うことはなかった。


26年間、ずっと。





芍薬や風蘭たちが育っても、玉座を譲ろうとしない芙蓉が、淡雪は不思議だった。


王政を省みないからこそ、玉座を早々に放棄するするだろうと誰もが思ったのにも関わらず、芙蓉はそうしなかった。


そして、若くして死を迎え、玉座が芍薬に移った途端、風蘭がその玉座を奪うために反旗を翻した。




執政官、蠍隼 蘇芳の言いなりとなっている芙蓉や芍薬よりも、多少むちゃくちゃでも、はっきりと方向性を示せる風蘭を支持する者は少なくなかった。


だからこそ、朝廷内はふたつの派閥に割れ、後宮内もその余波を受けた。




「・・・・・・今、後宮内も不安と期待に入り乱れているわ。・・・紫苑姫を支持する者と桔梗さまを支持する者にわかれるように」


静かに、ゆっくりと、淡雪は花霞にと向き直った。それは先程のように昔を懐かしむような表情ではなく、厳しく全てを律する筆頭女官の表情で。


「・・・ですが、桔梗さまも芍薬王を支持されています。女月貴妃と対立だなんて・・・・・・」


「双大后さまが陛下を支持されているのは私も知っています。・・・ですが、すべての者がそうとは思っていないということです」




桔梗はきっぱりと公言している。


風蘭はすでに我が子ではなく、ただの謀反人である、と。


故に、芍薬王を支持するため、桔梗は風蘭を敵とみなす、と。



その言葉と決意に偽りはないことは、淡雪も花霞も知っている。


だが、桔梗を直接知らない者たちは、やはりそれでも風蘭の母であるのだから、最後は彼の味方をするのだろう、と風蘭派の熱に拍車をかけている。


だが実際のところは、その逆のことが起きているのを淡雪たちは感じている。




風蘭の母である桔梗は芍薬を強く支持し、芍薬の妃である紫苑こそが風蘭に惹かれているのをふたりをよく知る者たちは感じている。


だが、これは多くの者に知られてはならない。


知られるわけにはいかない。


王妃が反逆者に惹かれるなど。それこそ、抑えきれない混乱が起こるに違いない。





後宮内が風蘭派と芍薬派に分断されることもあまりいい気はしなかったが、それをあえて見逃してきたのはそのためだ。


騒ぐ者たちの勢いを押さえつけて、事実を突き止められてしまう方が都合が悪い。


それならば、このまま放任しておく方が得策であろう。





「水陽は戦場となるでしょうか・・・・・・」


花霞が不安そうに淡雪につぶやく。彼女はそれにしっかりと頷き返した。


「・・・なるでしょうね。風蘭様がどこまで戦力をつけていらっしゃるのか確かなことはわからないけれど、玉座をめぐってここが戦場となるでしょうね」


「・・・私たちは・・・どうなるのでしょうか・・・・・・」


「最後まで、自らの職務を全うするだけですよ。私は最後まで後宮を守るし、あなたは最後まで桔梗さまのお側にいるのでしょう?」


淡雪がそう言えば、花霞ははっとした表情を浮かべて淡雪を見返した。そして、彼女もすっと表情を引き締めて頷いた。


「・・・・・・はい。私は最後まで、桔梗さまの元におります。・・・このキキョウの簪に誓って」



それは、双大后に仕える女官を束ねる側女としての表情で。


淡雪はそれを見て満足そうに微笑むと、背筋を伸ばした。


「では、私はお務めがありますから、これで。久しぶりにあなたと長くお話しできて楽しかったわ、花霞」


「それは私もです、淡雪さま」


そして、ふたりはそれぞれの目的地に向かうためにすれ違う。




淡雪は淡雪の務めのために。


花霞は花霞の務めのために。




淡雪は、久しぶりに自らの職務に誇りが湧き出てくるのを感じながら、颯爽と後宮の回廊を歩いていった。







後宮組の話も書くのが好きだったりします。

なかなかその機会はないですけど・・・。

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