五章 見定める宿命 十八話
十八、「王者の風格」
誰もが、一目見て、会って話をして、感じたと言う。
「王の気質」というものを。
多くの民に自らの思いを伝えるために、牡丹は葵と共にあらゆる国をまわった。歓迎してくれる国もあれば、殺されそうな気迫で追い出されることもあった。
牡丹が掲げる理想は、民の願いであると同時に、貴族たちにとっては耳障りなものでしかなかった。牡丹の言葉を聞き入れてくれる貴族は、ごくわずかしかいなかった。
北山羊一族は、その珍しいわずかな貴族のうちのひとつだった。
未来を予見することができる者や星を視ることにより宿命を悟ることができる者など、特殊な異能力者が生まれるこの一族は、牡丹の持つものを察知していたようだった。
「獅 牡丹さま、ですね?」
北山羊一族が治めるその国に入国した途端、待っていたのは牡丹たちを拘束するための衛兵ではなく、北山羊一族その人だった。
牡丹たちを出迎えに来るなど、一族の中でも末端の者かはわからないが、少なくとも友好的には見える笑顔でそう尋ねられ、牡丹は静かに頷いた。
「お待ちしておりました、牡丹さま」
「・・・・・・なぜ、わたしのことを?」
「あなたは大変ご高名でいらっしゃいますよ、牡丹さま。この戦乱の世に、戦をせずに泰平を望む稀有な若者として」
「無謀だと言いたいのだろう?ただの愚かな理想者だと」
「そうですね、あなたが民に与えた影響力を知らなければ、そう思っていたかもしれません」
嘲笑しながら両手を広げる牡丹に、迎えの者は静かにそう言った。牡丹は、傍らにいる、まだ少年のような幼さを残している弟、葵を庇うように立つと表情を引き締めて口を開いた。
「こちらにわざわざわたしたちを迎えに来ていただけたということは、会わせていただけるのですか、国主さまに」
警戒する牡丹に、迎えの者は柔らかく微笑んだ。
「もちろんです。そのためにここでお待ちしていたのですから」
あっさりと肯定されても、牡丹は警戒を解かない。
ここに来るまでの間、多くの国を訪れた。そこでは様々な対応が牡丹たちを待ち受け、善意か悪意かもわからない国主たちの態度に振り回されてきた。
戦乱の世を終わらせたい。
誰もがそう思っているはずなのに、それを口にしたというだけで、一斉に攻撃の的となった。
それでも怯むことなく突き進めば、国主たちは牡丹から何もかもを奪った。家族も、家も、国さえも。
一度は諦めたのに、再びこうして立ち上がったのは、民がそれを望んでくれたから。
だから、牡丹は彼らの平和のために、立ち上がることにした。
国主たちを直に説得するために。
「我々北山羊一族は、あなたの勇気ある行動を大変評価しているのですよ、牡丹さま」
国主が住まう屋敷に向かいながら、そこへ牡丹たちを案内する男は、うれしそうにそう言った。
「・・・本当ですか?どちらかというとわたしの行為は愚か者だと評されることの方が多いのですが?」
葵としっかりと手を繋ぎながら、牡丹は歩いていく。男の言葉に怪訝そうに問い返せば、男は真摯な瞳をこちらに向けて振り返った。
「そんなことを言う者たちこそ愚か者ですよ。あなたがおっしゃっていることは正しい。俺はそう思っています」
「・・・ありがとう・・・ございます・・・・・・」
ぎゅっと、繋がる手に力がこもったことに、葵が不安そうに牡丹を見る。それに対して牡丹は、ただ微笑んだだけだった。
北山羊一族が治める国は、地形的にいいとは言い難かった。
山が連なり、その間を流れる川が道を塞いでしまう。寒波をもろに向けるこのあたりの地域は、冬になれば雪に覆われてしまい、道慣れた案内人がいなければ、遭難する恐れさえあった。
牡丹たちが今、懸命に登っている山は、白露山と呼ばれる、この辺りではもっとも高い山で、もっとも聖力が集っているとされている聖地のひとつだった。
季節としてはまだ秋の始めだというのに、ひんやりとした空気があたりに漂っていて、それが一層そこを聖地として際立たせていた。
山の中腹にあたるそこに、その屋敷はあった。
小さな集落のようにぽつりぽつりと家が並ぶなかで、ひときわ大きな屋敷がすぐに目に入った。
「この国は、それぞれの山谷に住む人々が多いので、街というより村や集落ばかりなのですよ」
人懐こい性格なのか、男は牡丹たちを案内しながら、始終この国のことについて説明してくれた。牡丹も人見知りなどしないが、度重なる裏切りで不信に陥っていたため、男に簡単な相槌しかうたなかったが、葵は興味津々に男の話に聞き入っていた。
やがて、大きな屋敷の前に着くと、男は振り向いて説明してくれた。
「ここが国主さまのお屋敷です。俺がご案内できるのはここまでです。門番にお名前をおっしゃっていただければ、すぐに国主さまにお取り次ぎできると思います」
「ありがとうございます」
一礼して去っていこうとする男に、牡丹は初めて笑いかけた。それに彼は驚いた様子だったが、すぐに同じように笑いかけてきた。
「あなたの掲げる理想と未来が叶いますように」
それだけ言い残して、男は去って行った。
すぐに牡丹は屋敷の門番に取り次いでもらい、貴賓室で待たされることになった。
山中にある屋敷とは思えないほど立派な室に、葵はそわそわと落ち着きがない。牡丹もまた、こんなに順調に物事が運んでいくことがむしろ不自然に感じられて、落ち着くことができなかった。
ふたりとも落ち着かない心を抱えながら、無言でこの国の国主が現れるのを待った。
沈黙が余計にふたりを追い詰め、重い空気が室内を漂い始めた頃、やっと扉を叩く音がした。
はっと牡丹は立ち上がり、葵もすぐさまそれに倣った。そして扉の向こうから現れたのは、全身から雪を被ったかのように真っ白な髪と髭をした老人だった。
穏やかな笑みを浮かべながら、ゆったりと室に入ってきたその人物は、目元を細めてふたりに言った。
「ようこそおいでくださいました、獅 牡丹殿、獅 葵殿」
「お初にお目にかかります、北山羊さま」
牡丹と葵が同時に礼を施すと、白髪の老人はその歳に似合わぬほどはきはきとした口調で告げた。
「わたしは北山羊一族の当主を務めております。一応、この国の国主となりますな。おふたりのお噂は予々とうかがっておりますよ」
「噂・・・ですか?」
「まぁ、まずはお座りください」
国主はふたりに円座をすすめると、自身も用意されていた円座にあぐらをかいて座った。
ふたりも顔を見合わせた後に、ゆっくりとそこに座った。
「さて、牡丹殿、この度の貴国のご不幸、残念でしたな」
「・・・はい」
「残念?笑わせないでいただきたい」
それまでずっとおとなしくしていた葵が、神妙に頷いた牡丹の横で口を開いた。驚く牡丹に構わずに、まだ幼さが残る葵は、それでも皮肉な笑みを浮かべて続ける。
「わたしたちの国を討ったのは、あなたがた他国の者たちですよ?加担せずとも、知っていて傍観していたなら、加害者であることに変わりない」
「葵!!」
「だって、悔しくはありませんか?!あの一夜で・・・・・・国も、父上や母上も・・・」
「黙りなさい、葵。わたしたちはその悲しみを続けないために、戦を止めようとしているのだろう?それは武力という力だけではなく、言葉という刃も指しているのだよ?」
牡丹は葵の腕を引いて彼を押さえつけてから、北山羊一族の当主に頭を下げた。
「弟の非礼をお許しください、北山羊さま」
「いやいや、顔をあげてくだされ、牡丹殿」
国主は軽快に笑うと、牡丹にそう言った。
「葵殿の言うことも一理はある。国を失い、親を失えば、その苦しみはそれを誘った他国へと向けられる憎しみによって、転化されましょう」
「ですが、それでは現状の負の連鎖と何も変わりません。だからわたしは、変えるために旅をしているのです」
牡丹は、ぎゅっと固く握られたままの葵の拳にそっと手を置く。葵は牡丹を見上げ、噛み締めていた唇を緩めると、小さく息を吐いてからはっきりと言った。
「ご無礼をお許しください、北山羊さま」
ゆっくりと手をつき頭を下げる葵を牡丹は優しい瞳で見守る。そして、国主もまた、優しい視線を葵と牡丹に送ると、穏やかに微笑んだ。
「じつに素直な弟君ですな、牡丹殿」
「・・・恐れ入ります」
「あなたの真っ直ぐな心がそのまま伝わっているのでしょうな。葵殿にも、そして多くの民にも」
切り出された話題に、牡丹は表情を引き締める。国主は相変わらずにこにこと笑いながら牡丹に話し続けた。
「あなたが多くの国に、民に語りかけていることは知っておりますよ。それは今までみなが思っていても、口にすることも行動に起こすこともできなかった。それを為したあなたは、素晴らしい」
「・・・しかし、そのために多くのものを失いました」
「大義があれば犠牲となるものもありましょう。何も失わずして、想いを叶えることなどできますまい」
「・・・はい」
痛みを堪えるかのように苦渋の表情を浮かべながら、牡丹は頷いた。国主は笑みを消して、牡丹に向き直った。
「長く続いてきたこの戦乱の世を終わらせたい。そう願っているのはあなただけではない。かつても、何度もそれを試みた者たちがいた。・・・だが、失うことを恐れ、先に進むことはなかった。だが、あなたは違う。失っても再び立ち上がった」
「・・・民が、わたしに力をくれたのです。立ち上がるための力を・・・・・・」
「そう。民はあなたに味方している。感じませんか、変革の風を。あなたの背中を押す、その新たな風が」
「国主殿・・・」
「ご存じのように、この国の地形は住みやすいとは言い難い。故に、この戦乱の世にあっても、他国ほど戦に巻き込まれることはありませぬ。しかし・・・」
国主は言葉を切り、憂いを帯びた表情で空を見上げるように宙を仰いだ。
「毎晩夜空を眺め、星を見ると悲しくなるのです。こうして流れゆく星たちが、日々失われていく命を象徴しているようで・・・」
星見による予見を得意とする北山羊一族。最も能力の高い者が当主となるこの特殊な一族の現当主であり、国主である目の前の老人の言葉は、重く牡丹の心に響く。
「わたしも早くこの戦乱の世が終わることを願っている者のうちのひとりなのですよ、牡丹殿」
「そ、それでは・・・・・・」
「えぇ、あなたに協力いたしましょう、若き英雄殿。・・・しかし、よくよくご留意いただきたい」
牡丹を見つめる国主の視線に、鋭い光が宿る。牡丹は何も言わずにただ頷いて先を促した。
「我らは他の者にはない特異なる能力を持ち合わせた一族。あなたに従い協力をすることにまったくの異はないが、我らの力を蔑ろに・・・・・・迫害されるような真似はされませぬよう、お願い申し上げる」
「そんな・・・!!あなたがたがお持ちのその素晴らしい能力を迫害するなど・・・」
「そうですな。あなたのような強く優しい方はそんなことをされますまい。ですが、長き世の間に、その理念は受け継がれていくとは思いがたい」
「・・・おっしゃられてる・・・意味が・・・」
「わかりませんか?」
北山羊一族の当主は、再び柔らかな笑みを浮かべながらさらに言った。
「我ら北山羊一族は、牡丹殿だけではなく、あなたが遺していく血族たちに従いましょうと申し上げているのですよ。未来永劫、獅一族に」
「そ・・・れは・・・」
驚愕のあまり、牡丹の言葉が詰まる。
まさか、そんな誓いがされるなど、露ほどにも思っていなかったというのに。
「これは北山羊一族全員一致の意見です。この世に光をもたらすあなたと、あなたの意志を継ぐ者たちを守り支えゆく誇りを、我らに与えてはくれませんか、牡丹殿?」
心が、身体が、電撃を受けたかのように震えた。
ゆっくりと瞑目し、そして再び目を開いたときにはどこも震えてはいなかった。
強い想いだけが、牡丹の中で燃え上がる。
静かに、青い炎のように。
熱い思いが、牡丹を立ち上がらせる。
「一族のみなさまのお気持ち、感謝いたします。・・・お約束いたします、わたしと獅一族は、未来永劫北山羊一族のみなさまと共存していくと。北山羊一族が困ったときはわたしたち獅一族がお助けいたしましょう」
「その思い、後世にも伝えていただけるかな、牡丹殿」
「もちろんです」
牡丹は力強く頷いて、傍らに鎮座する葵の頭を撫でる。彼もすでに先程のような反発的な瞳をなくし、恍惚とした表情を浮かべている。
白髪白髭の国主は、そんなふたりの様子を見ながら微笑むと、小さく呟いた。
「・・・この関係が永久に約束されぬのは惜しいことこの上ない・・・」
「なにかおっしゃいましたか、北山羊さま?」
「ん?いやいや何も」
国主の呟きを聞き付けた牡丹が問いかけたが、彼はゆるゆると首を横に振った。
「獅一族と北山羊一族との盟約が、互いを支えあっていけるよう、祈るばかりです」
「必ず、悠久のものといたしましょう」
牡丹が真っ直ぐな視線を向けて頷く。国主は小さく笑うと、はっきりと言い切った。
「では、我々北山羊一族は、この度の牡丹殿のご判断を全面的に支持いたしましょう。あなたがどのような道を選び、手段を選ぼうと、描く未来のお手伝いをいたします」
「・・・ありがとうございます」
それは無条件の信頼に近かった。
同時に託された想い。のし掛かる重責。
それでも、牡丹にとって、北山羊一族がこうして味方になって、牡丹たちを支持してくれることは心強かった。
交わされる視線。
牡丹は、これで獅一族と北山羊一族は永く支え合い助け合っていけるのだと信じて疑わなかった。
それから何百年もの先に、互いが互いを裏切る瞬間があるのだと、思いもせずに。
予言者でもある北山羊一族の当主は、それを悟っていたかはわからない。ただ、彼は純粋にこの盟約を喜ぶことをせず、複雑な笑みを浮かべていたことが葵の中でとても印象的に残った。
そうして、星華国建国までの間、その後、そして牡丹が退位して後も、北山羊一族は獅一族を支え続けた。
その関係が、崩れゆくそのときまで。
牡丹の花言葉でした。
「王」という花言葉がつくものを初代国王の名前にしたかったので、ものすごく探しました。桜にも王という花言葉があったりしたんですよ♪