五章 見定める宿命 十七話
17、「完璧な魅力」
『闇星』は、伝説の最強の国軍。
長い間、民や貴族の間でそう囁かれてきた。
椿も、それはわかっていた。その責任の重さも、理解しているつもりだった。
だけど、こうして改めて風蘭に『闇星』を頼りにされ、力を貸すことになったとき、どうしていいか、わからなかった。彼女はまだ『黒花』を継いだばかりだったし、なにより、彼女を次代『黒花』に任命した石榴から、何も聞いていないのだ。
何も教わらず、聞いていないまま、石榴は椿の前から永遠に消えてしまった。最後まで、彼女らしく戦って。
たしかに、残された『闇星』の中には皐月や逸初のように椿をよく知る者たちが多い。だが、椿は彼女たちを統率する立場である『黒花』として、彼女たちの戦力をまったく知らないのだ。
そんな中で、急遽風蘭からの要請により『闇星』を出軍させ、こちらに向かっている国軍『輝星』を迎え撃つことになったのだ。
「これが春星州の地形図だ。今、『輝星』はここで駐屯してる」
著莪が不機嫌な声色で、椿たちの前に春星州の地形図を広げた。
協力する気はないと、春星軍の出軍を拒んだ著莪だったが、『闇星』を出軍させる意志を椿と、それから逸初が見せると、著莪は半信半疑のまま地形図を椿に差し出したのだ。
まるで、『闇星』を、というよりは『黒花』だと名乗る彼女を試すように。
地形図を風蘭たちと眺め見る椿もそれはわかっていたが、今はそんなことに構ってはいられない。
最強の国軍『輝星』をどう迎え撃つか。それが問題だった。
しかも、要請してきた風蘭の意志を尊重すれば、民への影響を最小限にしなければならないのだ。
椿は地形図とにらめっこしながら、石榴に叩き込まれた兵法を思い出そうとしていた。
「・・・・・・なんで、妓女の姐さんが兵法なんか知ってて、あたしに教えてきたのか謎だったけど、こういうときのためだったのね」
「何か言ったか、椿?」
「いや、別に」
思わず口に出た独り言を聞き返してきた風蘭に、椿は素っ気なく返しながら、視線を地形図に落とす。叩き込まれた兵法による戦術で、どんな戦い方をすればいいか、いくつか浮かばないわけじゃない。
だけど・・・。
「ここで地形図とにらめっこしてても、所詮は机上の空論、だな」
まさに椿が考えていたことと同じことを風蘭が口にしたので、思わず椿は彼の方を見上げる。すると、彼は驚く彼女にひょい、と肩をすくめてから難しい顔をしている華鬘に呼び掛けた。
「華鬘殿はどう思われますか?」
「そうですね・・・。『輝星』は訓練を積んだ強者たちが揃っている軍です。指揮はおそらく、双大将がとられていることでしょうから・・・ますます動きを読むことは難しいかと・・・」
「縷紅殿か・・・」
「軍は出さないが、ひとつ、情報をお教えしましょうか?」
考え込む風蘭たちに、相変わらず不機嫌な様子で著莪が口を開いた。
「著莪殿・・・。・・・・・・教えて、いただけるものなら」
「春星州の民を巻き添えにしない。それが条件ですが?」
「もちろんです」
じろりと睨み付けてくる著莪に、風蘭はしっかりとうなずく。その傍らで、椿が呆れたように水蝋の袖を引いてつぶやいていた。
「あなたのとこの当主は人の話を聞かないわけ?さっきから風蘭はそのためにあたしたちに力を貸せって言ってるんじゃないねぇ?」
「面目ないね~。思い込みが激しいのが武官一族の欠点だな~」
あはは、と著莪に見えないように笑う水蝋の言葉に、ふと椿は冬星州の武官一族、瓶雪 黒灰を思いだし、納得してしまった。
「『輝星』の指揮を今とっているのは、双大将ではなく、蟹雷少将なんですよ」
「縷紅殿ではない?!それはたしかなのですか?!」
「信じる、信じないはあなたの勝手ですけどね。わたしが受けた報告ではそうなってますよ」
「なぜ・・・縷紅殿ではなく、蟹雷少将が・・・」
驚きのあまり押し黙る風蘭を見ながら、椿は不思議そうに首をかしげる。
「国軍を大将の代わりに少将が指揮をとるのが、そんなに不思議なことなわけ?どっちも権力を持ってるんでしょ?」
「五星軍に関しては、たしかに少将にも指揮権はあるけど、でも、『輝星』にだけは、その権限があったかどうか・・・。でも、双大将も、さすがに風蘭とは戦いたくなかったのかな・・・」
「あら、兵部に所属しているだけあって、ずいぶん詳しいじゃない、木蓮?でも、なんで双大将が風蘭と戦いづらいわけ?」
こっそりと椿に耳打ちする木蓮に、彼女は片眉を上げて問い返す。すると、木蓮は言いにくそうに水蝋と視線を交わしてから、さらに小さな声で彼女に告げた。
「双大将は、双大后さまの実弟でいらっしゃるんだ」
「うわ~・・・複雑な人間模様・・・」
風蘭は王族で、母である桔梗はもともとは貴族であるのだから、親類が朝廷にいたところで不思議ではない。
だが、この事態で直接対決に近い形になるのは、やはりいただけない。王族とはいえ、縷紅にとって風蘭は甥。風蘭の付き人である連翹も縷紅の愛弟子だったと聞く。
だから、縷紅はここに来なかった・・・?
逆賊である風蘭を支持することができない代わりに、第一線を他人に委ねたというのだろうか・・・?
だが、少将といえど実力は確実にあるわけで、まだまだひよっこの椿が敵う相手ではない。
かといって、椿はこの戦いを逸初たちに委ねるつもりはなかった。
唇を噛みしめ、もう一度地形図を見下ろす椿に、それまで黙って傍観していた逸初が静かに椿に言った。
「まず、この戦いに応戦するにはあまりにも情報がない。相手の力量も測れない。だけど、それ以上に、今回は相手の意図がわからない」
淡々と告げる逸初に、椿はしっかりと頷く。その反応を見ているのかどうか、逸初はさらに続ける。
「なにも私たちは正攻法で攻める必要はないわ。私たちは存在を隠された影の国軍。初代『黒花』も、正攻法で牡丹王を勝利に導いたわけではないから」
「初代『黒花』・・・」
椿も、初代『黒花』話をおとぎ話程度に聞いたことはある。だが、それをなぜ今、逸初は椿に思い出させたのだろうか・・・。
情報も戦力も足りない現状、被害を最小限にするために、初代『黒花』の戦い方を思い出せと言うのか・・・。
「・・・・・・あ」
そうか。
それに気づいたとき、思わず椿の口からぽつりと声が漏れた。そして、悪戯を思い付いた子供のような笑みで、逸初を見上げる。
「それ、いい案だわ。あながちはずれてないと思うし」
「・・・さぁ。何のことかしら」
澄まし顔で答える逸初とにやにやと笑う椿を交互に眺め、わけがわからないのは他の者たちだ。
「なぁ、椿。何を思い付いたんだ?」
「簡単なことよ。敵の動きがわからないなら潜入して探ればいいだけ」
「なっ・・・!!」
「かつての初代『黒花』もやったことよ?あたしにだってやれるわ」
「だけど、そんなの危険だ!!」
「この現状、なにをどうやったって危険なものしかないと思うけど?」
「それは・・・」
「風蘭が『闇星』に助けを求めたのよ?あたしに任せておきなさいって!!」
「椿・・・」
困惑する風蘭に、椿は明るく肩を叩く。華鬘たちも不安そうに椿を見守る中、意外な人物が反対の意を唱えた。
「小娘が何を言い出すかと思ったら!!敵陣に潜入するだと?!それがどんなに危険なことかわかっているのか?!」
「し、著莪殿・・・?!」
突然椿に噛みつくように反対し出したのは、風蘭側につくことを拒んでいた著莪だった。
意外な人物が飛び出してきたことに驚いていた椿だったが、すぐにいつもの得意の笑みを引き出した。
「あら?心配してくださるの?でも、おあいにくさま。あたしはそこらへんの小娘とは違って、ちゃんと訓練を受けた武官なんですから」
「武官であろうと、たったひとりで敵陣には向かわせない。危険すぎる・・・」
「椿ひとりを敵陣には向かわせない」
著莪の発言を遮った人物に、室内全員の視線が集まった。その人物は、真剣な眼差しでもう一度同じ台詞を言った。
「椿ひとりを敵陣には向かわせない。・・・俺も行く」
「な、なにを考えているのですか?!それこそ危険です!!あなたを狙って『輝星』はここまで来ているのですよ、風蘭さま!!」
叫ぶように華鬘が反対すれば、さすがに逸初も首を横に振る。
「私たちは隠密に動くことを得意とする武官です。そして、女であることを最大に生かして敵の懐に潜り込むことができるのです。失礼ですが、あなたが同行されれば、椿にとって足手まといの何者でもありません」
きっぱりと言い切った逸初の言葉に、風蘭も勢いを失って視線をさまよわせる。だが、それでも不安気に逸初に言い返した。
「だが、椿ひとりに行かせるわけには・・・」
「誰が椿ひとりに行かせると言いましたか?」
「え・・・?」
呆れたように風蘭に言う逸初を、彼は穴が開きそうなほど見返す。そして、当の椿もまた、同じように逸初を凝視していた。
「私とあと『闇星』の数人が、椿に同行します」
「逸初さん、それって・・・」
思わず椿が身を乗り出せば、逸初はちらとも笑みを見せることなく無表情に淡々と椿に言った。
「『黒花』の決定事項に私たちが異を唱えることなどできません。それが成功するように、補佐するのみです」
「・・・ありがとう、逸初さん」
「仕事ですから」
あくまでも冷たい態度の逸初だったが、『闇星』での石榴に次ぐ実力者である彼女が一緒なら安心だ。
風蘭は、ほっと息を吐いて軽く頷いた。
「たしかに、『闇星』が動いてくれるのに、俺がいたら邪魔だな。・・・わかった、任せたよ、椿」
「まぁ、待ってなさいって」
腰に手をあて、自信満々に笑い返す椿と、あっさりと身を引くことにした風蘭のやり取りに、それを見守っていた周りの人間がほっと息をつく。
「・・・連翹さんの苦労がちょっとわかったなぁ」
「ほんとに身の危険を省みないんだなぁ、あの公子は。だから、オレは好きだけど」
苦笑する木蓮の横で、水蝋が軽快に笑った。そのふたりの気持ちに同意するかのように、華鬘も思わず苦笑を漏らしていた。
そして、著莪は腕を組んで憮然としたまま、ゆっくりと口を開いた。
「・・・ならば、我々はここで報告を待たせてもらう」
「へぇ?春星軍を出軍させないのに、動向が気になるの?」
「椿、著莪殿だって椿たちを心配してくれているんだから、あまりそういうこと言うなって」
「はいはい、ひねくれててごめんなさいね」
「・・・出発は深夜。いいわね、椿」
風蘭とじゃれあっていた椿に、逸初の鋭い指示が飛んでくる。すぐに表情を引き締めた椿は、静かに一度だけ頷いて答えた。
月明かりと星の光だけが大地を照らす深夜。
椿と逸初、皐月とあと数人の『闇星』が、その暗闇に溶け込むようにそこにいた。
ここは春星州にある、岩壁に囲まれた地。人が住むことのないそこを占領するかのように、『輝星』は陣営を組んでいた。
椿たちは足音を殺してそこに向かう。彼女たちが接触を望む少将は、おそらく奥にいるに違いない。そこまで突破するには、彼女たちなりの『正攻法』で攻めるしかない。
「な、何者だ!!こんな夜更けに何をしに来た?!」
ちょうど見張りに飽きていた武官は、いきなり堂々と正面から現れた集団に、手に握りしめていた槍と松明を向けた。槍を向けられた小娘は、表情を変えることなく見惚れるほどの妖艶な笑みを返してきた。
「何をしに・・・こんなところまで来た・・・?」
見れば、その小娘もその後ろにいる女たちも、着崩した着物を艶やかに着こなしており、どう見ても武器など持っているようには思えない。だが、こんな夜更けに現れたことに不信感を拭えず、もう一度、見張りの武官は小さな声で問い返した。
すると、先頭にいた小娘がくすりと笑って彼に告げた。
「あたしたちは妓女ですわ。戦いに明け暮れる殿方たちに束の間の夢をお与えするよう、少将殿から仰せつかりました」
「少将が?!」
「つきましては、ひとまず少将殿にご挨拶を申し上げたいのですが?」
「い、いや、だがしかし・・・」
突然の意外な来訪者に、武官は戸惑いを隠せずに狼狽える。先ほどの彼の声を聞きつけ、そばで同じように見張りをしていた男がかけつけてくると、彼は助けを求めるように男に相談した。
「妓女・・・?この女たち全員が・・・?」
事情を聞くと、男はあらためてしげしげと女たちを舐めるように眺めた。
妓女だというのは本当だろう。着物の着こなし方も、醸し出す雰囲気も、偽りなくそれと告げている。
しかも、この小娘を筆頭に、上等な妓女たちだ。
夏星州で訓練の傍ら遊び歩いている男は、自らの直感でそれを悟り、喉をならす。
こんな上等な女たちを少将は用意してくれるなんて、なんて理解のある上司なのだろう。
男はもう一度食い入るように妓女だと名乗る女たちを眺めたあと、戸惑う見張りの男の肩を叩いた。
「俺がこの女たちを少将のところまで連れていくよ」
「本当か?!悪いな」
「いやいや。困ったときはお互い様だろ」
厄介事が自分の手から離れてほっとする見張りの男に、後からやってきたその男は見え見えの下心を隠しもしないまま、いけしゃあしゃあと彼を励ました。
そしてそのまま何の警戒もすることなく、男はこの魅惑的な女たちを奥に案内した。
野営の最奥にある天幕が、『輝星』を指揮している蟹雷少将がいる天幕だ。男が入室許可を得るために伺うように一声かけると、すぐに承諾の返答が返ってきた。男は得意気に女たちを引き連れ、天幕の中に入った。
「少将、夜分に失礼いたします。少将がお呼びになったという妓女たちが到着したのですが、いかがいたしましょう?」
「・・・妓女?」
まだ作戦を練っている最中だったのだろうか。武装こそしていないものの、寝ていた気配もなく中央に鎮座している少将は、男の言葉に眉根を寄せた。
「はい。この女たちが・・・」
「わたしはそんなものを呼んだ覚えはないが?」
「え・・・?」
男が驚いて女たちに振り向くよりも早く、彼は女のひとりが素早く放った的確な手刀で撃沈した。そして、天幕内に控えていたはずの武官たちも気づけば女たちにより、次々と地面に転がされていた。
「お、おまえたちは何者だ・・・?」
目を丸くする少将の前で、先頭に立っていた年若い小娘が魅惑的な着物をゆったりと紐解き始めた。
「え、おい・・・」
突然のことに慌てる少将をよそに、後ろの女たちも着物をするりと脱ぎ落とす。
そして、その下に着込まれていた、軽装ではあるが明らかに武装したその格好に、少将はもう一度緊張感を持って彼女たちに尋ねた。
「おまえたちは 何者だ・・・?」
すると、今度は先頭の小娘もくすりと笑ってから答えた。
「お初にお目にかかります、蟹雷少将。あたしは、『闇星』の『黒花』、椿と申します」
椿の花言葉です。赤と白では本当は違うみたいですけど。
最後のシーンは書きたかったシーンだったので、わくわくしながら書きました♪