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五章 見定める宿命 十六話






16、「誠実」








風蘭のことが気にならないわけではなかった。


彼がどこにいて、なにをしているのか、この約1年半、常に頭の中で気がかりではあった。


しかし、それ以上に朝廷内が入り乱れ、風蘭への懸念よりも考えるべきことは次々とあった。




これは、芙蓉との遠い約束。


あのとき交わした、誓い。覚悟はとうに、できている。







「双大后さま?」


それまで自らの思考に沈んでいた桔梗は、自分を呼び掛けるその声に、はっと我に返った。


見れば、花霞が心配そうにこちらを見ている。


「芙蓉陛下のことをお考えでしたか?」


「・・・なぜ?」


「その扇子をお持ちのときは大抵芙蓉陛下のことをお考えでいらっしゃるから・・・」


花霞に指摘され、桔梗は初めて、自分が大切にいつも持っている扇子を固く握りしめていることに気づいた。



「花霞には敵わないわね」


「何年ご一緒させていただいてるとお考えです?」


桔梗が苦笑をもらせば、花霞はくすりと笑ってそう言った。そしてふと、桔梗を見つめ直して告げた。


「神祇所所長、北山羊 柊さまがお見えです」


そう告げた花霞の言葉に、桔梗がぴくりと肩を震わせたのを気づくことができたのは、先程花霞が言ったように長い付き合いであるからに違いない。


何かに構えるように緊張感を抱いた桔梗に、花霞は不安を覚えずにはいられなかった。


「・・・桔梗さま?一体・・・なにをされようとしているのですか・・・?」




未来を予言する能力を持つ、北山羊 柊。


彼女が直々に桔梗のもとを訪れてくるのは、今回が初めてではない。以前から桔梗のもとを訪れてはいたが、花霞は一度としてその場に同席したことはなかった。


桔梗から最も厚い信頼を得ている、側女であるにも関わらず。





「・・・柊殿をお通しして、花霞。そしてあなたはそのまま退室してもらえるかしら?」


「桔梗さま!!」


「花霞、早くなさい」


有無を言わせぬ桔梗の命令には、花霞も従わないわけにはいかない。桔梗が花霞に何も話す気がないことをはっきりと示すと、花霞はすっと視線を外して、その表情から感情を隠した。


「・・・かしこまりました」


すぐに柊を迎えに行った花霞の背を見送りながら、桔梗は苦笑を漏らす。




まだ、彼女にすべては話せない。


まだ、巻き込めない。


これは、芙蓉との残された約束。





「いらっしゃい、柊殿」


硬い表情で室に入ってきた柊に、桔梗は努めて柔らかくそう言った。


「・・・・・・双大后さま、そろそろ『時期』が訪れます」


「・・・そう。長かったわね」


桔梗はぽつりとそう漏らしたあと、手の中にある扇子に視線を落とす。そんな桔梗に、柊は不安そうに問いかけてきた。


「双大后さま・・・本当に、お心は変わらないのですね・・・?」


「えぇ。芙蓉陛下と婚姻し、風蘭が生まれたときに、あの方とお約束したから」





初めて話を聞いたときはまさかと思った。


そんなこと、できるはずもない、と。


しかし、桔梗も決意せざるをえない出会いを迎えてしまった。


まだ少年だった連翹との出会い。彼と出会い、桔梗は芙蓉の話を真剣に聞かざるをえなくなった。


鳥籠の中で愛でられていた姫が、隠されていた闇の流れを知る瞬間。


そう、まるで今の紫苑姫のように。





「柊殿も、どこか吹っ切れたような表情をされていますよ」


「そう・・・ですね。私も、『決めた』ので」


「そうですか」


それ以上深く聞くことなく、桔梗は優しく微笑む。今や朝廷も後宮も、迷いと混乱で渦巻いている。それは無理からぬこと。


国がふたつの勢力に分かたれようとしているのだ。朝廷内で絶対の権力を握っている蘇芳すら、この混乱はおさえることができないでいる。


・・・・・・それとも、おさえる気がないのか。





「・・・行動を、起こされますか?」


柊の問いに、桔梗は柔らかく微笑んだ。


「ええ。適格な『時期』を伝えてくれてありがとう」


すっと立ち上がった桔梗は、ふと思い出したかのようにくすくすと笑いながら柊に言った。


「そいえば、風蘭たちが水陽に戻ってこようとしたのを止めてくれたようね。縷紅から話は聞いたわ」


「そ、それは・・・」


「風蘭にとって、春星州に寄り道することも大事なこと。あのときはまだ、風蘭にとって『時期』ではなかったのよね」


「・・・はい」


苦笑しながら、柊は素直に答える。彼女も桔梗と同じように立ち上がると、しっかりとかつての王妃を見据えた。


「ですが、『時期』は来ました。桔梗さまにとっても、風蘭さまにとっても」


桔梗はそれに軽く頷くと扉にそっと手を置いた。





「・・・今までは、なにがあっても朝廷のことに・・・政事に首を出すようなことはしなかったわ。けれど、今回は違う」


ゆっくりとした動作で彼女は扉を開ける。自らの運命を切り開くかのように。


「わたくしも手を出させていただくわ」


それだけ言い残し、桔梗は自室を出た。







柊は、あとから彼女に続きながら思う。


賢妃と名高かった桔梗。けれど、彼女は求められなければ朝廷のすることに口出しはしなかった。


そこは夫である、芙蓉の為すべき場所であるから。


だから、彼女は彼女の為すべき場所、この後宮の秩序を守ってきた。後宮内の最高権力者として。


柊は官吏のひとりとして、朝廷内、後宮内でそれらを見守ってきた。




それが今、壊される。


柊もまた、官吏として彼女が為すべきことがまだ、ある。


「どんな結果になろうとも、悔いることのないよう、足掻かなくては」









春星州で大きな内乱が起きた。


そんな知らせがまだ若かった芙蓉と桔梗のもとに届けられたとき、あいにくと芙蓉は体調が芳しくなく臥せっていた。


実際のところ、その内乱も春星軍の活躍でおさまってはきているようだが、実状を確かめないことにはなにが起こったのかはっきりとしない。


蘇芳は当然、刑部の官吏を何人か派遣し、その調査にすでにあたらせているようだった。


病に臥せている芙蓉は、そのまま蘇芳にこの対応を任せるのかと思いきや、突然桔梗にこう言ったのだ。


「春星州を見てきてほしい」と。





まさか王妃である桔梗にそれを頼んでくるとは思ってもいなかった彼女は、芙蓉の突然の依頼に戸惑った。


王妃だけが内乱の偵察に行くなど、例がない。


けれど、何度か芙蓉と言葉を交わし、桔梗はそれを承諾した。


まさか、そこで彼女は出会うとは思わなかった。あの少年に。




事情を知った桔梗は、周りの反対も聞き入れずに彼を後宮に連れ込んだ。唯一桔梗を止めることができる芙蓉も、このことに関しては何も口出しをしなかったため、彼はそのまま桔梗の保護下となった。


やがて、彼は破格の扱いを受けることとなり、同時に多くの貴族から様々な批判を浴びることになった。


しかし、その少年が驚くほど誠実で優秀、礼儀も心得ていたがために、貴族たちも口を挟み続けることができなくなってしまった。


春星州から桔梗が連れ帰ってきた少年、蜂豆 連翹のことを。








薄暗い廊下を、桔梗はゆったりとした歩みで進んでいた。


不思議と思い出すのは、芙蓉が若かった頃の幼い連翹のことだ。彼はよく、風蘭の事も見てくれた。


こんなにも彼が風蘭に思いを寄せてくれるとは、さすがの桔梗も思わなかった。


「・・・宿命とは、わからないものね」


実際のところ、連翹が風蘭に対し、どのような思いを抱いてそばで仕えていてくれたかは図れないが、ふたりが仲睦まじく戯れている様子は、なんとも『皮肉』だった。




「お供も連れずに、おひとりでこのようなところにいらしたのですか?」


桔梗の目指す、しっとりとした暗闇の廊下の先で、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「・・・あら、わたくしがあなたに会いに来たのは迷惑だったかしら、連翹?」


やっと目的の最奥の牢までたどり着いてから、桔梗はその牢のなかにいる人物、連翹に問いかけた。


「まさか。こんなところにまで足をお運びいただいて、光栄です」


「ずいぶんと人気者のようね、連翹。あなたに会いにここを訪れた者がずいぶんといるのではなくて?」


「・・・そうですね。風蘭さまに縁のある方からない方まで、様々な方がいらっしゃいましたよ。みなさま、風蘭さまを支持されているようでした」


「貴族っていうのも現金なものだと思わない?」



連翹がこの牢獄にいる間、桔梗の想像通り、様々な官吏がここを訪れたようだった。


縷紅たちのように、昔から連翹を知る者たちに限らず、かつては彼を迫害していた官吏や直接連翹とも風蘭とも関わりがない若い官吏まで、毎日忙しく連翹のもとを訪れていたようだった。


どれもこれも、玉座を狙う風蘭を支持するという意思表示のため。いずれ王となる可能性がある風蘭に、自分を売り込んでおくために。


朝廷の中が、風蘭を支持する者と芍薬を支持する者に分裂しているのが如実に表れている。




連翹は軽く肩をすくめて苦笑してみせた。


「それだけ風蘭さまに期待されている貴族がいらっしゃるとわかり、うれしいですよ」


連翹を逃がそうと本気で思ってくれた者たちもいた。だが、連翹はそれらをすべて断った。


『時期』がくれば、それは自ずと開かれると思っていたから。


「・・・ずいぶんと風蘭を買ってくれているのね?それとも、呼び方も変えて、あなたも『決めた』ということかしら?」


「そのどちらもですよ、双大后さま」


連翹が答えれば、桔梗はまるで少女のように屈託なく笑った。


「そう。ありがとう、連翹」


それは連翹も見たことのない笑顔で、思わず返す言葉をなくしてしまった。桔梗はそんな彼の態度にも構わずに、じゃらり、と音をたてて『それ』を連翹の前に翳した。




「・・・双大后さま・・・念のため、確認しますが、それは・・・?」


「この牢の鍵よ?」


にっこりと告げる桔梗に、思わず連翹もにやりと笑い返してしまう。


「どのようにしてこちらを手に入れたのですか?」


「刑部長官も双一族なのは、連翹も知っているわね?」


それ以上の説明はないとばかりに、桔梗はそれだけ言って微笑んでいるばかり。


「執政官となさっていることがあまり変わらなくなってしまいますよ?」


連翹が苦笑混じりに警告すれば、桔梗はそれまでの笑みをすっと消して真剣な眼差しで彼を見返した。




「えぇ、そうよ。蘇芳殿とわたくしがやっていることは、一族の権力を最大限に利用した横領と変わらない。けれど、それは覚悟の上。どのような罰を受けることとなっても、わたくしはわたくしの『願い』を叶えなくてはならないから」





その瞳の強さと強固な意志は、後宮を統べる最高権力者のそれのもの。


彼女のこの意志の力で、後宮の秩序は守られてきた。


連翹もまた、笑みを消して、真剣な表情で彼女に告げる。



「・・・わたしもまた、わたしの『願い』のために、罪を重ねています。それでも、わたしの思いは揺るぐことなど、後悔することなどありません」


「・・・そうね。わたくしもあなたも、同じね。・・・目指す道は、異なってしまったようだけれども」


低い声で最後の一言を加えると、桔梗は手に持っていた鍵の束を連翹に向かって差し出す。


「受け取りなさい、連翹。扉を開けて外に出るかどうかはあなたが決めなさい。わたくしは、そのきっかけをあなたに渡すわ」


桔梗の細い腕が、連翹のいる牢の中に向かって伸びている。連翹はためらうことなく、その鍵の束を彼女の手から受け取った。




「・・・ひとつだけ、言っておくわ、連翹」


牢から少し離れた場所まで歩いてから、桔梗は再び口を開く。


「その牢を出たら、わたくしとあなたは敵同士になるわ。わたくしは芍薬陛下を支持する身だから」


たとえ、反逆者の風蘭の母であったとしても。


「その鍵を渡したのが、わたくしから風蘭への最後の情けだわ」


そう言って、少し悲しそうに笑う桔梗の気持ちが痛いほど伝わり、連翹は手の中の鍵を握りしめる。ちゃり、と再び束が音を鳴らす。


「・・・承知しております、双大后さま」


「それならば、いいわ」


それだけ言い残すと、桔梗は一度も振り返ることなく牢をあとにした。


まるで、彼女の決意のほどを示すかのように。






彼女は、最後まで後宮の主として、現王芍薬を守るのだろう。


そこに一切の迷いはなかった。


だからこそ、芍薬を討ち、玉座を奪おうとする風蘭は、敵でしかない。


たとえ、彼が彼女の息子であったとしても。




風蘭が、後宮にいる姉妹姫たちをどうするつもりか、桔梗をどう扱うか、連翹は聞いていない。


だがきっと、優しすぎる彼のことだから、なんとかして助けようと画策するのだろう。


敵である芍薬の妃である紫苑姫ですら、故郷に戻そうとするかもしれない。


そう考えると、風蘭の甘さがおかしくて、連翹は薄暗い牢の中でひとりで笑ってしまう。




彼は甘い。だけど、優しい。


だからきっと、民を見捨てずに、寄り添える王になれる。


彼の過度なほどの甘さは、他の誰かが補ってやればいい。そう、たとえば自分のような、冷酷な存在が。






連翹は、誰かが見たらぞっとするような冷たい笑みを浮かべながら、手の中にある鍵を物色し、彼の牢にかかっている3つの鍵穴にそれぞれ合うものを探し出した。


『時』は来た。


早く風蘭のもとに行かなければ。


蘇芳が『輝星』を春星州に向けたと聞いたから、今頃風蘭が困り果てているに違いない。


忠誠心厚いあの州は、そう簡単に王に謀反する風蘭を受け入れたりはしないだろうから。




かちゃり、かちゃり、と音をたてながら、鍵がひとつずつはずれていく。


やがて、ギギィという音をたてて、牢の扉が開かれた。


何度も彼を牢から出そうという申し出を断った人物とは思えないほど、連翹はなんのためらいもなく、牢を飛び出した。






最後の決戦には、風蘭のそばにありたい。


彼はそんな思いを抱きながら、薄暗い檻を飛び出し、彼の主のもとへと駆け急いだ。










連翹と桔梗のふたりの会話のシーンは大好きです(笑)書いていてうきうきします、謎が多くて(笑)

花言葉はもちろん、桔梗の花言葉です。

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