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五章 見定める宿命 十四話






14、「遠い人を想う」










朝廷や後宮の中が、風蘭の反逆に揺れている中、現王芍薬の妃である紫苑も揺れていた。


朝廷に迫ってきている、風蘭率いる反乱軍の様子も気になるのだが、しかし、それ以上に今の紫苑が気になっているのは、夫である芍薬の体調のことだった。




前王芙蓉はもともと病弱だったこともあり、病に臥せていることも多かったようだが、最近の芍薬は、まるで芙蓉のように臥せていることが多くなった。


どれも、紫苑は妃として呼ばれることはなかったが。




そんな芍薬と何の関わりも持たされていない紫苑が芍薬の体調を知っているのは、定期的に野薔薇が紫苑のもとを訪れ、医官である楓の言伝を伝えに来ているからだった。


今日もまた紫苑の室には、その野薔薇と紫苑の徒女である夕霧がいた。




「・・・やっぱり、芍薬さまはますますお加減が悪くなっているのね」


「具合が悪くなると筆頭侍医である南天さまを呼ばれるから、余計に芍薬様の体調は回復されないのよね」


「筆頭侍医であられる南天さまがどうして・・・」


紫苑のため息のようなつぶやきに答える野薔薇、そして夕霧は不安そうにふたりを見ながらつぶやく。


なぜ、筆頭侍医である南天が、王である芍薬をじわじわと苦しめる毒を盛っているのか。


誰一人南天を問いただすこともできず、それゆえに彼の行為を止めることもできず、歯痒い日々を送っていた。




「女月貴妃さま、淡雪です。よろしいでしょうか?」


突然、扉の向こうから予想外の声がかかり、そこにいた3人は驚いてそこを凝視する。すぐさま紫苑が反応して答えた。


「どうぞ」


同時に夕霧が立ち上がり、扉を開けて淡雪を誘導する。



入室した彼女は、野薔薇がそこにいることに驚いた様子だったが、すぐに気を取り直して紫苑に向き直った。


「・・・私の記憶違いでなければ、野薔薇はたしか、双大后さまの火女だったと思いますが?」


「淡雪さま、それは・・・」


「さがりなさい、野薔薇」


弁解をしようとした野薔薇に、驚いたことに紫苑がそれをぴしゃりと遮る。




いつものように『野薔薇ちゃん』ではなく、『野薔薇』と固い表情と声で。


そこに含まれた野薔薇も今まで知らなかった威厳にぞくりと震えそうになりながらも、彼女は静かに従った。


「・・・はい、女月貴妃さま」


夕霧と同じように室の壁際までさがった野薔薇を見届けたあと、紫苑は淡雪に視線をうつした。



「野薔薇には今、双大后さまからの命にて、ある重要な任に就いてもらっています。その報告に、彼女は今ここにいるのです」


愛らしいその表情を凛と研ぎ澄まし答えるその姿は、桔梗ほどの威厳がなくとも、しっかりと自らの立場を示す効果はあった。


淡雪ははっと息を飲み、姿勢を正して口を開いた。


「不躾なことを申し上げました。このたび参上しましたのは、女月貴妃さまにお尋ねしたいことがあるのです」


「尋ねたい・・・こと?」


「陛下とのことです」


きっぱりと言い切った淡雪の剣幕に、今度は紫苑が圧されてしまう。




「へ、陛下・・・とのこととは・・・」


「単刀直入に申し上げます。女月貴妃さまは、陛下との御婚儀以来、公の場以外でお会いになっていらっしゃいますか?」


淡雪の直球ともいえる質問に、紫苑は表情を引きつらせ、返答に窮す。そんな彼女の反応を見て答えを悟ったらしい淡雪は、おもむろにため息を吐いた。



桔梗とはまた違う、その麗しいまでの美貌を憂いに染めるその姿も、皮肉なことに淡雪の新たな魅力を見ることができたような気がして、紫苑はつい見とれてしまう。


「余計な杞憂かもしれませんが、陛下とのお時間をもっとお取りくださいませ。女月貴妃さまにはみな、お世継を期待しておりますので」


「そう・・・ね・・・」

世継よりもなによりも、紫苑は芍薬とは、婚儀以来室内でふたりきりで会ったことがないと知ったら、淡雪はどんな反応を示すだろうか。



「努力・・・してみるわ」


「是非ともよろしくお願いいたしします。双大后さまも、芙蓉陛下との間になかなかお子様がおできにならずに、周りの者たちが心配したものですから」


消極的な声で返答した紫苑に念押しをするように、淡雪はそう言い加えて立ち上がった。


「それでは、これで失礼いたします」


務めを果たした筆頭女官は、完璧なまでの優雅な礼を紫苑に向けて退室した。






ほんのわずかな間とはいえ、室内に漂った緊張感から解放された3人は、同時にほっと肩の力を抜いた。


「突然の淡雪さまのお召しは驚きましたね」


ぎこちない沈黙をこっそりと破ったのは夕霧。そんな無邪気な彼女の発言に、紫苑が心底安心した様子で頷いた。


「本当に。・・・ごめんね、野薔薇ちゃん」


夕霧に応じてから、紫苑は野薔薇に顔を向けた。その野薔薇は、まだ室内の隅に控えたまま、きょとんとした表情を浮かべた。


「ごめんね・・・って・・・?」


「野薔薇ちゃんが、双大后さまのお使いでここに来てる・・・って、勝手に淡雪さんに話してしまったから」


「え・・・あ、あぁ、そのこと・・・」


様子のおかしい野薔薇に紫苑は少し首を傾げてみせる。心配そうな表情を浮かべる紫苑に、野薔薇は苦笑しながら口を開いた。



「なんだか、淡雪さまと話す紫苑が本当に『お妃』に見えて、驚いただけよ」


「あら、失礼ね、野薔薇ちゃん。私は本当にお妃なのよ?」


くすくすと愛らしく笑うその姿は、いつもの紫苑だ。野薔薇がよく知っている、かわいい幼なじみ。


しかし、先程淡雪と対峙し、野薔薇のことを『野薔薇ちゃん』ではなく『野薔薇』と言った彼女は、まるで別人のように、威厳と近寄りがたい高貴さがあった。


双大后のように。



淡雪も同じことを感じていたのを野薔薇は知っていた。


彼女の表情が、一瞬だけ驚いたように揺れたのを見ている。




「どうしたの、野薔薇ちゃん?」


黙り込んだままの野薔薇に、再度紫苑が呼び掛けると、彼女ははっと顔を上げてからにっこりと紫苑に笑いかけた。


「さっきの淡雪さまとのことは、気にしなくて大丈夫よ。むしろ紫苑がそう言っておいてくれたほうが、堂々とこちらに来やすいから」


「それなら、よかった」


すっかりいつものふたりの雰囲気に戻ったことを確認できた夕霧もまた、ふたりにつられて笑みがこぼれる。


しかし、ふと淡雪の言葉を思い出し、表情を曇らせた。



「紫苑姫さま、先程の淡雪さまのお言葉は・・・」

「そうね・・・。陛下とは一度、きちんとふたりきりでお会いしたいとは思っているのだけど・・・」


紫苑は物言いたげに野薔薇に視線を送ったあとに嘆息した。



紫苑には、芍薬に尋ねたいこと、言いたいことが山ほどあった。


筆頭侍医である長秤 南天が芍薬を裏切り、彼に毒を盛っているという事実を知る今、なんとかして彼にそれを伝えたかった。




「・・・紫苑姫さまは、陛下とご夫婦であられることに・・・迷いはないのですか?」


遠慮がちに尋ねられた言葉に、自らの思考に沈んでいた紫苑は反応が遅れた。


「・・・え?」


「えっと・・・ですから・・・紫苑姫さまは、風蘭公子と敵対することになっても・・・迷われませんか・・・?」


再度遠慮がちに、けれど確実に核心をついた質問を投げ掛けたのは夕霧。



野薔薇は紫苑の気持ちを知るだけに、それを話題にすることはできなかった。


自分よりも幼い夕霧に真摯な瞳で問い掛けられた紫苑は、一瞬言葉を失い動揺の色を見せたが、すぐに笑みを浮かべた。



「なにを言うの、夕霧?私は芍薬陛下の妃よ?」


「そうです、紫苑姫は陛下のお妃さまでいらっしゃいます。・・・だからこそ、お聞きしたいのです」


「風蘭を・・・敵とみなせるかどうかを・・・?」


「はい」


真面目な夕霧のことだ。兄王と弟公子が直接ぶつかりあうようなところまで来たとき、紫苑が芍薬の妃として前面に立てるか問いただしているのだろう。


真剣な夕霧の視線が心苦しくて、紫苑は笑っていい加減なことを言って言い逃れはできないと悟って、じっくりと考えてみる。



風蘭と過ごした時間は芍薬と同じくらい短い。


けれど、その短い間でも、彼の強さや優しさ、それを内包させた広大な理想を知ることができた。


紫苑は、こうして妃審査として水陽に来るまで、朝廷のことはおろか、世間のことをなにひとつわかっていなかった。


前王芙蓉が、26年もの間政務を放棄し、執政官である蠍隼 蘇芳の独裁となっていることすら、知らなかった。ただただ、幼い頃からの夢である、『王を支える王妃になりたい』という未熟で無知な想いだけでここまで来た。



だからこそ、当時の王であった芙蓉が政務を・・・王としての務めを果たすことがなく、また、次期王であると言われていた芍薬も同様であろうと楓に教えられたときは、自分が描いていた夢や理想との剥離に絶望した。


現実と理想の差に嘆いてばかりの紫苑を叱咤してくれたのは同じ妃候補の雲間姫。だから、紫苑は考えを改めた。


紫苑の想像以上に傾き歪んだこの国を、次代の王の妃となり、王と共に正していこうと。


それが今の紫苑の目標であり、夢だった。



けれど、それでは芍薬に対して夫としての愛情はあるのかと尋ねられると・・・。




「・・・正直なところ、わからないわ・・・」


そう、わからない。


そもそも愛とか恋とかがどのようなものか、誰も教えてくれなかった。


だけど、風蘭を考えると意味もわからず心が痛くなるような息苦しさを感じるときがあるが、芍薬に対しては何の感情も沸き上がってこない。




「風蘭のことは好きよ。彼の持つ理想も応援したくなる。だけど・・・」


「では、芍薬陛下のことはどのようにお考えですか?」


容赦ない夕霧の問いかけに、紫苑は苦笑を漏らすしかなかった。


「陛下とは婚儀の席でお会いしたきりよ?どう・・・と尋ねられても難しいわね。でも、私は王妃となったのだから、芍薬さまと風蘭、どちらを選ぶのかは一目瞭然だわ」


「そうかしら?」




紫苑の答えに呼応したのは夕霧ではなく野薔薇。


試すような鋭い光を宿した瞳を紫苑に向けている。


「本当に迷いなく芍薬陛下の味方でいられる?たとえ風蘭公子が目の前で芍薬陛下に殺されるようなことになっても」


「それは・・・」

野薔薇の言う場面を脳裏に思い描いてみる。






芍薬と風蘭。


ふたりが対峙するその場で、たとえ風蘭が血まみれになって芍薬に殺されそうになったら・・・。


「それは・・・いやよ。でも、逆の立場でもいやよ?芍薬さまにも無事でいてほしいわ」


「風蘭公子は逆賊になったのよ?そして、彼が望んでいるのは玉座。風蘭公子か芍薬王、どちらかが命を落とさない限り、この争いは終わらないわ」


厳しいまでの野薔薇の指摘に、紫苑は顔をうつむけてしまう。






自分は芍薬の妃だ。彼の敗けを、彼の意に背いた退位を、望むことなど許されない。


では、芍薬の敗けを望まないのならば、風蘭が敗れ、反逆の罪で死を迎えるのを見守るしかないか。




風蘭が死ぬ。


あのまっすぐな瞳を持った、きらきらとした理想を抱えた、同い年の青年が敗れ死ぬことを待つしか・・・・・・。





「紫苑・・・・・・」


気遣うような野薔薇の声が遠くで聞こえる気がする。


「紫苑姫・・・やはり・・・」


夕霧もまた、心配するような、けれど悲痛な響きを持って紫苑を呼ぶ。



「紫苑はたしかに芍薬の陛下の妃だけど、心は違うところにあるようね」


責めるのではなく、まるで幼子をあやすように野薔薇がそっと紫苑の頬を撫で、そこに流れるものを拭う。


「あ、あれ・・・私・・・」


いつのまにか涙を流していたことに、当人である紫苑がうろたえる。


なぜ、私は泣いているのだろう。ただ、風蘭がこの争いに負けてしまったら、と考えていただけなのに・・・。




「紫苑、今からあなたに尋ねることはここだけの秘密にしておくわ。だから、正直に教えて?」


野薔薇の優しい問いかけに、紫苑は首を縦に振るだけで答える。


「・・・風蘭公子のこと、どう思ってる?」


先程とは異なり、柔らかく穏やかに尋ねられた問いに、紫苑も正直に答える。


「わから・・・ない・・・。でも・・・芍薬さまに感じる思いとは・・・違う気がするけど・・・」


「じゃぁ、聞き方を変えるわ」


ゆっくりと瞳を閉じて、同じようにゆっくりと穏やかな目を開けると、野薔薇は優しく、そして簡潔に紫苑に問いかけた。




「風蘭公子に、会いたい?」





まさか、そんな風に聞かれるとは思いもしていなかった紫苑は、今は憂いを帯びた愛らしい瞳をみるみると大きくさせる。


けれど、その問いの答えは、いつだって出ている。




「・・・・・・会いたい・・・」




小さくぽつりとつぶやいた想いは、言葉にすると留めていたものが溢れ出すように止まらなくなる。


「風蘭に会いたい・・・!!」


会って、話をしたい。国の未来の話でもいい。


朝廷の話でも、民たちの話でもいい。


彼と会って話がしたい。そして、無理だとわかっていても伝えたい。


芍薬と争わないでほしいと。


どちらかが敗れ死ぬ姿を見たくはない。だからと言って、風蘭に謀反をやめてくれとは言えない。


彼が玉座を望むのは私欲のためではなく、きっと国を想ってのことだから。


だけど、伝えたい。


紫苑は、風蘭が傷つくところも、芍薬と争うところも見たくはないのだと。




「・・・うん、わかったわ」


紫苑の言葉から流れ出た想いを汲んだかのように、野薔薇が静かにそう言った。


「紫苑は真面目だから、きっと最後は王妃として芍薬さまの味方をするようになるのかもしれないけど・・・私は紫苑のその想いを忘れないわ」


「私も・・・です」


それまでただ成り行きを見守っていただけだった夕霧もしっかりとそこには同意を示す。その意味をわかりかねているのは当の紫苑である。




「私の・・・想い・・・?」


「紫苑のなかで、風蘭公子が特別ってことよ」


こんな状況でも、野薔薇はまるでかつてのように紫苑をからかうかのように悪戯に笑う。


それが、今の紫苑には救いだった。


「風蘭が特別・・・。 ・・・そうね、そうかもしれないわ・・・」


それがどんな意味の『特別』かは今は考えない。


紫苑の中で、風蘭は特別な存在。


それが今の彼女の精一杯の『答え』だ。



少しすっきりしたように笑う紫苑に、野薔薇と夕霧は苦笑混じりの複雑な表情を浮かべる。


それが、彼女が出した答えなら。


再び穏やかな空気が流れ出した室の外から、突然扉を叩く音が聞こえた。


来訪者を告げるその音を聞き、再び淡雪あたりがやってきたのかと思った紫苑は、夕霧に視線を送った。


すぐさま彼女は突然の来訪者の確認に立ち上がって室を出る。



残された紫苑と野薔薇は、先程の紫苑に涙させるほどの辛く苦しい会話などなかったかのように、穏やかにとりとめもない会話を広げていた。


しかし、来訪者を確認してきた夕霧が、顔色を変えて戻ってきたことにより、それも打ち破られた。


「夕霧・・・?どうしたの?」


紫苑が尋ねれば、夕霧はその幼い顔に驚愕と戸惑いの表情をのせて、深呼吸をひとつした後に、彼女の主に告げた。






「・・・・・・芍薬陛下が女月貴妃さまにお会いにいらっしゃいました・・・!!」

















今回は紫苑の花言葉です。

彼女はまだまだ成長途中ですね。彼女の成長は、第二部からな気がします(汗)

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