五章 見定める宿命 十話
十、「あなたに従います」
木蓮が、華鬘と風蘭が話をすることができるように、機会を設けてくれた。
しかし、華鬘も警戒しているのか、会うのは風蘭ひとりだけにしてほしい、と要望があったらしい。
木蓮は道案内に、その木蓮と風蘭の護衛として水蝋が同行することになり、椿ひとりが梅の屋敷に残されることになった。
「・・・平民には会う気もないってわけね」
その事情を聞いて、椿は第一声にそう言った。今、この場には梅はいない。
「華鬘さまはそんな方ではないけど・・・。なにか考えがあるんだと思う・・・」
「せっかくだから、梅殿に色々勉学を教えてもらえばいいじゃないか」
しょんぼりと告げた木蓮とは対照的に、風蘭は彼女をからかうようににやりと笑った。
「あら、妓女の教養を馬鹿にしないことね。・・・でもいいわ、梅さんに色々教わって、風蘭よりも牡丹王のことに詳しくなってやるから」
べっと舌を出しながら椿はそう言ってから、真剣な眼差しで水蝋を見つめた。
「・・・風蘭のこと、頼んだわよ?」
「もちろん。あなたの大切な方を命に代えてもお守り致しますよ」
「・・・なんっっか、誤解があるよな、きっと・・・」
椿が国軍『闇星』の『黒花』だとは公言できない風蘭は、小さなつぶやきだけを口にする。
やがて、風蘭たちは沙雛への出立準備を整えると、梅に厚く礼を述べて、椿を残して出発した。
春星州州都である沙雛に着くと、風蘭は思わず、馬車の中で感嘆の声を上げた。
豊かな街。
まさにその形容がふさわしい都市だと彼は思った。
経済的な豊かさではなく、そこで暮らす者たちの心の豊かさだ。みなが笑み、労りあっている様子が傍観していてもわかる。
町中がきらきらと輝いているように見えた。
「椿が見たら、また僻みそうだなぁ」
くすくすと笑いながら風蘭が言うと、目の前に座っていた木蓮が少し誇らしげに窓の外に視線を向けながら頷いた。
「春星州は土地も豊かだし、人の心も豊かだよ。環境が満たされれば、おのずと人の心も満たされる、って梅おじさんもよく言っていたけど、本当だと思う」
「・・・そうだな。王都である水陽でさえ、こうも華やかに栄えてはいないからな」
街をつくるのは民の心。
民の心が満たされていればいるほど、街も活気づく。
「華鬘殿にお会いするのが楽しみだな」
桃魚 華鬘。
高官である星官のひとりだから、風蘭は会ったことがあるはずなのだが、あまり朝廷に顔出しをしないのが最近の星官なので、風蘭は華鬘の顔が思い出せない。
けれど、この春星州をここまで豊かに、穏やかに統治する州主であるその人と、彼は早く言葉を交わしたくて仕方がなかった。
「・・・お待ち申し上げておりました、風蘭公子」
大きな屋敷の前で待っていたのは、門番ではなく、件の州主その人であった。さすがに華鬘本人が出迎えてくれるとは思っていなかった風蘭は、驚き慌てて馬車から飛び降りた。
「華鬘殿自らお出迎えとは、痛み入る」
「公子さまがいらっしゃるのですから当然です」
立礼をしながら、華鬘は静かに答える。
顔を伏せた華鬘の表情が風蘭は見ることができず、不満気に華鬘に言い募った。
「華鬘殿もすでにご存じでしょう?俺はもう、公子という立場じゃありませんよ」
「・・・風蘭さま・・・」
さすがに、華鬘がはっと顔を上げる。そこには戸惑いと困惑の表情がありありと出ていた。
「あの噂は、真なのですね・・・」
「・・・俺が反逆者となった、と?」
「・・・各州の貴族を説き伏せ、反乱軍を連れている、とも」
「・・・う~ん・・・」
これには風蘭は苦笑するしかない。反乱軍を引きつれているかどうかは、華鬘にとってみれば一目瞭然、噂は嘘であったと見るのだろう。
なぜなら、風蘭は表面上では、木蓮、水蝋、椿しか連れていないのだから。
しかし、その椿を『黒花』とする『闇星』という国軍が、風蘭の背後で隠密に彼らを援護していることを知れば、反乱軍を率いているかどうかは判断が難しいところだった。
「・・・まだ完全にこちらの味方ってわけじゃなさそうだしなぁ・・・」
「なにか?」
「あ、いえ」
風蘭のぼやきを聞き付けて華鬘が問い返したが、彼はすぐに首を振った。
華鬘は屋敷の中に風蘭たちを招き入れると、応接間に木蓮と水蝋を待たせ、風蘭にはさらに奥の室に案内した。
「・・・ここは・・・?」
「わたしの自室です」
壁一面にずらりと並んだ書物。卓上には書類が綺麗に整えて積み上がっている。
「風蘭さま、わたしはわたし自身の耳であなたの主張をうかがいたいと思ったのです」
「華鬘殿・・・」
「聞けば、木蓮殿もあなたに惹かれて反乱軍に加わる決意をしたといいます。あの子にそう決意されるあなたの理想を、わたしにもお聞かせ願いませんか?」
責めるわけでもなく、糾弾するわけでもなく、ただ穏やかな口調で、華鬘は風蘭に柔らかく問い掛ける。
「・・・春星州はいいところですね」
窓の外に視線を向けながら、風蘭はぼんやりとつぶやいた。
「町も、人も、輝いて見える」
「町も人も、心がけ次第でいかようにも変化します」
「・・・そのようですね」
少し自嘲気味に笑って、風蘭は華鬘の言葉に頷く。
「こうして、冬星州、秋星州と国中をまわってみて、俺は初めて知ることばかりでした。水陽にいるときに、たしかに冬星州は貧困に喘ぎ苦しみ、秋星州は賊の対処に苦戦を強いられていることは、父上にあてられた報告で知っていました」
ゆるゆると首を振って風蘭は続ける。
「だけど、俺の知っているものは紙面上のものでしかなかったんです。目の前に貧困者がいても、俺はどうしたらいいかわからなかった」
冬星州で、何度も貧民と出会うことがあった。身分を隠した風蘭を王族と判断することができなくても、身なりで高貴な身分だとはわかった彼らは、何度も何度も風蘭に物乞いした。
安易に物を与えれば、もっと、とさらに乞われた。
椿には安易に物乞いに与えるなと叱られ、連翹には苦笑された。
彼らは知っていたのだ。
貧しいというものが。貧民というものが。
風蘭のように戸惑うことなく。
「秋星州では、長秤家当主の屋敷にて、民と貴族の間に立ちはだかる壁を問われました」
秋星州は学問の州。
貴族はもちろん、民にも学ぶ場を与えられている。
しかし、民には得た知識をいかす場がない。
機会を、資格を、与えられない。
貴族であること、平民でしかないこと、知識を得ることにより、一層その差が浮き彫りになっていく。だから、平民は暴動を起こすことで訴える。
彼らが抱える命も貴族と同じなのに、越えられない境界線のせいで、救えない命があること。
これもまた、秋星州で直面した事実であり、医族の異名を持つ長秤一族の悩みの種でもあった。
「秋星州が冬星州のように貧困に喘いでいるわけではなくとも、満たされない想いと欲求で、やはり民たちは憂いていました。・・・俺も、惜しいと思いました」
「惜しい?」
「平民の中には、貴族よりももっと高い志を持って、国政を考えている者たちもいます。機会さえあれば、もっと星華国の在り方を変えられるほどの能力を秘めているかもしれないのに・・・」
「けれど、その機会を与えてしまえば、貴族側からの反発は否めませんよ」
鋭い華鬘の切り返しに、風蘭は真剣な眼差しで頷く。
「わかっています。ですが、現状のままでいいとは思えないのです。変化を恐れたままでは、惰性に時間だけが過ぎて国が傾くだけです」
すると、ふっと華鬘が柔らかく笑った。
「そうですね。風蘭さまのお気持ちはよくわかりました。たしかに、この国は今、変化を遂げるべき時が来たのかもしれませんね」
「華鬘・・・殿・・・?」
「わたしが風蘭さまの意見を支持するのは意外でしたか?」
驚いて風蘭が問い返せば、華鬘はくすりと笑って風蘭に微笑んだ。
「別に、わたしはあなたの考え全てを否定するつもりはありません。たしかに、王族同士が玉座を賭けて争うことは、あまり望ましくはありませんが・・・」
「・・・俺も、芍薬兄上と争いたいわけではありません。・・・けれど、芍薬兄上では、蠍隼執政官を止めることはできないから・・・」
「・・・たしかに、執政官の行いは目に余るものがありますね」心
痛な表情を浮かべて、華鬘も風蘭の意見に同調する。そんな華鬘を見ていて、ふと、風蘭は思い出したことがあった。
「そういえば、木蓮から聞いたのですが、春星州では民が意見を伝える投書箱があるみたいですね」
「えぇ。やはり、民の不満を少しでも耳を傾けて取りのぞいてあげなければ、民の心は国から離れていきますからね」
「そう・・・ですよね。たしかに、そういう意味では、民の意見を聞ける投書箱というのは・・・いい案ですね」
「ですが、これはたまたま春星州ではよい結果が出ただけのこと。各州それぞれで暮らす民の生活や風習を鑑みて、必ずしも投書箱がよいとは限りません」
釘を刺すように、華鬘は風蘭に言い渡す。
たしかに、と風蘭も心の中で頷いた。
貧困で苦しむ冬星州で投書箱を設けたところで、それが解決するわけではない。
「他州と比べるより、それぞれの州、町に合わせた繁栄を目指したほうが賢明ですよ」
「・・・なるほど」
まるで華鬘に教鞭を奮ってもらっている生徒のように、風蘭は彼の話を素直に聞き入れる。
それを華鬘がくすりと笑った。
「熱心に聞き入れられるのですね、風蘭さま」
「春星州に来てからは、会う人会う人に教えてもらってばかりです」
「ここで他にもどなたかとお会いに?」
「沙雛ではなく、璃暖でですが、木蓮の恩師の元でお世話になっていたので」
「木蓮殿の・・・」
はっとした様子で華鬘がつぶやく。
「木蓮殿の師となる方とは、どのような方でしたか?」
「この国のことを広い視野で見渡しているような方でした。多くを語るような方ではないのですが、それでも、学ぶことはありました」
「そうですか。わたしも一度お会いしてみたいものです。その方のお名前は何とおっしゃるのですか?」
「・・・それが・・・姓はわからず、梅殿という名前だけで・・・」
「姓がわからない?木蓮殿もですか?」
「はい。平民のようですが、あの山のような書物の中には、貴族でさえ手に入れられないようなものまでありました」
力強く風蘭が頷けば、華鬘は感嘆のため息をもらす。
「そんな方が平民の中にいるとは・・・それは本当に惜しいですね。木蓮殿の知識もまた、その梅殿から培ったものなのでしょうから」
「とても勉強熱心な方でした。・・・特に、牡丹王のお話がお好きなようでした」
「牡丹王の?・・・あぁ、だから、木蓮殿はあのとき知っていたのですね・・・」
「知っていた・・・?なにが、でしょう・・・?」
「王族の方ならすでにご存じだと思いますよ」
にこりと笑ってそう告げた後、華鬘はすっと表情を引き締めた。
「あなたが、あなたの意志で国を変えたいと思っておいでなのはよくわかりました。・・・いくつか、確認させていただいてもよろしいですか?」
「・・・なんなりと」
先程までの穏やかな雰囲気から一転して、華鬘が厳しい表情で風蘭を見つめている。
華鬘に試されているのだと、彼はすぐに察知した。
「まず、今こちらに飛びかっている噂の確認をさせてください。・・・今、風蘭さまの味方をしている一族は、霜射、瓶雪、長秤一族・・・ですか?」
「はい。三族の当主から支持をいただいています」
「・・・なるほど。それで今後はどうされるおつもりですか?その三族を率いて、反乱軍として水陽を攻めますか?」
「・・・できれば、争いごとは大きくしたくありません。争いが大きくなれば大きくなるだけ、民への負担が重くなるだけですから・・・」
「そこまでおわかりでありながら、あえてあなたは王を諫めるだけではなく、玉座を奪うことをされるのですね?」
会話の内容は先程と変わらないはずなのに、華鬘の言葉は鋭い刄のように風蘭に突き付けてくる。
けれど、風蘭もここで迷うような心はもうない。
決めたのだ。
石榴を失ったときに。
霞と約束したときに。
「はい。芍薬王では、この国を変えるだけの力を持たないと思うので」
「あなたなら・・・変えられると?」
「変えられるかどうかではなく、変えるんです」
できるかどうか。
道に迷うように立ち止まると、その度に、「できるかどうかではなく、『やる』のだ」と椿が言ってくれた。
背中を押し続けてくれた。
だから、その期待にも応えたい。
星華国を変えたいと思う気持ちは本当だから。
「争いを大きくせずに玉座を奪う・・・。芍薬王がたやすく玉座を譲ると?」
「・・・いえ、そうは思ってはいませんが・・・。ですが、なるべくなら、話し合って決めたい」
「それが叶わなかったら?」
華鬘の問いに、風蘭は唇を噛む。
本当は、話し合いでなんとかなるとは思っていない。
きっと、芍薬は風蘭に玉座を譲ろうとはしない。だから、もしもそうなったら・・・。
「芍薬王を・・・討ちます」
その決意を示すようにまっすぐに華鬘を見据えれば、彼が息を呑んだのがわかった。
「・・・王を討ち、覇王となれば、その後の統治に反発する者も出てきますよ?」
「俺がやろうとしていることに、なにひとつたやすく賛同を得られるものなどありませんよ。・・・それに、それでも俺は、この国を変えてほしいと願ってくれた者たちのために、変えてもらえると期待してくれた人たちのために、この国の王になりたい」
揺るぎない、風蘭の想い。
言葉にしきれない決意と想いを、視線にこめて華鬘を見る。
その華鬘がそっと瞳を閉じた。
「・・・後宮の方々はどうされるおつもりです?」
「できたら、そのままに・・・」
母である桔梗も、姉妹姫たちも、今までと変わりなく。
そして・・・。
「・・・王妃も?」
ふと目を開けて、華鬘が唇を噛み締める風蘭を見る。
「王を討ち、王妃を捕らえますか?」
「・・・いや、王妃は・・・紫苑姫は、女月家がある秋星州に帰そうかと思っている」
「女月星官のもとへ帰されるのですか・・・?」
華鬘でもその答えは予想外だったのか、驚いた様子で問い返してきた。
「・・・本当に王だけを討つのですね。力で制圧するためではなく・・・」
王を討つのなら、その妻である王妃も同等の裁きを受ける。
それが、玉座を奪うやり方だというのなら、風蘭はそれすら砕くつもりでいる。
「・・・当たり前です。それから、討つのは王とあとひとり」
憤慨した様子で頷いた後、風蘭は言葉を続ける。
「蠍隼 蘇芳。彼を執政官の位から降ろします」
風蘭の宣言に小さく頷くと、華鬘は立ち上がり膝をついて腰を折る。
「華鬘殿・・・?」
「風蘭さまの決意、しかと見せていただきました。あなたの国を想う気持ち、我らの未来を託すに値すると感じました」
「それは・・・」
驚愕する風蘭の前で、華鬘は手を組む。
服従の礼。
「改めましてご挨拶申し上げます。春星州州主を務めております、桃魚一族当主、華鬘です。我らが一族の未来と期待を風蘭さまにお預けしてもよろしゅうございましょうか?」
流れるような言葉、穏やかな声色、その中に凛とした意志と試すような視線がこちらに向かっている。
「・・・それを俺に聞いてどうする?決めるのは、俺じゃない」
不服そうに風蘭が言うと、礼を組んだまま華鬘はくすりと笑った。
「・・・仰せの通りです。・・・では、お約束いたしましょう。我ら桃魚一族は、あなたが王となり描く未来を支持いたしましょう」
ゆっくりと放たれた言葉に、風蘭は瞠目する。
「・・・まさか、こんな短い間にそんな決断をいただけるとは思いもしていなかった・・・」
「星華国を変えたい想いはわたしにもありました。ですが、その頂点立たれる方の決断がなければ、そんな想いもただの絵空事なのです」
「・・・華鬘殿の望む未来に、俺の理想は少しでも近づいていたのだろうか?」
苦笑まじりに風蘭が問い掛ければ、華鬘は挑戦的に笑んだ。
「それはこれからの風蘭さまのご活躍次第です」
「これは手強いな」
くすくすと笑い合っていると、突然屋敷内に怒号が響いた。
「州主殿!!華鬘殿はご在宅か!!」
屋敷内に響く声に、あわただしく室の外で人が駈けているのが聞こえる。
「あの声は・・・」
「野党かなにかですか?」
必要とあれば戦闘になるかとも思い、風蘭は緊張感を抱く。それほど、先程の怒号に殺気を感じられたのだ。
「野党などではないのですよ、風蘭さま。おそらく・・・」
「華鬘さま、著莪様がいらっしゃいましたが・・・」
室外で困惑した様子の声で取り次がれてくる。華鬘は苦笑しながら答えた。
「御通ししてください」
華鬘がそう答えたと同時に、室の扉が勢い良く開かれた。
鍛えぬかれた逞しい体付きをした大男が、そこにはいた。
つかつかと遠慮なく入室してくると、まっすぐに華鬘に向かってきた。
「華鬘殿、今、春星州の関門でとんでもない報告が届いたぞ?!」
「血相を変えてどうされました、著莪殿?」
男は風蘭に気付いていないのか、見向きもせずに殺気立ったまま、華鬘に言い寄った。
「聞けば華鬘殿だって冷静ではいられないだろう。・・・国軍『輝星』がこちらに向かっている」
「え・・・?」
「なんだって、『輝星』が?!」
華鬘が戸惑いの声を上げるのとほぼ同時に、風蘭が驚きのあまり立ち上がった。
『輝星』が春星州に向かっている。
おそらく、風蘭を討つために。
風蘭の真っ白になる頭の中で、芍薬と蘇芳の顔が交互に浮かんでは消えていた。
紫月の好きな、華鬘の花言葉ですvv