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五章 見定める宿命 八話







8、「忠義」










木蓮の師、梅。


姓は知らない。








幼い頃から木蓮に様々なことを教えてきた彼は、平民であるがゆえに官吏になれなかった。


けれど、その想いはとても強い。


木蓮からその話を聞いてから、風蘭は梅に会うのが楽しみでいた。








このご時世、王族への忠誠心厚い純粋な「官吏」も珍しい。


ぜひ梅と会って、この国の未来について、風蘭は話し合いたいと思っていた。










町全体が「輝いて見える」と称されるのも納得ができる春星州。


人々が生き生きと行き交う町中を馬車で進みながら、風蘭は感銘を受けていた。


「秋星州は穏やかな州だと思ったけど・・・春星州はそれ以上だな」


「なるほどね~木蓮みたいな子が育つはずよね。あたしもこんなとこで生まれたかったわ~」


椿も身を乗り出すようにして春星州の町並みを見ている。


木蓮が連れていこうとしている璃暖は春星州の中核にある。そのため、風蘭たちはまだ春星州内を馬車で走っていた。








「・・・本当に帰ってきたんだ・・・」


感慨深げにつぶやく木蓮に微笑んでから、風蘭は馬車から身を乗り出して、馬を操る水蝋に話し掛ける。


「水蝋、璃暖まではあとどれくらいですか?」


「陽が沈む前には着きますよ。危ないですからおとなしくしててくださいよ、風蘭さま」


風蘭の付き人であった連翹と同い年という水蝋は、風蘭をそんな風に注意しながらもおもしろそうににやにや笑ってる。


連翹にはない反応だ。


風蘭もにやっと笑って返すと、おとなしく馬車のなかに戻った。












水蝋が言ったように、風蘭たちはまだ明るいうちに璃暖に到着することができた。


木蓮の案内のもと、梅の屋敷に辿り着くと、門前にひとりの老人が立っているのが見えた。


「梅おじさん?!」


木蓮は馬車から駆け降りると、慌ててその老人のもとに走っていく。


「なるほど、彼が梅殿か」


「もっとむっつりした人かと思ったわ」


木蓮を追い掛けるようにして、風蘭と椿が梅のもとに向かう。


先に梅のもとに辿り着いた木蓮との会話が聞こえてくる。








「梅おじさん、わざわざここで待っててくれたの?!」


「・・・・・・木蓮・・・」


「ん?なに?」


「俺がおまえたちの世話をなんっっでしなくちゃいけないんだ!!今すぐ出ていけ!!」


突然すごい剣幕で木蓮に怒鳴りはじめた梅の様子に、のんびりとふたりのもとに向かっていた風蘭と梅は顔を見合わせる。




「そ、そんなこと言わないでよ、梅おじさん。華鬘さまとお話ができるまでの間だけでいいからって文にも書いたじゃない?」


「だったら自分の屋敷に迎えればいいだろう?!」


「今は僕の家はだめなんだよ・・・。梅おじさんだって知ってるでしょ?父上が病で倒れたって・・・」


そうなのだ。


わざわざ梅の屋敷に世話になるのは、木蓮の屋敷に足を踏み入れるわけにはいかないから。








今、木蓮の父であり、羊桜家の当主は、病で昏睡状態なのだと馬車のなかで聞いた。


それ故、木蓮のふたりの兄が協力して家を取り纏めている状態だ。そんな混乱の中、すでに貴族の間では謀反人と知れ渡っている風蘭と椿が足を踏み入れるわけにはいかないのだ。










「突然押し掛けてしまいましたことをお詫び申し上げます。しかしどうか、我々を屋敷の隅にでも置いてはいただけませんか?」


やっと木蓮に追い付いた風蘭が、軽く礼を組みながら梅に挨拶をする。その通常の民にはありえないほどの優雅な所作にすら一瞥しただけで、梅は表情を変えずに風蘭に問い掛ける。


「いきなりやってきてなんなんだ。名乗ったらどうだ?」


「う、梅おじさん・・・」


いくら目の前にいるのが公子だと知らないからとはいえ、風蘭に対する無礼に木蓮が慌てると、風蘭当人が軽く首を振った。


「いいんだ、木蓮、梅殿のおっしゃる通りだ。・・・お初にお目にかかります。蜂豆 連翹、と申します」






公子であることを隠すので、まさか本名を名乗るわけにいかない風蘭が思いついた名は、付き人の名だった。


それを聞いて、木蓮はわずかに驚いた表情を浮かべ、椿は楽しそうな表情を浮かべた。


だが、それ以上の反応を梅が示した。








驚愕。


その一言では表しきれないほどの驚きの表情をそこには浮かべていた。


その予想外の反応に、風蘭も驚いて問い掛けた。










「梅殿・・・?」


すると、梅ははっと我に返った様子で再び無表情になると、後方で馬車に残ったままの水蝋に視線を送った。


「あの人は水蝋さん。牛筍家の武官だよ」


「ふん・・・」


「あたしは睦 椿よ」


すかさず椿が自己紹介をすると、梅が珍しいものを見るように椿を眺めた。


「・・・武人か」


「え?」


「いや、こちらの話だ」


まだ何も話していないのに、椿を一見して武人と言った梅の洞察力にどきっとした風蘭たちだったが、その梅はさっさと風蘭たちに背を向けて、屋敷に向かって歩き始める。










「梅おじさん?!」


「早くあの馬車を厩の中に入れろ。いつまでも休めないんじゃ馬がかわいそうだろうが」


「梅おじさん!!」


言外に屋敷に入ってよしと告げた梅に、木蓮はうれしそうに声を上げる。


「ありがとう、梅おじさん!!」


「馬鹿言え!!馬のためだ、馬の!!」


照れているのか背を向けたままの梅に、木蓮はくすくすと笑っている。


「・・・だいたいな、木蓮。いつ出発かも書いていない文をよこされても、いつこっちに到着するかわからんだろうが。相変わらず間の抜けたことをする」


「あ・・・そっか」


むっとした様子で不服そうに告げる梅に、木蓮は笑顔さえ見せておどける。


おそらく、これが梅と木蓮、ふたりが長い間共有してきた空気なのだろう。けれど、椿の余計な一言がその穏やかな雰囲気を壊す。










「・・・ふ~ん。いつ到着するかもわからないから、毎日門前で木蓮を待っていたのかしら?」


「・・・なっ!!ち、違う!!」


「え~ムキになって否定するなんて怪しい~」


「・・・椿・・・。あんまり人をおちょくるなよ」


とうとう風蘭が椿を止める。


彼女は楽しそうににやにやと意地悪な笑みを浮かべながら口を閉ざす。木蓮もそんなふたりのやりとりを楽しそうに見守っていた。
















水蝋も梅の屋敷に入ると、4人は梅の書斎に案内された。


「ここで僕は、梅おじさんに色々教えてもらったんだ」


懐かしそうに室内を見渡す木蓮。風蘭も圧倒的な室内に、思わずぐるぐると視線を巡らせる。


見回せど見回せど、視界に入ってくるのは本の山。


室を圧迫している本棚から溢れだした本は、通行止めのようにあちこちに山積みにされている。


風蘭たちがこの光景に呆気にとられていると、木蓮がくすくすと笑う。










「すごい本の数でしょ?全部読みきるのに、僕も時間がかかったよ」


「木蓮、これらを全部読んだのか?!全部?!」


「頭痛くなりそう・・・。本のおばけにとりつかれそう」


「こんだけ本があれば、そりゃ退屈せずに屋敷の中にいられるなぁ」


風蘭、椿、水蝋がそれぞれ感想を述べているのを木蓮は楽しそうに聞いていた。


梅はすでにこの室にはいない。


風蘭たちを迎えるための室を整えに行っているらしかった。木蓮もすぐに、風蘭たちを応接間代わりの書斎に残して、梅を手伝いに行った。










「・・・いい人だよな、梅殿」


「意地っ張りだけどね。せいぜいばれないようにね、『連翹』」


「まさか風蘭さまが連翹の名を語るとは思わなかったですね」


冷やかす椿に追って、水蝋がおもしろそうに感想を述べる。


「咄嗟に名前が浮かばなかったんだよ」


決まりが悪そうに、風蘭は頭を掻きながら弁解した。


「ま、ばれなきゃいいんじゃない」


椿は軽くそう言ったが、風蘭は一抹の不安を抱えていた。椿を一瞬で武人と見抜いたこともそうだが、なによりも連翹の名を告げたときの梅の表情が、風蘭の中にしこりを残していた。








それからしばらく、風蘭たちは梅の屋敷で世話になっていたが、梅は風蘭たちに何一つ疑問を投げ掛けることをしてこなかった。




なぜ風蘭たちが春星州にいるのか。


なぜ木蓮が、州主である華鬘に会いたがるのか。


なぜ木蓮が梅の屋敷を選んだのか。




疑問を抱き始めれば切りがないほどに怪しい存在である風蘭たちを、ぶっきらぼうながらも梅は客人として扱ってくれた。


風蘭は、身分を隠しているのが心苦しくなるほど、梅のことを好きになっていた。










その日は、木蓮と水蝋が華鬘のもとにでかけていたため、梅と共に書斎にいたのは風蘭と椿だけだった。


黙々と机に向かっている梅の邪魔をしないように、風蘭はぎゅうぎゅう詰めの書斎から適当な本を取ると、そのそばで読み開いていた。


椿も読書は嫌いではないらしく、風蘭に倣う。風蘭はぱらぱらと本を捲りながら、梅の様子を伺う。








突然押し掛けてきたにもかかわらず、文句は言っても客人としてもてなしてくれる人情の厚さと優しさ。


なにかしら不穏なものを察しているはずなのに、何一つ彼は風蘭たちを詮索してこない。


木蓮を信頼しているのか、その懐の深さにも、風蘭は感服していた。










「・・・で?いつまで人のことをじろじろ見ているつもりだ?」


本に視線を向けながら、突然梅が口を開いたので、風蘭は驚いてすぐに反応を返せなかった。


「え、あの・・・」


「じろじろと。なにか俺に話したいことでもあるのか?」


そう言って初めて、梅が風蘭に目を合わせてきた。


風蘭もここぞとばかりに思い切って梅に色々尋ねてみようと思った。






「梅殿は、今の星華国をどのようにお考えですか?」


「は?力ない平民のひとりである俺に、そんなことを聞くのか?」


「そうです。おそらく貴族よりもずっともっと知識をお持ちであろう梅殿の意見をぜひ伺いたくて」


これだけの本を読み、知識を得ることに貪欲に努力する貴族は、朝廷内の官吏でも数少ない。


だからこそ、平民という弱い立場でありながらも努力を惜しまない彼の言葉こそ、耳を傾けるべきだと風蘭は思ったのだ。








「・・・この国は、かの王が望んだ形とは異なる」


ぽつり、と梅がこぼす。


「あの方は、戦の世を嘆かれていた。争いを憂いておられた。だからこそ、争いのない世を我々に与えてくださった」


まるで昔話を語るかのように話す梅の話を、風蘭と、そしていつのまにか椿も共に聞く。


「あの方は、民を蔑ろにはされなかった。民という礎あっての国が存在することをよくご存じだった。だからこそ、民は王を慕い、貴族は王に倣った」






まるで昔を思い出すかのように沈黙した梅に、風蘭も椿も声はかけない。


梅は、そっと目を閉じて、まるで祈るように、囁くように言った。


「上辺だけの史書を読んだ愚者は、あの方を『戦乱を鎮めた覇王』と称するが、そうではない。あの方は、万物に生をもたらした『生誕の慈王』だ」


「慈王・・・。牡丹王が、ですか・・・」








梅が言う「あの方」というのが牡丹王であることはすぐに察しがついた。


けれど・・・。


「牡丹王は戦乱の世を鎮めるために多くの血を流し犠牲者を出した。たしかに、星華国が建国されてからは見事な統治が成されたけれど、果たして彼が犠牲にしてきたものを見ずに慈王などと・・・」


風蘭の言葉が途切れる。梅にすごい形相で睨まれたからだ。


「・・・牡丹王のことを何もわかっていないな」


「なっ・・・!!」






きっぱりと梅に言い切られて、思わず風蘭も反論しようとする。


まがりなりにも、風蘭は獅一族。


獅 牡丹の列記とした末裔である。


それなのに、なにもわかっていないと言われるなんて。








「じゃぁ、梅さんは牡丹王のことをよくわかってるの?」


椿が無邪気に梅に尋ねる。彼は風蘭をちらと見たあとにすまして答えた。


「・・・少なくともそこの小僧よりはな。牡丹王がどのような方で、何を望まれ、みなが牡丹王になにを望んだかは」


「ふぅん。それで?今の星華国は牡丹王が望んだ国ではない?」


「ないな。政務を放棄した王。保身ばかりを重視する貴族。貴族との境界線をしっかりとつけられた民。・・・そしてなにより、玉座を我が物にせんと独裁を奮う執政官。なにもかもが、違う」


執政官の名が出て、思わず風蘭は不貞腐れるのを止めて顔を上げる。すると梅とばっちりと目が合った。






「王にすべてを望むわけではない。責をすべて貴族に転嫁するつもりはない。だが、今、この国はあまりにも民が貴族たちにより蔑ろにされすぎやしないか。民は貴族の駒ではない」


淡々と梅は言うが、それでも一言一言の中に、悔しさや歯痒さなどが滲み出ていた。


「・・・梅殿。朝廷の組織態勢、国政の運営は、建国時の牡丹王の頃よりずっと変わらないのに、なぜ、こんなにも人の心は変わってしまったのでしょう・・・?」


戦乱の世を共に乗り越えた王と貴族と民たち。


建国後も線を引いても、互いに手を差し伸べ合った。


それがなぜ、こうも負の連鎖が連なり続けてしまうのか。


何も、変わっていないのに。










「・・・なにも変わらないからだ。だから、国はひたすら傾き始めた」


「・・・変わらないから、傾いた・・・?」


問い返す風蘭をまっすぐ見返して梅は頷く。


「人の心は弱い。一度甘い汁を吸えば、それを何度も求めてしまう。さらに、何度も何度も、と貪欲に。それが今の貴族の姿だ。わかるな?」


「よ~くわかるわ。やっぱり平民のお客さんより貴族のお客さんのが、馬鹿みたいに持ち上げれば調子に乗ったし。扱いやすかったわね。羽振りもよかったからいいけど」


「お客さん?」


大きく同意した椿の言葉に、梅が眉根を寄せる。椿はなんてことのないことのように、さらりと言った。






「あたし、冬星州で妓女をしていたから」


「妓女か・・・なるほどな。それならば、貴族の最も醜い部分もよく見たろう?」


「そうね、色々見たわね」


「冬星州は、民の生活が最も貧窮していると聞く。州主はなにをしているのやら」


「本当に。あたしもそう思うのよ?」


「・・・違う。冬星州の州主は、民を守ろうとしている。だけど、州主ひとりではすでに限界なんだ。・・・国が、なにもしないから・・・」


最後の一言は恥ずかしさに声を小さくさせながらも、風蘭は柘植をかばう。








「風・・・連翹はそうやって、ずっと州主をかばうわね?」


「・・・ただの事実だ」


「では、どうすれば冬星州は変えられると思う?国さえ動けば、冬星州は救われるか?」


梅が鋭く風蘭に問い掛ける。風蘭はしばらく考えた後、小さく首を横に振った。


「・・・いや。国が関与しただけでは変えられない。貴族全員がもっと民に目を向けないと・・・そして民自身も・・・」


考えをまとめながら口に出していて、はっと風蘭は気付く。


梅を見れば、彼が初めて満足そうに笑っているのが見えた。


けれど、それも一瞬で消してしまい、もとの無表情に戻ってしまう。








「・・・わかったろう。変わらなければならないことが」


「・・・はい」


変わらなければ、変えなければならない。


「今の星華国をどう思うかと問うなら、変化を求めている、と俺は答える」


梅の言葉に、風蘭は素直に頷く。










「牡丹王が築いた星華国だが、牡丹王の時代と同じである必要はない。王が違うのだから。だが、王自身が最善を尽くそうとしない国は、傾くしかない」


椿が大きく頷く。


梅はそれをちらと見てから、再び風蘭に視線を戻す。


「この国がどのように変わるべきか、なにから変えなければならないのか。それは国を変えるべきだと認識できた王にしかわからない」


そして、梅はぱたん、と音を立てて本を閉じる。椿も同じように手に持っていた本を閉じて立ち上がる。








「・・・木蓮が帰ってきたわね」


ぱたぱたぱた、と足音が近づく。そして椿の言うとおり、木蓮が興奮気味に姿を現した。


「華鬘さまがお会いしてくれるみたいだよ!!」


木蓮の報告を聞き、風蘭はゆっくりと立ち上がる。










木蓮の師、梅。


彼は風蘭の想像以上の人物だった。


その木蓮が慕って止まないもうひとりの人物が、春星州州主、桃魚 華鬘。


彼は、華鬘と会えるという事実に、木蓮と同じように心を興奮させていた。







梅の花言葉でした。

彼の抱える闇や謎については、第二部で明かすことになりそうです。

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