一章 始まりの宴 二話
2、奏穂
「紫苑姫、このたびは真におめでとうございます」
「紫苑様におかれましては、ご機嫌麗しく・・・・・・」
「こんなにもお美しくなられて、お父様ご自慢の姫君ですね」
「羞月閉花とはまさに紫苑姫のことです」
「いやいや、それなら秀外恵中という言葉こそ紫苑様にふさわしい。聡明なお方にこそこの言葉を」
「あの・・・・・・みなさま、少し、失礼いたします」
貴族らしい、無駄の無いきれいな礼をして、少女は立ち去る。背中に、無言の視線が突き刺さっているのを感じながら。
室を出て、屋敷を出て、少女は庭のある一箇所へと歩いていくと、溜まっていた感情をたった一言で表した。
「あ~もう、うるさい!!!」
次々と浴びせられる賞賛の言葉。毎年毎年同じ言葉。同じ態度。同じ人たち。
秋星州州主、女月家直系の姫君、王妃候補の姫君である紫苑に、誰も彼もが取り入ろうと必死だった。
そんな見え見えの態度が、紫苑は大嫌いだった。権力とか地位とか、そんなにこの世の中で大事なことなのだろうか。
「あぁ、やっぱりここにいたわね」
くすくすとした笑い声と共に、飾りの無い言葉が紫苑の心を救い上げた。
「野薔薇ちゃん」
「オジサンたちに囲まれていたかと思ったら、あっという間にいなくなっちゃうから、きっとここだと思って。昔から、紫苑はいやなことがあるとここに来るものね」
「・・・・・・ここに来れば、またがんばろうって思えるから」
幼い頃、従姉妹の野薔薇と共に花冠をつくった場所。
誓いを、交わした場所。
ここに、望みを残し、はるかなる未来へ。
「16歳、おめでとう、紫苑」
紫苑の流れるような髪をなでながら、野薔薇はそっと言った。
紫苑は、野薔薇のその言葉だけが、すとん、と素直に心の中に受け入れられていくのを感じた。
「ありがとう、野薔薇ちゃん」
自分よりも背丈のある3歳年上の従姉妹を見上げながら、紫苑はにっこりと笑って答えた。
「16歳になったことだし、もう後宮へ入内するの?」
野薔薇の質問に、紫苑はそのかわいらしい顔に困惑の表情を浮かべた。
「そうね、そうなると思う。でも、後宮へあがるためには、まず色々審査を受けなければいけないでしょう?時間はかかるでしょうね」
「そう・・・・・・。私も、紫苑と一緒に後宮に行きたいと思ってたけど・・・」
そこで言いにくそうに言葉を切った野薔薇の心情を、紫苑は読み取ろうと試みた。
「いいのよ、野薔薇ちゃん。一緒に後宮に行けなくても。野薔薇ちゃんにも色々な縁談がきてるって叔父さまに聞いているもの。女官としてでなく、女としての幸せを選んで」
寂しそうに、けれど、気遣うように言う紫苑の言葉に、野薔薇はふっと笑った後、彼女の鼻を軽くつまんだ。
「みくびらないでよ。私が紫苑の侍女として後宮に行きたいと思うのは、紫苑のためじゃなくて、自分のため。私が、紫苑のそばにいたいの。縁談なんて興味ないわ」
恋に興味がまったくないわけじゃない。
家庭を、築きたいと思っていないわけじゃない。
けれど、野薔薇にはもっともっと大切な大儀がある。
自分の中で、一番譲れないもの。
「紫苑は、気にしないで次期后妃のお勉強を続けなさい。私は、一緒には後宮に行けないけど」
野薔薇の最後の一言に、紫苑は今度こそ疑問を投げかけた。
「どういう・・・こと?」
「私、近々先に後宮に女官として出仕するわ。女官としての心得を先に後宮で叩き込んでくる」
朝廷に仕官できるのが11貴族に縁ある者たちだけのように、後宮に女官としてはいれるのも、11貴族に縁ある者、もしくは11貴族に推薦された者たちだけ。
さらに、後宮へお妃候補としてあがる者たちに、侍女などの付き添いは許されていない。側近とすべき女官も、後宮から選出しなければならないのだ。
野薔薇はたしかに、11貴族ではあるが、女月一族の分家の娘。
女官として、侍女として、女月本家の娘のそばに、一番そばに仕えるにはまだ不十分な地位。
一方で、分家の娘は、王に気にかけられれば、妾妃として召し上げられることもある。
地位は低くは無い。
けれど、高くも無い。
その中で必要なのは、能力と人脈。
加えて、野薔薇は今年で19。早ければ12,3歳から後宮へ女官としてはいる者もいる中で、野薔薇はもう花盛りの過ぎた爪弾き者。
なぜ今更後宮へあがってきたのかと、不審に思う者もでてくるだろう。
妾妃となることを狙って後宮へあがったのではないかと、勘ぐられることもあるだろう。
けれど、野薔薇は後宮へ行くことをやめようとは思わない。むしろ、少し早く出発することに決めたのだ。
能力を認められ、人脈を築き、紫苑のそばへ行くために。
紫苑が後宮へあがるであろう、16歳のその年まで待ってしまったが。
「野薔薇ちゃんが16歳のとき、後宮へ女官としてまだ行かないって聞いたときは、もう野薔薇ちゃんは私と一緒に後宮に行くつもりはないんだって思った」
ほっとしたように告げた紫苑の本音に、思わず野薔薇も笑みをこぼした。
「私だって16のとき、迷った。もっと言えば、12歳の頃から、先に後宮へ出仕しようかと思っていたくらいよ。でも、紫苑と一緒に、水陽へ行きたかった」
けれど、后妃となれるかどうかの審査の結果を受けてから後宮にあがるのでは、野薔薇は出遅れてしまう。
少しでも早く出発したほうがいいだろう、と思いなおしたのだ。
「公子たちのうわさも色々聞きつけておくわよ。安心して、後宮へ来てね」
ぽんぽん、と軽く紫苑の頭をなでて、野薔薇はそこを立ち去った。
19歳での後宮への出仕。
能力が認められ、思いが届けば、野薔薇はすぐに紫苑の傍へといけるのだと思っていた。
野薔薇も、紫苑もそう思っていた。
だから、ふたりとも、同年に後宮へあがれば、今までどおりずっと傍にいられると考えていた。
だから、紫苑が16歳になるまで野薔薇も一緒にいたのだ。
けれど、現実はそんなに甘くはない。
野薔薇は、それを思い知ることになる。
紫苑の生誕祭から3日ほどのち、野薔薇は水陽に向けて旅立った。
紫苑はひとり奏穂に残され、お妃教育に努めていた。
幼い頃は、作法は母や叔母たちが、学は父が教えていたが、今となってはお妃教育専門の講師が紫苑を指導していた。
紫苑は教わるものはすべて完璧にこなした。
申し分のない妃となるために。
まだ見ぬ、未来の王を支えるために。
「紫苑は、王妃となることに不安はないかい?」
ある夜、珍しいことに、そんな言葉を父が紫苑に投げかけた。一瞬、紫苑は瞠目したが、すぐに笑みを取り戻して答えた。
「王妃となって、国を支える王を支える。こんな大役を務めることができるのよ。不安はなくもないけど、それ以上の誇りがあるわ」
政務に携わることができない女だけれども、政務に携わる夫を支えることができるのは妻の務めであり、誇り。
紫苑は、父を献身的に支える母を見て育ち、言葉よりも態度で教わった。
王妃となり、王を支え、王の子を産み、またその子を王にする。
紫苑はそれこそが自分自身の務めであり、誇りであると幼い頃から思っていた。
「今、第一公子である芍薬様は21歳におなりになったと聞くわ。まだ貴妃はいらっしゃらないのよね?」
先代、26代星華国国王までは、第1公子を王にするのではなく、正妃である貴妃の子を王と為した。
だが、現王芙蓉は、双貴妃の息子である第3公子よりも、妾妃の子である第1公子を次期王とたてているような態度をとっている。
そうすると、王妃として後宮へやる紫苑は、次期王となるであろう芍薬の妃として召し上げることになる。
だが、女月当主として、この身分差を感じさせる婚約に疑問をもたずにはいられない。
11貴族本家の娘でありながら、11貴族分家の女の息子へ嫁がせる。
だが、分家の女の息子であれ、公子であることに変わりない。次期王だ。
「父様?」
じっと考え込み始めた父を案じて、紫苑が声をかける。彼ははっとして顔を上げ、何気ない風を装った。
「あぁ、ごめん。そうだね、芍薬公子は、まだ正妃はおとりになっていらっしゃらない。紫苑は充分王妃となれるよ」
「他に、王妃候補はいらっしゃるの?」
「そうだね・・・・・・」
言いながら、彼は頭をもたげる。そういえば・・・・・・。
王妃候補は、11貴族本家から選ばれる。
王の妃となるからには、やはり血筋正しい、本家直系の娘であることが第一条件なのだ。たとえ11貴族であれど、分家であれば妾妃。ましてやそんじょそこらの娘ならば後宮に召し上げることすらできない。
そう考えてみると、今現在、紫苑の他に王妃となれる条件を備えた姫は、2人だけいた。
冬星州にいる11貴族、霜射 雲間姫。
もうひとりは、夏星州にいる11貴族、蟹雷 槐姫。
雲間姫に関しては、冬星州州主である霜射家であることからして、同じ州主家からの紫苑と立場として申し分ない。加え、霜射の分家では、民部長官という高位についている者もいる。
女月家としては、今のところ、高位とはいっても、式部次官がいるだけだ。もし、裏で工作するならば、長官の立場の方が有利である。
槐姫に関しては、蟹雷家は夏星州州主ではもちろんないので、独自の立場としては、一番不利であるが、現王芙蓉の妃問題の折にも、双家姫君桔梗とその座を争い負けたのが、そのときも蟹雷家の姫だったため、今回の妃問題には気合が入っている。
その上、まるでこの妃問題に向けて用意したかのように、蟹雷家からは刑部長官、式部長官、兵部中将、民部次官と、長官次官が続出している。これだけ高位に名を連ねていると、周りから固められることも考えられてしまう。
だが、女月家にも策がないわけではない。
現在の最高官位である執政官位 蠍隼 蘇芳、彼は同じ秋星州出身の者だ。同郷の者として、彼が紫苑を推薦することとなっている。
妃問題は本人たちだけの問題ではない。
その後の貴族としての立場を巡る、政権争いだ。
現に、現王の貴妃を輩出した双家では、今や、武官を取り締まる機関である兵部の大将、宮廷を取り締まる機関である中部の長官次官はもちろん、中部に所属する3つの所長のうち、後宮に大きな影響を与える采女所も双家が牛耳っている。
これだけ宮廷を司る中部を固めてしまえば、残りの長官がいくらいても、宮廷、特に後宮に関しては誰も手も足も出せない。
おそらく、今回の王妃争奪戦は、どの家が双家の後見を得られるかで勝負は決まる。
「紫苑の他に、霜射家から雲間姫。愛らしい姫君だと聞いているよ。今は完治されたようだけど、ここ数年病で臥せっておいでだったとかで、紫苑より2歳年上の18歳の姫君だよ。それから、蟹雷家から槐姫。こちらは、紫苑と同じ16歳の姫君だね」
「雲間姫と、槐姫ね・・・・・・。お会いできるのは、審査試験のある海燈でかしら?」
「そうだね、おそらくそうなると思うよ」
王妃となるための資質があるか、11貴族の主要の者たち、中部の者たちで審査する、審査試験が夏星州の海燈で行われる。海燈は、双家が管理している地域である。
現貴妃の郷地で審査試験を行うのが、元来からの決まりなのだ。
「そういえば、紫苑に文が届いていたよ」
長い間お妃問題で考えに耽っていた紫苑の父は、ふと、思い出したように文を紫苑に手渡した。
「どなたから?」
「長秤 楓くんからだよ」
「楓兄から?!ずいぶんと久しぶりの文だわ」
紫苑が5歳のときに朝廷へ医官として出仕してから、楓はずっと朝廷にいる。
朝廷の中では唯一実力主義の世界、医官の中でも最下位の薬園生の楓は、研究や勉学の忙しさから、帰ることはおろか、文もなかなかよこしてはくれなかった。
その楓から、文が届いたのだ。紫苑は喜びを隠せずにその場で文を読み始めてしまう。
「まぁ、すごいわ。父様、楓兄ってば、薬園師に昇進したんですって」
「ほう、それはすごいね。まだ27歳の若さで薬園師になれるとは。彼のお兄さんはもう少し時間がかかっていたね」
父も素直に楓を称えた。文をまだ読み続けていた紫苑はさらに声を大きくした。
「大変、楓兄が帰ってくるって!!官位があがったことで、少しお休みがいただけたらしいわ」
「それじゃぁ、長秤家も大騒ぎだね。今頃愁紅では、楓くんを迎える準備をしているかもしれないね」
長秤家が預かり治めるのは愁紅。楓は、そこへ一時帰還すると文をよこしたのだ。
「父様。私も愁紅に行って、楓兄に会っていいかしら?」
「仕方ないね。海燈へ出立するのは3ヵ月後だから、それに間に合うようだったら構わないよ」
今頃はすでに楓は水陽を出て、こちらに向かっているだろう。文が届いた時差で考えると、あと半月ほどで、おそらく愁紅に辿り着くだろう。
「ありがとう、父様。楓兄が帰ってくる頃まで、私も勉強をがんばるわ」
愁紅で楓に会える。朝廷の様子を聞けるだろうか。
夫となるかもしれない、芍薬公子の話を聞けるだろうか。
全ては、愁紅へ行けばわかる。
紫苑の運命は、その一歩から始まる。