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四章 絡み合う出会い 十三話










13、形勢不利








連翹が大獄にいると聞いて、木蓮は目の前が暗くなるほど驚いた。


風蘭はいったいどうなったのか、なぜ連翹がそんな嫌疑をかけられなければならないのか、沸き起こる疑問を止めることはできなかった。




直接連翹に会って事の次第を尋ねたかったが、それすら今の木蓮には難しいことだった。






王族や高官ならともかく、一官吏に過ぎない木蓮が会いたいからという理由だけで『大罪人』に会うことなどできなかった。


だからといって、木蓮と連翹に親密な繋がりがあることを公にはできない。その繋がりの根底には、朝廷での禁句、『風蘭公子』がいるからだ。








木蓮はどうすることもできず、大獄前をうろうろとするしかない日々をおくっていた。












その日も、木蓮は采女所の仕事の合間に、どうにかしてここに入る方法はないかと、外朝にある牢獄の入口に立ち尽くしていた。


風蘭の力になりたい。その思いだけはたしかにあるのに、何の力もない自分にはどうすることもできない。


木蓮は、己の非力に唇を噛み締める。






蠍隼一族の当主である藍と知り合えたのに、そこからも何の突破口も開けなかった。否、開くことは難しいように思われた。


藍は明らかに蘇芳を恐れている。


蘇芳が逆らう代々の当主たちにしてきた仕打ちを考えれば当然かもしれない。






藍に蘇芳を諫めることを強要することはできない。


けれど、星官である藍がそれができないなら、蘇芳の独裁は増長するだけだった。












「こんなところで何をされているのかな、羊桜 木蓮殿」








木蓮は突然名を呼ばれ、驚いて肩を震わせた。


聞き覚えのあるその声に、背筋に冷たいものが走る。ゆっくりと振り向いて、彼は彼の名を呼んだ相手を見た。








「蠍隼・・・執政官・・・・・・」


「質問に答えなさい。ここで何をしていた?」






蘇芳の口調が厳しいものに変わると同時に、視線も鋭く冷たいものに変貌する。


木蓮は思わずすくんでしまいそうになりながらも、やっとぎこちない笑顔をつくった。






「散歩ですよ、蠍隼執政官。今日はとてもよい天気ですから」


「内朝の最奥に勤める中部采女所に所属する君が、わざわざ外朝に?」


射るような視線を浴びながらも、木蓮は軽く肩をすくめた。


「少し、外の空気を吸いたくなりまして」


「・・・なるほど」


にやり、と笑う蘇芳の笑顔の裏が読めず、木蓮は押し黙る。






蘇芳はちらりと大獄に目をやると、再び木蓮に視線を戻した。


「三男というものは、実に気楽な立場とお見受けする。春星州では兄君たちがさぞや奮闘されているであろうに」


「・・・兄上たちが?!それはいったい・・・・・・」


「ほぅ?木蓮殿はご存じではないのか」


再びにやり、と含み笑いした蘇芳に木蓮は嫌な予感を覚えながらもすがりつく。








「兄たちがどうしたと仰るのですか?兄たちが退官した理由を蠍隼執政官はご存じなのですか?」


「わたしは執政官ですからね。式部からあがる報告程度なら存じ上げてますよ」


完全に有利にたった立場がおもしろいのか、蘇芳はじらすだけでなにも答えない。華鬘に手紙を書く方が早そうだ。


春星州の州主である華鬘なら、兄たちの身になにが起こっているか、知っているに違いない。






「・・・そろそろ仕事に戻らないといけません。失礼いたします」


木蓮は蘇芳から情報を引き出すことを諦めて、さっさと立ち去ろうとした。しかし、すれ違いざまに蘇芳が木蓮の腕をつかんで密かに告げる。


「木蓮殿は民部や刑部がよほど気になるとお見受けする。さぞや采女所の仕事がつまらぬものなのでしょうな。王族たちのお相手をすることも」


「そ、そんなことは・・・」


さっと振り返れば、すでに蘇芳は木蓮の腕を放し、彼に見向きもせずに牢獄のなかに足を運んでいた。




その場に取り残された木蓮は、今蘇芳に言われたことが空耳かと疑うほどだった。


しかし、ちゃんと耳に残っている。


鋭い刄のように向けられた、その言葉を。




木蓮は、蘇芳の背中を見送ったあと、中部棟に戻った。














それから数日後、春星州にいる桃魚 華鬘からすぐに返事が届いた。


木蓮はその手紙を受け取ると、その衝撃的な内容のために色を失った。


木蓮の父が、瀕死の容体なのだ。


木蓮の父は、分家もない羊桜家の当主だ。だから、万一父が死んだとき、兄ふたりが次期当主とその補佐として立ち回らなければいけない。それならば、ふたりが突然退官したのも頷ける。






彼は手紙から顔を上げると、すぐに決意した。


自分も、早急に帰州しなくては。父を看病し、兄たちを助けなければ。








上司である中部長官に休暇の許しを得るべく、木蓮は中部棟の長官室に向かう。


ふと、長官室に向かいながら既視感を覚え、それが民部長官室に向かうときのものだと気付くのに時間はかからなかった。






蠍隼一族に押さえ込まれた民部。


財政を司る民部を支配されてしまえば、国の機能はますます執政官の思うまま操ることができる。


けれど、民部のことも心配だが、采女所として心配なこともあった。






双大后の火女であり、女月貴妃の幼なじみである野薔薇から告げられた情報。


同じ中部の典薬所に所属する野薔薇たちの幼なじみ、長秤 楓もまた、その情報を耳にして顔色を変えた。


典薬所所長であり、筆頭侍医でもある長秤 南天の不可解な行動。なぜか後宮にある台所に頻繁に出入りを繰り返しているらしい。




不審に思った野薔薇が楓に話すのに、木蓮はたまたま立ち合っていただけだが、それでも不安に思うことに変わりはなかった。








朝廷内では蘇芳が水面下で動き続け、連翹を投獄するにまで至った。


そして、後宮内では筆頭侍医が不審な動きを見せている。


なにか動きがあれば、楓か野薔薇から報告があるはずだった。






けれど、今は故郷にいる父の容体も心配だった。


病弱な父。


木蓮が帰州するまでもってくれるだろうか。










彼は故郷に想いを馳せながら、中部長官室の扉を叩いた。


「采女所所属、羊桜 木蓮です」


「・・・入れ」


わずかな沈黙のあと、鉄線から返事が返る。木蓮は静かに入室し、こちらを見つめている鉄線と視線を合わせた。








「・・・どうした?」


普段はあまり、中部長官である双 鉄線と関わることは少ない。


仕事上で相談することがあれば、直属の上司である双采女所所長とやりとりすることが多いからだ。けれど、休暇となれば、中部を取り締まる鉄線に許しを得なければならないだろう。








「・・・休暇の申請に参りました」


すると、鉄線はしばらく視線を彷徨わせたあと、大きくため息をついた。


「・・・双長官?」


「羊桜 木蓮、君の父君のご容体が優れないことはすでにこちらにも報告がきている。羊桜星官でもいらっしゃるからね」


「では休暇の許可を・・・」


「申し訳ないが、それはできない」






きっぱりと鉄線に断られ、木蓮は驚愕に瞠目した。


「なぜです?!父の容体が優れないと知っていて・・・」


「君に発令が出ているのだよ、羊桜 木蓮」


浮かない表情で、鉄線は言う。






「・・・発令?何のですか?」


「人事発令だ。折しも今は秋。人事異動のおこりうる季節だ」


「じ、人事異動?!僕がですか?!だって就任して一年しか・・・」


慌てる木蓮に、鉄線が意味ありげな視線を向けてくる。






「拒否権はない。蠍隼執政官からの特例の発令だ」


鉄線の発言に、木蓮は息が詰まる思いだった。鉄線は探るような視線を木蓮に向ける。


「いったい何をしたんだ?!式部からではなく、執政官から発令されるなんて・・・」


背筋が冷たくなっていくのを感じながら、木蓮は蘇芳の言葉を思い出していた。










『木蓮殿は、さぞや采女所の仕事がつまらぬものなのでしょうな。王族たちのお相手をすることも』








違う。


蘇芳は木蓮を切り離したかったのだ。


王族と深く関わりあう采女所の職務から。


民部で風蘭のように探りを入れることを防ぐために。


刑部で連翹と会うことのないように。


王族と関わりをもち、その権力で木蓮が容認される前に。










「それで・・・僕はどこに・・・?」








声が擦れているのがわかる。


蘇芳の刄が自分に向けられる日が来るとは。


これを風蘭が知ったら、どう思うだろうか。










「兵部だ」


「ひ、兵部ですか?!でも僕、武官には・・・」


「兵部内は文官職務と武官職務にわかれている。今の双 縷紅大将が長官と兼務しているから勘違いをしやすいが、本来は文官と武官はそれぞれ独立している」


「そうなんですか・・・」


「そしてその発令は、明日にも異動をするように申し渡されている」


「そんなに急に?!」








兵部の文官としての異動にほっとした矢先の鉄線からの追い打ちに、また木蓮は目を瞬く。


「そう、急だ。だから、今休暇を与えるわけにはいかないんだ。・・・執政官からの命令でもあるしな」


苦々しげに鉄線は告げるが、木蓮はただただ驚くだけだ。しかし、鉄線に言われた言葉にすぐに眉根を寄せた。








「休暇は、無理・・・ですか」


「今、これ以上は執政官に逆らわないほうがよいと思うぞ。いずれ、兄君が星官として出仕してくる日も来るのだろう?」


鉄線に忠告され、木蓮は押し黙る。たしかに、今は蘇芳に逆らうことは賢明ではない。


ここでこれ以上こじらせれば、木蓮だけでなく羊桜家にまで蘇芳は介入してくる可能性がある。




いずれ当主となり、星官として朝廷に出仕してくるであろう兄たちのことを考えれば、今は蘇芳に逆らうべきではない。




けれど。










「父上の容体が・・・」


今は緊急事態だというのに。


それでも権力に従うしかないのか。










「権力に屈伏し、執政官の政治のもとで官吏を続けるには、親の死に目にはあえぬと覚悟しなければならない」


鉄線は淡々と言う。


木蓮はそれを唇を噛みながら聞いていた。








そう。


蘇芳が支配するこの朝廷は、そんなところだ。


そして、芍薬王はそんな蘇芳を諫めることができないでいる。








父が用意してくれた、木蓮の夢の一歩。


梅との約束。


必ず果たすと誓った。


風蘭とならそれができる気がした。


どれだけ遠回りしても、必ず、いつか。










木蓮は顔を上げ、しっかりと頷いた。


「かしこまりました。明日には異動できるよう、王族の方々にご挨拶を申し上げておきます」


「・・・そうか」


そう返答した鉄線は、少し悲しそうな表情を浮かべていた。








木蓮は心の中で故郷にいる父と兄に謝罪すると、気持ちを官吏に切り替えた。


沙雛を離れたときから、覚悟していたはず。


官吏として、捨てるものも諦めることもあるだろうと。


それでも、王に仕える官吏でありたかった。


たとえ急な異動であろうと、官吏であることに違いない。


これを手放すわけにはいかない。












木蓮は一礼して、中部長官室を退室した。


そして、彼がすぐに向かったのは紫苑の室だった。


紫苑は木蓮からその話を聞くと、ひどく驚いた様子だった。










「木蓮殿が・・・兵部に・・・」


「執政官には重々お気を付けください」


木蓮は紫苑にそう言いながら、風蘭も同じ注意を彼にしていたことを思い出す。


そして、双大后も気に掛けてほしいと。彼には、蘇芳の横暴さがわかっていたのだ。


だから、そう警告をしてくれたのに。








「・・・もしかすると、僕が風蘭公子と民部のことを探っていたことも知っていたのではないかと思うのです」


「だから、私たちからも、民部からも遠ざけた、と」


「・・・えぇ。ですが、兵部でも僕は僕にできることをするだけです」


「どうか身体にはお気を付けて」


「ありがとうございます」


紫苑はその後も淋しそうに一言二言添えた。










風蘭という共通の友人を媒介に知り合ったふたり。


木蓮にとって紫苑の身の回りの世話をすることは、采女所としての仕事であったが、気持ちとしてはそれ以上の入れ込みがあった。


もっと長く傍で彼女を見守っていけると思っていたが・・・。










「それと、ひとつお願いをしてもいいですか」


「なんなりと」


木蓮には、大きな心残りがひとつあった。未だ、その不審な動きをつかめないでいる、その問題。






「夕霧さんを通してで構わないので、野薔薇さんと連絡を取り続けてほしいのです」


「野薔薇ちゃんと?それは・・・」


「先日申し上げた、典薬所におられる長秤 楓殿と共に探っている問題についてです。楓殿がなにかをつかめば、野薔薇さんに連絡をとられると思うので」


「朝廷も後宮も、怪しいことばかりね」


「本当に」


苦笑する紫苑に、木蓮も苦笑を返すしかできなかった。


けれど、一度手に掛けた問題は最後まで関わりたい。










「わかりました。野薔薇ちゃんとはこまめに連絡をとりましょう。なにか動きがあったら、木蓮殿にご連絡すればよろしいのですね?」


「私も、がんばってお使いいたします」


傍で黙って控えていた夕霧も、懸命に木蓮に訴えた。そんな彼女に彼は微笑み、そして深々と紫苑に頭を下げた。


「どうか、よろしくお願いいたします」












連翹と話をすることも諦めてはいなかった。


なんとかして、大獄に行って、彼にその理由を尋ねたかった。








しかし、今は新たな職務に慣れないといけない。


兵部。


双 縷紅が大将と長官を兼務しているその部署で、これからなにが待ち受けるのか。






風蘭の話によれば、縷紅は蘇芳に反発している数少ない高官のひとり。


彼の下で働くことが吉と出るか凶と出るか。








木蓮は、父を案じ、梅を想いながらも、官吏としての新たな職務に思いを馳せていた。













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