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四章 絡み合う出会い 十二話







12、右往左往










その知らせはすぐに、桔梗の元に届けられた。


それは、執政官である蠍隼 蘇芳が直接大后である桔梗に伝えた。






「・・・そのような次第で、今現在大獄に蜂豆 連翹を拘束しております」


「・・・そうですか」


もっと取り乱すかと思われたが、桔梗はぞっとするほど冷静に蘇芳の報告を聞き入れた。


その手元では、いつも握り締めている扇が少し開いたり閉じたりしているだけ。


彼女の表情は、話を聞く前と何ら変わりはなかった。






「あなたがたが気の済むまで連翹をお調べなさい。連翹も拒みはしないでしょう」


「・・・ご理解いただき、ありがとうございます」


予想外に桔梗が驚くほど冷静であることに、蘇芳は戸惑いを覚えずにはいられなかった。








連翹は風蘭の護衛だが、桔梗の厚い庇護のもと成り立っている関係だ。


そうでなければ、平民である連翹が朝廷や後宮内を歩き回るなど考えられない。


その厚い信頼を受けた連翹が大獄にいるというのに、この冷静さはなんだろうか。








蘇芳は探るようにしばらく桔梗を見つめていたが、そこから何も読み取ることはできないと悟ると、早急に退室していった。


桔梗は、蘇芳が退室したのと同時に室外に控えていた花霞が入室してくると、彼女にすばやく指示を出した。




「花霞、野薔薇を呼んできてもらえないかしら。それから、今から書く文を蓮姫に届けて」


「かしこまりました」


花霞も余計なことは言わず、桔梗に従う。花霞はすぐに野薔薇を呼びに行った。


















「・・・双大后さまが、私にこれを?」


蓮姫は、目を瞬きながら手元の文を見つめた。それを届けに来た花霞は小さく頷く。


「はい。おそらく、火急の用件かと」


蓮姫はそれを聞き、文を開いて読み始める。花霞は自らの用件は終わったので、そのまま退室しようと立ち上がった。


しかし、去ろうとした彼女の背に、蓮姫の声がかかる。




「・・・待って、花霞」


呼び止められて、彼女は第6公女に向き直った。姫は、心持ち青ざめた顔で花霞に言った。


「双大后さまにお礼を申し上げておいて。・・・そして、近日必ず伺います、と」


「・・・かしこまりました」


桔梗が蓮に渡した文の内容を花霞は知らない。けれど、桔梗の行動と目の前の姫の表情で、なにかが起こっているのは感じられた。


花霞は今度こそ退室を告げると、桔梗の元に伝言を伝えるために戻った。


















「女月貴妃さま、お目通りを望んでいる者がいるのですが・・・」


夕霧がそう切り出しても、当の女月貴妃はうわの空で聞いていない。


「女月貴妃さま?」


再度呼び掛けても反応はない。夕霧は思わず苦笑した。もうこのやりとりにも慣れてきたものだ。








「紫苑姫さま!!」


「え?あ、なに?」


やっと紫苑は、自分が呼ばれていたのだと気付き、反応を返した。夕霧はくすくす笑いながらも紫苑を軽く睨み付けた。




「紫苑姫さまはすでに貴妃となられたのですから、もうお慣れくださいませ」


「そうね・・・そうなのだけど、なかなか慣れないわね・・・」






そもそも姓で呼ばれることも少なかったというのに、女月貴妃などと呼び掛けられても、未だ慣れない。


でも、すでに28代国王である芍薬と婚儀を済ませ、夫婦となった以上、紫苑は貴妃なのだ。


もっとも、婚儀の式以来、芍薬と顔を合わせていないが。








「・・・それでごめんなさい、なにかしら?」


「女月貴妃さまにお目通りを望んでいる者がいるのですが、いかがされますか?」


「あら、どなたかしら?いいわ、お通しして」


「かしこまりました」


くすくす笑いながら夕霧が頷く。紫苑はそんな彼女の様子に首を傾げて尋ねた。




「どうしたの、夕霧?」


「いいえ。きっと、紫苑さまがお喜びになる方なので、私までうれしくなってしまって」


そう言って彼女はいったん退室してしまう。


残された紫苑は、いったい誰が来るのか不思議に思うばかりだ。




木蓮が来てくれたのだろうか。でも、彼はよくここを尋ねてきてくれるので、夕霧があんなにもそわそわとするはずがない。


そもそも木蓮だったら取り次いでなどこず、直接紫苑のもとに案内してくる。






「紫苑さま、失礼いたします」


夕霧が扉の向こうで声をかけてくる。紫苑は、貴妃として堂々と見せるために、姿勢を正した。


しかし、夕霧と共に入室してきた人物を見て、紫苑はすぐに表情を崩した。








「の、野薔薇ちゃん?!」


にこにこした夕霧と共に室に入ってきたのは、硬い表情を浮かべた野薔薇だった。野薔薇はちらりと紫苑を見ると、そのまま主に対する礼の形をとった。


「女月貴妃さまにおかれましては、この度の・・・」


「やめて、野薔薇ちゃん、どうしたの?!」






この室には夕霧と紫苑以外は誰もいない。いまさらそんな他人行儀な挨拶をなぜ野薔薇がしてくるのか、紫苑はわからずに彼女の口上を遮った。


野薔薇はそんな紫苑にやっと小さく笑みを浮かべた。




「この度は、双大后さまの文をお届けに使いに参りました」


あくまで、野薔薇はまだ紫苑のもとにはいないのだと認識させるために。


紫苑はやっと再会できたことに喜ぶこともできず、少し残念そうに苦笑をもらしたが、すぐに表情を改めた。




「双大后さまから私にお文ですか?それをなぜ、双大后さまの火女であるはずのあなたが?」




文の使いをするのは夕霧のような徒女か、花霞のような側女の仕事だ。


それをなぜ、野薔薇が運んできたのか、紫苑は気になった。


他でもない、桔梗の考えだからこそ、余計に。








「今回のこの文は、とても内密なものらしいのです。私も内容は存じ上げませんが、早急に女月貴妃さまにお読み頂き、返答をいただいてくるように仰せつかりました」


野薔薇から文を受け取った夕霧が、しょんぼりした様子で紫苑にそれを手渡す。


夕霧もまた、紫苑と野薔薇がもっと砕けて喜びあう再会を描いていたらしかった。


けれど、事態はそんな悠長なことを言っていられるものではないらしい。


例外的に野薔薇を紫苑のもとに使わせたという段階で、彼女はただならぬ雰囲気を感じていた。






紫苑は夕霧から文を受け取るとすぐに目を通した。そこには衝撃的な事実が書かれていた。


「・・・なんですって?!」


思わず声を上げた紫苑を不思議そうに夕霧が見上げる。彼女は、その夕霧に硬い声で指示を出した。


「夕霧、采女所に行って、木蓮殿を呼んできて」


「木蓮様を?・・・かしこまりました、すぐに」


わけを知りたそうな表情を浮かべた夕霧だったが、真剣な面持ちのままの紫苑に負けて、すぐに退室した。






野薔薇とふたりきりになった紫苑は、小さくため息をついた。


「・・・文には何と?」


野薔薇が遠慮がちに尋ねてくる。それが、ふたりの今の立場の違いを示すようで、紫苑は少し悲しかった。




もう、昔のように打ち解けて話すことはできないのだろうか。


「風蘭公子の付き人だった、連翹という者が、外朝にある牢獄に入獄させられているというのです」


「なぜ・・・」


「前民部長官の殺害の嫌疑のため」


「風蘭公子さまはそれをご存じなのでしょうか?」


「さぁ・・・。もしも冬星州にいらっしゃるのであれば、連翹殿が捕まったときにその場に居合わせていらっしゃるはずだけど・・・」








紫苑は、久しぶりに風蘭を想う。


芍薬の婚儀が決まってから、紫苑は意識的に彼のことを考えるのを避けていた。


風蘭のことを考えると、不思議と胸が苦しくなった。遠い地にいる彼に、会いたいとすら思うときもあった。


でもきっと、それはいたずらに自らの心を乱すだけ。


だから、紫苑は風蘭への表現のしようがないこの感情を、考えないことにした。








その風蘭の周りでまた、なにかが起こっている。


そして、朝廷内でも。


桔梗の話のとおりならば、また執政官である蘇芳が何かを仕掛けたことになる。


民部長官を自らの一族の者を据えて思うがままに操るだけでは飽き足らず、彼は一体何を望みそこまでするのか。








「権力ってそうまでして手に入れたいものなのかしら」


この国で事実上では最高権力者である王の妃である紫苑が、そんなことを言っても説得力がないことはわかっているが。


「紫苑姫は昔からそうおっしゃってますね」


くすっと野薔薇が笑って言う。






紫苑姫。


野薔薇にそう呼ばれるのは別に初めてではない。


秋星州にいた頃から、野薔薇は公式の場では紫苑のことを「紫苑姫」と呼んだ。


しかし、こうしてふたりきりでいるときにそう呼ばれるのは初めてだった。








「・・・すぐに夢に追い付きますから」


よっぽど悲しい顔でもしていたのだろうか。野薔薇が微苦笑してそう言った。


紫苑も野薔薇を見つめ返すと少し淋しそうに微笑んだ。


「信じて、待っているから」


まだ紫苑だって夢の途中。紫苑と野薔薇と楓。3人の幼い頃の夢は、まだ叶われてはいない。


でも、近づいている。










「紫苑さま、木蓮さまをお連れしました」


扉の向こうから夕霧がそう告げたのをきっかけに、紫苑は表情を引き締めた。野薔薇も道を開けるために室の端に移動する。


ふたりの距離がまた少しあいた。






「紫苑姫、火急のご用件とはいったい・・・?」


室に入ってくるなりそう言いながら紫苑に近づいてきた木蓮は、そのそばに野薔薇を見つけて驚いたようだった。


「あれ?野薔薇さんもこちらにいらしたのですか?」


「木蓮殿は野薔薇をご存じなんですか?」


紫苑も意外そうな声をあげた。






火女である野薔薇と中部の官吏である木蓮には、普通に考えれば接点はないはずだからだ。


「ちょっと別件でお近付きになりまして。紫苑姫のもうひとりの幼なじみでいらっしゃる楓殿ともお会いしましたよ」


「楓兄とも?!木蓮殿、いったいなにを・・・?」


「まだお話できる段階ではありません。ですが、後宮内の動きにもよくご注意ください」


木蓮が真剣な目で紫苑を見つめてくる。野薔薇もとなりで深く頷いている。






朝廷内だけでなく、後宮の中でも不穏な動きがあるというのか。


「・・・朝廷も後宮も、問題ばかりね」


「朝廷にもなにかあったのですか?」


木蓮が即座に反応を返してくる。紫苑は黙って頷くと、桔梗からもらった文をそのまま木蓮に渡した。






「これは・・・?」


「双大后さまからのお文です。どうぞお読みください」


紫苑にそう言われて、木蓮は眉間に皺を寄せながらもその文を読み始めた。


みるみると、彼の目が見開かれ、同時に青ざめていく様子を紫苑は黙って見守っていた。


読み終えた木蓮は、震える手で文を紫苑に返すと、ため息を吐くように彼女に言った。








「・・・悪い夢を見ているようです。まさか、連翹さんが刑部に捕まってしまうなんて・・・」


それも前民部長官の殺害を疑われて。


「連翹の主である風蘭公子が、前民部長官の死を調べるために冬星州へ行ったのに、なぜ今になってこんなことに・・・!!」






そうして脳裏によぎるのは、ひとりの顔。








「まさか、これも蠍隼執政官が・・・?」


「私は、そうではないかと思っています。刑部長官は双一族の方。双大后さまに何の知らせもなく突然こんな事態などなるはずがないですから」


紫苑がそれに答えれば、木蓮は手を額にあてて呻く。






「・・・実は先日、蠍隼一族の当主にお会いしました」


「まぁ、どんな方でした?」


「・・・執政官に怯えている、僕たちと歳の変わらないお若い当主でした」




あとから中部長官である鉄線に何気なく尋ねてみたら、木蓮や紫苑よりもひとつ年下であることがわかった。


ふと、木蓮は気付く。


こうして朝廷の混乱の渦に巻き込まれている木蓮も、王妃として後宮を守らなければならない紫苑も、そして、国を想うあまりに執政官に狙われている風蘭も、同い年なのだと。






何の運命か、同じ年ごろの若者たちが引き寄せられるように集まっていく。








「お若い当主では、執政官を諫めることも難しいでしょうね・・・」


「・・・ええ」


蘇芳に意見し、国を想って行動を起こす風蘭を応援し、支えようとする木蓮を羨ましいと言った藍。


蘇芳の独裁の過ちを彼もわかってはいる。


けれど、諫めることはできないだろう。


あの怯えた目で蘇芳を見返していた様子を思い出しても、それは不可能だと感じられた。






けれど、そんな藍を責めることなど誰もできない。


誰もがみな、自らの保身のために蘇芳になにも言うことができないでいるのだから。








「・・・連翹という方、本当に民部のことには関わりはないのでしょうか・・・」


紫苑は、連翹をちらっとしか見たことがない。しかし、彼女はなにか翳りのある表情を浮かべていた連翹のことを忘れられないでいた。


「そんなことをするような方ではありません。・・・ただ・・・」


木蓮は、連翹とは何度も言葉を交わしている。






連翹の誠実さ、主君への忠誠心はよくわかっているつもりだ。


ただ、だからこそ、懸念することはある。








「もしも連翹さんがそんなことをするとしたら・・・」


「・・・え?」


「いえ、なんでもありません」


木蓮は首を振ってその考えを打ち消した。そして、顔を上げて紫苑をしっかりと見返した。






「連翹さんのこと教えていただき、ありがとうございました」


「・・・風蘭公子に関することは、あなたにお伝えすべきかと思いまして・・・」


憂い顔でそう告げる紫苑に、木蓮はしっかりと頷いた。


「風蘭公子のことは必ずお守りします。あの方の理想と共に」


「お願いします、木蓮殿」








風蘭が無事なのか今すぐ確かめたい。そんな思いをなんとかこらえて、紫苑はそれを木蓮に託した。


風蘭に最も近い彼なら、なんとかしてくれることを願って。






















連翹は、薄暗い牢獄のなかで、ただひたすらに風蘭のことを案じていた。


彼とこんなにも長く離れることはなかったから、なおさら不安に思う。




蘇芳が言った通り、連翹は連日問い詰められた。しかし、彼はなにを聞かれても何も答えなかった。


ただ黙し続ける連翹に業を煮やした刑部の官吏が手をあげることもあったが、想像以上にひどい目にあうことはなかった。


おそらく、双刑部長官がそれを制してくれているのだろう。






しかし、この冷たく暗い牢獄で、連翹は他に考えることはなかった。


ふと、彼は気配を感じた。






こちらに向かってくる衣擦れの音からして、その者は連翹が待っている人物ではないことは明らかだった。


けれど、ここを訪れるだろうと予想はしていた人物だ。


その者の用件も察しがついている。




できれば、その者は再会せずにすめば、とは思っていたが。必要以上に心配させたくはなかったから。










足音はどんどん近づいてくる。


そして、その人物は連翹の牢獄の前で足を止めた。


今にも泣きそうなその表情に苦笑しながら、連翹は口を開いた。










「いらっしゃるのではないかと思っておりました。こんな薄汚い牢獄によくいらっしゃいましたね、蓮姫さま」


連翹に名を呼ばれ、蓮はなおのこと顔を歪ませた。










「・・・あなたを助けに来たのよ、連翹・・・」











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