一章 始まりの宴 一話
1、水陽・後宮
第27代星華国国王 獅 芙蓉は、「棚ボタ」国王と呼ばれていた。
芙蓉は、第8公子という、王位継承にははるか彼方の継承順位でありながら、幾たびの偶然が重なって国王となったのだ。
芙蓉は幼い頃から身体が弱く、『その日』も祭事があったにも関らず、離宮で養生していたのだ。そして、『その日』、芙蓉は両親も兄弟も従兄弟もなくし、孤独となった。
第8公子である芙蓉に、誰も王政や帝王学などを教える者はいなかった。情勢がどうなろうと、民たちがどうなろうと、彼自身は関心がなかった。王位に就いても、彼はその姿勢は変わらなかった。
国は乱れ始め、王を支えるはずの執政官長、蠍隼 蘇芳の独裁政権となり始めていた。
「・・・・・・これは、おかしいだろ?」
ある一室で、ある資料を読んでいた青年は、誰もいないその室でぽつりとつぶやいた。
「これはおかしい・・・。どう見たっておかしい・・・」
「坊ちゃん、誰か、来ます」
彼より大人びたその警告の声が、扉の向こうから聞こえる。青年は懐にその資料を隠し持つと、さっと扉の外に出た。
「・・・連翹、その『坊ちゃん』っていうの、やめろって言ってるだろ?バカにしてんのか?」
「まさか。そんなことありませんよ」
ぷりぷりする青年の横で、その男は微笑む。廊下から見える整えられた庭へと視線を移し、青年は独り言のようにつぶやいた。
「・・・・・・この城の向こう側は、こんなにきれいなわけじゃない。苦しんでいる人たちだっているはずなんだ。その日を生きるのだって苦しい人たちが。そうだろう?」
同意を求められ、男は軽く肩をすくめた。
「ここも、それほど『きれい』ではないと思いますが」
「・・・まぁな。とにかく、いい資料も見つけたし、あとは父上のもとへ行って・・・」
「これはこれは」
その場から立ち去りかけた青年たちに、突然後方から声をかけられた。
「風蘭公子様ではありませんか。こんなところでどうなされました」
ぼてぼてという効果音が聞こえそうな巨体を揺らす歩き方で、青年に話しかけた男は近づいてきた。
「いえ、ただの散歩ですよ、霜射民部長官殿」
霜射と呼ばれた男は、風蘭のその答えに満足そうにうなずいた。
「そうですか、朝廷に興味をもたれるのもよろしいでしょう。風蘭公子様も今年で16歳におなりになられたのですから」
「世の貴族たちは16歳になれば出仕してくるのでしたね」
気のない様子で風蘭はそう返すと、ところで、と前置きをして目の前の男に質問を投げかけた。
「最近、霜射長官は、珍しい絵画を次々と収集されているとうかがいましたが?」
霜射民部長官は、一瞬だけ表情を厳しくしたが、すぐにまたへつらうような笑顔に戻って答えた。
「えぇ、そうなんですよ。どこからそんなお話が?」
「いえ、風のうわさで。わたしも絵画には興味がございます。いつか拝見させてください」
「風蘭公子様ならいつでも歓迎いたしますよ。では、わたくしめは公務がございますのでこれにて」
先ほどの態度とはうってかわって、霜射民部長官は、そそくさとその場を立ち去った。絵画の話を指摘されただけであの態度。
「・・・・・・もう、どうしようもなく、あやしいですね」
「証拠物件もあがってる。奴はもう用済みだ。行くぞ、連翹」
「御意」
民部長官が去っていった方向とは逆の方向へ歩き始めた風蘭を連翹はゆったりとした足取りで追いかけた。
「父上は後宮か?」
「えぇ、おそらく」
ため息をついた風蘭に、連翹も苦笑して付け加える。
「桔梗様へはご報告されないのですか?」
「まずは父上と話すことが先だろう」
このご時世に後宮に引きこもりっぱなしの国王。
誰もが「棚ボタ」国王なのだから仕方がない、と諦めている。
27代国王が即位してもう26年になる。執政官が独裁政権をふるうようになって26年。
「朝廷は腐り始めてる。なんとかして立て直さなくては」
それは、風蘭の母、桔梗の口癖でもあった。芙蓉からの寵愛を受けることよりも、芙蓉が政に少しでも興味を持ってくれることを強く望む母。その母の姿勢は、息子の風蘭にそのまま受け継がれた。
そして、ふたりは常に憂いていた。
民の心が国王から離れれば離れるほど、国は滅びへの道へと進んでいく。
桔梗も風蘭も、この星華国を滅ぼしたくはなかった。
朝廷を、国を立て直すにはどうするべきなのか。
一番最良の道は、国王である芙蓉がその自覚を持つことだった。風蘭は、後宮でたらたらと毎日過ごす父の姿を、いつしかイライラしながら見ている自分に気付いていた。
「父上、少し、よろしいですか」
後宮の一室で、第1公子 芍薬、第2公子 木犀と共に、風蘭の父であり、星華国の現王である獅 芙蓉は、呑気に囲碁を打っていた。
「・・・・・・おぉ、風蘭か」
たいして驚きもせず、むしろ鬱陶しそうに王は言った。
「父上、民部のことでお話が・・・・・・」
「見てわからぬか、風蘭」
ぴしゃりと風蘭の言葉を、現王は遮った。
「今、余は碁をしておる。お前の話を聞いている場合ではない」
ちなみに、その囲碁の相手は第1公子 芍薬だ。病弱な芙蓉に似たのか、内向的な性格の兄だった。
「父上のお邪魔をするのなら、出て行け、風蘭」
そう言ったのは第2公子 木犀。父に一番に気に入られようと、常に芙蓉の傍に控え、常に芙蓉の意見に肩をもった。
「民部でおかしな資金の動きがあります。民部長官をただちに調べるべきです」
「民部長官?・・・あぁ、今は霜射家のデブ公だったか」
「・・・・・・えぇ、まぁ」
時々、父のこの言葉はどこから仕入れてくるのだろう、というものがいくつかある。『デブ公』とはまた、国王としてあまりにも立派過ぎる言葉遣いだ。
「おかしな動きとて、そこまで重視することでもなかろう。執政官からはそんな話はあがってきていない」
「民部で取り扱う資金はすべて国庫、税金です。民たちから徴収した税金ですよ?このままでいいわけが・・・」
「風蘭」
息巻く彼の言葉を遮ったのは、今度はおとなしく囲碁を打っていた芍薬だった。
「風蘭、朝廷の動きに興味を持つことは悪くは無いが、それを決めるのは父上だ。現王である父上がよしとされたことをいつまでも騒ぐでないよ」
第二公子 木犀とは違い、やんわりとした話し方だったが、木犀同様、拒絶の意がありありと練り込められた視線で、風蘭を見ていた。
「・・・・・・このままで、よいと、お考えなのですね」
悔しさに、声が震えそうだった。だが、この3人の前で、そんな無様な様子は見せたくなかった。
だから、それを隠すために、一語一語を搾り出す。
「あぁ、そうだ」
芙蓉は、短く答えた。風蘭を見もしないで。
風蘭は、目を閉じて息を整えると、再び口を開いた。
「父上は、今までどなたかに『花』をおくられましたか?」
突然話の方向が変わった風蘭の問いかけに、再び芙蓉は顔を上げて息子を見つめた。
「父上と同じ名の花、フヨウの花をどなたかにおくったことはございますか?」
この朝廷の中に、父の信頼を受けた者はいるのだろうか。
父の心の拠り所となる、助けとなる存在が。
「・・・・・・ひとりだけ、いる」
意外な返事に、風蘭はすぐに反応を返せなかった。
『花』をおくった者がいるのか、と芙蓉に聞きながらも、風蘭はいないだろう、と決めつけていた。朝廷に、誰も信頼できる者がいないから、こうして毎日毎日後宮に入り浸っているのだろう、と。
「それは・・・どなたですか・・・?」
芍薬と木犀も、芙蓉の返事を聞き逃すまいと動きを止め、父を見つめる。
3人の息子に見つめられた芙蓉は、戸惑ったように視線を泳がせた後、囲碁盤に視線を落として小さな声で言った。
「知る必要は、ない」
芙蓉の人生の中で、たったひとりだけ、『花』を授けた者。
『朝廷すべての者があなたの敵となろうとも、決して見捨てはいたしません』
真摯な瞳でそう言い切った者。
その言葉があるから、芙蓉は今、こうしてまだ逃げ出さずに『国王』としてここにいる。
「おまえたちは、知らなくていい」
もう一度、芙蓉はそう拒絶すると、ぱちん、と石を置いた。それが、風蘭に対する「出て行け」という合図にもなった。
「・・・・・・失礼いたしました」
軽く礼をして、風蘭はその室から出た。室の外には連翹が待っていた。
「いかがでしたか?」
言わなくても答えはわかっているくせに、連翹は風蘭にそう尋ねた。そんな意地の悪い連翹を風蘭はじろりとにらみつけた。
「放っておけとのことだった。執政官から報告があがってないから」
むすっと言ったのち、ふつふつとこみ上げる怒りを爆発させるかのように風蘭はまくしたてる。
「執政官が報告?!あいつがそんな報告するわけがない!!税金を巻き上げるだけ巻き上げて、それは自分たちの私利私欲にしか使っていない!!あいつがいつまでも執政官の官位にいることが間違えなんだ!!」
「坊ちゃん、声を落としてください」
「坊ちゃんって呼ぶな」
八つ当たりで風蘭は連翹に怒鳴る。連翹も慣れたもので、軽く肩をすくめただけで何も言わない。
「母上のもとへ行く」
足音にすら発散しきれないイライラをあらわして、風蘭は目的の場所へと向かって行った。連翹は黙ってそのあとをついていった。
風蘭は母である桔梗の室に辿り着くと、開口一番で文句が出た。
先ほどの芙蓉との会話を思い出し、ぷりぷり怒りながらそれを報告した。その間、桔梗はじっと風蘭の言葉に耳を傾けていた。
「財政を司る民部での不正が発覚したかもしれないんですよ?!なのに、構うな、なんておかしくはありませんか?」
そう言いながら、風蘭は先ほど民部の執務室で失敬した『資料』を桔梗に手渡した。彼女は、手元の刺繍道具をすべて片付けると、それを受け取ってじっと読み込んだ。
「・・・・・・たしかに、おかしい数字ばかりですね」
「加えて、支出と収入がつりあっていない。どんな管理をしているんだか」
「この項目。やけに多いですね」
『資料』のある一部分を指差しながら、桔梗はつぶやいた。風蘭もそれを聞いてうなずく。
「そうなんです。真偽を確かめ、もし真であれば正し改めるべきであるし、もし偽であれば・・・」
言葉を切った彼の思いを、桔梗はもちろん汲み取った。
「だから、父上にはもっと踏み込んでいただきたいのに・・・。俺の立場じゃどうすることもできない・・・。くそ、もっと朝廷を自由に行き来できれば調べることもできるのに・・・・・・」
ふと、先ほどの霜射民部長官との会話を思い出す。
もしかしたら。
「母上、もしかして、こんなこと、可能ですか」
風蘭の思いつきに、桔梗だけでなく、傍でじっと控えていた連翹も驚いた。
「本気で言っているのですか、風蘭?」
「えぇ。幸いと、俺は第3公子ということもありますしね」
「ですが、覚悟が必要ですよ。あなたが知る、知らないに限らず、わたくしの息子であることで、大分反感もありますから」
母の言葉に、風蘭はぐっと顔を上げて笑った。
「もとより、承知しております」
桔梗は、息子のその顔つきを見て、ふっと微笑んだ。
「では、お好きにおやりなさいな。わたくしも陛下にお頼みしておきましょう。わたくしも男であったならば、やってみたいと思ったかもしれませんしね」
桔梗の最後の一言には、思わず風蘭も苦笑をもらした。
「たしかに、母上ならば冗談ではすまないでしょうね。・・・・・・では、その件はよろしくお願いいたします」
一礼してその場を立ち去ろうとした風蘭を、桔梗はあわてて呼び止めた。
「風蘭。自分の室へ帰るのであれば、その前に蓮姫のところへ寄って、これを届けてくださらないかしら?」
脇へ追いやった刺繍道具の中から、桔梗は一枚の絹の布を取り出し風蘭に渡した。
「これは?」
「蓮姫がご自分で刺繍されたものですよ。最後の点検を、と言われてわたくしが見ていたのですが、とても綺麗に仕上がっていらっしゃいますと、蓮姫に」
風蘭は布をぱっと開いて眺めてみた。なるほど、確かに布の左下に美しい桃色のハスの花が刺繍されている。
と、いうことは。
「蓮姫は、このハスの『花』を渡す相手が見つかったのですね」
「そうですね。・・・・・・あなたはどうするつもりなのかしら、風蘭?」
桔梗の言葉に、はっと連翹が顔を上げる。
彼女はその様子で、まだ風蘭が『花』を彼に渡していないことに気付いた。
「『花』は、なにもひとりにしか渡せないわけではないのですよ?信頼できると思う者には、何人でも、遠く離れてしまう前に渡しておくべきですよ?」
「わかっていますよ、母上。ですが、何人に『花』を渡すことになろうとも、まだ『時』ではないと思うのです。決めるべきときがきたら、必ず渡す日は来ますから、ご心配なさらずに」
『花』の話をしていて、ふと、風蘭は先ほどの父の言葉を思い出した。
「そういえば、母上はご存知でしたか?父上は、ひとりだけ『花』を渡したことがあるそうですよ。朝廷の誰か、ご存知ですか?」
風蘭のその言葉に、桔梗は眉を寄せた。
「陛下は、ひとりにしか『花』を渡していないのですか?臣下を束ねる王でありながら、なんてこと・・・・・・」
信頼できる臣下がいないのだと公示しているようなものではないか。
それとは反対に、桔梗は特にそばに置いておきたいと、自分の心内を素直に話せると信頼した者には、侍女であろうとも家柄には関係なく『花』を渡している。
『花』は互いの信頼関係の証だからだ。
「・・・・・・まぁ、父上のお考えも、母上のお考えもわかりますけどね。・・・とりあえず、これを蓮姫に届けてまいります」
礼をし、風蘭は連翹を連れて桔梗の室を出た。
刺繍の施された布をまじまじと見つめながら、妹姫である、蓮姫の室へと向かう。
「『花』・・・・・・か」
ぽつり、と風蘭はこぼす。
「坊ちゃん、少し、お傍を離れてもよろしいでしょうか?」
後ろを歩いていた連翹の神妙な顔に、風蘭は不思議そうに首をかしげた。
「なんだ、一緒に蓮姫のところに行かないのか?」
「えぇ・・・・・・。もし、坊ちゃんが先ほどの件を実行されるのであれば、わたしも準備をしなければいけないので」
「別に、おまえまで巻き込もうなんて・・・」
「いいえ。わたしが好きにやるだけですから」
にっこりと、けれど少し意地悪そうに笑って、連翹は礼と共に風蘭に背を向けて歩き出した。遠く離れていく連翹の背中を見ながら、母の言葉を思い出す。
『花』は、相手が遠く離れてしまう前に渡しておくべき・・・・・・。
でも、それでも自分は・・・。
妹姫の作品であるハスの刺繍をもう一度眺め、小さなため息を風蘭はこぼした。
後宮には、現王芙蓉の妃が13人控えていた。正妃桔梗を始めとし、12人の妾妃にも、それぞれ子供がひとりずつ、いた。判を押したように、それぞれにひとりずつだ。
ゆえに、王族といわれる獅家の子供は13人。うち、公子である男子は、13人も子供がありながら、芍薬、木犀、風蘭の3人だけだった。
芍薬、木犀の兄公子との仲はいいものではなかった風蘭だったが、面倒見のいい桔梗の影響もあり、姉姫や妹姫との仲はとてもよかった。
特に、常に共に連れ歩いている連翹と会話をすることを楽しみにしている姫もいて、風蘭はよく前触れもなしに姫たちの室を訪れた。
蓮姫は風蘭と歳もそう変わらない妹姫であり、桔梗によくなついていた姫君だった。
「蓮姫、入るぞ」
「あら、風蘭お兄様」
室に入ってきた風蘭を見ると、蓮姫はうれしそうな声をあげたが、すぐにその表情が曇った。
「なんだ、連翹は一緒じゃないの?」
「俺ひとりで悪かったな。母上からの預かりものだ」
「双貴妃さまから?!で、なんておっしゃってた?!」
蓮姫は風蘭から絹の布を受け取ると、緊張した面持ちで兄に尋ねた。風蘭も同じように厳しい顔で目を伏せると、蓮姫にそっと耳打ちした。
「最悪の出来だって」
「え、そんな・・・」
心底絶望した様子の蓮姫を見て、風蘭は思わず大きな声で笑い声をあげた。すぐに彼女は風蘭にからかわれただけだと気付き、顔を真っ赤にして頬を膨らませた。
「ひどいわ、風蘭お兄様!!わたし、一生懸命縫ったのに!!」
「悪かった、悪かった、蓮姫。俺から見ても、綺麗な刺繍だと思うよ。・・・・・・渡すべき相手を見つけたのか?」
風蘭の質問に蓮姫はそっとハスの刺繍をなでるだけで答えず、いたずらっこのような笑いを彼に返しただけだった。
「意地悪なお兄様には教えないわ」
「へそをまげるなよ。いいことを教えてやるから」
侍女たちを退出させて、風蘭はにやりと笑った。その兄の顔だけで、蓮姫もなにかおもしろいことがおこりそうなことを察知した。
「なにか、するのね、風蘭お兄様」
そして、風蘭が言ったこれからの『計画』に、蓮姫の目が輝いた。
これは、おもしろくなるかもしれない。
朝廷が動き始めるかもしれない。
そして、すべては、この一歩から始まった。
いよいよ一章始動です。コンスタントに更新できればと思います。
紫月飛闇(http://sizukistory.web.fc2.com/)