四章 絡み合う出会い 二話
2、怪誕不経
後宮女官として勤める野薔薇の、今の仕事は双大后の火女。
火女とは、後宮に住まう王族や働く女官たちの食事の世話を仕事とする。だからもちろん、台所がその職場となることも多い。
野薔薇は桔梗付きの火女なので、桔梗の食事の世話だけすればいいが、誰かに所属することなく火女として働く女官たちは、ひたすら食事をつくることに追われる者たちも少なくない。
「・・・あれ?」
その中で、明らかに目立つ人物がそこにいることに、野薔薇はすぐに気が付いた。なにせ、女官だけが集う台所。そこに男が混じっているとなれば、どうやっても目立つ。
「ねぇ、あの方はどなた?」
そばで作業をしていた火女に、野薔薇はそっと尋ねてみた。尋ねられた彼女も少し困惑した様子で、それに答えた。
「さぁ?よくはわからないけれど、典薬所の方だとは聞いたわ」
「典薬所の方?!なんでそんな方が・・・・・・?」
「毒があるか研究でもされているんじゃない?」
たいして気にもしていない様子で、その火女は答え、そのまま自分の作業に戻ってしまう。野薔薇もあまりそこでもたもたするわけにもいかず、桔梗の食事を手に抱えると、主の元へと戻ることになった。
「どうしたの、野薔薇?なにか考え事かしら?」
桔梗の食事が終わるまでそばで控えていた野薔薇は、突然桔梗にそう尋ねられて驚いた。
「あ・・・いえ・・・・・・」
「なにか、気にかかることでもあるのかしら?」
ある。気にかかることは。
だが、先ほどの件を桔梗に話すには、まだ早計な気がした。あの違和感は、自分のただの直感でしかない。もう少し情報があれば、また違うのだが。
「いえ、たいしたことではありません」
「そう」
桔梗もそれ以上は追求しようとはしない。
そして、食事を終えた桔梗の皿を提げようと桔梗のそばに寄ると、くすりといたずらっ子のように彼女は笑ってこっそりと言った。
「先日お会いした紫苑姫、実におかわいらしい方でしたよ」
「・・・そ、そうですか・・・」
つい先日。まだ芍薬王が王になる前のこと。
紫苑は桔梗に呼び出されて、この室に来た。そのとき、野薔薇もその場にいたのだ。だが、後宮の主である双大后に呼ばれた紫苑は、それだけで緊張していたのか、周りが見えていない様子だった。
だから、桔梗と共に同席していた野薔薇が思わず声をあげそうになったのにも、気付かなかったようだ。
その後、ふたりがなにを話したのかは知らない。
ただ、桔梗の側女である花霞が人払いをするために野薔薇たちを退室させようとしたとき、野薔薇は思わず、顔を伏せて挨拶したままの紫苑のすぐそばで立ち止まってしまった。
気付いて、顔を上げてほしいと、かすかな期待もこめて。
だが、それよりも早く、花霞が野薔薇を急き立て、それもかなわなかった。果たして、緊張していた紫苑が、彼女のそばで足を止めた女官がいたことすら気付いたのか怪しい。
「紫苑姫の婚儀は近々行われるようですよ」
「やはり、紫苑姫が王妃となられるのですね」
「そうですね・・・・・・そうするしか、ないでしょうね」
桔梗の含んだ言い方に、野薔薇は首をかしげる。野薔薇は女官になってから、妃候補の動きがよくわからない。そうするしかない、という桔梗の言葉もよくわからなかった。
妃候補は、他にもいたと聞いているのだが・・・。
「よかったですね、紫苑姫が王妃となられて」
くすっと笑った桔梗の言葉に、野薔薇は顔を紅くする。
そう、以前に彼女はこの高貴な方の前で言い切ったのだ。
紫苑が王妃とならなければ、退官する、と。
「―――――・・・はい」
純粋に、うれしいとは思う。
これで、野薔薇たちの夢はまた一歩近づいたのだ。
幼い頃の夢。
いつか、紫苑と、野薔薇、楓と、後宮で再会しようという誓い。
「・・・・・・あ」
「どうしました?」
「い、いえ」
ふと、思い浮かんだことに、思わず野薔薇の口から声が漏れた。それを桔梗は問いただすが、彼女はごまかすことにした。
そう。
今、後宮にいるのは野薔薇と紫苑だけではない。楓もいる。
典薬所に所属している、彼が。
だが、どうすれば彼と出会えるのだろうか。
以前楓と再会したのは、ほんの偶然だった。本来、朝廷で働く官吏と自分たち女官が出会う場などなかなかない。
中部は特別とはいえ、女官と直接やりとりする官吏は、中部でも采女所だけだ。
采女所の人間に、楓と会いたいと言ったところで聞き入れてもらえる可能性など皆無に近いが・・・・・・。
だが、楓に会うことができれば、あの台所に存在する不思議な官吏について聞くことができるのだ。
翌日も。その翌日も。
その男は女官が忙しく働くその場にいた。
誰かの食事の皿に、なにかを指示しているのを、野薔薇はちらりと見かけたが、その日はそれ以上は詮索できなかった。
そもそも、あの男が、あの典薬所の官吏が、なぜあそこにいるのかがわからなかった。
毒があるかどうかを検分するなら、それを仕事としている女官がもちろんいる。彼女たちだってそれなりの知識をもって仕事をしている。今更典薬所の官吏が出てくるのはおかしい。
思えば、あの官吏が台所にいるのを見かけるようになったのは、最近だ。
野薔薇が火女として台所を出入りするようになったのも最近だが、それでも野薔薇の記憶には始めからあの男はいない。
「楓兄に会えればいいのに・・・・・・」
あの男は誰なのか、なにをしているのか、わかればいいのに。
その夜、いつもの通りに桔梗の食事を下げて、廊下を歩いていると、聞きなれた声が廊下の角から聞こえてきた。
「それでは、本日の伝達事項は以上ですね」
「はい。姫様に必ずお伝えくださいね」
「かしこまりました」
あの幼い声は。
野薔薇は、早足でその角を曲がり、目的の人物を見つけた。
「夕霧!!」
「え・・・・・・あ、野薔薇さん!!」
そこには、野薔薇の同期である夕霧がいた。出仕したてのころ、同じ水女として共に仕事をしたが、それきり野薔薇は桔梗のもとへ、夕霧は蓮姫のところへ仕えてしまったため、なかなか会うことができなかった。
懐かしさのあまり、勢いよく夕霧に近づいてみて、初めて夕霧のそばに、官吏が立っているのが視界に入った。
「・・・あ、無礼をいたしました」
あわてて、野薔薇は礼をとる。夕霧と会話をしていたということは、おそらくこの男は采女所の官吏。
「いえいえ、顔を上げてください。・・・・・・あなたが野薔薇さんなんですね」
柔らかな優しい声をしたその官吏は、にこにこと野薔薇を見つめた。
「え・・・・・・と?」
「こちらの夕霧さん、そして紫苑姫からお噂は聞いているのですよ、野薔薇さん」
突然この官吏の口から紫苑の名が出て、野薔薇は肩を揺らした。困ったように夕霧を見れば、にこっと愛らしく彼女は笑いかけてきた。
「私、紫苑姫の徒女をお勤めさせていただいているんです」
「徒女に?!大出世じゃない、夕霧!!」
驚きとともに、どうしても妬みの気持ちが入り混じってしまうことは隠せない。けれど、この幼くて素直な少女が、紫苑のそばにいてくれることは、同時にほっとできるものもあった。
「あぁ、それで、こちらの官吏の方とお話をしていたのね?」
「そうなんです。婚儀の式も近いので、色々と伝達事項があったので・・・・・・」
「えっと・・・・・・」
野薔薇が、ちらりとその官吏を見上げると、彼は人のいい笑顔を向けて野薔薇に言った。
「紹介が遅れました。中部采女所に勤めております、羊桜 木蓮と申します」
「やはり采女所にお勤めでしたか。双大后さま付きの火女を務めております、野薔薇と申します」
今度は、野薔薇も余裕をもって礼をとる。
そして、礼をとりながら、野薔薇はすばやく頭の中で色々と考えをめぐらせていた。
夕霧と、そして紫苑をよく知る官吏。
采女所、つまりは中部に所属するということは、同じ中部の典薬所のことも聞けるかもしれない。
「・・・・・・木蓮さま、お聞きしたいことがあるのですが」
顔を上げて、野薔薇は言葉を選びながらゆっくりと告げる。
「なんでしょう?」
真剣な面持ちの野薔薇を見て、木蓮も顔を引き締める。なにかあると、彼も感じたようだ。勘のいい青年だ。
「私たち火女が職場とします台所に、最近ひとりの官吏の方がいらっしゃるのです。他の者に聞けば、典薬所の方とうかがいました。・・・・・・なにか怪しいことをされているというわけではないのですが、ですが・・・少し、違和感を感じまして・・・」
なにも、怪しい動きは確かにない。
仕事であそこにいるのだといわれればそうなのかもしれない。だから、他の火女たちも気にかけていないのだ。いちいち官吏のひとりふたりが台所にいたところで、騒いでいても仕方がない。
けれど、どうしても野薔薇は気になった。
なにか、違和感があるのだ。
それは、その官吏自身に違和感があるのかもしれなかった。
「違和感、ですか?」
「はい。・・・・・・もしも、その方が木蓮さまのようにお若い方でいらっしゃれば、そう違和感も感じないのかもしれないのですが、その方は・・・・・・」
「若くはなかった、と?」
「はい」
木蓮のように若い官吏であれば、典薬所の雑用も兼ねて台所にいたのかもしれない、と思えただろう。
だが、その官吏は、中年というよりもさらに歳のいった官吏だったのだ。あきらかに権力のあるその井出たちで、下っ端女官の職場である台所をうろうろするその姿は、野薔薇にとっては違和感でしかなかった。
告げた彼女の真意を受け止めてくれたのか、木蓮の表情はみるみると曇っていく。
「・・・それを、他の誰かに話されましたか?」
「いえ、これはあくまで私個人の勘でしたので。・・・・・・ただ」
「ただ?」
「典薬所に、私の幼馴染がおります。薬園師なのですが、彼と話ができればと思いまして・・・・・・」
「なるほど。たしかに、直接事情は聞けそうですね。その方のお名前は?」
「・・・え?」
思わぬ展開に、話を振った野薔薇がきょとん、となる。だが、対する木蓮は真剣そのものだ。
「その方のお名前がわかれば、直接その方に野薔薇さんがお会いできるように計らいましょう。・・・できれば僕も同席したいのですが・・・」
「え、えぇ、それは・・・・・・かまいませんが・・・」
たしかに期待はしていたが、あまりにも期待以上の木蓮の反応に、野薔薇は拍子抜けしてしまう。もっと小馬鹿にされてあしらわれてしまうかと思っていたのに。
そばで野薔薇と木蓮の会話を聞いているだけの夕霧に、木蓮はにこりと笑いかけた。
「夕霧さん、今の話は内密に。野薔薇さんにお会いしたことだけ、紫苑姫にお伝えください」
「は、はい」
「では、明日またお会いしましょう」
「あ、はい、失礼いたします」
木蓮に促されるようにして、夕霧はその場を離れざるを得なくなる。その後姿を見送りながら、木蓮はため息をともに野薔薇を見た。
「夕霧さんまで巻き込みたくはないですからね」
「木蓮さまは・・・・・・疑わないのですか、私のことを・・・」
「なにも事情を知らなければ、疑っていたかもしれません。ただの薬園生がまぎれているだけではないのか、と。・・・ですが、今、朝廷は乱れていますから・・・・・・」
言葉を切った木蓮の表情が曇っていく。なにかを思い出すように、堪えるように、唇をきつく噛み締めている。
「野薔薇さん、その薬園師のお名前をうかがえますか?・・・時間はもう遅いですが、早く会えたほうがいいでしょう?」
「え、今夜ですか?!今から?!」
「もちろんです。この問題をいつまでも長引かせてはいけません」
きっぱりと言い切る木蓮に、むしろ野薔薇のほうがうろたえる。
「で、ですが、これはただの私の勘で・・・・・・私の勘違いかもしれないので・・・」
「ただの野薔薇さんの早とちりであったのなら、それはそれでいいではないですか。僕は早くこの問題を解決したいです。野薔薇さんは違いますか?」
鬼気迫る木蓮の気迫に、思わず野薔薇は後ろに退いてしまう。だが、これは想像以上の機会だ。
「いいえ、私も早く解決したいです」
もっと情報を得てから、他の官吏に知らせたかったが、この木蓮という官吏ならば信頼してもいいだろう。
なんとなく、野薔薇はそう思った。
木蓮に待っているように言われた室で、野薔薇はおとなしく待っていた。
夜も更けてきている。
誰もいない、夜の室でひとりきりにさせられているせいか、野薔薇の中で、不安が大きくなる。
もしも、これがただの勘違いだったら、大騒ぎした自分が恥ずかしくなる。いや、それよりも疑いをかけてしまったあの官吏に申し訳がない。
それ以上に、木蓮に迷惑をかけてしまうことになる。彼の出世を妨げるようなことになってしまったらどうすれば・・・。
桔梗に無断でこんなに長く室に戻らないことにも、野薔薇は次第に落ち着かなくなってくる。
やっぱり、もっと情報を集めてからあの木蓮に再度お願いをしよう、と野薔薇が木蓮を探しに室を出ようとしたそのとき、ちょうど木蓮が帰ってきたところだった。
「あ、お待たせして申し訳ありません」
慌てて木蓮が野薔薇のもとにかけよる。その後ろには、見知った顔がいた。
「楓兄・・・・・・!!」
「木蓮殿に話は聞いた。詳しく聞かせてくれるか?」
いつもは飄々としている楓の表情に、凛としたものが宿る。おそらく、これが官吏としての楓の顔。
野薔薇は小さくうなずき、室に落ち着く。木蓮がその扉を閉めたことにより、野薔薇はここ最近感じた違和感について、楓に話した。
「・・・それは、たしかにおかしいな。俺たち典薬所の人間が台所で仕事をするようなことは聞いていない」
「采女所としてもそれは聞いていないんです。・・・楓さん、その方に覚えはありませんか?」
「そうですね・・・・・・典薬所で、薬園生や薬園師で歳のいった方はたしかに少ないので、特定できるかもしれませんが・・・・・・」
楓と木蓮が眉間に皺を寄せながら考え込む。そして、楓が野薔薇に問いかけた。
「なにか、その官吏について他に思い出せることはないか?」
「えっと・・・・・・」
野薔薇は、彼女の意見を真剣に聞いて、真剣に考えてくれているふたりのために、必死に記憶を呼び戻した。
こんなにも信頼されることがうれしく、安心するとは思いもしなかった。
張り詰めていたものが、一気に流されていくような心地がする。
同時に、記憶もゆるゆると流れ出てくる。
「眼鏡をかけている方だったわ。髪はひとつに束ねて、長さは肩よりも少し長いくらい。細身の方で、年齢は・・・50くらいじゃないかしら・・・。あぁ、そうだわ。左の手首のそばに、大きな刀傷があったわ」
一度、その官吏のそばを通ったときに、ちらりと見えた傷。
それがあまりにも衝撃的で記憶に残っていたのだ。
「・・・え?!それは本当か?!」
身を乗り出し、けれど顔色を変えて問いただしてきたのは、楓。
「間違えなく、左腕に傷のある、50くらいの眼鏡をかけた官吏だったのか?!」
「え、うん・・・・・・」
「・・・その人、緑の襷をしていなかったか?」
楓に聞かれ、野薔薇は必死に思い出そうとする。
たしかに、いつもその官吏は袖を襷でしばりあげていた。・・・そう、その襷の色は、たしかに普通とは変わった色だった。
「・・・えぇ、緑だったわ。濃い緑・・・」
「・・・・・・なんてことだ・・・・・・」
力なく、楓がその場で崩れる。
どうしたのかと、木蓮も野薔薇も彼を覗き込む。
楓の顔色は色を失い、蒼白だった。
「どうしたの、楓兄・・・・・・?」
「・・・・・・その官吏が、たしかに薬園生や薬園師だったら、俺の知らない仕事で台所にいるのかな、と思った。・・・だけど、『あの方』がそんなところにいるんじゃ・・・・・・話は違う・・・」
「・・・『あの方』・・・?」
問い返す野薔薇に目をやり、そして、楓と同じ、中部の官吏である木蓮にも視線をうつし、静かに、ふたりにしか聞こえないほど小さな声で、楓は言った。
「その官吏は、典薬所所長であり、王付き筆頭侍医である、長秤 南天さまだ」
先王芙蓉を看取った、長秤 南天。
彼が、野薔薇が台所で見た官吏だというのだ。
なぜ、そんな者がそこにいたのか。
3人は無言で顔を見合わせた。
久々の野薔薇のお仕事話でした。
もっと後宮の女官の話も色々書きたいものはあるんですけど・・・・・・でも、そんなところにスポット当てている場合じゃないですね(笑)