序章 幼き歯車 四話
4、それは、暖かき春の志をかざす木蓮
最後の主人公、羊桜 木蓮は、王都水陽がある夏星州に最も近い州、春星州で生まれた。
11貴族のうちのひとつ、桃魚家が春星州を治めており、木蓮が生まれた羊桜家は、11貴族といえど、その地位は11貴族の中では下のほうであった。
けれど、羊桜家のみならず、春星州に暮らす人々は、のびのびと日々を送っていた。
人々の表情は生き生きとし、町中がきらきらと輝いて見えた。その開放的な町の雰囲気は、気候が恵まれていることもあるが、春星州の人々全員が自らが暮らす州に絶対的な誇りを持っていることがなによりの要因だった。
春星州は夏星州に最も近いこともあり、王族への忠義はとても高かった。常に王都のごたごたを直面せざるをえない夏星州の人々よりもそれは高いかもしれなかった。
そしてそれは、春星州を治める桃魚家を筆頭に、羊桜家も例外ではなかった。
春星州州都、沙雛から少し離れた都、璃暖で木蓮は育った。
木蓮は、分家のない羊桜家の第3子として生まれ、長兄、次兄と共に、王族への絶対服従を教え込まれてきた。そして、長兄・次兄は、朝廷へ出仕することが決まっていることを常に伝えられていた。
朝廷に出仕するためのまず第一条件としては、11貴族に縁のある者、ということがあげられていた。したがって、朝廷で仕える人々はみな、11貴族の姓を持つものたちだけだった。官位はすべて金で買うものとされ、持つ権力はすなわち持つ財力としてみなされた。
羊桜家も、裕福とはいえないが、それなりの生活を送ることができるのは、やはり11貴族として朝廷に出仕していることが影響していた。一族を守り、後継し続ける義務と責任を自覚させるためにも、長兄や次兄が朝廷へ出仕するための心構えを常に父から教わっている姿を見るのを、ごく当たり前に木蓮は受け入れていた。
「ねぇ、父上。ぼくもいつか、水陽に行ってもいいかなぁ?」
ずっとずっと、思っていた願望を、5歳の木蓮は父に尋ねてみた。
「水陽に行ってどうするんだい、木蓮?」
人のいい、優しい声で、父はそっと木蓮に尋ねた。
「ぼくも、兄上たちみたいに王様のそばでお仕事、したい」
目をきらきらさせながら、そう告げる三男の髪を羊桜家現当主は愛しそうになでつけた。
「木蓮まで王様に仕えたいのかい?兄上たちのように?」
何の義務も持たない三男に対して、羊桜家の人々は構うことはなかった。11貴族として治めるよう、春星州を束ねる桃魚家から預かったのはこの璃暖。羊桜家のように小さな、けれど暖かな都。
『自由』というあいまいな言葉を、そのまま都の中に落として現したかのような、のびのびとした町。
長兄には、当主としてこの璃暖を治める義務があった。人々の言葉を聞き、采配し、平和を守る。春星州州主である桃魚家との取次ぎも行う。
次兄もまた、長兄の補佐として、そして万一長兄になにかあったときのため、長兄と同じ教育を受けていた。
ゆえに、長兄・次兄の朝廷出仕は暗黙の了解で決まっていた。朝廷で社会勉強をするために、顔を広げておくために。
だが、三男である木蓮の朝廷出仕は特に決まっていなかった。
する必要性がなかったからだ。
「そうか、木蓮も兄上たちと同じようにしたいんだね」
いずれは羊桜家を支えるようになる長兄・次兄の官位は、金を積み上げてでもそれなりの地位を獲得させるつもりでいた。
だが、三男はその必要は、ない。
「兄上たちのようにえらくはなれなくても、それでも、王様のそばへ行きたいかい?」
まだ5歳のこの子にどこまでわかるかはわからなかったが、当主は嘘は言いたくなかった。長兄たちよりは低い官位であっても、それでも、出仕したいのだろうか。
「いいの。ぼくも、王様のそばに行きたいから。行ければ、えらくなくてもいいの」
にっこりと無垢な笑顔で木蓮は言った。父の真意を完全に理解したわけではないが、だが、兄たちの『真似』ではなく、彼自身が望んでいるのだと証明するための一言にはなった。
父は、その言葉を聞いて、優しく微笑んで言った。
「わかったよ、木蓮。それならば、いつか木蓮にも王様のそばへ行かせてあげよう」
王様のいる、水陽へ。
たたたた、とかわいらしい足音を響かせて、木蓮は璃暖の緩やかな坂を上っていた。ぽかぽかした日差しを浴びた坂道を上れば、木蓮の目的の場所へたどり着く。
「梅おじさん。父上が許してくれたよ」
11貴族の屋敷ほどではないが、それなりに大きな屋敷の中に、門番の挨拶に返事もせずにそのまま走りこんでいくと、迷わずある一室に駆け込んで、木蓮はそう告げた。
「ほぅ、許してくれたか」
梅と呼ばれた中年の男は、読んでいた本から顔を上げて、息を切らせて室に入ってきた木蓮に目を向けた。
「よかったな、木蓮」
室いっぱいに並び立つ本棚の間を抜けて、窓際に座る梅の傍に木蓮は駆け寄った。
「うん、ぼくも王様のそばに行っていいって」
「そりゃそうだ。家でごろごろされるより貴族として出仕するほうが体裁が保てる」
皮肉めいた口調で、梅は少年にそう言った。だが、彼にはその意味が理解できずに、首を横にかしげる。
「なにはともあれ、こうして毎日続けることも意味ができたわけだ」
ぱたん、と彼は本を閉じた。その言葉を聞いて、木蓮はにっこりと笑みを返した。
「ふん、11貴族しか朝廷に関われないなんて、馬鹿にしやがって」
梅は、読んでいた本を本棚に戻し、また違う本を二冊本棚から持ってきて、木蓮の隣に座る。
「木蓮、50年生きた俺の経験すべてをお前に託すから、必ず、叶えろよ」
「わかってるよ、梅おじさん。ぼく、梅おじさんの夢を叶えるからね」
木蓮は、この中年の男のことをよく知っているわけではなかった。
現に、彼の名前は「梅」だということと、この屋敷のこと以外は知らない。
どんな職業かも、彼の姓も知らない。
ただ、この男が春星州誰もが持つ『誇り』を誰よりも高く持っていることは、木蓮はよく知っていた。
星華国を治める王族の役に立つため、支えるために、この身を捧げる。それが、春星州の人々が持つ誇り。この州を活気付かせる何よりの源。
梅もまた、その誇りを持つ男だった。王の傍で、王をお支えしたい。
だがしかし、『王の傍』に行くことを許されるのは、11貴族のみ。官位を買うだけの財力がある者のみ。
梅は、諦めるしかなかった。けれど、王政について学ぶことを諦めることはできなかった。いつか、いつか王のお役に立てる日を夢にみて。
そんな梅と木蓮が出会ったのは偶然だった。
本を読みながら歩いていた梅の頭に、木蓮の蹴った蹴鞠が見事的中するという、そんなどうしようもない出会いだった。
前方不注意だった梅は、自分のことは棚にあげて、蹴鞠をぶつけた木蓮に怒鳴り散らした。だが、当の木蓮はそんな怒号は右から左へ聞き流し、彼の持つ書物に興味を示した。
「おじさん、何を読んでいるの?」
木蓮はもちろん、読み書きは最低限の教養として習っていたが、梅が読むような難しい書物は読んだことは無かった。
まだ幼い木蓮は、目を輝かせて梅の持つ書物に興味を示した。
王政について学ぶその書物に。
梅はさっと木蓮の身なりを見て、すぐに上級貴族だと判断した。まさか、11貴族だとまでは思いもしなかったが。
「お前、名前はなんという」
「ぼくは、羊桜 木蓮」
この璃暖を治める羊桜家の三男だと知った梅は瞠目した。
そして、この運命の出会いに、彼の夢を託すことにしたのだ。
それから梅と木蓮は、こうして毎日のように梅の屋敷で会い、書物を広げた。羊桜家長男次男ほど教育を施されていない三男は、恐ろしいほどの早さで梅の講義を吸収した。梅は、この50年間学び続けた全てを木蓮に伝え続けた。
いつしか、梅の夢は、木蓮の夢となった。
「ぼく、いつか王様のそばでお仕えするね」
本を広げながら、うれしそうに木蓮は言う。
「それで、王様に言うから。11貴族じゃなくても、王様のそばでお仕えできるようにしてくださいって」
金で買うだけではない官位を。
梅は、この聡い少年の言葉を聞き、瞑目した。こんなにも自分の思いを汲んでくれる者はいなかった。みな、鼻で彼を笑ったものだ。
「あぁ、必ず叶えてみせろ」
それが、自分が死んだ後の世界であったとしても。
「王様に会えるのはいつかな?16さいになったら、水陽へ行けるんだよね?」
16歳になれば、朝廷へ出仕できる。
今5歳の木蓮が16歳になる頃には、梅の年齢は、もう・・・。
「あぁ、そうだ。16歳になれば、王のお傍へお仕えできる」
それをうらやましいと心の底から梅は思う。11貴族に縁ある者たちにしか許されていない特権。11貴族だけが朝廷を動かすことができること。
「変えてみせろ、絶対に」
梅の決然とした言葉に、木蓮も思わず真顔になってうなずく。
「うん。梅おじさんみたいに王さまの傍に行きたくても行けない人の夢を、ぼくは叶えられるように、がんばるよ」
「・・・生意気なことを言いやがって」
梅は照れ隠しに木蓮の頬を軽くつねると、いつもの授業を開始した。
ぽかぽかと眠くなるような暖かな日差しの元で、羊桜 木蓮の才能は、誰も知らないところで、少しずつ開花されていく。
とりあえず、序章にあたる4話分を一気に投稿しました。
じつはこの物語、一応主人公が4人ということで設定しているのです。
ぞっとするくらい登場人物がいるので、申し訳ございませんが、お付き合いいただけるとうれしいです。
紫月飛闇(http://sizukistory.web.fc2.com/)