三章 渦巻く暗躍 十二話
12、貧困の果てに
本当は、石榴が突然風蘭に対して告白したことは、椿にとって寝耳に水だった。
『闇星』や『黒花』という存在すら知らなかったというのに、後継者だと言われたことも驚きだった。俄かには信じがたい。
だが、風蘭の態度から察するに、『闇星』という存在、組織はたしかに国と関わりを持つ、力あるものだと感じられた。
「・・・でも、納得するところもあるか・・・」
「なにがだ?」
ぽつりとつぶやいた椿に風蘭が視線をよこす。
すでに風蘭が雅炭楼に来て、10日程経っていた。その間、風蘭たちが石榴に会ったのは初日の一度だけだ。
それ以降、この氷硝での日々はすべて椿が面倒をみていた。
椿としてみれば、正直なところ、遊女としての務めよりはこちらのほうが気が楽でよかった。
「なにが納得だったんだ?」
「石榴姐さんって、2、3年に一回くらい、『仕入れ』って言って、国中を旅しに行っちゃうんだよね。それで、帰ってくるときは、いつも誰か新しい人が来るんだ」
だが、思い返せば、石榴が国中を旅して『仕入れ』てきた女人は、誰一人妓女としてここで働いていない。
いつまでも雑用係だ。
もし、その女人たちが『闇星』の一員なのだとしたら。
「なるほどな。その者達が『闇星』かもしれないわけだ」
「・・・確証はないけどね」
ふと、椿は風蘭のそばにいつもの世話係がいないことに気付いた。
「風蘭、連翹はどうしたの?」
「あぁ、なんか、瓶雪殿に呼ばれて昨夜からいないんだ」
「親分に?」
「・・・・・・椿、前々から気になっていたんだけど、なんで『親分』なんだ?」
風蘭の問い掛けに、彼女はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりの、誇らしげな態度で答えた。
「親分は、冬星軍を統括する瓶雪一族の当主だけど、それだけじゃないのよ。冬星軍の他にも、冬星州の裏社会を牛耳って色々な軍や組織をつくってるんだから!!」
「それで、『親分』なのか?」
「そうよ?」
「ふぅん。色々な軍や組織の親分か・・・・・・。その中に『闇星』も入っていたりしてな」
「そりゃぁ、ありませんな。『闇星』はあくまで独立した国軍。我輩が娯楽のように鍛えている組織とは担う責が違う」
風蘭の後ろから、そう笑いながら室に入って来る者がいた。ぎょっとしたのは椿だけで、風蘭は呆れたようにその者を責めた。
「瓶雪殿。せめて入室前に一言いただけないものか?」
「これは失礼した、風蘭さま。興味深いお話をされていたもので、つい」
黒灰は憎めない笑顔をつくりながら風蘭に詫びると、椿に視線をうつした。
「椿、石榴から伝言だ。今夜、『闇星』とうちの連中とで合同訓練をする。おまえを後継にすると言った以上、おまえにも参加させるってよ」
「合同訓練・・・・・・?」
「なんてことはねぇ、ただどんぱちやるだけだ」
「へぇ。俺も見てみたいな」
黒灰と椿の間を割り込んで、風蘭が興味を示して言った。
「風蘭さまが?兵部の訓練のように、あんまり見応えのあるもんでもありませんよ?」
「そんなの期待してないさ。椿も戦ったりするのか?」
「必要とあらば、そうなるでしょうな」
椿は、勝手に風蘭と黒灰で話が進んでいることにやっと気付いた。
「ちょ、ちょっと待って、親分。あたし、『黒花』っていう石榴姐さんの立場を継ぐのは決まったわけ?」
「何をいまさら。決まりだ」
そして、黒灰はなにかを含んだような笑いを風蘭に投げ掛けたあと、言い加えた。
「では、そろそろ陽も落ちてきますし行きましょうか」
「瓶雪殿、連翹は一緒ではないのですか?」
「先に演習場で待っておられますよ。さぁ、馬を駆っていきましょうか」
熊のような巨体にもかかわらず、黒灰は身軽に立ち上がるとさっさと室を飛び出した。
「よし、俺たちも行こう。椿、おまえは馬に乗れるのか?」
「あらいやだ、馬鹿にしないでよ」
椿は、雅炭楼に来てからよく見せる妖美な笑みを浮かべたあと、ふと、笑みを消して彼に向き直った。
「風蘭、きっとまた、想像を絶する光景に遭うことになる」
「・・・・・・え?」
「ここは冬星州。その冬星州の夜に出歩こうって言うんだからね」
試すように笑った椿に、風蘭はまっすぐ見返した。
「それでも、真実の冬星州を見なければ、変えることはできない」
うれしかった。
風蘭がそう決意してくれること。そう言ってくれること。
本気で冬星州を考えてくれること。
けれど、同時に、悲しかった。
どんなに星華国を想っていても、どんなに冬星州を救おうとしてくれていても、
彼は、王にはならないのだ。なる気がないのだ。
国を支え、根底から変える、絶対の力を持つその地位に昇る気はないのだ。
「・・・・・・あっそ・・・」
複雑な思いが一瞬で交錯した椿は、そんな素っ気無い返事しかできなかった。
風蘭たち3人が雅炭楼を出るころには、すでに陽が暮れ始めていた。
風蘭は久しぶりの乗馬と外出に、少し浮かれていた。冬星州どころか、氷硝の町を自由に歩くことさえ制限されていた10日間だったので、物珍しそうにきょろきょろしながら馬を駆った。
氷硝を出てしばらくして、ある村の光景が風蘭の目を奪った。
思わず馬を止めた彼に、横を走っていた黒灰が不思議そうに彼に近づいてきた。
「どうしました、風蘭さま?」
「瓶雪殿・・・・・・あの村はいったい・・・・・・?」
そう言いながら、すでに風蘭は馬から下りて、村に足を踏み入れていた。仕方なさそうに黒灰と椿は顔を見合わせ、馬をそばの木にくくりつけて風蘭の後を追った。
「これはいったい・・・・・・?この村人はなにをしているんですか?」
「正確に申し上げれば、風蘭さま、ここは村じゃありませんな」
呆然としている風蘭のそばに歩み寄りながら、黒灰は頭をわしゃわしゃと掻きつつ言った。
「ここは見ての通り、ただの墓地ですよ。村じゃない」
「だけど・・・・・・!!」
反論しようとして、風蘭は言葉を詰まらせる。だが、とうとう黒灰にたずねた。
「じゃぁ、この墓地を荒らし続けている人々はなんだっていうんだ・・・・・・!!」
まるでひとつの村のように広大に広がる墓地。
誰の墓地なのか、それはわからない。誰が眠っているのかも、もはやわからないだろう。
なぜなら、『生きている』人々が、墓を掘り起こし、『死んだ』人々をそこらじゅうに捨て去っているからだ。
「ただの墓荒らしなら、あの者達を問いたださなくては・・・」
「やめたほうがいい、風蘭さま」
墓地の域に入ろうとした風蘭の腕を黒灰がつかむ。
「やつらはただの墓荒らしじゃない。あいつらは『生きるため』に墓を荒らしているんですから」
「え・・・・・・?」
黒灰に言われ、再度墓を掘り起こす人々を見る。
陽も落ち始めて暗がりでよくみえないが、『生きている』人々の腕や足が、骨と皮のように痩せ細っているのが見える。
成人男性のみならず、老人も子供も墓を掘り起こしていた。墓に入っていた『生きている』者たちとさほど体格も変わらぬ骸を取り除き、そして、彼らはその墓の穴に潜り込んでいる。
「なにを・・・・・・?」
異様な光景だった。
骸のない墓に、『生きている』人々が入り込む。毛布に包まり、そこで眠り始めている者もいる。
「あれが、あの人たちの『家』なんだよ、風蘭」
椿も追いついて風蘭に静かに説明した。
「本来の『家』をなくし、住む場所を失った人々の行き場が墓場だ。死ぬこともできず、生きたまま墓で暮らす。死んだら墓で永久に眠るだけだ。もっとも、死んだら即座に違う『生者』に墓から追い出されるんだろうけど」
淡々と告げる椿の横顔を見ながら、信じられない思いでそれを聞いていた。
「墓で・・・・・・暮らす・・・・・・?!」
「あの人たちはまだましなんじゃない?川や海に近い村は、口減らしに子供や老人を次々と水流ししちゃうって聞くしね」
「なっ・・・・・・」
「井戸に放り込んじゃう村もあるらしいし。それに比べれば、ここは井戸も川もない。ただ墓に眠って、餓死するのを待つだけだ。静かで平和な場所だな」
「なんで・・・・・・こんな・・・」
「簡単よ」
あくまで淡々と椿は言う。
風蘭を責めるわけでもなく、墓場で暮らす人々に同情するわけでもなく。
静かに、感情もなく。
「生きていけないから。税金が払えないから。だから、働ける者だけが生き残って、働けない子供や老人は真っ先に殺されるんだよ」
かつての椿の村もそうだった。
州からも国からも見捨てられた村。地図から消えた村。
山と山に挟まれ、どんなに貧困に窮しても物資など届きもしなかった村。
ただただ、死を待ち続けていた。
荒廃していく土地を耕す気力も体力もなく、村人たちは静かに死を待った。
「税金が払えない・・・・・・?だって冬星州は・・・・・・」
「風蘭さま、そろそろ行きましょう。・・・・・・奴らが見てる」
黒灰に言われ、はっと風蘭は墓場を見渡した。
風蘭たちの存在に気付いた何人かがじっと彼らを見ている。
なにかをよこせと。
食べ物でも、着るものでも、『場所』でも、『死』さえも。
ただただ、何人もの瞳が風蘭にそう訴えていた。
責めるように懇願するように縋るように。
「これが、冬星州よ、風蘭」
静かに、椿が横で言う。
「なんで・・・・・・こんなことに・・・・・・」
「考えるのはあとからでもできますぜ。とりあえず、馬に乗ってくれるとありがたいんですけどね」
黒灰が投げやりな口調で風蘭に馬を差し出した。
彼は後ろ髪をひかれる思いで、様々な思いが混濁した視線を背中に浴びながら、その『墓場』を後にした。
黒灰が馬を止めるまで、風蘭はその後も様々な冬星州の人々を横目で見た。どの人々も、気力をなくし、虚ろな瞳で訪れる闇を見つめていた。
痩せ細った体があちらこちらに横たわっているのは、死んでいるのか生きているのか。
補整されていない道を馬で駆けながら、風蘭は顔を上げていることが辛かった。その様子を、椿は後ろから見ていた。彼の心情が手に取るようにわかる。
これが、現実。
後宮でぬくぬくと守られていた風蘭の知ることのなかった、貧困の現実。
27代国王が目を逸らした現実。
26代国王の華美な後宮暮らしの裏にあった圧政の結果。
2代にわたる愚王のふるまいにより、冬星州は灰燼に帰した。
州で暮らす人々の数も、半数以下になったと聞く。
風蘭は、この現実を知ってなお、「救う」と言えるのだろうか。
いったい、どうやって。
椿たちが黒灰の案内で演習場にたどり着くころには、すでに陽は完全に落ちてしまっていた。月明かりだけが、彼らの足元を照らす。
「坊ちゃんまでいらしたんですか?!」
連翹が、風蘭の姿を見つけてあわてて駆け寄ってきた。
「いけないか?俺も参加してみたいんだ」
不機嫌にぶっきらぼうにそう言った彼の態度の意味がわからないらしく、連翹は困ったように首をかしげる。
「別にお止めはしませんが・・・・・・」
「連翹。こちらで馬をつなげるのを手伝っていただけるかしら?」
風蘭の後を追おうとした連翹に、椿はそう話しかけた。親切な従人は、頷いて椿のもとにやってきた。
「ここに来るまでに間に、冬星州の貧困を見てきたんだ。それで、風蘭の気がたっているんだと思う」
こっそりと、椿は風蘭の心情を連翹に伝える。
「冬星州を救う。そう言ってくれた風蘭の言葉はうれしい。だけど、風蘭ひとりの力じゃ、この州を救うことなんて、できないんだよね」
目を伏せる椿に、連翹がそっと微笑む。
「坊ちゃんを信じて差し上げてください。・・・・・・はい、馬はつなぎましたよ。あちらに参りましょう」
短くそれだけ言って、足早に連翹はその場を去る。
風蘭を信じろ?この現実を見て?
どうしたって、風蘭ひとりでできることなど、限られている。
信じれば、風蘭ひとりで冬星州を救えるとでも言うのか?
「いったいなんなの・・・?」
「あら、椿ちゃん。今日は椿ちゃんも一緒なのね」
眉を寄せた椿の背後から、突然がばっと誰かが抱きついてきた。だが、椿にはそれが誰か声ですぐにわかった。
「さ、皐月さん?!え、なんでここに?!」
振り向いて、すぐに椿は抱きついてきたその人物に問いかけた。
彼女は、皐月と言う名の、椿と同じ雅炭楼で働く女郎だった。
皐月は石榴が『仕入れ』て来た者ではなく、冬星州出身の、妓女として働く女人だった。椿が雅炭楼に来てから、忙しい石榴の代わりに色々と世話を焼いてくれた、いわばもうひとりの姉のような存在だ。
その皐月までもがなぜこの演習場に、『闇星』の訓練の場にいるのか、すぐには椿にはつながらなかった。
「あら、あたしも椿ちゃんと同じ理由よ?」
「同じ理由って・・・・・・まさか・・・」
「そう。あたしも『闇星』のひとり。『黒花』の右腕・・・・・・とまではいかなくても、左腕くらいにはなっているのよ」
皐月はそう説明しながら、椿の肩を抱いて道を促す。皐月に案内されるがまま歩くと、そこには石榴と黒灰、そしてもうひとりの知った顔があった。
「よく来たね、椿」
にやり、と笑った石榴のその笑いは、妓女のそれではない。
自信に溢れた武人の笑い。
耳を澄ませば、闇夜の広場に鋼と鋼が交わる音が怒声と共に聞こえる。
「『黒花』、私はやはり、椿が後継というのは納得できません」
静かに、石榴の横で控えていたその人物はそう言った。敵意ともいえる視線を椿に投げかけながら。
「逸初、『黒花』であるわたしが決めたことは、絶対だ」
石榴が、冷え冷えとした声でそう言い放つ。
それでも、逸初は椿にその鋭い視線を向けることをやめなかった。
もう6年ほど前になるだろうか。
春星州から石榴が『仕入れ』てきた女人、逸初。彼女は雅炭楼では帳簿の仕事をしており、女郎の仕事をしたことはない。
「逸初に嫌われているとこ悪いんだけどね、椿ちゃん。逸初が、『黒花』の右腕。この『闇星』での第二の権力者だったりするんだよね」
そっと皐月が教えてくれたその恐ろしい事実に、椿は眩暈がしてくる。
「・・・・・・あたし、もしかしてとんでもないことに巻き込まれてる・・・?」
『闇星』の最高権力者『黒花』に次ぐ権力を持つ逸初が、椿が後継者となることを否定している。敵視している。
『闇星』そのものの存在すら最近知らされた椿にとっては、頭が痛い。
「怖じ気づくんじゃないよ、椿。あんたはこれからここで、毎晩訓練をしてもらうからね。『黒花』の後継者として恥じぬように」
椿の心情を察してか、石榴の叱咤が飛んでくる。視線を上げれば、すでに逸初の姿は消えていた。
皐月が優しく椿の肩を叩く。
「さて、椿ちゃん。『闇星』の初訓練参加といきましょうか」
見守る石榴の視線を受けながら、椿は皐月に引っ張られるようにして、怒声の混じる広場へと誘われる。
『闇星』という存在を、組織を甘く見ていたかもしれない。
『黒花』という立場を、権威を、負うべき責を、軽く考えていたかもしれない。
その夜、椿は強く、そう思わざる得なかった。