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三章 渦巻く暗躍 七話










7、玉座の途中で








風蘭が冬星州に行くことが決まった朝議から一月後、本当に彼は水陽を発ってしまった。そしてそれから二月ほどして、彼から芍薬宛に無事に冬星州へ着いたことの文が届いた。




それをなによりも喜んだのは、やはり蠍隼 蘇芳執政官だった。




「風蘭公子さまが無事に冬星州へご到着されたそうですね。夏星州をお発ちになるときに、兵部からの護衛をお断りになられ、道中の御身を大変案じておりましたけれど、これで肩の荷が下りました」




蘇芳にしては珍しく、にこにこと上機嫌にそんなことを芍薬に告げている。






ふたりは今、王の執務室にいる。


今現在の星華国の王は、先王の喪に服しているため空位だ。だが、事実上は芍薬が王位を継承することになっているので、その職務も彼がこなしている。




もっとも、蘇芳の言われるがままの政務ではあるが。






「・・・・・・蠍隼執政官。少し、ひとりになりたいのだが」


「かしこまりました、芍薬様。しばらく別件の仕事を片付けて参りますので、失礼いたします」


芍薬の要請に、特に不満な様子もなく上機嫌に蘇芳は室を出て行く。




上機嫌にもなるだろう。


風蘭は冬星州に着いた。蘇芳の『責任』はここまでだ。これからは、冬星州でなにがあろうと、風蘭の身になにがあろうと、蘇芳に責は問われない。






「・・・・・・風蘭が、朝廷に出るようになったのが、遠い昔のようだ・・・」


民部長官の室に残された、風蘭の報告書を眺めながら、芍薬は遠い目をする。






風蘭が、民部がおかしい、と突然騒ぎ出したのは、たしかサクラの散る季節だった。


それまでも、ちょこちょこ朝廷内を動き回っては、やれあそこがおかしい、ここがおかしい、と父である王に訴えていたが、あれだけ具体的に「ここが変だ」と断定してきたのは、思えばあのときが初めてだった。




だが、王である父も、そして次期王である芍薬も、風蘭の言葉には耳を貸さなかった。そもそも、父は王政に興味はなかった様子だったので、なおさら風蘭の叫びはうるさいだけのようだった。






「そういえば、妃候補の女月 紫苑姫の生誕祭もこの頃行われていたのか・・・」


ぱらぱらと過去の文書をあさりながら、芍薬はつぶやく。


11貴族本家が行う祭りや行事には、一応、王も「祝辞」程度の挨拶は送る。その記録が残っているのだ。


それが、奇しくも風蘭が民部について騒ぎ始めたのと同時期だった。






見始めればキリがないほど膨大な過去の資料を、芍薬はぱらぱらとめくってみる。


なにか目的があるわけじゃない。だが、無性に遠いように思えるここ最近の出来事を振り返ってみたくなったのだ。






「ふぅん。変わった女官が出仕に来ていたんだな」


妃候補、女月 紫苑の生誕祭から二月後、その女月一族の分家の姫、野薔薇が女官として初出仕したとの記録がある。


その女官の年齢が、19歳。


「19歳で初出仕とは・・・・・・妾妃狙いか?」


だが、今の芍薬に、妃だの妾妃だのと余裕はない。妃審査を気にかけるほど余裕はないのだ。




ちなみに、ほぼ同時期に、その紫苑は楓に王宮の現状を聞かされ、絶望していた。






「妃審査といえば、そういえば・・・」


妃審査を海燈で行う旨を知らせた文と、春星州の11貴族、羊桜家3男の初出仕の日取りが書かれた文が、同時に芙蓉の元に届いたのも、こんな時期だった。




その文を興味なさそうに投げ捨てた王である父。


その文を笑いながら拾い上げたのが芍薬だった。「わたしの妃に興味はないのですか」と、芍薬は芙蓉に聞いたのだ。






「正妃など、ただの形だけの存在ではないか」




芙蓉は、芍薬にそう言った。


芍薬も実際、そう思ってる。正妃との間に愛だの恋だの求めていない。ただのしきたりだ。


だが、欲を言えば、芙蓉の正妃、双 桔梗のような賢妃であってほしいとも思ってしまう。芙蓉は、正妃は形だけだというが、桔梗以上の正妃など、いないのではないだろうか。






「風蘭も、この時期から文官気取りで色々やっていたな」




今はただ、懐かしさに思わず笑みがこぼれる。




初めて、政治堂で官服に身を包んだ風蘭が玉座の前に現れたときは、芍薬は正直本当に驚いた。


そのとき、芍薬はたまたま体調が優れなくなった芙蓉の代理で、慣れない玉座に座っていたのだ。その前に現れたのが、そこにいるはずのない、弟公子の風蘭。




だが、執政官である蘇芳の言葉にひるむこともなく、数ヶ月前からずっと王に訴えていた民部の事情を、公の場で公表したのだ。






けれど、蘇芳と風蘭の戦いは、芍薬が止めてしまった。蘇芳の反逆が怖かったのだ。これ以上風蘭に蘇芳を刺激されて、万が一にも蘇芳に政務を放棄されてしまったら、父である王の代理として立場がない。




くやしそうな表情を浮かべながら政治堂を去っていった風蘭の顔を、芍薬は今でも覚えている。








「・・・・・・父上・・・」


ぽつりとつぶやく芍薬の視線の先には、妃候補3人の姫が、海燈に到着した、という知らせの文。同時に、妃審査を始める、ということだった。






だが、妃審査を始めて数日後、父である王、獅 芙蓉がこの世を去った。






突然の芙蓉の死に、誰も彼もが混乱していたのだが、今落ち着いて書類を見てみると、この時期に文官として初出仕している気の毒な貴族がいる。






「羊桜 木蓮・・・・・・あぁ、羊桜家の3男か」


羊桜 木蓮という文官が、混乱中の朝廷に初出仕している。思いもかけない芙蓉の死に、執政官である蘇芳でさえも日々あわただしくしていたのだから、こんな時期に初出仕など、さぞや肩身のせまい思いだっただろう。








27代星華国王 獅 芙蓉の死。


芍薬にとって、遠い昔のような、つい最近のような、不思議な気分だった。


負の連鎖はそこで止まることもなく、芍薬はただただ流れに身を任せるだけだった。


風蘭のように、何かを変えようと動く気にもなれなかった。


怖かった。見放されることも、刃を向けられることも。






芙蓉が死んでから一月後、海燈で忘れ去られていた妃候補の3人の姫たちが異例なことに、後宮へあがってきた。後宮で妃審査を行う、とのことだった。


芍薬もそんな報告を受けた記憶があるような気がするが、よくは覚えていない。今こうして、昔を懐かしんで書類を眺めていて、初めてその経緯を知る。






「・・・では、今、後宮では妃審査が行われているのだろうか・・・?」


だが、そんな様子は聞かない。ましてや、つい最近も後宮はまた揺れたのだ。それどころではないのかもしれない。






そして、妃候補たちが後宮にやってきてからさらに一月後、朝議が行われた。


芍薬を、次期王とする朝議だ。




同じく王位継承権を持つ風蘭は、あっさりと身を引いた。


内気で弱気な自分が王になるよりは、風蘭が王になるほうがよいのではないか。


一度ならず、考えたことはあった。




けれど、同時に、王位継承権を風蘭に譲りたくもなかった。


正妃の公子として生まれ育った風蘭。


妾妃の公子として生まれた芍薬には、その肩書きすらうらやましかった。芍薬だけではなく、芍薬の母もまた、自分が妾妃であることを嘆き、桔梗を恨んでいた。




正妃を恨み、自分以外の妾妃を憎み、芙蓉の確かならぬ愛にすがって、生き続けた母。


だが、芍薬の母は、もうずいぶん前に病で亡くなっている。




芙蓉のように身体が弱くて亡くなったのではなく、心労で、だった。






だからこそ、芍薬は母のためにも王になりたかった。自分に向いていなくても、それを望んだ母のために、王となるべきだと思った。


同じ妾妃の公子である木犀は、王位継承権はほぼないに等しいことをわかっていたのか、あまりそこに執着はなかった。木犀の母もまた、おとなしくのんびりとした妾妃だったので、一族の権威などというものにも無頓着のようだった。






だが、昔からのしきたりで言えば、風蘭こそが第一王位継承権をもつ公子だった。芙蓉を除き、今までの王たちは何番目の公子であろうが、『正妃の御子』である。






いつだったか、芙蓉が「妾妃の公子が王となったら悪いのか」と家臣に言ったことから、芍薬が第一王位継承権を持つ公子になったと騒がれていた。だが、それも芙蓉の思い付きかもしれず、確かなものがない芍薬はその言葉さえ自分を焦らせた。








そして、迎えた次期王を定める朝議。




もっと風蘭と壮絶な王位争いをしなければならないかと思っていたら、あっさりと風蘭がその権利を手放した。


そして、その横で蘇芳が勝利の笑みを浮かべるのも見ていた。




蘇芳にとって、操りやすいのは風蘭ではなく自分だ。


だから、王位継承を拒否した風蘭の態度が、蘇芳の望みにぴたりとはまったのだ。






だから今も、芍薬はこうして蘇芳の操り人形のように政務をこなす。








そして、同じ日に、風蘭は紫苑と出会うのだが、それは芍薬の預かり知らぬこと。






芍薬の立場もはっきりし、ほっとしたのも束の間。


風蘭がその間もちょろちょろと内朝を動き回っているのは知っていたのだが、あえて芍薬は気にしていなかった。


おそらく、風蘭はまだ民部のことについて調べていたのだろう。何度か、見知らぬ文官と話し込んでいる風蘭をみかけている。




懲りずによくやるな、と芍薬は呆れて見ていたものだ。






芍薬には真似できない。


民部だろうが、式部だろうが、おかしな点があってもさして気にしないだろう。総じて王政が正常に動いていれば、細かいところがどうなっていようがかまわない。


風蘭いわく、それによって民たちが苦しむらしいのだが、それも芍薬にはよくわからない。


王政さえある程度整っていれば、星華国は正常に存在できるではないか。


税金を民から徴収し、財政を整え、官吏たちを動かして政務を行う。




一連の流れが絶えることなく続けば、とりあえずは今の星華国は保てるものだと、芍薬は信じていた。


というよりは、父である芙蓉を見ていて、それでいいのだと思い込んでいた。




民部の調査だの、式部のやり方だの、刑部の見直しだの、そんなものに芍薬は興味も関心もなかった。






だが、風蘭はこつこつと民部の調査を独自に進めていたようだった。


それが、どうしてああなったのか、今でもわからない。


風蘭が追い詰めすぎたのか。それとも、風蘭も自分も知らないところで、誰かが暗躍していたのか。






民部長官が、死んでしまったのだ。






それからすぐに朝議が行われ、嬉々として蘇芳が風蘭を冬星州へ調査のために派遣させようとした。


それも口実で、要は、ただの左遷である。蘇芳にとって目の上のたんこぶである風蘭を、民部長官の死に関わった一員として左遷させようというのが目に見えている。






けれど、それも芍薬は止められなかった。


蘇芳に口答えすることは怖かった。あの冷たい瞳で睨まれることが、芍薬には耐えられなかった。


なぜ、風蘭があの瞳を睨み返せるのか、彼には不思議で仕方がない。




蘇芳に見捨てられたら、星華国がなくなるも同然である。26年もの間、王に代わって王政をとったのは蘇芳だ。もしも蘇芳の機嫌を損ねさせて、万が一にも政務を放棄されてしまったら、どうしていいか芍薬にはわからない。






だから、芍薬は蘇芳のその無茶苦茶な言い分にも逆らえなかった。


風蘭が憎いわけではない。むしろ、王位を譲ってくれたことに内心感謝すらしているのだ。


だからこそ、風蘭を守りたくもあった。


だが、星華国の政務と天秤にかけたとき、それを行う勇気もなかった。








そして、とうとうそれを見越したかのように、第3公子は言ったのだ。




「わかりました、冬星州へ参ります」


と。






あのときの後悔を、芍薬は今でも引きずっている。申し訳ない気持ちで風蘭を見ると、彼はふっと笑ってさえいた。




大丈夫です、兄上。お気になさらずに。




そう言ってさえいるようだった。






実際、風蘭が冬星州へ発つまでの間に、彼は芍薬のもとを訪れ、


「これは俺自身が冬星州へ行くと決めたことです。蘇芳も兄上も関係ありません。お気になさりませんように」


と言っていた。その後ろで控えていた連翹は、実に誇らしげに笑っていた。






そして、彼は水陽を発った。死んだ霜射民部長官の姪であり、妃候補の雲間姫と共に。せめてもの償いの意味で、芍薬は兵部から大量の護衛をつかせたのだが、10日ほどしてそれは水陽に返された。


少人数の護衛で、星華国一治安が悪いといわれる冬星州への道のり。




芍薬は今か今かと風蘭の到着の文を待った。






夏星州から冬星州までの道のりは、馬を急いで駆けていけば一月足らずで到着できる。仮に馬車を走らせていても、順調に行けば一ヵ月半もかからない。




なのに、一ヵ月半を過ぎても、風蘭からの文はなかった。






どうしているのかと気が気でなくなってきた矢先、やっと風蘭から文が届いた。


彼が夏星州を発って、二月以上過ぎていた。






文をよく読めば、休憩のために立ち寄った村や町にいちいち長期滞在をしていたらしい。


『民の生活に触れることができた』


と風蘭の文にはあるのだが、なんとも彼らしいことだ。






通常以上の時間をかけ、風蘭は星華国の民の生活に触れ、冬星州まで行ったらしい。






とりあえずは無事でよかった。


特に期限もない風蘭の冬星州行きだ。


頃合をみて、芍薬が風蘭を呼び戻してしまえばいいのだ。






それまでに蘇芳がなにもしなければよいのだが。






芍薬は、過去の文書を棚にあげ、ため息をひとつついた。と、同時に、扉を叩く音がした。


「木犀です、兄上。入ってもよろしいですか」




もうひとりの弟公子、木犀。


風蘭とは仲がよくないが、芍薬にとって、今は残された大切な家族のひとりだ。




「入れ」


室に入ってきた木犀と、芍薬は短い会話をする。


その会話が、思いつめていた弟公子と、そして思わぬ人物に厄災が降りかかる。














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