三章 渦巻く暗躍 四話
4、真意の果てに
夏星州を出るまでの10日間ほどは、馬車に乗っている身でさえ恥ずかしくなるほどの大行列だった。執政官、蠍隼 蘇芳の言うとおり、兵部大将、双 縷紅が惜しみなく風蘭たちの護衛を配置したためだった。
風蘭の乗る馬車のすぐ横で並んで馬を歩ませていた連翹も、その大行列に居心地が悪そうだった。
ところが、夏星州最後の関所で、風蘭はその護衛軍を率いる将軍にはっきりと告げた。
「もう水陽に帰っていい。護衛はここまでで結構だ」
その言葉に驚いたのは、将軍だけではなく、同じ馬車の中に乗っていた椿たちもだった。
「え、帰っていいって・・・いいの、公子さま?冬星州まではまだまだ遠いし・・・。まだやっと夏星州を出るところなのに」
「いいんだ」
困ったように眉を寄せる将軍の下に歩み寄り、風蘭はもう一度、言った。
「もういいんだ。この大群を連れて、帰ってくれ」
「ですが、風蘭公子さま・・・・・・」
風蘭よりも高い位置にいるわけにもいかず、将軍はあわてて馬から降りて反論しようとするが、手で制される。
「冬星州まではたしかに遠い。それに、冬星州は治安が悪い。だがな、将軍」
にやり、と風蘭は笑う。
「俺が冬星州に着くまでは、絶対に危険はない」
自信満々の彼の言葉に、「あぁ」と冬星州州主、霜射 柘植が感嘆のため息をつく。連翹もだいたい事情を察して瞑目している。
「・・・・・・どういうこと?」
ことが読み込めないのは椿だ。将軍もまた、風蘭の言うことがわからずに、首をかしげている。
「つまり、俺が無事に冬星州まで着かなければ、誰の責任になるかって話だ」
「誰のって・・・・・・そりゃぁ、冬星州へ行けって言った執政官と、それを守ってた兵部のせいでしょ?」
「そうだ。つまり、冬星州に着くまでは、俺の身は『朝廷のもの』なんだ」
冬星州へ行くと決断し、宣言した風蘭。
それを推奨した蘇芳。
風蘭を護衛する軍を派遣した縷紅。
そしてなにより、朝議の場で、風蘭が冬星州へ行くことを聞いた高官、星官の者たち。
目的地である冬星州へ着くまでに、もしも風蘭の身になにかあれば、それはこれらの者たち全員の咎になる。
だから、なにがあっても風蘭は無事に冬星州へ着く。
なによりも、政権のすべてを握る蘇芳が、そんな失態を起こさない。起こすはずがない。
けれど、いざ風蘭が冬星州へ着いてしまえば、冬星州でなにが起ころうと、それは蘇芳の知るところではない。
冬星州で起こったことは、冬星州の貴族、人々に責を負わすことができる。
なにより、風蘭自身に負わせることができる。
「執政官って・・・・・・そこまで考えてるの・・・?」
さすがに驚いた様子で椿がつぶやく。横の柘植を見てみると、平然とした様子で頷いている。
柘植は、どんな事態も覚悟しているのだ。それが冬星州州主の責を問われるような事態が起こったとしても。
「貴族って・・・・・・いったい・・・・・・」
「醜い生き物だろう?」
自嘲気味に、風蘭が椿に言った。
騙し騙され、良心など捨てて上に這い上がる。それが、今の星華国の政治。
「・・・・・・間違ってるんじゃない、それ?」
「わかってるさ。・・・・・・だから、俺はそれを変えたい」
ため息をひとつついたあと、風蘭はもう一度将軍の方へ向き直った。
「双大将に何か言われることを恐れているなら、俺が一筆書くさ。とにかく、この大行列を帰してくれ。連翹ひとりいれば大丈夫だ」
将軍は不安そうに馬に乗ったままの連翹を見上げた。
11貴族でもないのに、双大后の信頼厚い不思議な青年。
そしてまた、風蘭公子も彼を信じている。
将軍には、これ以上風蘭に逆らうことができなかった。
「・・・・・・わかりました。ですが、何人か精鋭部隊を残していきます。それだけはお許しください」
「まぁ、何人かなら、いいか。わかった」
風蘭も将軍の立場を理解し、それは承諾した。
そして、さほど時間もかからずに、大行列の部隊は水陽に帰るために引き返していった。
去っていく部隊を見送りながら、風蘭は水陽を去る前の出来事を思い出していた。
「双大后さまがお呼びです」
冬星州へ行くと決めた日、予想通り、室で休んでいたら、すぐに母からの呼び出しがあった。桔梗の室へ入ると、驚いたことに完全に人払いがなされていて、普段は女官で賑やかな彼女の室が、なんだか広く寂しいものに見えた。
「・・・・・・冬星州へ、行くそうですね」
静かに、桔梗はそう言った。手には大切そうに畳まれた扇が握り締められていた。
「はい」
風蘭の少し後ろには連翹がいる。彼もまた、桔梗に共に来るように言われたのだ。
「連翹、あなたも風蘭と行くのかしら?」
「はい、桔梗様」
「・・・・・・そう」
そこで初めて、桔梗がさびしそうに笑った。
「子供の成長というのは早いわね」
ぽつり、とそうつぶやく彼女の言葉に、言い表せない悲しみを感じられ、不覚にも風蘭は泣きそうになる。
だが、それよりも早く、厳しい桔梗の声が飛んできた。
「風蘭、『あなた』が冬星州へ行く、ということがどういうことか、わかっていますね?」
おそらく、王であった父よりも王政の才覚のあった母。その母が忠告する言葉こそ、風蘭が最優先に気にかけなければいけない事項。
「正妃の公子であるあなたが、水陽を離れ、冬星州へ行く。州の民たちはおそらく、2通りの感情を抱いていることでしょう。ひとつは、あなたが荒れた冬星州を救ってくれるために来たのではないかと、必要以上の期待を寄せる者。そしてもうひとつは」
揺るぎのない、はっきりとした口調で、桔梗は続ける。
「あなたを先王の代理として、または身代わりとして恨みを晴らそうとする者」
26年間、王政を放棄し、蘇芳に委ね、どんな汚職も見て見ぬふりを続けた先王、芙蓉。そのしわ寄せは、夏星州だけではなく、各州へ押し寄せている。
冬星州もまた、同じ。
そして、水陽にもっとも遠い冬星州の民たちは、王への関心も忠誠心も薄い。けれど、王が州を救ってくれることだけを期待していた。
だが、それも果たされることなく、王は死んだ。
様々な辛苦を味合わされた民たちの恨みが、風蘭に向くことになるだろう。
「・・・・・・覚悟しております。それもまた、公子の務めかと」
風蘭の返事に、桔梗が満足そうに頷くのを連翹は見ていた。風蘭は、桔梗の理想、思想をまるごと受け継いでいる。彼女が果たしたくても果たせなかったことを、息子の風蘭に預けているのだ。
「では、いっていらっしゃい。あなたが信じる道へ。あなたの旅路に幸があらんことを」
「ありがとうございます、母上」
短い、親子の会話が途切れる。
なぜ、冬星州へ行こうと決断したのか、など、彼らには必要のない会話なのだ。
過去よりも未来。
未来になにができるかを、そのための覚悟と決意だけを確かめるためだけに。
「冬星州のお土産、なにがいいですか、母上」
立ち去り際に、風蘭がそんな冗談を桔梗に投げかけた。彼女は予想もしなかった風蘭の言葉に瞠目した後、くすりと笑って言った。
「あなたが無事に帰ってきてくれればそれでいいのですよ。・・・・・・あぁ、でもそうですね、ひとつだけ」
笑みを消し、彼女は真剣なまなざしで風蘭に言った。
「今度わたくしの前に姿を現すときは、自らの信念と目指す未来を教えてください」
それを得るための旅でありなさい。
そんな桔梗の言葉も聞こえたようで、風蘭も表情を引き締めて頷いた。
「わかりました。・・・・・・では、失礼いたします」
風蘭と共に立ち去ろうとした連翹に、桔梗が声をかけた。
「連翹、少し残りなさい」
「・・・はい、桔梗さま」
風蘭は、連翹を桔梗の室に残し、扉を閉めた。
扉の向こうで、どんな会話があったのか、風蘭は知らない。それを風蘭が知るのは、少し先の話になる。
「そういえば、椿は後宮で待たされていたことへの恨み言はないのか」
だいぶこじんまりとした旅の一行の中で、風蘭は椿にそんなことを尋ねていた。
「あぁ・・・・・・まぁ、それなりに楽しかったし。待たされることはそんなに苦痛じゃないのよ、慣れているし。待たされることにいらいらしてたのは槐姫かしら」
「慣れてる?」
「妓女は、お客さんから声をかけられるまで、じっと待つの。客があたしを選ぶまで、あたしは客を魅惑し続け、じらしながらもじっと待つ」
とろん、と妖美な瞳で椿は風蘭を見つめた。思わず、風蘭は後ずさる。
「椿、やめろ」
風蘭をからかっていた椿は、柘植のその冷たい一言で、ぱっと16歳の少女の顔に戻った。
「はいはい、州主さま」
柘植と椿のやりとりと見ながら、風蘭は感心していた。
椿は、いくつもの顔を持つ。
16歳の少女としての顔。
妓女としての顔。
そして、『雲間姫』の身代わりをしていたときの、姫の顔。
どれもどの顔とは一致しない。しかし、どの顔も完璧だ。
自分の魅せ方をよくわかっている。
なによりも、彼女は堂々としている。
風蘭ともあっという間に打ち解け、恐れることなくため口で彼と話している。
「ねぇ、風蘭?」
いつの間にやら風蘭を呼び捨てに呼びつけて、椿は彼に話しかけた。
「なんだ?」
特に風蘭もそれを気にしない。それらのやりとりにぎょっとしているのは柘植だけだ。
「あなたは王族として、11貴族のこと、どう思ってるの?」
「・・・え?」
突然の椿の問いかけに、風蘭は固まる。
「どう・・・・・・って?」
「だって。11貴族は王族を支えるためにいるんでしょ?なのに、支えるどころか、追い落とそうとしているなんて」
「あぁ、蘇芳のことか」
かつて、牡丹王と共に、星華国の下地を築いた11貴族。
牡丹王を支え続けた、11貴族。
その絆も忠誠心も、今はもう、ない。
「どう、思っているんだろうな・・・・・・」
11貴族のひとりである、冬星州州主、霜射 柘植を見ながら、風蘭はつぶやく。
「じゃぁ、冬星州を出て行くまでの宿題ね」
むすっとした様子で、椿がそう言った。彼女はなにを怒っているのだろう。
風蘭の予想通り、長い長い冬星州までの道のりは、特に大きな事件もなく、滞りなく過ぎていった。彼は、休むために時折寄りかかる町や村を見て、初めて星華国の民たちの生活を垣間見た。
町や村によって財政状態が異なり、その財政状態によって人々の表情も異なった。風蘭たちは身分を明かさずに町や村を訪れたが、そのせいもあって、民たちの旅人に対する態度の違いも、彼らは実感することができた。
風蘭は、自分がいかに水陽というその場に、公子という立場に守られていたかを知った。
同時に、そんな民たちの態度を気にもかけない椿や連翹、柘植の様子を見て、風蘭は自分の中にあった『アタリマエ』という認識の違いを見せ付けられた気がした。
「・・・・・・これが、星華国・・・・・・」
宮城にいるだけの王族には知ることのない世界。
なぜ、民たちの生活も知らずに、王は王政を執ることができるのだろう。
「こんなことで驚いちゃいけないよ、公子サマ」
にやっといたずらの笑みを椿は浮かべる。
「まだまだこれらは序の口。冬星州は、もっともっと寂しい州だから」
仮にも州主の前で、椿は冬星州を非難するように風蘭に助言する。
「冬星州にはいったら、まずは氷硝に行きましょう。州都はさらに奥にありますから」
柘植が椿の言葉も気にもかけずに、淡々と風蘭にそう言った。彼は柘植や椿の言葉に耳を傾けるしかできない。
こんなにも、城を出た自分は無力なのだと、思い知る。
「大丈夫ですか、坊ちゃん」
気遣うように、馬車の外から連翹が話しかけてくる。
「連翹・・・・・・おまえには、これが『アタリマエ』か?」
「・・・・・・そうですね、珍しい光景でも、体験でもありません」
馬を歩かせながら、連翹は平然と答える。
桔梗に拾われるまでは、連翹もひとりの平民として、春星州で暮らしていた。
楽しい思いもした。
だが、辛い思いもした。
「・・・・・・そっか」
遠い空を、風蘭は見る。そんな彼の様子を連翹は見ながら、桔梗に最後に言われた言葉を、思い出していた。
「連翹、風蘭がどんな決断をしようとも、どうか最後までそばにいてあげて」
その意味を、まだ連翹も、もちろん風蘭もわかっていなかった。桔梗が、なにを意味してその言葉を連翹に託したのか。
「氷硝が見えてきた!!!」
馬車から身を乗り出して、椿が叫んだ。
夏星州から出立して、予想以上に時間をかけながら、やっと彼らは冬星州に着いた。
冬星州でなにが起こるか。
そのすべてを予想するなど、たとえ先読みの能力を持つ、北山羊 柊でもできなかっただろう。
風蘭はここで、彼の一生を左右する出会いと別れを、迎える。