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三章 渦巻く暗躍 三話









3、帰路の途中で








冬星州州主、霜射 柘植の娘、雲間姫に手渡された、一通の文。


それは、『父』からの最初で最後の文だった。


まるで、本当に『父』から『娘』へ宛てる文のように、労わりのこもった文。




けれど、内容は一言。


後宮から退去すべし。






雲間姫の身代わりを演じていた椿は、この事態にさほど驚きはしなかった。


これから第一公子の争奪戦だ、と息巻いていたのが、肩透かしをくらって少し残念な気もするが、やはり故郷に帰れるのはうれしい。


そしてなによりも、この事態にはひとつの言葉がぴったりとあてはまる。


「ざまぁみろ」


たったひとり、室に取り残された椿はそうつぶやいた。




大嫌いな冬星州州主。柘植と話せば話すだけ、会えば会うだけ、椿は彼が嫌いになった。


柘植が望む、正妃の後見という立場。


得られるはずの地位と権力。




それが、愚かな弟のせいで水泡に帰したのだ。椿としてみれば、この上なく清清しい。






「出立は一月先ね。まぁ、今更どれだけ待たされても変わらないかな」


きょろきょろと辺りを見渡してから、彼女は柘植からの文を火にくべた。きちんと燃え渡らないように、燃え滓を処理すべく、水瓶を取りに立ち上がった椿は、扉の前で立っていた人物に驚いた。


「・・・・・・そこにいたなら、声くらいかけてくださればいいのに、薄墨さん?」


「あ、あなたは、こ、後宮を燃やすおつもりですか?!」


声を裏返して、薄墨は叫ぶ。その剣幕に、椿は苦笑した。


「まさか。だから今から水瓶を取りにいこうかと思って・・・」


「そうしている間にも、燃え広がってしまったらどうするのです?!」


「そんなヘマはしませんよ。今までも何通も燃やしてきたのですから」


子供をあやすようにくすくすと笑う椿の態度に、薄墨はとうとう怒ることをやめてしまう。どうやら、薄墨にとって、妃候補3人の中で、一番扱いにくいのは椿らしい。






「それで。どなたからの御文だったのですか?」


「・・・・・・・・・・・・霜射 柘植、さま、から」


長い沈黙の後、どうしても椿は『父』からとは言えず、そう答えた。薄墨もすぐにそれが誰か認識できずに反応が鈍い。


「あぁ、お父上さまからですね・・・・・・え?!よいのですか、御文を燃やしてしまって・・・・・・」


「薄墨さん。あまり、余計なことに首をつっこまないことですよ」


椿よりも年上であろう薄墨に、彼女は睨みながらも微笑む。それが妖艶でもあり、脅威でもあり、ぞっとさせる。


薄墨も思わず言葉を失った。椿はさらに彼女に畳み掛けた。


「紫苑姫と槐姫に、火急にお話したいことがあります。おふたりを呼んでください」


芍薬公子の妾妃になると言っていた薄墨だったが、椿の気迫に押されて、おとなしく彼女の命令に従った。薄墨は、雲間姫が偽者だとはさすがに思っていない。しかし、他の姫たちとは明らかに違うことには、本能で感じ取っているようだった。






ふたりの姫たちが室に来るまで、椿はまた室にひとり取り残された。寝台に腰掛けながら、先ほどまでこの室で会話をした公子を思い出す。






第3公子、獅 風蘭。


正妃の公子というのだから、もっと偉そうなのかと思ったら、どちらかといえば幼さを未だ宿した実直な青年のように思えた。


権力に溺れる貴族たちよりも、もっとなにか大きなものを目指しているような、そんなまなざしだった。




共に冬星州へ行くと言っていた。左遷か、と聞けば、否定はしなかった。


冬星州は国内で間違いなく一番治安の悪い州。そこでどんなことがあろうとも、誰も何も不思議に思わない。


そう、なにがあろうとも。




確実に、あの公子を罠にはめようとしている者がいる。


それをあの公子はわかっているのだろうか。わざわざ冬星州へ左遷されるその意味を。


わかっていなければ、ただの馬鹿公子だ。








「お呼びになられまして、雲間姫?」


その声と共に、怪訝な顔をした槐と、突然の椿の呼び出しに戸惑った表情を浮かべた紫苑が室に入ってきた。


思い起こせば、この姫たちとずいぶんと長く一緒にいたものだ。




海燈で初めて会ったのはまだ夏だった。それがもう、冬もあと少しで終わろうとしている。椿がここから立ち去るときは、共に冬も立ち去る時期になっているだろう。






「どうかされたのですか、雲間姫?」


そう呼ばれるのもあと少し。妹のようにかわいらしい紫苑が心配そうに椿に話しかけるのを見ながら、椿は微笑んだ。


「えぇ。おふたりにはお話しておかねば、と思いまして」


風蘭公子が室に来てから、椿の室は人払いをさせたままだ。だから、今、室には椿のほかには紫苑と槐しかいない。






「実は、わたくし、後宮を辞すことになりました。妃審査を棄権いたします」






ふたりの姫の目がみるみると見開かれる。


「なぜ・・・・・・?」


「先日、叔父である民部長官が亡くなりました。自殺か、他殺かは存じ上げませんが、朝廷にて命を落としました。・・・・・・父が、朝廷を血で汚した一族の姫を公子様に召し上げることはできぬと判断され、冬星州への帰還と相成りました」


まるで他人事のように椿は告げる。


まぁ、事実、他人事だ。






けれど、もっと他人の彼女たちの反応は椿の予想を飛び越えていた。


「お亡くなりになった霜射長官は、雲間姫の叔父上様だったのですか?!なんてお気の毒な・・・・・・」


「ですが、叔父上様がお亡くなりになられて、なぜ雲間姫が妃審査を棄権しなければならないのです?!」


涙を浮かべる紫苑の隣で、槐が納得していない表情で憤っている。


「ですから、朝廷を血で汚した一族は・・・・・・」


「けれど、それは雲間姫のせいではないわ」


紫苑が頑なに否定する。その横で槐もうなずいている。






なんなのだ、この姫たちは。


普通、恋敵が、政敵がひとり減ると知れば、無条件に喜ぶものではないか。


ちゃっちゃと別れを告げて、そうして二度と会うことなくこの場を去れるのだと思ったのに。


どうして、このふたりの姫は、こんなにも『雲間姫』のために必死になっているのだろう。




いや、そうでない。




椿もまた、似た想いは抱いていた。


妃審査、妃のふり、内心冷や冷やすることもあった、慣れない世界の中で、このふたりの姫が椿をここまで導いてくれた。


彼女たちにその自覚はないだろうが、椿をここまで支えたのはふたりの姫だった。


短い間だったが、だが、椿は彼女たちと離れることがさびしいとも思っていた。






ふたりの姫も、そう思っていてくれるとうれしい。


出会ったのは『雲間姫』としてだが、接したのは椿自身なのだから。






「もう、よいのです、紫苑姫、槐姫。あなたがたも、一族本家の姫ならばおわかりになるでしょう?一族の不始末は、本家の不始末。一族の当主が決めたことに、わたくしたちが逆らうことなど、できないのです」


椿の言葉に、紫苑たちは言葉を詰まらせる。




本家の、貴族の姫の気持ちなど、わかる日などこないと思っていた。


それなのに、こうして今、不思議とすらすらと言葉が出てくる。『本家の姫』として。


そしてそれは正論なのだと、本物の本家の姫たちの反応を見て思う。






貴族は、権力にしがみつく、権力にしかしがみつかない、愚かな者たちだと思っていた。


だが、紫苑たちと接していて、椿の認識は少し変わった。






なんて、かわいそうなのだろう。


一族という柵。


貴族という牢。


権力と誇りという、鎖。


意識的か、無意識かわからないが、彼らは自分自身で自分たちの自由を奪っている。自分たちの首を自分たちで締め上げている。じわじわと。




そうまでして、彼らは守りたいのだろうか。一族の権威を。




柘植も、また。






「もう、雲間姫もご決意されているのですね?」


長い沈黙の後、槐が椿にそう問いかけた。椿は、微笑みながら頷いた。


「わかりました。ならばこれ以上なにも申し上げません。・・・・・・どうか、無事のご帰還をお祈り申し上げます」


「道中、どうかお気をつけて」


まだ涙を浮かべながらもそう告げた紫苑に、こっそりと椿はたずねてみた。


「紫苑姫、最後にひとつうかがってもよろしいかしら?」


「なんでしょう?」


「風蘭公子さまのこと、どうお思いかしら?」


「え・・・・・・?」


思いもかけない椿の問いかけに、紫苑が固まる。そして、そっと彼女は自らの胸元に手を寄せた。


「・・・・・・どう、とは・・・・・・?」


「いえ、やはり結構です」


戸惑う紫苑に、椿はにっこりと笑う。妓女として様々な恋愛模様を見てきた彼女は、なんとなくわかった。






地位など。権力などなければ、もっとふたりは自由だっただろうに。






そう思わずにはいられない。


けれど、それを彼女にも、そして彼にも言う気はない。言っても仕方のないこと。






「紫苑姫、槐姫、ご健闘をお祈り申し上げます」






ただ、椿は『雲間姫』として最後にそう言った。








それから一月足らずで、椿は後宮を退室した。


今、彼女は馬車に揺られながら、窓の外を眺めている。同席しているのは、冬星州州主であり、雲間姫の父である柘植と、冬星州に左遷された風蘭公子。


この公子に付き添っていた衛士は、馬車の外で護衛たちと一緒に馬を走らせている。




公子の遠征ということで、兵部からは異例の数の護衛がつき、なにかの式典かと思われる行列ができあがっている。






ちらり、と椿は風蘭公子を見やった。たしか、彼もまた椿や紫苑、槐と同じ、16歳。


後宮の室で話したときは、むしろ16歳にすら見えないほど幼く思えたが、こうして寡黙に座っている姿を見ると、実年齢よりはるかに大人びて見える。


それだけ、王族は苦労が多いのだろうか。






そして、野望の敗れた州主の表情見てやろうと、椿はそちらを見る。と、彼もまた椿を見ていたのか、すぐに目が合い、睨まれてしまって目を逸らす。


仕方なく、再び彼女は窓の外に視線を送った。


「やはり、後宮を去らなければならないのは、悔しいか?」


突然、風蘭公子がそう尋ねてきた。


「いや、そんなことはちっとも。むしろ、風蘭公子のほうが、さみしいのでは?」


「おい、馴れ馴れしいぞ」


くだけた口調で答えた椿に、すぐに柘植が注意をする。だが、椿はすました顔でそれを受け流した。


「今更、なにを隠そうというのですか、州主さま?もう終わったことでしょう?」


黙り込む柘植と、にやり、と笑う椿を、風蘭公子は困ったように交互に見る。




「いったい、何の話だ・・・・・・?」


「風蘭公子、前にあたしの室で言いましたよね?」




椿はもう、飾る気はなかった。




役目は終わった。


あのとき、紫苑姫と槐姫に残りの戦いを預けたあの瞬間に。






「あたしは他の姫たちとは違う。そのわけをお話しします、と」


「あ、あぁ・・・・・・」


がらりと様子が変わった椿に、風蘭公子は明らかに戸惑っている。それが心地よくて、またかわいくて、椿はじらしてしまう。


「あたしは、本当に他の姫たちとは違うんです。どこの貴族の姫とも違う」


「そ、それはなんとなくわかる・・・が・・・」


助け舟を求めるように、風蘭公子は柘植を見る。だが、柘植は観念したように固く目を閉じたままだ。






「風蘭公子、今だから申し上げますけど、あたしは冬星州州主の娘じゃありません」






風蘭公子からの反応を得るのに、3拍ほどかかった。


「えぇ?!」


「あたしの名は、睦 椿。冬星州一、いや、星華国一の遊郭、氷硝にある雅炭楼の妓女です」


突然の椿の告白に、風蘭公子は完全に思考が停止している。当然といえば、当然である。


「そ、そ、それじゃぁ・・・・・・雲間姫・・・は・・・?」


「本物の雲間姫は、2年前にお亡くなりになっています」


「本当か?」


これは、柘植に尋ねたようだった。柘植も、風蘭公子の問いかけに反応し、目を開けると、頭を垂れた。


「真でございます。偽りの姫を妃候補として後宮へおくったこと、いかような処断も受けましょう」


もはや、柘植の反応も開き直りである。事態が段々飲み込めてきた様子の公子は、落ち着いた声で答えた。


「いや、その件になにか咎を問うようなことはしない。これを知ったのは俺だけだろう?ならば、そのままでいればいい」


寛大なのか、ただ単に面倒なのか、風蘭公子のその判断に、柘植も若干驚いた様子だった。


「よろしいのですか?執政官や、中部長官などに報告されなくて・・・・・・」


「してどうするのだ?もう雲間姫は冬星州へ帰還するというのに」






偽の姫を妃候補として連れてきた。


そんな虚偽、どれだけの罰を受けるかわからない。柘植も、椿も。


そして、霜射一族も末代まで罵られ、蔑まれるかもしれない。


国政の頂点に立っている執政官や王にそれを告げれば、あっというまにひとつの一族が失権する。


11貴族の力が弱まれば、王の力がそれだけ強くなる。




王族である公子ならば、それもまたひとつの駒として使ってもいいものだというのに。






「俺はそんなことをいちいち告げ口するようなことはしない。おまえたちが悔やんでいるのなら、それでいい。過ぎたことだ」


あっさりとした風蘭の言葉に、椿も拍子抜けする。




だが、同時にこの公子のことが気に入ってしまった。








冬星州への馬車での帰路。


風蘭公子は驚くべき事実を知り、椿は公子の新たな一面を見た。


またひとつ、絆がつながる。




それは、後々に欠かせないほど確かな、大切な絆が。









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