三章 渦巻く暗躍 二話
2、待機の果てに
朝議は、程なくしてすぐに終わった。
ずっと政治堂のそばで待機をしていた連翹は、風蘭がそこから出てくるのをじっと待っていた。
わらわらと、高官たちが政治堂から出てくる。なぜか、全員冴えない顔つきで、「まさかこんなことになるなんて」「執政官もやりすぎなんじゃ・・・・・・」などと口々に話しているのが聞こえる。
高官たちのその言葉を聞いただけで、連翹はもはや落ち着かなくなってきた。また、風蘭が蘇芳と衝突したのではないかと不安になったのだ。
「お。蜂豆 連翹か」
政治堂の扉だけを見つめていた連翹は、突然話しかけられて驚いた。見れば、すぐそばで同じく冴えない顔で彼を見つめる、兵部大将、双 縷紅がいた。
「双大将・・・・・・。あの、中でいったいなにが・・・・・・」
「予想外の展開になった。俺も守りきれなかった・・・・・・すまない。いったい、双大后にどう詫びたらよいのか・・・・・・」
縷紅のその発言により、いよいよもって、連翹は不安にかられる。
「いったい、どうしたというのですか、双大将?!」
「実は、風蘭公子が・・・・・・」
「なんだ、連翹、ずっと待っていたのか?」
連翹が縷紅を問い詰めようとしたとき、当の風蘭が姿を現した。蘇芳とやりあったならば、いつもはもっとかっかと烈火のごとく怒っているのに、今日の彼はずいぶんと穏やかだ。それが一層、連翹を不安にさせる。
「若君・・・・・・」
「寒い中、ご苦労だったな。後宮へ帰るぞ」
「え、いったいどうして・・・・・・」
「用が済んだからだ。・・・・・・あぁ、そうだ、双大将」
くるりと振り返って、風蘭は縷紅を見て、にやりと笑った。
「貴殿の保身も省みない発言、感謝する。だが、これからは気を付けられたほうがいい。益々蘇芳の独裁ぶりが発揮されるだろうから」
「・・・・・・肝に銘じておきます、風蘭公子さま」
眉間にしわを寄せて、苦しそうに縷紅は礼をとる。なにが彼をそんな表情にさせるのか、連翹にはさっぱりわからない。
「あの、若君・・・・・・」
「これは、霜射星官」
再び連翹が風蘭に話しかけようとしたとき、彼はまた違う方向を見て、誰かに話しかけた。
「このたびのこと、真に遺憾でございました。たしか、霜射民部長官は、貴殿の弟君でいらしたはず。お悔やみ申し上げます」
「・・・・・・公子さまより直々のお言葉、痛み入ります。恐れ入りますが、もしも、雲間にお会いすることがありましたら、これをお渡し願いませんでしょうか」
風蘭に霜射星官と呼ばれた男は、風蘭に文を差し出した。
「承知いたしました。今から雲間姫とお話してこようかと思っていたところです。叔父上を亡くされて、さぞやお心を痛めておいでかと思いますので。そして、この度のこともお伝えせねばと・・・・・・」
「存外、あれは喜ぶかもしれませんな」
「え・・・・・・?」
ぽつりとつぶやいた、柘植の言葉に、風蘭が問い返す。だが、彼は再び繰り返すことはなく、簡単な礼をとって立ち去ろうとした。が、ふと、なにかを思い出したかのように言い加えた。
「冬星州までの道のりは長くなります。どうか、出立までの体調にはお気をつけくださいませ」
「わかった。長い旅路、共にいて面倒もかけるかと思うが、くれぐれもよろしく頼む」
風蘭の言葉に、柘植は再び礼をして、今度こそ立ち去った。
驚いたのは、連翹である。
今の会話をじっと聞いていた連翹は、声をあげそうになった。
冬星州までの道のりは長い?
出立までの体調には気をつけろ?
長い旅路、共にいて面倒をかける?
共に、いる?!
「若君!!」
とうとう、連翹は風蘭の袖を掴んで、彼の注目を連翹に向けさせた。
「なんだ、連翹。おっかない顔して」
「いったい、どういうことですか?!冬星州って・・・・・・いったい・・・・・・」
「冬星州へ行くことになった。出立は・・・そうだな、色々準備もあるし、一月ほど先になるかもしれないな」
あっさりと告げる風蘭の真意が連翹にはわからない。
冬星州といえば、この夏星州から最も遠く、そして星華国一治安の悪い州ではないか。それをなぜ、彼はこんなにもあっさりと「冬星州へ行く」と告げることができるのだろうか。
「それは・・・・・・執政官が決められたのですか・・・?それとも芍薬公子さまが・・・・・・?」
「俺が、決めたんだ。蘇芳も、兄上も関係ない」
きっぱりと、風蘭はそう言い切った。そしてすたすたと先を歩き始めた。
「若君、どちらへ?」
「後宮だ。雲間姫に会う」
いつもよりも冷静さを欠いて風蘭のあとをおいかけてきた連翹に、彼はふざける風でもなく、背中越しに真剣に言った。
「冬星州まで、俺を追いかけてこなくていいぞ?母上はこの後宮におられるのだから」
「若君・・・・・・?」
「どうするかは、連翹、おまえが決めればいい」
決して振り向かずにそう告げる風蘭の表情が、連翹は気になる。いったい、どんな顔をしてそんなことを言っているのだろう。
連翹の決断は、すでにもう決まっているというのに。
「雲間姫様。いらっしゃいますでしょうか」
連翹が雲間姫の室にいた女官に取り次ぐ。その間、風蘭はぼんやりと庭を見ている。そんな様子の風蘭が連翹はとても気になる。
やがて、女官より入室の許可が下りた。風蘭は雲間姫の室に入ろうとし、連翹に「ついてこい」と目で言った。めったに風蘭以外の後宮内の室に入ることを許されない連翹は、風蘭のその計らいにも驚いた。
今日の風蘭はどこかいつもと違う。
「お初にお目にかかります、風蘭公子さま」
そこにいたのは、なんとも艶やかな女郎のような姫だった。風蘭を見つめる上目遣いにも、彼を誘惑させようという意図がありそうで、むしろ恐ろしい。
けれど、風蘭本人は、さして気にもせずに挨拶を返した。
「お初にお目にかかる、雲間姫。こちらはわたしの側付きの連翹。同席を許していただけるだろうか?」
「もちろんでございます。どうぞおかけくださいませ」
そして雲間姫は、慣れた様子で雰囲気を察し、その場を人払いさせた。さっさとお茶の用意を始めるその手際は、本家の姫とは思えないほどよかった。
茶を注ぎ始めた姫に、連翹は控えめに告げた。
「雲間姫様、あとはわたしが」
「あら、ありがとう」
流し目で連翹を見たあと、彼女は風蘭の真向かいに座った。風蘭はなにから話そうかと思案している様子だったが、やがて、柘植から手渡された文を雲間姫に差し出した。
「これは・・・・・・?」
「お父上からの御文です。今朝方、朝議でお会いしたものですから」
「・・・・・・父上、から、ね・・・・・・」
含みのある笑みを浮かべながら、雲間姫はその文を読み始めた。なにが書いてあるかはよくはわからない。が、おそらく今回の一連の事件と、冬星州へ帰ることとなった経緯が書いてあるのだろう。
何も知らないはずの彼女だが、いくら文を読み進めても、決して表情は変わらなかった。
「・・・・・・なるほど、わかりました。冬星州へ帰れるんですね」
「・・・・・・え?」
「戦途中で戦線離脱するのは大変遺憾ですが、これも運命。せん無いことですもの」
がっかりするでも、驚くわけでも、嘆くわけでもなく、雲間姫はすっきりした晴れ晴れとした表情でそう言った。ふと、柘植がぽつりと言った言葉を思い出す。
『あれは、むしろ喜ぶでしょうな』
「・・・・・・えっと、雲間姫、その、妃審査から棄権しなければならないのですが・・・・・・よろしいか?」
「よろしいもなにも、もう決まっていることなのでしょう?ならば、わたくしに異存はございません」
普通、妃になるため、一族の繁栄と栄光のために地位と権力を得るために妃審査に挑んでいる姫君ならば、この予期せぬ事態に狼狽し、意図しないところで決まった決定事項に嘆こうものだが、どうしたことか、この姫君はそうではないらしい。
風蘭も予想外の雲間姫の反応にやりにくいらしく、戸惑っている様子が見える。そんな彼の様子にもお構いナシに、雲間姫はうれしそうに話題を展開させた。
「そういえば、ついこの間、紫苑姫にお会いになられたそうですね」
どうしてこの暗い話題から、そんな明るい話題に展開できるのか、思わず連翹は手元の茶器を取り落としそうになった。なんとか何食わぬ顔で、ふたりの高貴な方々の目の前にお茶を差し出した。
「え、あ、まぁ・・・・・・」
「紫苑姫が、風蘭公子さまが政務に興味がおありだったとお喜びでしたわ」
雲間姫の言葉に、風蘭の顔がみるみると赤くなる。あれでは彼の心情など、彼女にばればれではないか。
「紫苑姫が后妃になることが叶わなければ、他公子さまのお妃になることも可能なんですよね?」
すでに風蘭の気持ちを察した雲間姫が、彼をからかうように確認する。こういう事態にはまったく免疫のない風蘭は、しどろもどろになっている。
「・・・・・・坊ちゃん、雲間姫さまに申し上げることがおありでしたよね?」
助け舟のつもりで、連翹はそう言ってみた。風蘭もほっとした様子でうなずく。
「そうだった。突然の帰郷の沙汰で申し訳ないが、このような事態で雲間姫には冬星州へ帰還いただくことになった。そして、もうひとつ」
指をたてた風蘭に、雲間姫は向き直る。
「わたしも冬星州までお供させていただくこととなりました」
「公子様が?なぜ?」
「今回の民部長官の死の真相を探りに、です。・・・・・・まぁ、それは表向き、ですが」
「なるほど、本来の目的はあなたの左遷、ね」
ずばりと飾りもなく切り込んだ雲間姫の発言に、連翹だけでなく風蘭も驚く。
「く、雲間姫・・・・・・」
「あら、違います?」
「いや、違わないが・・・・・・。・・・・・・なんとも、あなたは今までわたしが見てきた姫君たちとは少し違うようだ」
苦笑する風蘭に、雲間姫は豊かな胸をそらせる。
「まぁ、そうでしょうね。事実、わたくしは他の姫様方とは異なりますから」
「それはいったい・・・・・・?」
「冬星州までの道のりは長いです。そこでお話しいたしますわ」
にっこりと笑う彼女のその笑みもまた、魅惑的だ。本当に、これでは貴族の姫ではなく、妓楼の妓女のようである。
・・・・・・無論、本物の妓女を見たことはないが。
なんとも調子の狂う雲間姫との対談も終えると、風蘭は母である桔梗のもとへは行かずに、まっすぐに自分の室へと帰ろうとした。
「坊ちゃん?桔梗様へご報告されないのですか?」
「今頃嬉々として蘇芳のやつが報告に行っているさ。落ち着いた頃に母上から要請があるだろうから、それからでいい」
「・・・・・・つかぬことをお聞きしてもよろしいですか?」
「なんだ?」
「なぜ、雲間姫さまの室への入室をお許しになられたのです?」
連翹の問いに、風蘭は虚を突かれた顔をしたが、やがていたずらが見つかった小さな子供のように、小さな小さな声でそれに答えた。
「・・・・・・見知らぬ姫とふたりきりなど、俺はその空気が耐えられない」
ぷっと吹き出した連翹を風蘭はじろりと睨む。
「笑うなら笑えばいいだろう」
「い・・・・・・いえ、し、失礼いたしました・・・」
くっくと笑いをこらえながら、連翹は謝る。
だから、連翹は風蘭が好きだ。
素直で実直で、いつだって自分の気持ちに正直。
それでいて、いつだって星華国を想っている。
そして、そこで暮らす様々な人々のことを想っている。
「・・・雲間姫には、もっと色々罵倒されるかと思った」
正装から普段着に着替えながら、風蘭はぽつりとつぶやいた。
「妃審査が始まってから、海燈で足止めし、後宮へ来てもなかなか審査は始まらず、待たせてばかり。で、いきなり帰れ、だろう?怒られても無理はないかと思っていたんだが」
「そうですね。あの姫君は、妃になることにさほど執着されていらっしゃらないようでしたね。後宮で待機させられていたことにも、特に恨み言もなく」
風蘭の着替えを手伝いながら、連翹も同調した。やがて窮屈な正装から解放された風蘭は、ぐっと伸びをした。
そんな風蘭のために茶の用意をしながら、ふと、連翹は何気なく言った。
「坊ちゃん、先ほどの件ですが」
「・・・ん?」
「坊ちゃんが冬星州へ行かれる場合、わたしはどうするか、というお話です」
「・・・あぁ」
急に表情を硬くする風蘭。そんな公子に、連翹はふわりと笑った。
「もし坊ちゃんがお嫌でなければ、お供させてください」
「え?」
「だめですか?」
「そ、そんなことは・・・・・・。だって、連翹、おまえは母上の・・・・・・」
「これですか」
腰にさげている、身の丈に合っていない短剣でも長剣でもない剣に、連翹は手をかける。その鍔に描かれるキキョウの花。
「これは、わたしが幼い頃に桔梗さまより下賜されたもの。もとより、桔梗さまより、この剣が我が身の丈に釣り合わなくなったとき、もう一度考え直すように申し付かっております」
その剣を風蘭の目の前に置く。
「ですから、わたしはわたしの意志で、この剣をここに置いていきます」
『花』の返上。
事実上、そうなる。
だが、桔梗はそれを喜ぶだろう。連翹にはわかる。
けれど、一方で目の前の風蘭は表情を強張らせたままだ。
「・・・・・・母上からの『花』を返上したところで、俺がおまえに『花』を渡すとは限らないぞ?」
「構いません」
『花』がほしくて風蘭のそばにいるわけではない。それをわかってほしかった。
だが、未だ風蘭は納得しない様子で連翹を盗み見る。
「・・・・・・俺は、俺のやるべき『使命』を見つけるまで、誰にも『花』は渡せない。己の果たすべき目的もないままに、誰かに『花』をやることなど、できない」
どこまでも、どこまでも真っ直ぐな瞳。
風蘭は、連翹が思いよりもはるかによい公子になった。
けれど、それは一方で、独裁政権を狙う執政官、蘇芳の邪魔になる。
蘇芳が何の策略もなしに、風蘭を冬星州へやるわけがない。おそらく、『何か』がある。
この穢れなきまっすぐな瞳を、蘇芳に奪わせはしない。
「・・・・・・では、わたしはいつまでも待ちましょう。あなたがその『使命』を見つけ、本当に『花』を渡すべき者を見つけるそのときまで。それまではお傍にいさせてください、坊ちゃん」
坊ちゃん。
なぜ、わたしがあなたをそう呼び始めたか。知らないでしょう。
いつから、それを呼び始めたか、あなたは忘れてしまったでしょう。
けれど、そう呼べるのももう残りわずかかもしれない。
それはとても喜ばしいことだった。
「・・・・・・わかった。連翹、共に冬星州へ来てくれ」
「御意」
連翹は風蘭に跪く。
同時に、扉の叩く音がした。
「風蘭公子さま、双大后さまがお呼びです」
桔梗の女官の声が、室の外から聞こえた。