十章 露呈された歪み 十五話
十五、理想と現実
東蓬一族の話しは、史学を学んでいるときに偶然にも知ることができた。
だから、本来なら知らないはずのその血筋を、彼女は知っていた。
もちろん春星州に暮らす者たちは当然に知るものなのだろうが、夏星州で生まれ育った彼女や彼女の一族は、東蓬一族について詳しく知り得なかった。
しかし、知ってしまった彼女は、東蓬一族が立たされた複雑な立場に、心痛めていた。
そうして、晴れて彼女もまた王族と関わることとなったとき、東蓬一族のことが脳裏をよぎったが、それほど注意を払うことなく日々は過ぎていった。
その矢先のことだった、春星州の暴動が起きたのは。
東蓬一族を排するための暴動。
彼らの主張では、王族を守るための必要なる暴動だという。
けれどそれは、一方的に無勢に多勢で攻めるだけの抑圧。
聞けば、この長い歴史の間、それは何度も起こっていたのだという。東蓬一族というものがある限り、この暴動は続いてしまう。
王族と東蓬一族が並んで存続している限り。
彼女の夫もまた、同じ考えに至ったのだろう。
だから、芙蓉は桔梗に言ったのだ。
「春星州に行ってほしい」と。
そして芙蓉はこうも言った。
「東蓬一族の生き残りがいたら、彼らのその姓を名乗ることを禁ずる。代わりに、蜂豆という姓を与えることにした。この負の連鎖は、もう終りにしよう」
姓を変えれば、いずれは人々の記憶からその血筋の話は消えていくだろう。
暴動もなくなるだろう。
東蓬の者たちには姓を捨てろと酷な話ではあるが、これ以上の被害を広げないための苦肉の策だった。これによって、さらに王族が東蓬一族に恨まれることになったとしても、何十年もの先の未来を見据えた先には、必ず功を制すると信じて。
桔梗には芙蓉の考えが理解できた。
だから、それを伝えるために春星州に向かった。王の勅使たちと共に。
王である芙蓉が動くわけにはいかなかったが、その妃である桔梗がその地を訪れたのは、王族への忠誠心厚い春星州の者たちにとって、予想以上の効果を見せた。
暴動は桔梗の一声によって急速におさまり、人々は落ち着きを取り戻した。
そして、桔梗は芙蓉の伝言を伝えるために、こっそりと東蓬一族の生き残りを探した。彼らの姓を剥奪することを伝え、その代わりに生活を保障する、という伝言を。
想像以上に、東蓬一族への被害はひどかった。
一家の屋敷はすべて焼き払われ、彼らも抵抗したのか、争いの跡も見受けられた。
この中で生き残りを見つけることができるのかと絶望しかけたとき、ふたりだけ生き残りを見つけた。
疲弊した様子の男と、その男に必死にしがみついている幼子。
桔梗は、ひっそりと隠れる彼らに近づき、芙蓉の伝言を伝えた。
始めは桔梗が王の妃だと知って警戒していた男だったが、やがてその警戒と戸惑いは、憎しみの瞳に変わった。
「随分と勝手な言い分だな。王族のせいで俺たちはこんな目に遭っているというのに、その王族が保身のために俺たちから姓すら奪うというのか」
「・・・・・・王族への保身だけではありません。あなたがたの保身も兼ねているのです。まだこのような幼い子供に、これ以上の過酷な仕打ちは受けさせたくはないでしょう?」
桔梗は、男の腕の中で必死に彼にしがみついている少年に目をやった。
男もまた、震えるこの幼子に目をやると、諦めたように嘆息したあと、それでも桔梗を睨みつけ言った。
「この子は俺の遠縁にあたる子だ。俺とこいつだけが、東蓬一族の生き残り。この子が、牡丹王の末裔だ」
「・・・・・・そうですか」
「こいつをここに置いておけば、忌わしい記憶に苛まれることになるだろう。・・・・・・この子を保護してやってくれるというのなら、王族のその条件も呑もう」
芙蓉からも、もしも子供の生き残りがいたら保護してくるように言われている。
男からの申し出に、桔梗はすぐに頷いた。
「かしこまりました。大切に保護させていただきます。・・・・・・この子の名は?」
「・・・連翹だ」
ぶっきらぼうに男は言い、そして少年を桔梗の腕に託した。彼女はさらに彼に尋ねた。
「あなたのお名前は・・・・・・?」
「・・・梅だ。・・・俺は王族からの施しなどいらない」
きっぱりとそう拒絶した梅と名乗る男の目を、今も桔梗は忘れることができない。
そうして引き取った連翹を、芙蓉と桔梗は大切に育てた。
貴族たちによる一方ならぬ視線はあったものの、公に非難されるようなことはなく、そして連翹が東蓬一族の生き残りだと知られることもなく、後宮で育てていくことができた。
幼い連翹は、それでもその苛酷な暴動を忘れることはなかった。その原因の追及を芙蓉と桔梗に求めてきた。ふたりは、隠すことなく彼に話した。
連翹に真相を隠すつもりはなかった。彼がそれをどのように受け止めることになっても。
全てを知った連翹は、それでも変わらずに後宮で過ごした。心中はどうだか知らないが、王族に恨みを見せるような仕草もなかった。
そうしてしばらくして、連翹は少年から青年へと成長し、彼が望めば自立して暮らしていけるだけの年齢になった。
連翹が望むのならば、芙蓉とふたり、後見となって彼を後宮から出してあげることもできた。いつまでも王族と過ごすこともまた、彼にとっては苦痛でしかないのかもしれないと思ったからだ。
けれど、連翹は予想に反して首を横に振った。
「もしもご迷惑でなければ、わたしをこのままここにおいてはくださいませんか」
迷いのない連翹のその瞳から、彼が本心を告げていることはわかった。
桔梗はそれ以上連翹に何も言うことはなかった。
彼が決めたことに、桔梗が何かを言う資格などないのだから。
けれど、連翹のその決意を試すように、桔梗は彼を息子の護衛としてそばに置いた。
加え、桔梗から連翹への信頼の証だと示すために『花』を与えた。
連翹は、こちらが驚くほど風蘭の傍を離れずに彼に付き従った。
まるで兄弟のようにいつも一緒にいた。
しかし、桔梗は気付く。
連翹が風蘭を呼ぶときにいつしか『我が君』から『坊ちゃん』へと変わっていったことを。
風蘭が物心つく頃には、連翹はすでに風蘭のことを『坊ちゃん』と呼んでいた。
その意味を、風蘭自身は気付いていなかった。
けれど桔梗は、連翹の中に秘められた決意を・・・・・・想いを垣間見た気がした。
そしてそれは、風蘭と連翹が成長するにつれ、彼らの関係が確固たるものになっていくにつれ、確信に変わっていった。
冬星州に左遷された風蘭について行った連翹。
桔梗の与えた『花』を返上して。
それは、風蘭の決意次第では、桔梗と敵対することも厭わないという彼の意志表示でもあった。
その連翹の予想通り、風蘭は反逆を決意した。もちろん、連翹もそれに倣った。
そして彼は風蘭を『坊ちゃん』から『風蘭さま』へと呼ぶようになった。
連翹の中で、彼の『願い』が叶えられていることを示すように。
確かめる必要があった。
それは桔梗の中の好奇心でもあったし、連翹は我が子のようなものだったから、彼の思いを知りたいという親心でもあった。
炎に包まれた後宮で、桔梗を助けに来た連翹に、彼女はとうとう尋ねてみた。
彼が口にした、『我儘な願い』を、彼女は具体的に尋ねた。
長年ずっと、連翹が風蘭と共に成長するのを見守りながら、胸の中で予想していた彼の願いを。
秘めているその思いを。
彼女は真剣な眼差しを向け、尋ねた。
「連翹、あなたの願い、それは『風蘭を牡丹王に仕立て上げる』ということかしら?」
沈黙。
わずかに、彼の成長を見守ってきた桔梗にしかわからないほどほんのわずかだけ、表情を動かした。
それだけで十分だった。
それが答えだった。
そう、連翹は風蘭をかの英雄王に仕立て上げたかったのだ。
牡丹王のせいで追い詰められた連翹は、新たな獅一族の伝説を仕立てあげようとしたのだ。
それが、風蘭の反逆。
玉座の奪取。
そして、星華国の改国。
連翹が長い間、心のうちに秘めていた我儘。
同じ悲劇を繰り返さないために、風蘭を牡丹王に、英雄王に仕立てる。
それが、茨の道でも。
けれどそれは同時に、偶然にも芙蓉の目論みとも重なっていた。
運命の歯車は、確実に風蘭をその座に導いていった。
彼の意志次第だと言いながらも、彼は大きな流れによって玉座に誘われていったのだ。
王族と北山羊一族との溝。
それを埋めることが出来るのも、既存の風習を打ち破り、兄王から玉座を奪った風蘭ならできると、芙蓉は託していた。
連翹も同じ気持ちなのからどうかはわからない。
桔梗に会いに来た木蓮は、ひどく連翹のことを案じているようだった。というよりは、連翹が北山羊一族の口車に乗って、抱え込まれてしまうのではないか、ということを案じているようだった。
王族を恨んでいると口々に噂されている北山羊一族。
かつて、王族にまつわる暴動に巻き込まれ、家も姓も失った連翹。
王族に恨みを持つであろう彼ならば、北山羊一族の言葉に唆されてしまうのではないか。
木蓮の心配はそこにあるようだった。
そして万一連翹が裏切った時、風蘭が傷つくことを恐れていたのだ。
だからあの若い官吏は、王の心を守るために、冬星州に向かった。
王の代理として朝廷に残ると言い切ったはずの木蓮がいなくなったことにより、風蘭と木蓮、それぞれの責任問題は今、朝廷でも囁かれている。
残った華鬘が必死に宥めているようだが、解決に至るには本人たちからの弁解が必要になるだろう。
それでも、責を問われ、責められることになるのだとしても、風蘭は紫苑を助け、北山羊一族と向き合うために、木蓮は風蘭の心を支えるために、ふたりは冬星州に向かった。
風蘭は、多くの者に支えられ玉座にいる。
それは未熟で若いから故のことだが、それでなくとも風蘭は人を惹きつける力がある。
だから、彼の周りに皆が集まる。
ひとりで何もかもできる王は優秀な王なのかもしれない。
頼りになる王だと皆が一目置く存在になるかもしれない。
しかし、それでは民は王を近づきにくい存在だと、遠い存在だと認識してしまうことだろう。
一方で、皆に支えられ執政する王ならば、皆が国のためを思い、王を思い、協力するだろう。
国のためにどうすることがいいのか、星華国で暮らす国民みなが頭を寄せあって考えるだろう。
王や国を頼るばかりではなく、自らの力で国と未来を築くために。
それは、貴族も平民も関係なく。
それは、かつての牡丹王の時代のように。
まだ王としても官吏としても、未熟な風蘭と木蓮。
そのふたりが、築く未来。
連翹が望む、牡丹王の再来。
芙蓉が願った、星華国の改変。
冬星州にいる、桔梗の大事な子供たちを思い、彼女は大切なフヨウの扇子を握り締めるのだった。