十章 露呈された歪み 十四話
十四、恩義と怨恨
風蘭たちがその扉を見つけたのもまた、唐突のことだった。
風蘭と黒灰、そして木蓮と水蝋が再会したのも束の間、興奮状態の木蓮に風蘭があっさりと木蓮の懸念を受け入れた矢先のことだったのだ。
連翹が、星華国の初代国王である牡丹の血を引く一族の末裔であるという事実。
そして、現王である風蘭に仕える連翹が、獅一族を憎む北山羊一族の中枢にいるという事実。
木蓮がそれらに案じて慌てていたにも関わらず、当の風蘭は意外にもあっさりとそれを受け入れていた。
彼はすでに知っていたのだ。
連翹が、牡丹王の血を引く者だと。
それを冬星州へ出立する前に話をした、蘇芳から聞かされていたというのだ。
牡丹が女性であったこと、獅姓を捨てた後、東蓬姓となったこと、そして、連翹の本当の名は、東蓬 連翹だということ。
蜂豆という姓は、芙蓉が与えたものらしい。
風蘭は何も知らなかった。
何も聞かされていなかった。
連翹のことも、牡丹王のことも。
誰も教えてはくれなかった。
風蘭が疑問を抱くまで話さないと、みなで取り決められたかのように。
実際、風蘭が問えば、芙蓉も桔梗も答えてくれたのかもしれなかった。
けれど、ふたりが連翹を擁護しているから、風蘭は疑問を抱くこともなかった。
幼いころからずっと、彼は風蘭のそばにいてくれたから。
けれど・・・・・・。
「いやぁ、オレは驚きましたけどね」
突然現れた扉を前にして、水蝋がぽつりと呟いた。
「確かに、扉が突然現れるなんてびっくりですよね」
「どんなボケだよ、木蓮。オレが言っているのはコレのことじゃなくて、連翹のこと。この際、ここで起こる摩訶不思議なことには、いちいち驚いていられないっての」
「あ・・・・・・そ、そうですね」
木蓮を軽く小突きながら言い返してきた水蝋に、慌てて木蓮も頷く。そうして水蝋は、いつものようなふざけた調子ではなく、珍しく真剣な眼差しで風蘭を伺い見た。
「連翹はどうして水陽にいたんでしょうね?それだけ高貴な血を継いでいながら、平民だという身分だけで、後宮でも朝廷でもひどい扱いを受けていた。なんで、それらを甘受してまで、水陽に・・・・・・後宮にいたんでしょうね?どんな気持ちで、王族に仕えていたのでしょうね・・・?」
それは、風蘭も思ったことだ。
連翹がただの平民ではなく、王族の誰よりも全うな牡丹の血を継ぐ一族の末裔なのだと知った時、では彼は平民として王族や貴族に蔑まれながら、どんな気持ちでいたのだろうか、と。
平民である連翹をそばに置き、貴族と平民の垣根をなくすのだと息巻く風蘭を見て、どう感じていたのだろう。
彼が、風蘭を「坊ちゃん」と呼んだのは、そんな彼の皮肉な思いが込められていたのだろうか。
そうして風蘭が思い巡らせている間にも、黒灰が突然出現した扉に手をかけ、開けてしまっていた。
「なんだ、この室・・・・・・」
わずかな隙間だけを開いて、様子見のつもりで室内を見た黒灰が、困惑を口にする。
風蘭も考えることを中断し、目の前のことに意識することにした。黒灰の言葉を聞きつけ、水蝋や木蓮も彼にならって中を覗く。
しかし、3人の反応もまた、黒灰とさほど変わらないものだった。
「・・・・・・なんか、さらに摩訶不思議な世界って感じっすね」
「いかにも罠がありますって感じだけど・・・・・・」
ためらいがちに木蓮が風蘭を振り返り見てくる。まだ室内を覗いていない風蘭は、そんな3人の反応を訝りながらも、自身も扉に近づき、その中を覗いた。
「これは・・・・・・室内なのに、霧が・・・・・・?」
見れば、扉の向こうは『神殿』の室内であるはずなのに、見渡せないほど真っ白な霧が立ち込めていた。一瞬火事でも起きているのかと見紛うほどに。
「どうしますか、風蘭さま?」
黒灰が新調に風蘭に問いかける。けれど、風蘭に迷う理由はなかった。
懐から何かを取り出し、それを飲みこんでから、彼ははっきりと言った。
「ここしか道はないんだ。入ろう」
何かの罠だとしても、それは風蘭に何か伝えるべきことがあるから。この室内に入れというのは、北山羊一族当主が風蘭に伝えたいことを伝えるためなのだろうから。
命の危険はあるかもしれない。けれど、その可能性は低い気がしていた。
これはただの勘。
だが、迷う理由はない。
「・・・・・・わかりました。念のため、最初は我輩が参ります」
「じゃぁ、オレがしんがりを務めましょ」
みなの緊張が高まる中、水蝋が明るく軽い口調でそう言った。
彼のこの明るさには本当に救われる気がする。特に木蓮は考え込みがちだから、彼のような性格に救われることも多いのではないだろうか。
そんな邪念さえ浮かべるほどの余裕がありつつ、風蘭は黒灰に続いて室内に足を踏み入れた。
そこはやはり霧の中で、風蘭は今までもこれほどまでに濃い霧に出くわしたことがなかった。室内のはずなのに、まるで屋外にいるかのように、壁の気配や距離感などがつかめない。
黒灰も同様のようで、足取りが慎重なものになっている。
「・・・・・・何か、聞こえます」
やがて、小さな声で黒灰が風蘭たちに警告した。彼らもまた、息を殺して頷く。
もしかしたら、この室内には風蘭たちを狙う刺客がいるのかもしれない。
緊張感が高まり、静かな室内で耳を澄ますと、その物音は、誰かの話声だというのがわかった。
「・・・誰か、ここにいるのか?!」
「ですが迂闊に声はかけられませんよ、風蘭さま。もしも刺客だとしたら・・・・・・」
「それに、こんなに濃い霧が立ち込めていたら、どこにいるのかもわからないし、危険だよ」
「木蓮の言う通りです、風蘭さま。まずは相手が何人なのかも掴めないことには・・・・・・」
ぼそぼそと風蘭の暴走を必死に止めようと、残りの3人は彼を押しとどめる。
3人に説得された風蘭は、しぶしぶながらもおとなしくその場に留まることを選んだ。じっとその場で聞き耳を立てていると、やがて、室内に響くようにはっきりと声が聞こえた。
「・・・・・・ずいぶんと、面白いことをおっしゃいますね。あなたらしくもない発言にも思えますが・・・・・・」
それは、意外な人物の声だった。
突然室内に響くように聞こえた声の大きさと、その声の主がわかったことで、4人とも顔を見合わせ、小声で同時に叫んだ。
「連翹?!」
「今の、連翹さんの声?!」
「なんつー、声のでかさ・・・・・・」
「だが、音が反響していて、場所を特定することができない・・・・・・」
唇を噛みしめて呟いた黒灰に、風蘭は怪訝な表情を浮かべる。
「それにしたって、一体どうなっているんだ?!霧の籠った室のどこかに、連翹がいるのか?!だけど、人の気配も感じないし・・・・・・」
「もしかしたら、この『神殿』の仕掛けかもしれませんよ、風蘭さま」
さすがに困惑した様子ながらも、水蝋が風蘭にこっそりと告げる。すると、黒灰がため息交じりに宙を仰いだ。
「・・・・・・ったく、本当に昔から厄介だな、北山羊一族は。どこまでどのような異能を持っているのか、こちらにはとんとわからないから、まるで異世界に紛れ込んだ気分になる」
黒灰の言葉を受けて、水蝋が彼を見上げて尋ねた。
「瓶雪星官は以前にもここに来たことが?」
「あぁ、ある。穏やかな状況ではなかったがな。それに、そのときは今の当主ではないときだしな」
「え、そうなんですか?!」
小声でとはいえ、予想外の事実に思わず風蘭は黒灰に振り返る。
それは考えてもみなかったのだ。
今の黒灰の話でいえば、昔、柘植と黒灰が北山羊一族と揉めたときの当主が、今の北山羊一族の当主とは異なるということだろう。
「今の当主に変わったのは5年ほど前だろうな」
「5年前・・・・・・」
5年前といえば、風蘭が朝廷に徐々に首を突っ込み始めた頃のことだ。
まだ興味本位で朝廷内をうろうろしていただけで、民部のことも何も知らなかった頃。
当主の就任は、同時に星官の就任にもなるため、通例ならば朝廷に出向き王の任命を受けるのが習わしだ。
しかし、北山羊一族は長く朝廷に出仕することを拒み続けていたため、その任命式も執り行われていなかった。
だから風蘭は知らなかったのだ。
「・・・・・・なぜ、そのようなお考えに至ったのでしょう?わたしは王族に・・・・・・風蘭さまにお仕えする身の上です。そのようなこと、思いも致しません」
ふと意識を反らしている間に、再び連翹の声だけが、室内に響き渡る。
彼が一体どこにいるのか、誰と話しているのか、風蘭たちにはわからない。それでも何か手掛かりは掴めないかと、4人は息を殺して聞き耳を立てていた。
相手が何かを言ったのか、なぜかそれは風蘭たちにも聞こえず、連翹が小さく笑い声を洩らしたのだけは聞こえた。そしてさらに、彼は衝撃的な発言をした。
「えぇ、そうです。たしかにわたしはかつては東蓬の姓を名乗っていた時もありましたし、かの英雄王の血を引いているのかもしれません。ですが、それがわたしが玉座を狙うということにはなりませんよ」
「なっ・・・・・・!!玉座を狙う?!」
連翹の発言に、風蘭だけでなく木蓮たちも声を上げる。
連翹は一体誰とどんな話をしているというのだ?!
穏やかではないその話題に、黒灰たちも顔を見合わせ、おとなしく聞き耳を立てている風蘭と木蓮を置いて、連翹の位置を掴もうと辺りを見渡し始めた。
そうしている間にも、連翹はさらに話し続けている。
「確かに、春星州で謂われのない暴動に巻き込まれた時、その原因が東蓬という姓と血筋にあるのだと知った時は、獅一族を恨んだこともありました。けれど、芙蓉陛下と桔梗さまにお助けいただいて、考えが変わりました」
誰かと話す連翹は、穏やかに語る。
彼の話を風蘭たちが聞いていることを、連翹は知っているのだろうか。
・・・・・・いや、きっと知らないだろう。
複雑な心境で連翹の言葉を聞いていた風蘭は、それでも続く彼の話に聞き入ってしまう。
「えぇ、そうですね。わたしも幼かったので、おふたりのご好意に逆らうこともありました。ですが、桔梗さまは辛抱強く、わたしを擁護してくださいました。芙蓉陛下も、こんなわたしを気にかけてくださいましたし・・・・・・」
獅一族を恨んでいた。
獅一族によって迫害されていた。
それなのに、彼を保護したのもまた、獅一族。
そんな皮肉な運命を、彼はどんな思いで受け止めたのだろう。
そしてなぜ、彼はそのまま獅一族に仕える道を選んだのだろうか。
桔梗のことだ、彼を後宮から出す道も、連翹に与えたに違いないのに。
「始めは、王族がおられる後宮に、貴族しか立ち入ることのできないあの場所にいることが、苦痛で仕方ありませんでした。なぜ、王族によって家族も家も奪われたも同然なのに、さらに水陽で王族のそばで、彼らに蔑まれなければならないのか、と」
連翹のその言葉は、おそらく長く語られることのなかった、彼の本心。
王族として、風蘭はその言葉を聞くのは耳が痛い。
だが、これは耳を傾けなければならないことなのだと、風蘭は自分自身に言い聞かせた。
他ならない、風蘭をずっと見守り支えてくれた、連翹の言葉なのだから。
「・・・・・・けれど、共に長く生活をしているうちに、王族や貴族が抱える誇りや矜持故の柵というものに気付かされました。彼らは彼らでまた、見えないものによって拘束され苦しんできたのだと。貴族に民の苦しみがわからないように、平民にも貴族の苦しみを理解するのは難しいのだと。それを実感し、認識すると、わたしの中で、はっきりとした願望が生まれたのです」
静かに淡々と告げられる事実と連翹の声色では、彼の感情は読みとれない。
彼が話す事実は、風蘭の心に棘のように刺さったが、耳を塞ぐわけにはいかない。
これは他でもない、連翹と風蘭の問題でもあるのだから。
それにしても、ここまで本心を露わにするのは、連翹にしては珍しいことのように思えた。
彼と対峙し、話をしている相手は誰なのか、次第に風蘭はそちらも気になり始めてしまう。
連翹は風蘭には一度もそんな話をしたことはない。
彼の本音が語られることも、彼の過去が語られることもなかった。
風蘭が王族だからこそ、できなかったのかもしれないが・・・・・・。
では、連翹の本心を引き出すことができる、彼の話し相手は誰なのか。
連翹はもちろん、風蘭も知っている人物なのだろか。
語られる連翹の心境に耳を傾けながら、そんな疑問を過らせたそのときだった。
連翹が、信じられない名前を口にしたのは。
「あなたもまた、貴族の姫君としてそんな縛りを感じることがあるのではありませんか、紫苑姫」
さらりと言った連翹の言葉が風蘭たちのいる室に響き渡った瞬間、彼ら4人には聞き間違えたかと思った。
連翹の話し相手が、紫苑・・・・・・?!
風蘭たちが探し続けている紫苑が、この室内のどこかで連翹と話をしているというのか?!
予想外の展開と事実に、風蘭たち4人はしばし絶句しながら、互いに顔を見合わせ呆然とするのだった。