十章 露呈された歪み 十一話
十一、危惧と確信
木蓮と水蝋の冬星州への駆走は、文字通り息を吐く間もないほど激走だった。
詳しい事情を知らないはずなのに、「冬星州にある白露山に急いでほしい」という木蓮の要望を聞き、水蝋は得たり顔で頷いてみせた。
「華鬘さまからの話からするに、そこに風蘭さまがいて、木蓮はそこに急がないといけないってことだな?」
「はい、そうです」
「風蘭さまたちが出て行ったのは半月ほど前・・・・・・。冬星州の州都に寄って、そこから準備して出立したとしたら、もう少し詰めることができるか・・・・・・。オレたちは直接そのなんとか山に向かえばいいわけだもんな?」
「は、はい」
何やら算段をたてている様子の水蝋に、木蓮は頼るしかない。
冬星州までの道程、馬を軽く操ることはできても、急がせて走らせることはまだできない。
急ぐ旅路では、水蝋の腕が頼りだ。
そしてその彼は、にやりと笑って、きっぱりと言い切った。
「運が良かったな、木蓮。このオレが、かつてないほど刺激的に高速に、木蓮を冬星州に届けてやるよ。うまくいけば、風蘭さまたちに追い付けるかもしれないし」
「え、風蘭たちに?まさか!!」
随分と前に出立した風蘭たちに追い付くなど。
予想もしていなかった水蝋の宣言に木蓮が驚いていると、彼はそれを面白がるかのように言い加えた。
「ま、優しい道じゃないけどな」
そして水蝋のその言葉通り、道程は優しいものではなく、刺激的な道を選びぬいて、彼らは馬を走らせていた。
走っているのは馬一頭。木蓮が必死に水蝋の背にしがみついているような状態だ。
風蘭たちもまた急いで冬星州に向かったに違いないが、それでも補整された山道を大回りして進んだはずだ。
夏星州から冬星州までの道のりは、山をいくつも越えなければならない。
ひとつひとつの山を大回りして越えて行くことになるのだが、補整された道を進むにはそうするしかない。
しかし、水蝋は違った。
まさに言葉通りに、山中を突っ切ったのだ。
道などないに等しい獣道だというのに、草根を掻きわけ、でこぼこした崖路を躊躇いなく疾走する。
まさに風のように水蝋の操る馬は山を駆けのぼり、駆け下りた。
その馬の尻に乗っているだけの木蓮はというと、身の安全すら保障されていないような揺れと早さに気絶寸前の状態で、必死に水蝋の背にしがみついていた。
・・・・・・もしかしたら、何度か実際に失神していたのかもしれない。
そうして駆け抜けていっても、陽が沈み、道が見えなくなると水蝋は馬を止めて、しっかりと休息をとった。
「休めるときに休んでおかないと、いざというときに困るからな。さ、木蓮、しっかり休め。明日には白露山に着く予定だからさ」
「え、もう明日には?!」
予想を超える超人的な到着日程に、木蓮は驚きを隠せない。もちろん、あのすさまじい旅路を経て、通常と同じ日数だったら、それはそれで泣くにも泣けないが。
「ふふん、瓶雪一族が体術、双一族が剣術に秀でているように、牛筍一族は馬術が得意なんだぜ。こういう旅路にはオレたち牛筍一族が一番得意ってわけ」
「・・・・・・えぇ、それはよくわかりました」
身を持ってそれを示された木蓮は、ぐったりと水蝋に返す。そんな木蓮に彼は笑いながら、焚火に枝を差し入れた。
「さ、もう寝な。明日は決戦だろ?」
「・・・戦うわけじゃ・・・ないですよ?」
「もちろんだよ。風蘭さまだってそのつもりだろうし。だけど、一筋縄じゃいかないだろ?白露山の近道は教えてもらったから、すぐに『神殿』とやらには辿りつけるだろうけど」
「・・・・・・そうですね。双大后さまと北山羊所長には、感謝しなければ・・・いけませんね」
息を吐くように小さくそれだけ言うと、木蓮はそのまま眠りについてしまった。
水陽を発つ前に対談した、桔梗との会話を思い起こしながら。
「連翹の素姓・・・ですか?」
「はい、双大后さまはご存知だったのではありませんか?」
水陽を発つと決めたその日のうちに、木蓮は後宮の奥に控える桔梗の室を訪れた。
本来、中部の官吏でもない木蓮が後宮に入ることは許されない。だが、彼には風蘭に渡された『花』があった。まるで通行手形のようにそれを見せれば、後宮にすんなりと入れてもらえた。
さらに桔梗への取り次ぎも、かつてよりも早く済ませてくれたような気がする。
当代国王の信頼を示す『花』の効果を、まざまざと見せつけられたような気が、木蓮はしてしまった。
権力の行使。
誰もがそれにひれ伏すことに快感を覚え、それに酔いしれてしまえば、本来持っている権力も権威も失われてしまう。
それが果たすべき本当の役割も。
そうして溺れ崩れた愚かな貴族が、今までどれだけいたことか。
昔も、今も。
木蓮も風蘭も、それを変えたかった。
その一歩をようやく踏み出そうとしていたのだ。
・・・・・・それなのに、こんな事態になるなんて。
「・・・連翹の素姓・・・・・・それはつまり、あの子の『本当の名』のことを言っているのですか、羊桜官吏?」
「はい」
「あなたもどこかでそれをお知りになられたのね?」
「・・・・・・はい」
桔梗の態度は丁寧で毅然としていて、木蓮を『風蘭の友人』としてではなく、『官吏』として扱っていた。
木蓮にもまた、その立場であれと望むように。
「連翹を助け、後宮で育てることになった時点で、それ知っていたことです。それを承知の上で、芙蓉陛下はわたくしに、あの子の後見になれと仰せになられました」
「・・・・・・なぜ、後宮に・・・水陽に、連翹さんを・・・・・・」
「まだあの子が幼かったからです。ひとりで春星州で生きていくにはその環境は苛酷で、あの子は幼かった。だから、あの子が自立できる年頃になったとき、芙蓉陛下とわたくしは、あの子に言いました。春星州に帰るもよし、ここに残るのもよし。あなたの意志で決めなさい、と」
「じゃぁ・・・・・・連翹さんが自分で決めて・・・?」
「そう。あの子はここで、この水陽の後宮で、王族に仕えたいと言ったのよ」
桔梗の言葉が、何度も木蓮の頭の中で反芻される。
連翹の意図をつかもうとするかのように。
けれど、木蓮にはそれを完全に理解することはできなかった。
「・・・・・・なぜ、連翹さんはその選択をされたのでしょう・・・・・・?」
「王族を憎んでいるはずなのに、ということかしら?」
「・・・・・・恐れながら」
「そうね。わたくしにもあの子の考えが全てわかるわけではないわ。けれど、芙蓉陛下はあえて風蘭の護衛に連翹を指名された。わたくしは、芙蓉陛下の選択と、連翹の選択を信じるしか術はなかったのですよ」
「・・・信じる・・・・・・」
「風蘭と連翹が、王族を憎む北山羊一族が住まう白露山へ向かったので、心配しているのですね?」
「そ、それは・・・・・・」
「けれど、北山羊一族が憎んでいるのは、果たして本当に王族なのかしら?」
「・・・・・・え・・・?」
思わぬ桔梗の問いかけに、木蓮は戸惑いを隠せない。
そんな彼に、桔梗は柔らかく微笑んだ。
「信じてあげて。彼らを」
陽が昇るのとほぼ同時に、再び水蝋は木蓮を背に、馬を走らせた。
今いる山を越えれば、冬星州白露山へ辿りつく。白露山の歩き方は、桔梗の計らいで柊から伝えてもらった。
正しい道順で歩かねば、永久に山の中を彷徨うことにもなりかねない。
逆に、正しい道順を辿れば、普通の山道を登るよりも早く、目的の場所へ向かうこともできる。
異能一族である北山羊一族らしい、不思議な山だった。
水蝋は教えられた通りに、馬を駆けあがらせた。
陽が高く登る前には、白露山には辿りつき、思ったよりも早く、北山羊一族当主が暮らすと言う『神殿』に着くことができた。
『神殿』の辺りは、当主が暮らしているというのに人気は全くなかった。護衛の者すら見当たらなかった。
何かの罠かもしれない。
木蓮も水蝋も、静かすぎるほど静かな『神殿』の辺りの雰囲気に、侵入する前から警戒を強めた。
何が飛び出してきても不思議ではないのだ。
ここは、異能の者たちが集う場所なのだから。
そろりそろりと『神殿』に近づき、その扉に手をかけても、どこからも何も誰も現れなかった。
まるでここには誰もいないかのように、静かで無だった。
「・・・・・・一体何なんだ?!静かすぎだろ・・・・・・人っ子一人気配がないなんて・・・・・・」
「罠・・・ですかね・・・?」
ぼやく水蝋に、不安そうに木蓮が問う。それに対し、水蝋は軽く肩を竦めただけだった。
「罠でもなんでも行くしかないじゃん?オレたちはこの中に用があるんだし。そうだろ?」
「・・・は、はい」
こんな時、水蝋のこの明るさと軽さに救われている気がする。
慎重になりがちな木蓮は、水蝋の躊躇いのない行動力に感心してしまうのだった。
その水蝋を先頭に、『神殿』の扉の向こうに足を踏み入れた。
何かが飛び出してくるかと構えたが、結局やはり『神殿』の中ももぬけの殻。
呆気なさすら感じながら、水蝋と木蓮は先を急ぐことにした。
「・・・・・・風蘭たちはどこにいるんでしょうか」
「そもそも、風蘭さまたちは紫苑姫を探しに行ったわけだから、もしかしたらこの広さだ、二手に分かれたかもしれないな・・・・・・」
「そうすると、風蘭は連翹さんとふたりきり、ということも・・・・・・」
「一番高い可能性だろうな」
「何もないといいけど・・・・・・」
「当主殿がひっかきまわしていなきゃ、何もないはずだけどな」
軽いため息をつきながら水蝋がそう言うと、木蓮は静かにそれに同意するように小さく頷いた。
どこをどう歩けばいいのかわからない、といった迷いはなかった。
迷う余地すらなく、『神殿』の回廊は奇妙なことに一本道だったからだ。
左右を見ても、窓枠ひとつなく、もちろんどこかに室に繋がるような扉もない。
迷路のような道を歩くのも困難を極めそうだが、こんな風に導かれるように一本道を歩くしかないのもまた、戸惑いを覚えずにはいられなかった。
「・・・なんだか勢いに任せてここまで来たけどさ」
少し急ぎ足で薄暗い回廊を歩きながら、水蝋はおもむろに木蓮に話しかける。木蓮がそれに答えるように顔を上げると、彼は話を続けた。
「連翹、何かヤバイわけ?風蘭さまのそばにいることが。それとも、北山羊一族の住処にいるのがヤバイの?」
「・・・それは・・・・・・」
「別に言いたくないならそれでもいいんだけど、もしも力づくで止めなきゃいけなくなったら、木蓮よりオレの方が適任だろ?理由を知っていれば、全力で止めに入るけどさ」
水蝋の言い分に、木蓮もそうかもしれないと考えを改める。
そもそもこうしてここまで全力疾走で木蓮に力を貸してくれた水蝋に、今更なにも話さない、言えないという仲でもない。
永遠に続くかと思われる長い一本道を歩きながら、木蓮は水蝋に話すことを決意した。
「水蝋さん、それは・・・・・・」
「あれ?木蓮に水蝋殿?」
まさに木蓮が水蝋に話をしようとしたその矢先、聞き覚えのある声が彼の後方から呼び止められた。
水蝋が先に振り向いて、軽く瞠目する。
「なんなんだ、この屋敷・・・・・・」
「屋敷じゃなくて『神殿』だよ、水蝋殿。俺たちも散々振り回されているところだった」
呆然と呟いた水蝋に、背中から聞こえる声が苦笑交じりにそう答えた。
木蓮もまた、信じられない思いで振り向く。
そこには右に曲がる道があり、そこから風蘭ともうひとり、瓶雪一族当主である黒灰が共にいた。
「なんで・・・・・・?だって、さっき僕らはそこを通って・・・・・・ただの『一本道』だったのに・・・・・・」
脇道も曲がり角も、何もなかったはずなのに。
それなのに、そこを通り過ぎて振り向けば、曲がり道ができてそこから風蘭たちは現れたのだ。
「この『神殿』は、北山羊一族の意志によって道を変えるらしいと柊殿にも聞いていたけど・・・・・・だけど、本当にこんなことが可能なんだなぁ・・・。異能ってすごいよなぁ・・・」
感心したように呟きながら頭を掻き、そして風蘭は木蓮に首を傾げた。
「それで、なんで木蓮たちはここにいるんだ?」
「あ、えっと・・・・・・風蘭を探して・・・・・・」
「俺を?」
突然現れ、なぜか平然と歩いている風蘭の様子に、木蓮は戸惑いを隠せない。
「木蓮?どうしたんだ、黙り込んで?」
「あ、いや・・・・・・」
すたすたと風蘭は木蓮に近づき、彼の額を軽く小突いた。
「しっかりしろ、木蓮。俺は幽霊じゃないんだぞ?」
「はっはっは。この中にいると、なにが現実で何が仕掛けかわからなくなるのも道理ですな」
苦笑交じりの風蘭の横で、黒灰は声をあげて笑う。そんなふたりの発言を聞き、木蓮の隣にいた水蝋が、先に口を開いた。
「風蘭さま、連翹と一緒じゃないんですか?」
「あぁ、連翹は椿たちと一緒だけど・・・・・・。水蝋殿は連翹に用事があったのか?」
「あ、いや、オレがっていうか・・・・・・木蓮が・・・・・・なぁ?」
まだ半ば呆然としていた木蓮は、水蝋に肘でつつかれてはっと我を取り戻した。
「そ、そうなんだ、連翹さんの本名が・・・・・・だから、その、北山羊一族に会うのは・・・・・・」
「あぁ、知っているよ」
「そう、知っていなきゃいけないことで・・・・・・って、え、知ってる?!」
けろりと風蘭が答えたことにより、木蓮はさらに混乱する。
わたわたと落ち着かない木蓮に対し、風蘭は拍子抜けするほど静かに、怖いほど冷静に、木蓮に言った。
「あぁ、知っているよ。連翹の名が『蜂豆 連翹』ではなく、『東蓬 連翹』であること。そして・・・・・・」
小さな一拍の後、彼はさらに言った。
「連翹が、牡丹王の血を引く末裔であることを」