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十章 露呈された歪み 九話






九、自由と束縛








囚われの身でありながら、紫苑はそこにいることに割と満足していた。


それは別に、食事がおいしいからだとか、みんなが丁重に紫苑を扱ってくれるからだとか、そういうことではなかった。


ここに滞在している日々が、紫苑にとって刺激的かつ魅力に溢れていたからだった。


紫苑には個人的な室を与えられていたが、彼女が専ら1日中居座っていたのは、北山羊一族が抱える書庫の中だった。


そこには、紫苑が見たことのないありとあらゆる書物が揃っていた。極寒の地である冬星州白露山の中で暮らしていくための知恵や技術が、そこにはたくさん詰まっていた。


紫苑が貧民の村のためにやりたいこと、知りたいことが次々と彼女の目の前を通り過ぎていった。


書庫に並んだ書物を、紫苑は端から順に紐解いていった。それは飽きることのない作業だった。砂漠の砂が水を吸収するように、次から次へと紫苑は知識を吸収していった。


だからこそ、この『神殿』に来てから一体どれだけの日々が過ぎたのか、紫苑は特に気にすることはなかった。


紫苑が初めてこの『神殿』に足を踏み入れ、案内されるがまま北山羊一族の当主の室に入ったときのことはまだ記憶には新しい。


彼女を村の外まで迎えに来た白装束の者たちが、崇高するように口にした『御方様』が、北山羊一族の当主のことであると知ったのはそのときだ。



北山羊 蝋梅。


当主はそう名乗った。


あれほど朝廷への出仕を拒み、風蘭の命を狙い続ける一族の当主というのだから、さぞや気難しいいかつい形相をした男に違いないかと思いこんでいたのだが、実際に会うと、表情こそ乏しく言葉も少ないものの、そこには隠しきれない労わりと優しさがあった。


自らが名乗り、紫苑が茫然と立ち尽くしているのを見て、当主は・・・・・・蝋梅は彼女に円座をすすめた。


「いつまでもそうして立っておられると疲れるでしょう。遠路はるばるお呼び立てしたのです、おもてなしをいたしましょう」


「え・・・・・・えっと・・・・・・」


「何もあなたに危害を加えようとは思っていません。ただ、しばらくの間、こちらに留まっていただきたいのです」


「しばらくとは・・・・・・どのくらいでしょう?私、『雅炭楼』の人たちに何も言わずに出てきてしまったので・・・・・・」


「大丈夫です、そのことに関しては心配には及びません」


戸惑いを含む紫苑の問いに、蝋梅ははっきりしない短い返答を返す。必要以上の説明をする気はないのだと意思表示しているようだった。けれど、紫苑もここで黙って囚われているほど、以前のようなおとなしい彼女ではない。


「私はここにいて何をすればよろしいのです?なぜ、私は呼ばれたのですか?」


きちんと円座に座り、大きな瞳で相手を見据え、紫苑は蝋梅に問う。その純粋なまっすぐな視線を受ける彼の瞳は、淀んだ泉のように疲れていた。


「・・・・・・あなたはただ、ここにいてくださればよい。あなたがここにいると知れば、集まる者もおりましょう」


「・・・私を誰かを呼び出すための餌にされたのですか?」


「はっきりと物をおっしゃる姫ですな。わたしの想像とは違ったようだ」


怒るわけでも、とはいえ苦笑すらもするわけでもなく、淡々と静かに蝋梅は己の感想を述べた。そして小さく頷いた。


「姫がおっしゃる通り、あなたを囮にして、ある方をお招きしようと思っています」


「・・・・・・それは、風蘭陛下でございますか?」


紫苑が尋ねても、蝋梅はそれに答えることはなかった。ただ無表情に紫苑を見つめ返すだけ。


その答えを得られないと悟った紫苑は、目を伏せ小さく彼に尋ねた。


「・・・・・・では、私はここにいる間、何をすればよいのですか?」


「お好きなことを。あなたの室もご用意いたしましょう」


「・・・・・・では、お願いがあるのですが」


「何でしょう?」


「ここに書庫はございますか?そこに保管されている書物を読ませていただきたいのです」


紫苑の申し出が意外だったのか、それとも予想できたものだったのか、蝋梅の表情を見る限りではわからなかった。


ただ一言、「わかりました」と承諾し、人を呼びつけると紫苑を彼女の室に案内させた。


そこは、書庫から最も近い室であったのだと紫苑が気付くのには、そう時間はかからなかった。


寝て、起きて、書物を読んで。


ただそれだけを繰り返すだけの日々の中で、紫苑は一体自分がどれだけの間ここに留まっているのか、次第にわからなくなってきた。


それでも、不安はあまりなかった。


風蘭たちが助けに来てくれるという期待があるからではなく、この神殿も、そして蝋梅にも危険はないというのを漠然とした勘で、紫苑は感じ取っていたからだ。




そうして『神殿』でおとなしく過ごしていると、ある日、久方ぶりに蝋梅が書庫に姿を現した。


蝋梅に会うのは、一番最初にここを訪れ挨拶を交わしたとき以来。


それまでずっと、他の北山羊一族の者が紫苑の身の回りの世話をしてくれていた。


今更どうして突然蝋梅は紫苑の元を訪れたのか。その理由は、ひとつしか浮かばない。


「・・・・・・風蘭がこちらに来たのですね」


礼も挨拶も抜きにして、紫苑は広げていた書物を閉じながら、はっきりとした口調で尋ねた。


だが、蝋梅はそれには答えずに紫苑の手元に広がる書物に視線を落とした。


「随分と熱心にお読みなられているようですね。毎日書庫にお籠りだとか」


「私は秋星州で育ち、そこで暮らしていく手法を学びました。それは、最低限春星州や夏星州で暮らしていく分には、不自由のない知識であったことでしょう。ですが、地形も気候もまるで違う冬星州において、その知識はあまりにも無意味であったことがわかったのです。こちらの書庫には、それを学ぶ資料がたくさんありました」


「冬星州の暮らし方を学ぶと?冬星州で生涯暮らしていくおつもりか?この荒れ果てた地で?」


「私は冬星州に左遷された身。ここから出ることなど許されません」



迷いなくきっぱりと返す紫苑の瞳は強い。


毅然とした態度のそれは、なぜか蝋梅に薄い笑みを浮かばせた。


「このような土地に左遷させた新王陛下に恨みはございませんか、紫苑姫?あなたは由緒正しい本家の姫であるにも関わらず、平民と交わり、援助もなくこの地で暮らしていくことを強いられた。そのことに、いささかの恨みもないと言い切れぬでしょう?」


「恨みも不満もございません。私は牢に入れられてもおかしくはない立場であったにも関わらず、こうして冬星州で自由に暮らすことを許されたのです。恨むなどもってのほか、感謝すべきことです」


「そして、その感謝の義を果たすために、冬星州を再興させようと奮闘されているのですか?」


はっきりと蝋梅の問いかけを否定した紫苑に、さらに彼は皮肉気に問う。


一体彼はなにを知りたいというのだろうか。


紫苑もまた蝋梅の真偽を探ろうと、彼との会話に真摯に受け答えた。



「それは少し違います。冬星州でも、私は結局守られてばかりで、不自由のない生活を送らせていただいていました。けれど、その裏側には、毎日生死にかかるほどの貧しさを味わい、気力を失くした人たちがいるのだと知り、私は何かをしたいと強く思ったのです。彼らのためだけではなく、自分自身を変えるためにも」



風蘭は冬星州に左遷され、紫苑と同じように冬星州の現状を知り、気持ちが変わった。


国をまるごと変えて建て替えなければ、何も前に進まないと。


だが、芍薬を王と据えてそれを補佐する道を選んでも、結局は執政官であった蘇芳が邪魔をして、前には進めない。


ならば、国のため、民のためにも、自分自身が王になるしかないと。


実兄を討つしか道はないのだと。


風蘭はここで覚悟を決めたのだ。


この冬星州で。



だから、紫苑もまた、冬星州で自分を変えることができるのではないかと思っていた。


守られてばかりの自分ではなく、誰かのために何かができる自分に。


それを見つけることができるのではないか、と。


冬星州へ左遷だと知らされた時、紫苑は風蘭にあやかりたいと思った。冬星州で自分を変えたいと。


そうして、紫苑は見つけたのだ。


何の取り柄もないと思っている紫苑が持っている、多くの知識。それを活かす方法。


紫苑が冬星州を再興できるなどとだいそれたことは思っていない。


けれど、目の前で貧しさに苦しんでいる人たちに、手を差し伸べて「一緒に立ち上がろう」と喚起することはできる。


『物』ではなく『方法』を見つけ、それを与えることによって。



誰かのため、何かのため、それは結局は自分自身のために繋がるのだと、紫苑はそう感じていた。


感謝の義とか、そういった義理ではないのだと、蝋梅にもわかってほしくて、紫苑は心の内を彼に明かした。



けれど、蝋梅の表情は晴れるどころか、わずかに陰りを見せた。


「・・・・・・若い時には、何もかもが新しく見えることでしょう」


「では、あなたにはもう新しく見えるものは何もないのですか、蝋梅さま?」


静かに問いかけた紫苑に、蝋梅はわずかに瞠目する。しかし、それ以上の反応はなく、そっとそのまま目を伏せてしまう。



「・・・・・・あなたのお察しの通り、新王陛下たちがいらっしゃいました。けれど、わたしの室には簡単には辿りつけません。この『神殿』はわたしの意を汲み、形を変える迷路のようなもの。・・・わたしが望んだ者だけしか、わたしの元には辿りつけない」


「・・・風蘭が・・・・・・来た・・・・・・。ここに・・・・・・」


自分で問いかけたものだったにも関わらず、いざ蝋梅の口からその事実を聞くと、やはり驚きと戸惑いが隠せない。


「そうです、今、すでにこの『神殿』のなかにおられます」


「この中に・・・・・・!!」


はっとして書庫を飛び出そうとした紫苑の腕を、蝋梅の角ばった手がしっかりと掴んでくる。


「たとえあなたがこの中を捜しまわろうとも、新王陛下に会えるとは限りません」


「ですが、可能性がないわけではないのでしょう?ならば私は、わずかに残る可能性に賭けたいのです」


「会ってどうされるのです?わたしの許可なくこの『神殿』を出ることなど出来やしませんよ」


「無事を確認できればそれでいいのです」




わずかな希望、わずかな望み。


縋るような視線を向けた紫苑に、蝋梅は小さく嘆息した。


「・・・・・・ならば、お好きになされるがいい。あなたが望むお相手とお会いできることは、おそらく叶わぬでしょうが」


含みのある言葉を残し、蝋梅はそっと紫苑の腕を放す。彼女はするりと蝋梅の脇を通り過ぎ、どことも知れず駆けだしていく。その後ろ姿を見ながら、蝋梅は再び嘆息する。


「・・・・・・若さとは・・・・・・」


誰にともなく呟く。


その先の言葉を、蝋梅も知らない。


ただ、胸の中で紫苑の言葉だけが響いていた。



「・・・・・・あなたにはもう、新しく感じるものは何もないのですか、蝋梅さま?」




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