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十章 露呈された歪み 六話








六、感情と理性









風蘭が冬星州に向かうのは、これで二度目だった。


一度目は馬車に揺られて、様々な思いを抱えながら、椿と柘植と共に向かった。


けれど今回は、馬車など悠長な手段をとっている場合ではない。過酷なほど馬に負担を強いて、乗り換えて、走り続けた。


冬星州に向かっているのは、風蘭と椿、連翹はもちろんのこと、黒灰もそこに加わっていた。


冬星州で起こっていることを黒灰に言うかどうか、風蘭は躊躇ったのだが、椿の助言もあって彼には打ち明けることにした。


どのみち、州軍はともかくも、私軍の力は必要になるかもしれないし、けれど、求めることが難しくもなるかもしれなかった。


なぜなら、彼が以前冬星州にいたころ、北山羊一族や蘇芳にそそのかされて風蘭を襲ったのが、黒灰の私軍であるからだ。


一部の者たちだけだとはいえ、同じことが二度起こらないとも言い切れない。


そこは、黒灰の判断に委ねるしかないのかもしれなかった。




とにかくも、一刻も早く冬星州に到達したい一心で、風蘭たちは馬を走らせた。


そうして冬星州に着いても氷硝には寄ることもなく、まっすぐに冬星州州都、寒昌に向かった。


もちろん、目的は冬星州州主、霜射 柘植に会うためだ。


「遠方よりお疲れさまでした、風蘭陛下」


先に風蘭からの文を受けていた柘植は、詳しい事情がわからないまま、それでも緊急性だけは感じ取り、風蘭たちを出迎えた。


すぐに柘植の屋敷で詳しい話をすることになり、緊張感はさらに増していった。




「・・・・・・紫苑姫が攫われた?!」


話し始めるとすぐに、柘植は相変わらず感情を表に出さないまま、それでもわずかに瞠目してそう問い返してきた。


椿はじっと押し黙り、風蘭が柘植の問いに答える形になる。


「そうです。それも、北山羊一族に」


「・・・・・・北山羊一族・・・・・・!!」


柘植が息を呑むのがわかった。


北山羊一族は、冬星州としても悩みの種であるだろうし、それでなくとも、柘植と北山羊一族には深い怨恨がある。その一族がまた、今度は紫苑に手を出してきたのだ。


「・・・・・・なぜ、紫苑姫を・・・・・・」


「俺をおびき出すためです」


「風蘭さまを?」


柘植の無表情が強張り顰められていく。その意味を探るように。


「・・・・・・それで、風蘭さまが直々にいらしたのですか?」


柘植のいい方には棘があった。


紫苑ひとりのために、玉座を簡単に空けてしまったのか、と。


朝廷を放り出してまで、紫苑を救いたいのか、と。


それは誰が聞いても、言外に「無責任だ」と言っているようなものだった。


もちろん風蘭もそれを感じとり、微苦笑をもらしながら彼に言った。


「紫苑を救うためだけに行くわけじゃないですよ。この根本には北山羊一族と王族との関係も絡んでいる。そもそも、俺が前回冬星州にいたときから、北山羊一族は俺に色々とちょっかいを出してきていた。それも、ちっとも穏やかではないちょっかいを」


風蘭の含みのある言い方に、柘植は黙って頷く。


黒灰や椿、連翹たちはただ成り行きを見守っているだけだ。


「今までずっと、北山羊一族は表舞台に立つこともなく、ひっそりと息をひそめていた。静かに、王族を拒むように、身を隠し続けてきた。それなのに、なぜか俺には牙をむき出しにする。それがなぜなのか知りたかったし、何より、これは絶好の機会だとも思ったのです」


「・・・・・・絶好の機会?」


「だってそうでしょう?返される反応が無反応であるよりも、敵意だとしても反応がある方が、会話がしやすいではありませんか」


不敵に笑う風蘭に、柘植は一瞬拍子抜けしたかのように目を丸くした。


そして、彼には珍しいことに、表情を崩して苦笑をもらした。


「・・・・・・まったく、敵いませんな、風蘭さまには。・・・・・・それにしても、高官たちはよく承諾しましたな」


「え~・・・・・・っと、まぁ、快く承諾とはいかなかったのですが・・・・・・北山羊 柊殿に後押しをしていただきました」


「ほぅ・・・・・・彼女が」


「此度のこと、心を痛めておいででした」


「なんで同じ一族で、こうも性格が違うのかしらねぇ」


椿が大袈裟なため息と共に呟く。


そうしてわざとらしい所作で、肩をすくめた。



「貴族ってホントによくわからないわ。地位や誇りにしがみついて、周りがどうなっても構わないって顔をしている。貴族が平民を守ってくれなくちゃいけないのに、貴族が自分の一族だけの保身しか考えなかったら、あたしたち平民は誰を頼ればいいの?国はどうにかしてくれるっていうの?!」



やがて、椿の糾弾は柘植ひとりに向けられていく。


いつもいつも、彼女は彼と対峙するときに、このような態度をとる。


彼女が彼を、誤解しているから。




「紫苑は冬星州のために何ができるか、考えてくれたわ。貧民の村に行って、自活できる術を与えてくれた。少しずつ、みんなに希望の光を与えてくれたのよ。自分のためじゃなく、この州のために。州主よりもずっとずっと尊いのに、それなのに、州主はそのとき、何をしていたの?!紫苑を取り戻すために何をしてくれるの?!偽りを告げて富みを得ようとしていた人が・・・・・・」


「・・・・・・椿!!」



椿の言葉にすぐに鋭い制止の声があがる。


それは、ふたり。


黒灰と風蘭だった。




「椿、柘植殿をいつまで誤解しているんだ?!彼は冬星州のためだけを考えているのに。彼ほど、この州の復興を願い、果たそうとしている者はいないぞ?!」


「風蘭・・・?何を言っているの?」


「いや、風蘭さまの言う通り。柘植は州主として就任してからずっと、冬星州のためだけに働いてきたんだ。一族を肥やすためになんて・・・・・・柘植はしていない」


苦々しげに語る黒灰の心中を、椿は察することができない。


いや、それどころか、風蘭の言っていることも黒灰の言っていることも、わずかでも知り得ることはなかった。理解できなかった。


冬星州を貧しく苦しくしたのは、柘植だと思っていたから。


幼い椿が体験した、あの恐ろしい日々は、柘植が与えたものだと思っていたから。


だから、憎んでいた。


ちっともいい方向になりはしない冬星州を放って、偽りの姫を妃に据えようとした柘植を。



「椿、おまえが柘植をそうも憎むのは、柘植が冬星州のために何もしていないと思っているからだろう?椿が幼いころ、何の救いもない村で育ち、殺されそうな日々を送ったからだろう?だけど考えてみろ、椿」


柘植は黙っている。


この場で口を開き話しているのは黒灰だけで、椿もただ黙って彼の話に耳を傾けていた。


まるで、黒灰と風蘭がなぜそうも柘植をかばうのか説明しろと言わんばかりに。


だから、黒灰は口を休めない。


椿の柘植に対する誤解を解くために。


これから白露山へ行くのに、互いの不信感を払拭するために。



「椿、よく考えてみろ。おまえが殺されそうになったあの頃、我輩たちはまだ当主の座についてはいなかったのだよ。そして確かに、柘植が当主になるまでの間の冬星州は、目も当てられないほど荒廃し、腐敗していた。ひたすらに悪化の道を下り、幼子が育つような環境ではなかった。生きるためならみな、手段を選ばなかったし、貴族も平民もそうして生きていくしかなかった」



かつての壮絶な冬星州の情景を語る黒灰の表情は厳しい。


椿もまた、己の過去を思い出したのか、僅かに顔を歪める。


けれど柘植だけはただ静かに表情を動かすこともなく、黒灰の昔話を聞いていた。


「北山羊一族が冬星州の財政を主にして司っていたために、北山羊一族が白露山に引きこもって職務を放棄した途端、それは混乱を生じることになった。冬星州全体に分割されるはずの財源は、北山羊一族が掌握してしまい、流れるはずの流通が途絶え、地形に厳しいこの州は荒廃の一路を辿るしかなくなった。・・・・・・だが、柘植が当主として就任してすぐに、北山羊一族から財政の任を奪い返したんだ」


「え?!」


それまで頑なに表情を動かすことなく聞いていた椿が、初めて驚愕の表情をつくる。


黒灰はそんな椿の反応確かめ、軽く頷いてから話を続けた。



「当時、北山羊一族と相当やり合ったけどな。だけど、これは冬星州のためだと柘植は啖呵を切って、瓶雪一族に州軍の出軍要請までしてきたんだ。実際貴族同士の争いで州軍を出軍させれば問題になることは明白だったから、ちょうど我輩が半分趣味で訓練していた私軍と、州軍の半分を出軍させて、北山羊一族に殴り込みに行ったんだ」


「そんな・・・・・・ことが・・・・・・」


「その件に関しては、こちらにも報告は残っている。黒灰殿の私軍の話はないが、冬星軍の半分を白露山に出軍させた記録は、朝廷にも残っていた。その後、何度かのやり取りの末、とうとう柘植殿は北山羊一族から財政管理の権利を奪い取ったんだ」


驚く椿に補足するように、風蘭もまたそう言い加える。


けれど、風蘭のその説明を聞くと、瞠目していた椿はすぐさま鋭い目つきで彼を睨み返してきた。



「じゃぁなぜ、冬星州の財政は何も変わらなかったの?!財政管理が州主にうつったのなら、すぐにでもよくなったはずじゃない!!」


「・・・・・・そう簡単なことじゃなかったんだよ、椿」


風蘭に詰め寄る椿に静かに言ったのは黒灰。あくまでこの話の主導権は彼にある。



「早々すぐに回復できるほど、冬星州の状態は優しいものじゃなかった。どこから手をつければいいのかわからないほど、あちこちが衰退していたし、ある一か所だけ集中して回復させれば、その不平等性で民が暴れる恐れもあった。だから、冬星州の全員がギリギリ暮らしていけるところで、分散して救って行くしかなかった。・・・・・・現に椿、おまえが『雅炭楼』に奉公してしばらく経ってから、少しだけ『雅炭楼』の客の羽振りがよくなった時期があったろう?」


「・・・・・・そういえば・・・」


言われてはっとなった椿だったが、それでもすぐに頭を振った。


「でも、目に見えてよくなっていくようなことはなかったわ。少しずつでも救い出していたのなら、今現在、この州が未だ変わらず荒廃しているはずがないもの。それに、あたしが覚えている限りでは、州内の地域によって税収を引きあげられているわ。救うどころか、締めあげられているのよ」


きっぱりとそう言い切った椿の頬は、興奮で紅く染まっている。


どんな弁解をされようとも、柘植を憎んでいるのだと伝えるかのような強固な態度だった。


「・・・それは、柘植が悪いんじゃない。・・・・・・財政がまわらなくなったんだ。国からの圧政のせいで、冬星州へ流れる資金が制限されたんだ」


「国の圧政・・・・・・?蠍隼執政官時代のこと?」


「というか、霜射民部長官時代、だな」


それまで淡々と説明していた黒灰の言葉が濁っていく。


州主である柘植と、王である風蘭を前にして、この話題を黒灰が告げるのは難しいようだった。


「椿、霜射前民部長官が、殺されたのではなく自害されたものだって話は、俺が即位する前に話したよな?」


話の口火を切ったのは風蘭。


この話だけは風蘭から話す方が適切な気がした。


「・・・・・・えぇ、覚えているわ。連翹が捕まったのは間違いだった。だけど、風蘭が即位するときには、それを証明するものはなにもなかった。だから、連翹に『花』を与えるにあたって、この問題が解決していないと周りがうるさいから、『闇星』も関わって解決したことにしてくれって言ってたわよね?それがどうかしたの?」


「なぜ彼が自害したのか、その理由を聞いたんだ、黒灰殿に」


そう言って風蘭は、椿ではなく柘植に視線を送る。柘植もまた、風蘭を見返していた。


「自害した理由?不正がばれて、追い詰められたからじゃないの?」


「・・・・・・わたしへのあてつけだ」


短く低い声でそう答えたのは、長く沈黙を守っていた柘植。



「・・・あれは、わたしを恨んでいた。寒昌から追い出すように官吏として据えたことも、わたしがそもそも当主であることも、すべてはあれの恨みを買うことになった」


「・・・・・・つまり、州主を妬んでいて、州主を苦しめて陥れたくて、民部で不正を働いたってこと?一族まるごと陥れれば、当然当主の責任問題にもなるだろうし?」


「さすが、妓女は悪知恵を働かせるのは早いな」


よせばいいのに、柘植はそんな一言と共に肯定する。


椿がそれに反発する前に、風蘭がそのあとを継いだ。



「彼が自害の道を選んだのは、刑部に捕えられ、その真相を暴かれることを防ぐため。けれど、そもそもその不正による一族への復讐を仄めかし、彼が自害するための毒薬を授けたのは、北山羊一族なんだよ」


「北山羊一族が?!そんなところにあの一族が絡んできているの?!」


今度こそ椿は隠すことも出来ずに驚きを表した。


それもそうだ。


霜射一族の怨恨に、なぜ北山羊一族が介入してきたのか。


王族に直接関係があるわけでもないのに。



「王族に直接関係がなくても、国への不信を煽ることはできる。民部長官が不正を行い、その穴埋めを冬星州に強いた。柘植殿も自分の弟の不始末をどうすることもできず、それでも求められる税を納めなければならず、やむなく氷硝などの収益の高い遊郭は、税収を上げるしかなかったわけだ」


「だけど、それも合意の上だ。柘植は楼閣ひとつひとつに頭を下げてまわった。我輩たちからすれば、大乱闘の末に北山羊一族から財務を奪い取ってくれただけでも、おおいに柘植に感謝していたんだ、それくらいは甘受できた」


風蘭の説明の後を継ぐようにして、再び黒灰が語りだす。柘植に気遣うような視線を送りながら、彼は、柘植の弟の話をした。


「あいつは柘植が冬星州から追い出した、とか逆恨みしていたけど、そうじゃない。柘植は一族を守るために、あえて柘植に近い一族の者たちを冬星州から遠ざけたんだ」


「守るため・・・・・・?」


意味がわからないと言いたげに問い返す椿に、黒灰は小さく頷く。そして、苦々しげに顔を歪めた。



「柘植から財政の権限を奪われた、北山羊一族から守るためだ。彼らからの報復を、我輩たちは一番恐れた。あの一族の魔の手は、一番最初に霜射一族に向くであろうことは明白だったし」



椿が軽く息を呑み、ちらりと柘植に視線を送る。


その柘植は、この場にいる誰に対しても視線を向けることはなく、遠いどこかを見つめていた。


それでも、黒灰の話は続く。柘植の思いを代弁するように。


椿の誤解を解くためだけに。


「柘植に近しい者たちを寒昌から・・・・・・冬星州から遠ざけておけば、北山羊一族は手を出さないだろうと考えたんだ。・・・だけど、想像以上にやつらは巧妙で悪質なやり方で柘植たちを追い詰めた。椿が柘植を憎むように、多くの者が柘植を憎むように仕掛けた。柘植のやること全てが裏目に出るように」


黒灰はそう言って悔しそうに唇を噛みしめる。それと同時に、柘植がそっと瞑目した。


椿はというと、己が長年抱いていた想像と異なる事実を聞かされ、ただただ茫然としていた。


「州主がそんなことを考えていたなんて・・・・・・。北山羊一族が絡んでいたなんて・・・・・・」



知らなかった事実と過去。


ここにもまた、ひとつ。


まだ混乱したままの椿を眺め見ながら、風蘭はすぐそばまで迫ってきた北山羊一族との対面に、心が急いていた。




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