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十章 露呈された歪み 五話






五、凶報と吉報







久しぶりの帰州だった。


思えば、風蘭と共に水陽攻めに向かってから、一度も帰州する機会がなかったのだ。


残してきた一族の者たちに仕事を任せ、ずっと朝廷から離れることができなかった華鬘は、久しぶりに春星州に帰州して、のんびりとその景色を懐かしんでいた。



水陽の戦乱の痕を見てきたからか、余計に春星州のその穏やかさに心が安らかになる。


長らく留守にしていた自分の屋敷に戻ると、州主としての仕事などを任せていた一族の男たちが出迎えてくれた。


「おかえりなさいませ、華鬘さま」


「長らく留守にしていて申し訳なかったね。また水陽に戻らなければならないのだけど、一度屋敷に戻ってもいいとお許しをいただいたものだから」


「王のおそばで信頼厚くお勤めされていらっしゃる華鬘さまは、我々の誇りです」


一族の男たちの中でも、比較的若い男がそう言い出せば、みながみな、一様に頷いて同意する。



春星州は王への忠誠心が厚い。


どんな王であれ、国を治める王に仕え従うのが理であると、春星州の人々は思っている。


貴族も平民も。


だから、風蘭が反乱軍としてこの州に来た時は、春星州の人々は神経過敏になった。


現王に逆らう王族をどう扱っていいか、わからなかったからだ。


彼らが従うべきは現王。


だが、反乱をおこしているのも王族であるから、彼らが従うべき一族なのだ。


そんな戸惑いを抱えながらも、彼らは忠誠心を守り、新たな王に従う意思を示している。


こうも春星州の忠誠心が厚いのは、やはり初代国王牡丹の影響が大きい。


牡丹が退位後に身を沈めて過ごすことを決めた永住の場所が、春星州なのだ。


彼女が自身の身分を明かすことはなかったが、わかる者にはわかった。


彼女が生来から持っている、王の気質を。


その場に彼女が立っているだけで、膝をつきたくなるようなその威厳を。


けれど、牡丹は決して王であったことを口にすることもなく、むしろ戦乱の傷跡にいまだ苦しむ者たちに手を差し伸べて、励まし支えた。


牡丹という存在に、そして彼女の血を分けた一族に、彼らは恩義を感じ、忠誠を誓っているのだ。


だが、それは時代の流れと共に歪んだ忠誠心となっていった。


それが、春星州の歴史の中で時々起こってしまう暴動の原因なのだが・・・・・・。





「華鬘さま?何か心配ごとでも?」


屋敷の前で思考に耽ってしまった華鬘に、家人が声をかけてくる。彼は首を軽く振って明るく笑った。


「いや、何でもない。『彼女』はこちらの屋敷には慣れたようかな?」


華鬘が話題を変えれば、家人はすぐに笑顔に戻り、頷いた。


「はい。傷も癒え、こちらのお屋敷にも慣れてきたご様子です。・・・・・・ですがまだ、あまりお元気はないようですが・・・・・・」


「焦らないことだよ。心の傷は、少しずつ時間が癒していくからね。あなたがたが親身にお世話してさしあげることも、『彼女』の慰めになるだろうから、これからもよろしくお願いしますよ」


「かしこまりました」



華鬘はとある理由から、彼に縁のない娘を屋敷に迎えた。


けれど、水陽からすぐに離れることができなかった華鬘は、自分が不在の中、『彼女』を屋敷に招くことになってしまったのだった。


そのため、せっかく屋敷に招いたはずの『彼女』のことは、彼の屋敷で彼の帰りを待つ家人たちに任せる形になってしまった。やっとその『彼女』と落ち着いて話ができる機会ができたのだ。



「では、わたしも『彼女』にご挨拶してこようかな」


うきうきとしながら華鬘がそう言うと、家人は表情を曇らせた。


「華鬘さま、早急にお会いになるのは避けた方がよろしいかもしれません」


「なぜかな?」


「『彼女』は、ご自身が華鬘さまの政治の道具にされるのではないかと、危惧されているようなのです」


「あぁ・・・・・・なるほど」


「それは誤解です、と我々からも申し上げているのですが・・・・・・」


「わかった。折を見て、『彼女』とはきちんと話をしたほうがよさそうだね」


少し寂しそうにそう笑った華鬘は、すぐ次の瞬間には表情を凛々しいものに変えた。


「では先に、わたしが不在の間に何があったかの報告会を始めるとしましょうか」






帰州した華鬘は、ゆっくりと落ち着く暇もなく精力的に働いた。


華鬘がいない間も、桃魚一族の者たちはみなで協力して務めに励んでくれた。それに対しても一切の不満もなく、王に信頼されている華鬘を誇らしげに眺望する者たちで溢れていた。


「・・・わたしは、本当に幸せ者ですね」


夜更けにお茶を運んできた家人に、ふと華鬘は漏らした。お茶を注いでいた家人は、その手を止めて彼に微笑み尋ねた。


「いかがされましたか、華鬘さま?」


「わたしがこうして不在の間にも、みなが力をわたしの務めを果たしてくれていた。そうして、わたしが一時的に帰州し、また水陽に戻るかもしれないと知っても、みなは温かくわたしを迎え、送り出してくれる。春星州がこんなにも豊かで温かいのは、みなのおかげだと改めて実感したのですよ」


「ですが、華鬘さま。私たちがこうして穏やかに幸せに暮らしていられるのは、華鬘さまが州主として私たちの幸せを守ってくださっているからです。みなも、そんな華鬘さまを誇りに思い、少しでもお支えしたいと思っているのです」


そう言って、家人は温かなお茶の入った茶器を華鬘に渡す。


それを受け取りながら、華鬘はふっと目を細めた。


「ありがとう」



そうしてふと、思う。


みなが心をひとつにして力を合わせていけば、こうも温かな気持ちで幸せを感じ願うことができるのに、今の水陽には・・・・・・朝廷にはそれがない。


いや、国全体として、それが欠けている。


ばらばらになった心、誇り、信念。


貴族の思いと平民の願い。


様々な思いが交錯し、絡み合い、それは支えあうものではなくいがみ合い憎しみ合うものとなってしまった。


首を振って否定し、前に進むことを躊躇う。


だから、朝廷ではなかなか話がまとまることもなかった。


風蘭を王にすることは、みなが膝をつき頭を下げたのに、風蘭を王として認め、支えようと心から誓った者は、ほんのわずかだった。




「・・・・・・けれど、遠くない未来に、必ずあのふたりは大きく成長していくことでしょう。わたしの力など必要としなくても・・・・・・」


小さく笑いながら、華鬘は呟く。


いつも一生懸命に物事に取り組む風蘭を、華鬘は支えたいと思う。


そして風蘭と同じように熱い思いで国と向き合う、もうひとりの若者の成長もまた、華鬘は待っていた。


彼は・・・・・・木蓮はきっと、風蘭にとっても、この国にとっても欠かせない存在になるに違いないから。




「・・・・・・おや?」


まだ目を通していない文の束からふと、華鬘は意外な人物からの文を見つけてしまった。帰州してから慌ただしくしていたため、なかなか文にも目を通している時間がなかった。


お茶を一口飲んで喉を潤してから、華鬘はその意外な人物からの文を紐解いた。それは、一見すれば礼状だった。


華鬘が風蘭の味方となり、理解を示してくれたことへのお礼。


風蘭が即位したあとも彼を支え続け、よりよい国となるために共に模索し、風蘭の成長を見守るように促し続けているお礼。


そして、こうして春星州を治める責務を忘れずにいることへのお礼だった。


過分なほどの思いが詰まったその文は、何かを華鬘に伝えたがっているようにも思えた。


何より、この人物と華鬘は前々から話をしたいと思っていたのだ。


屋敷に招いたら来てくれるだろうか。


それとも、華鬘が相手の屋敷を訪れた方がいいのだろうか。・・・・・・いや、それはさすがに立場的にもまずいだろう。



まるで恋をしている青年のようだと、落ち着かない気分になった自分の心に、華鬘は苦笑をもらす。


けれど、この人物に会いたいという思いに偽りはなかった。


華鬘は書き途中の書類を横に追いやり、返事の文を書くために筆をとった。





数日の時間を要して、華鬘の文の返事は届けられた。


空白の数日はその人物の迷いの表れだったのかもしれないが、返事としては、華鬘の屋敷に伺いたいという喜ばしいものだった。


そうして、ほどなくしてその人物は、華鬘の屋敷の門を叩いて現れた。


華鬘がずっと会って話してみたいと思っていた、その人物が。


風蘭を迎え入れたこともある、華鬘の屋敷の応接室に、その人物を迎え入れた。



「お初にお目にかかります、梅殿」



華鬘に呼ばれ、応接室で落ち着きなく立ち上がって待っていた梅は、すぐに堂々とした振る舞いで立礼を組んだ。


「・・・・・・本日は、お招きいただきありがとうございました」


「いいえ、こちらこそいただいていた文にすぐに気付かず、失礼いたしました」


硬い表情で挨拶をする梅の様子に、彼が緊張しているのだと華鬘は思っていた。


梅を促し共に鎮座し、華鬘はなるべく彼の緊張を解くように柔らかい口調と笑みで彼に話しかけた。


「此度の戦、大きくなることなく終息したことには安堵いたしました。水陽の傷跡は未だ癒えることはありませんが、風蘭さまが少しずつ変えていってくださるだろうとみながら期待しております」


華鬘が報告がてらそう言えば、梅は難しい表情をつくりながら小さく頷いただけ。


「木蓮殿も風蘭さまのもとで、共に夢を追いかけがんばっていますよ。あなたの教え方がよかったのでしょう、とても優秀な官吏です」


「・・・・・・いえ、俺は知識に飢えていたあれに、知り得るものを与えただけ。どう扱うかはあれ次第ですので」


「平民と貴族の壁をなくすのだと、木蓮殿はそう言っていますよ。きっと、その気持ちの裏には、あなたの存在があるのでしょうね。あなたの持つ知識は、平民にしておくのは惜しい。貴族でも、あなたほどの知識を持つ者はそうそういないでしょう」


「・・・・・・読書が趣味なだけです。昔から、外に出るのは好きではなかったので」


仏頂面のまま、無愛想に梅は答える。


一見すれば、機嫌が悪いのではないのか、嫌われているのではないかと勘違いされそうだが、梅の場合はそうではないと華鬘は直感で感じていた。


それよりも、梅は何か重大なものを抱えているようにも見える。


それを華鬘に伝えにきたのか、迷っているのか、それはわからないが。


そのため、とりあえず華鬘は当たり障りがないであろう会話をしばらく続けることにした。


「なるほど、梅殿は読書がご趣味ですか。木蓮殿や風蘭さまも言っていましたよ。あなたのお屋敷には所狭しと書物が並べられている、と」


くすりと笑いながら華鬘がそう言うと、なぜか梅の表情はより一層硬くなった。


「・・・・・・受け継がれてきた書物ばかりです。古いものばかりなのですが、処分はできぬのです」


「・・・・・・なるほど、大切な書物たちなのですね」


話せば話すほど、なぜか殻に籠っていく梅の態度に、華鬘はどうしたものかと困惑する。


こうしていつまでも世間話をしていても、梅の固い思いは解れないのかもしれない。


核心の話題に触れてしまう方が、彼の気持ちも晴れるのではないか。


華鬘はそう思い直し、梅が華鬘にあてた文の内容を思い起こしながら、彼は居住まいを正した。


「梅殿、先日わたしにいただいた文のことですが・・・・・・」


「失礼いたします、華鬘さま」



突然、扉の向こうから声がかかる。


よっぽどのことがない限り、家人が華鬘の来客中に声をかけるような愚かなことはしない。それに関しては、華鬘は自分の屋敷に仕えてくれている家人たちを信頼している。


その家人が華鬘に声をかけてきたのだから、何か緊急な用件があるに違いない。



「少し失礼します、梅殿」


一言梅に断りを入れてから、華鬘は家人の話を聞くために扉を開いた。


「御来客中に失礼いたします、華鬘さま。火急の文が届きましたので・・・・・・」


「火急の文?」


少し慌てた様子の家人から文を受け取り、まずはその差出人を確かめる。


それは、華鬘がいない水陽で奮闘中に風蘭からの文だった。


華鬘に緊急の文をよこすなど、よほどのことに違いない。



華鬘はすぐのその場で文を広げ、長くもないその文に目を走らせた。


それは、結論からすれば、至急に水陽に戻ってきてほしいというものだった。詳しい理由は書かれていないが、どうやら風蘭が玉座を不在にするというのだ。


何がどうなってそういう結論に至ったのか、華鬘には想像もつかない。


一体風蘭がどこに行くのかも明記されていないのだ。


・・・・・・いや、文を誰かに読まれることを案じて、明記することができなかった、ということだろうか・・・・・・。


この文も読み終われば燃やしてほしいと書かれている。


何が、水陽で起こっているのだろうか。


風蘭たちに何があったのだろうか。


華鬘は居ても立ってもいられぬ思いに駆られた。




「・・・・・・華鬘さま、なにか至急のご用件がおありでしたら、俺はもう失礼させていただきますが・・・・・・」


背後から梅がそう言った。


木蓮の師でもある梅。


彼には尋ねたいことや語りたいことがたくさんある。


もっと時間をかけて信頼関係を築いていきたいと思っているほどに。


だが、今はその時間がなく、そしてなぜか、今、どうしても華鬘は梅と核心づいた話をしておかなければならない気がした。


梅が、何かを強く覚悟してここまで来たように思えたからだ。



華鬘は先程までの穏やかな笑みを消し、真剣な面持ちで梅と向き合った。


「・・・・・・風蘭さまが、玉座を空けてどこかに行かれるようです」


「・・・・・・風蘭さまが?」


解せぬ、といった様子で梅は眉根を寄せる。華鬘もまた険しい表情をつくり、室内にはふたりきしかいないというのに、小さく、ひそやかに、声を落として華鬘に言った。


「風蘭さまが動かれるなど、よほどのことがあったに違いないと思うのです。何が起こっているのかは検討もつきませんが、水陽で木蓮殿がひとり残されているということなので、わたしはすぐにでも水陽に戻らなければなりません」


「・・・・・・なぜ、王が玉座を空けるなど・・・・・・。これでは・・・・・・牡丹王と同じではないか・・・・・・」


「・・・・・・梅殿?」


俯き拳を握る梅の様子に、華鬘は決意する。


今、彼に尋ねておかなければならないことがあると。



「・・・・・・梅殿、教えていただきたい。あなたは牡丹王が女王であることをご存知だった。そして、今の口ぶりからして、なぜ、牡丹王が退位されたかもご存知でいらっしゃる。貴族の中でも、今では限られた者しか知らないその事実を、なぜあなたがご存知なのですか?受け継がれてきたというその書物にあったものなのですか?」


それだけ言って華鬘はひとつ、呼吸する。


木蓮さえも知らない事実。


それを今、華鬘は梅に尋ねようとしている。


けれど、それが今、知らなければならないことであると、華鬘は感じている。


だから、梅の答えを待つことなく、最後にもうひとつだけ質問を投げかけた。



「梅殿、あなたの姓は、なんとおっしゃるのですか?」















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